第83話 彗征龍ストームドラゴン
「……かはっ。はは。ははは――」
彼女は笑う。ルナのアーティファクトを身に着けて。もちろん、それも予備だが彼女が知る由もないし興味もない。重要なのは、それが強力な神器であるということだけ。
「なるほど、こいつが――ッ!」
狂気の笑みを浮かべる彼女は”息をしていない”。躁鬱状態で、長いこと鬱状態だった彼女が今は躁状態になっている。
つまりは人外の体を手に入れてハイになっている。
「きひ。はっは。ひゃっは――ッ!」
四方は水。息もできぬ水に満たされた空間……もっとも、息を止めていれば大丈夫という代物ではなく。人間が”それ”に触ったのなら魔力に侵されて死ぬ、高密度の魔力が溶け込んだ魔の水だ。
そこを、笑いながら飛ぶ。泳ぐ――まるで人魚のように。もしくは弾丸のように。
「……ム。ナンダ、コノ”ケハイ”ハ」
もちろん、水は彼……ドラゴンの支配領域だ。触れれば相手がどのようなものなのかまでわかる。そして、それに戸惑っていた。感じたことのない気配だった。むしろ、同族に近いような――どころか彼でさえ恐れる【災厄】にさえ近いような。
「おはよう、人類に逆らう愚かなトカゲよ。そして、さようなら。貴様は”溺れ死ね”」
人間に見える。少女に見える。
彼は人間的な感性など持っていないようだからわからないだろうが、かなり美しい。あと3、4年あればどれほど美しく育つか――まあ、このままでも好きな人はいるだろうが。
なお、彼女は成長しないタイプの改造人間だが。
「キサマ、ニンゲンカ? ダトシタラ、オロカナ」
彼が支配していたはずだった水が絡みつく。首をつぶそうと渦を巻く。配下のドラゴンであったら縊り殺されていたであろう圧倒的な威力。しかし――
「コノテイド、フセグ、マデモナイ」
首を上げて渦を突破する。この程度の圧力ならふんばるまでもなく、ただ首を振るだけで脱け出せる。そして息を、いや水を大きく吸い込んで撃ち放つ。
「ぬ――がっ!?」
衝撃が走る。回避できる方向などなかった。彼女は砦ごとつぶせそうな大きさの水流をまともに喰らってぺしゃんこになった。
「はっは! 一筋縄ではいかないね! 僕の名前はレン。今はレン=ジェリーフィッシュだ。お見知りおきを! そして死ね!」
それでも彼女は元気だ。
ポーションを使うまでもなく、体を文字通りにまな板のように平らにされても復活する。いや、復活するというのは正しくない――人間が手を曲げられるように、猫が指から爪を出せるように。彼女は自分の形を変えられる。ジェリーフィッシュ=くらげ。
「ナンダ、オマエハ――」
見たことのない人間。そう思った。けれど、何も変わらない。これが人間であるならば、踏みつぶすだけだ。生まれてからずっとそうしてきたように。人間など地を這うムシケラ……目の前のこれは人間にしてはちょっと頑丈なだけだ。
「ねえ、君の名前を聞かせてよ――知りたいな、聞きたいな、ほら聞かせてよ。ねえねえねえ」
彼女の背後で水が渦巻く。けれど、それは簡単に威力も予想できて。やはりハエはハエだ。あれに自分を傷つけられるとは思えない。
「ワガナ、【彗征龍ストームドラゴン】。ゴウマンナ、ニンゲン――ワガナヲオボエ、メイフヘユクトイイ」
彼はそれを”見た”。それだけで支配権を奪ってしまい、攻撃のために生み出したはずの逆巻く渦は逆に彼女を縛り上げミキサーにかける。
「う……おお――!?」
人間ならば、血と肉がシチューになる悲惨な光景が生まれただろう。けれど、ここでは人色の”ねるねるねるね”みたいな変な物体になって。
「シナヌ、カ? ナラ」
彼の支配領域たる水が教える。”これ”はまだ生きている。特に考えるということをしない彼はさっさと次の行動に移る。すなわち、噛み付いた。
「ひはっ――」
分断される。真っ二つになって、しかし笑い続ける。こんなものになにも意味はないと――
「キサマ、”バケモノ”カ?」
龍からの問いに、彼女は引き裂かれんばかりの耳まで届く笑みを浮かべて。
「……『哲学の血石』」
両手に、二つに分かれた身体のそれぞれに、脈動する赤い石を握り締める。
錬金術の秘奥、賢者の石を発展応用した一時的に戦闘能力を高める致死の加速薬。高めすぎた結果、壊れる前バージョンとは”もの”が違う。
「アキタゾ、ニンゲン」
ばくん、と二つに分かれた身体を喰った。危ないもの、とかそんな発想は龍には存在しない。空の王に危険など存在しえない。彼女の石を握りしめた両手、だけが零れ落ちる。
「「……で?」」
そして、その手から復活した。
増殖、分裂……スライムの生態と言えばそうだろう。けれど、それを人間で実行してしまうのが団だ。
材料である賢者の石、それすら改造に失敗してシチューになった人間の残骸を元に作られたものだった。魔物に復讐を誓ったのに、ただ失敗して打ち捨てられるのはあまりに忍びない、ゆえに成功者とともに戦わせてやろう。
――それを本気で言うのが【翡翠の夜明け団】の狂気であるのだから。
「「さあ、貫け【アクアランス】」
二手に分かれた両側から、柔らかい羽根を狙った攻撃が放たれた。
「チイイッ!」
龍は片方を相殺したが片方は対応できない。羽根を貫かれる――が落ちはしない。
羽根で揚力を生み出しているわけではなく魔術で飛んでいるにしても、その生体魔術陣の大半は羽根に描かれているため致命的。魔術が不足した分を、かろうじて操る水で支えているだけだ。
「「ヒャハッ! 【ブルーブレイザー】」
水で剣を生み出し、斬りつける。今度は両手で受け止めて――片方だけが深くまで抉りこまれる。何事か、と考えて。まあいいか、と強い方を殴り飛ばした。
「アハッ! 足りない頭絞って、考えてみなよ!」
飛ばされる一瞬、片方が片方に何かをよこした。刀、ルナのアーティファクト。振りかぶって。
「コウルサイ、ニンゲンガァ!」
満ちた水、渦を巻いて圧潰する。
「ぎ――うぐ。あが……」
レン=ジェリーフィッシュの体は斬撃も鈍器の一撃も受け付けない。魔力攻撃ですらたいていのものは無効化する。
数少ない弱点、火は砦を挟んで向こう側で戦っている。援護、なんて龍はしない。
「あ――ああ……っがあああああ!」
それでも、敵は龍。空の王……相性がなんだ? スライム状の分離、合体を繰り返す性質がどうした? そんな小細工で偉大なる人類の天敵を上回ることなど不可能である。
力の逃げ場などない四方から押しつぶせばいいだけの話だ。
そして、アーティファクトだけを残して残骸はどこかに流されてしまった。彼はそれを見て満足して――
「敵を見もしない。知恵遅れもここに極まったか?」
嘲弄の声がする。殴られた方はまだ生きている。どちらも本体だ、ただアーティファクトが一つしかないだけ。注意を引いて。
「これこそ『フェンリル=邪龍神呪乖転』よ。龍をも侵す猛毒にして、世界を侵食する闇の杯。古来より王は毒杯に倒れる習わしだ」
それは名の通りフェンリルの発展応用だ。
その破壊力を生体細胞を犯す毒へと錬成変換した。もちろんフェンリルである以上、人に投与して暴走・汚染する仕組みなのは変わらない。彼女が死ぬのは前提として、腕しか黒く染まっていないのは死にかけだからだ。毒を体に巡らせる代謝がほとんどなくなっている。
「ガ……アア……アアアアア!」
龍は毒にのたうち回る。彼の支配領域たるこの空間を覆いつくす水もうねり、さかまいて空隙を作り、見るからに弱まっている。これでは知覚を十分に発揮できない。
「あは。あはは! あっはっはっはァ!」
レンは自らも毒に侵されながらも高らかに笑いあげる。近くに迫る己の死に何ら感慨を抱くことなく、ただ人類の天敵がもだえ苦しみ死に近づいていく様に絶頂にも似た愉悦を覚えて――
「ギ――グガ。ガアアアア!」
その見下す視線に彼は耐えられない。人間などと下等生物ごときに。渾身の力を込めて振り下ろして。
「あは。だから、貴様の頭には脳が足りんと言うのだよ」
彼女は龍の後ろを見る。……白い穴が見える。
「プランDはつつがなく最終フェーズへ。【ワームホール】でやってきましたよ。そして羽をもらいます、【ブラックホール】」
彼は残る羽根の片方に激痛を覚えて。そう、超重力の渦にむしり取られた。何が起こったのかわからない彼は疑問符を浮かべながらも墜落する。
突如空間に現れた白い渦から現れた乱入者、そしてさらに増援がやってくる。
「さあ、合わせなさい! 拉げておしまいなさい、【ヘヴィークラッシャー】」
わけもわからぬうちに、首に斧の斬撃と衝撃が一体化した”重い”一撃を喰らう。本来であれば弾き返せたが、毒による不調で思い切り喰らってしまう。
「当然だ、論理的に行動しろ。壊れろ駄トカゲ、【月読流が崩し・牙突】」
そして、次の瞬間そのままの勢いで逆鱗に下から短剣が突き刺さった。
「ギギッ!? グルアア――!」
奇襲に強い生物など存在しない。
そもそも油断したところを急所狙いでぶっさす、などされたらひとたまりもない。対抗しようもない。それでも比較的立て直すのが簡単、ということならこの龍以上は【災厄】しか存在しないが。
「……潰れろ」
一言。龍は悪い予感を覚えて、しかしそれは遅かった。鉄槌のような拳が急所に突き刺さったのをはっきりと感じて。しかもそれは突き刺さった短剣を喉の奥にまで押し込んで。
「グル……ガアアアアア!」
それでも、すぐに死ぬわけではない。のたうち回って、苦しみもがく。もしかしたらこの毒と逆鱗に刺さった短剣は致命だったかもしれぬが、彼は空の王。簡単に死ぬわけがない。
反撃しようとして――しかし、彼に致命傷を与えた敵たちはもうそこにいなくなっていた。現れた時同様に、唐突に消えている。
「ナンダ――ナニガ。ニンゲン、キサマラ……ドウイウ、ツモリデ」
残されたのは死にかけの少女が一人。死にかけているからこそ逆説的に毒が回らずまだ死んでない少女だ。
「んう? あの方らは大事な任務があるのでなあ――お前の看取り役は一人で十分」
つまりは逃げた。最高の瞬間に一撃を加えるだけ加えて、即座に来た時と同じ空間移動魔術【ワームホール】で砦の中に帰った。
レンは3人に鎖が巻き付いて穴の中に引っ張り込んだのを見ていた。
「ググ――カトウナ、ニンゲンゴトキガ……」
「その下等な人間を前にお前は死ぬ。私の代わりはいくらでもいるぞ? しょせんは僕は型落ちの流用品……残りの人生なぞハナからないのさ」
「ガガ……グ……コレハ、コノ……キモチワルサ、ハ――」
「痛みだ。空の王たる貴様は感じたことがなかったかもしれぬな。痛みを、苦しみを。そして死の恐怖を。ああ、だがな僕たちは違う。そんなものはすでに乗り越えたんだよ旧世代の支配者よ」
「ソンナモノヲ、ワレラ、【エレメントロードドラゴン】ガ――」
「それを与えたのは【翡翠の夜明け団】。そして、この僕――レン=ジェリーフィッシュだ。なあ、トカゲよ、最期に少し遊ぼうじゃないか」
空中で座る態勢をとっていたレンが立ち上がる。
「アソビ? コレガ、アソビダト」
「遊びさ、どうせ僕もお前も死ぬんだ。結果が変わらないなら、それは遊びだろう。せいぜい派手に逝こうじゃないか。短い人生、最期は華々しく行こう」
再びルナから貸し与えられたアーティファクトを纏い。
「コノ、”キョウジン”メガ!」
龍と人が激突する。正々堂々、真正面からの力比べ。両者ともに力はほとんど残っていない。それでも、一つの街を壊滅させる程度の力はある。
それを振り絞り、矢のようにぶつかっては弾かれて、何度でも。決闘の様に、どちらかが力尽きるまで。
「あは。やっぱり、強いなぁ。でも、勝ったぞ。僕は空の王に打ち勝ち、名を遺す……」
先に沈んだのはレンで、そしてそれを見届けた龍もまた力を失い墜ちていく。