第85話 夜明けまで
――残り二時間。
耐える時は終わりに近づく。しかし、逆に時間が経過すればするほど状況が苛酷になっていく。【災厄】の魔石から発散した魔力は、形をもって魔物になる。そして、ドラゴンは魔力に引き寄せられ集い来る。
【エレメントロード】の引き起こした災害は収束し、魔物が闊歩する新たな地獄が幕明けた。”その時”に近づけば近づくほど、地獄はさらに深度を増す。
「……ッああああ!」
「くそ。くそ――くそが! このドラゴンどもがァァ!」
絶叫が響く。銃を持ち抗戦する者たちが、なすすべもなくドラゴンに食われていく。
団最上位の人外どもであれば雑魚とでも形容するだろう小さなドラゴンでも、普通人が相対すれば思わず自らの喉を描き切りたくなるような絶望である。
「ひぃぃぃぃ!」
「来るな、来るな、来るな――誰か助けてくれぇ!」
夜明け団の総力を結集したこの場所、彼らが持っているのは最新式の機関銃だ。しかも火砲術式だっていくらでも用意してあった。それでも――なんの意味もない。硬い鱗に弾かれてむなしく飛び散る……だけでなく。
「ぎゃっ」
跳弾に当たってしまう。ここにいるのは平の団員、だけれども街の衛兵などが望むべくもない高性能な団服を着ている。跳弾であれば骨折もしない。それでも、隙は隙だ――逃げ遅れ、喰われて、喰い残しがバラバラと散らばる。
「く――くそったれがァァ!」
地獄絵図が現出する。しかし、それは……人類が空の王たるドラゴンに捕食されるという、どこにでもある日常的な風景だった。
そして、指令室では。
「……第24、第18、第19ブロックにドラゴン侵入」
「魔術防壁を張り直し。動ける団員は避難させてね」
「第32ブロック、崩壊しました」
「補修材で埋めておいて。隙間が埋まれば何でもいいよ」
「団員、12%の信号途絶を確認しました。また、機械化兵の損耗率は92%……現在動いているのは5機」
「指令室の防壁損耗率80%、まもなく崩壊するものと見られます」
戦場の中心たる指令室にルナはいる。しかし、中心というのはあくまでも比喩の話である。指令室が実際に存在している場所は屋上とでも呼ぶべきところにある。つまり、ざっくり言うと砦の一番上だ。
実用一辺倒な夜明け団の砦設計思想は、指令室を安全な奥底ではなく最も指揮がしやすい屋上に置いた。魔術なのだ、術者が発信源に近ければ近いほど正確に状況を把握できる。そして、発信するもの――魔力波は一番高いところ、屋上から出すのが合理的である。
そんなわけで指令室は砦の一番上にあるが、敵の位置を掴みやすいだけとの理由だけで危険な場所に指令室を置く彼らもどうかしている。
――現に、こうしてあと少しで魔物に襲われそうになっている。
「防壁損耗率90%……指令室の変更を提案します」
「ああ、限界だね――」
ルナはいいとしても、他の指令室メンバーはドラゴンに会えば死ぬ。というか普通の魔物に会っても死ぬ。戦闘技能のない、高級官吏だ。
ここまで他人事のように言えるのはプロジェクトの開始から早70時間。”70時間”も働き続けているために人間性が削られてしまった。徹夜どころではない、クスリを使ってその時間中フルに能力を発揮し続けている。
ブラックとかそんな言葉で片付けられるものではない命を代価にした激務であるため、命の危機に何か感じるような人間性が残っていない。疲労を薬で吹き飛ばした副作用。
「損耗100%、ドラゴン来ます――」
やはり声には感情がこもっていない。機械のように働き続け、感情などもう摩耗してすり切れた。味覚は機能するけれども味なんてわからないから、最低限の高カロリーのゼリー食と水で身体機能を維持するだけの人形じみた働きアリだ。
「全員、退避」
ルナは言いながら前に出る。立てかけてあった刀を引き抜く。
それは言うまでもなく最高級の代物、夜明け団の至宝のようなそもそも値段がつけられないものには劣るにしても――それでもS級冒険者においてさえ十分と言わしめるほどの一品。
例えばどこかの街にあるとしたら、神器として祭られてもおかしくないアーティファクト一歩手前。人類最高レベルの装備だ。
「ッガアアアアア!」
砦の防壁を破ったドラゴンが口を開いて――
「っは!」
一閃で首を叩き落した。
「退避だ! 隊列を組み、第二指令室へ急げ。駆け足!」
感情が擦り切れたオペレーターたちはパニックも起こさず静かに駆け足で、ルナが蹴り開けておいたハッチを下っていく。
「「「グルル……」」」
そして、崩れ落ちた壁の向こうはドラゴンがひしめく。首を失った仲間を踏みつけて指令室に侵入する。
「雑魚が。貴様らごときがこの僕を斃せるなど思い上がるなよ――ッ!?」
穴を広げながら入ってきた三匹。流れるような動作でその一匹の首をはね、二匹目、そして総計三匹目のドラゴンの首を求めたルナの刃は、首の中途で折れる。……強度が足りない! 人類の武器ではこんなものか。
「ッルオオオ!」
隙を見つけたとばかりに顔を歪めたドラゴンは、首に埋まった刃に回し蹴りを叩き込まれて絶命する。馬鹿め、と吐き捨て外を見るとおかわりはいくらでもある。
「やれやれ――数ばかりが多いのう」
アルカナが魔術でドラゴンを焼き尽くす。人外の出力があればこんなものだ。ほぼすべての力を封じてさえ、この有様なのが終末少女だから。
「さて、ルナちゃんはすることがあるのじゃろ? ここはわしに任せるといい」
「……頼める?」
折れた刀を捨てる。刀は一本しかなかった。
予備は数段性能が落ちる代物ばかりで、ドラゴンの鱗を突破するのは手間だ。というか殴って中身をつぶした方が早い。
それは夜明け団の資金力ではなく、在庫の問題だ。あれほどの代物は何本も売っていない。金で買える程度のものでは、しょせんはあの程度である。
「てんすうかせぎ?」
「くく、アリス――そうは言っても貴様も同じことをするのだろ?」
「ルナ様のしたいことが、アリスのやることだから」
「ま、任せておいてくれ。わしならば調整もお手の物じゃ」
「あんなの、ぜんぶつぶせるのに」
「それはルナちゃんのやりたいことではないのう」
「しってる」
アリスはちょっと機嫌悪そうにしながら、それでも子犬のごとくしっぽを振っていそうな表情である。後でほめてあげよう、と決めて。
「うん。よろしくお願いね――あとでごほうび、あげるから」
ルナは下に行った。
「……うん」
アリスがうなづいて。
「やりすぎるなよ」
アルカナがたしなめる。
「わかってる」
不機嫌に口を尖らせた。