第82話 焔征龍ボルケーノドラゴン(下)
「もちろん、そんなものをまともに受けるはずもないわね」
ルビィの声。……後ろ、彼は目を離していなかったはずなのに。爆炎に飲み込まれるのを、矢が刺さった瞼を無理やりこじ開けて見つめていたのに。
「幻影よ。もちろん、我々の超高度な技術があっても使い捨てで一個人が使えるほど安くもない。国家予算級ね。けれど、それだけに威力は中々。あなたすらも騙せた」
サファイアが嘲笑う。蛇骨刀で狙われた一瞬、彼は眼を閉じた。その時に入れ替わった。
瞼に矢を突き立てて、そこまでは本物。けれど、その奥を削り取ろうとしたサファイアは偽物。ルビィも同時に幻影と代わっていた。
こんなとき、彼はどんな顔をしていいかわからない。
魔物はもちろん訓練など受けていないのだから。だからこそ、あんぐりと口を開けて振り返る。それすらも予想内とも知らずに。口を開けてるとマズイなんてこともわからずに。
「あなたのまぬけ顔、最高ね」
するりと口の中に蛇骨刀が入る。
悪寒を感じて、それは一瞬後に苦痛の爆発となって成就する。奥歯を抜かれた。治療行為ではない、殺害でもない拷問の業。無理やり、力ずくで神経をぐりぐりと抜かれるのだ、痛いに決まっている。……悲鳴。
「あら、これは知らなかった。ドラゴンでも苦しむ顔をするのね」
がすがすと舌を下あごに縫い付けられた。計12本の矢――ドラゴンの手では外すこともできず、そして口がこんな状態では、火は吐けない。
「キ――キサマ、ラ」
さらに濁って聞き取りづらくなった声。当然だ、口内に拷問を受けているのだから。拷問、このまま放置しても死には至らない。それでも、痛い。とてもとても……痛い。
「「あは――あはは。アッハッハッハッハ!」」
双子、口を合わせて。哄笑の合唱、二対の目は空の王を冷たく見下ろして。だから、彼は殺してやるとの決意を三度。
「コノ……クルッタ”ニンゲン”メ――」
全力で振るった腕、柔らかいものをつぶす小気味いい感覚。次いで何か欠けた欠落感。冷たい感じとともに、痛みが走って。……爪、折られた、いや根元をえぐってくり取られた。一本の爪が後ろに落ちる。
「ぼさっとするなよ、間抜けェ!」
怒鳴られた。彼は一瞬硬直してしまい、動きが止まった一瞬でもう片方の手、三本の爪のうち一つをはぎ取られた。
「ギギ――」
悪寒が止まらない。身体が震える。身体が勝手に後回しにしていた羽根の再生を始めようとする。彼は知らない――その感情が恐怖であることを。
「……は」
潰れた少女は、ポーションで自らの身を回復する。
ドラゴンに与えられたものとは比較にならない痛みを味わった彼女は、癒えぬ自らの右目をえぐって捨てた。腐ったそれは地面に落ちるまでに蒸発する。
寿命だけでなく、彼女たちはあらゆるものを差し出してここに立っている。
「……まだ、もつよね。ルビィ」
「もつよ、こいつを殺すまでは死ねない。そう決めたよね、サファイア」
確認するようにうなづき合って。
時間が流れる。龍には様子見などという観念はない。戦いというものも知らず、ただ虐殺するだけだった。その彼が、今は震えて動けない。
こいつらは次に何をするつもりかと警戒する。……怖がる。
「「……きひ」」
やはり、笑み。龍は【災厄】には劣るといえど、再生能力自体は当然のように持っている。来ないのならば、このまま傷を癒して――などと愚にもつかぬことを考えるほどの時間をにらみ合って過ごす。
「似合わないことするね?」
もちろん、そういう技術的なことに関して龍はしたこともない。できるはずがないというのは子供でも分かる。集中力を切らさない、それは難しい。わずかな時間、気をそらして。”いなくなった”。
「ドコニ――!?」
それでも彼こそが龍の王。気配を探知するなんてものは呼吸するのと同様に自然にできていて、感じた。が、これは……どっちだ?
疑心暗鬼、一度騙されたものだから警戒する。指と舌、そして歯の痛みは今も彼の精神を焼いている。冷静になれというのが無理な話だ。
「文字通りの、牙を抜かれた獣。愚かすぎて笑いが止まらないわね。ね、サファイア」
「痛みを恐れるのは本能でなくて? 克服できるのは人間だけよ、ルビィ」
さらなる激痛。戸惑いは行動の停滞を生み、そこにつけいるのは当然。自らを守る技術を知らないそいつは剥がされた爪を、さらに抉られることとなった。
「コノ……キサマラ。イイカゲンニシロ――!」
後退はプライドが許さない。ゆえ、彼はここで激戦を繰り広げる。ぐちゃぐちゃになってはポーションで復活する、どちらが魔物か分かったものではない夜明け団の戦士と。
なりふり構わぬ攻め、それは当然龍の守りが薄くなることを示す。古来より龍の急所と言ったら逆鱗である。しかし、それには喉元にある強固な逆鱗を砕いてその内側の固い肉をえぐる必要がある。
そもそも、この場合の正道とは何だろうか。強大な龍の王に人間は敵わない、ただ殺されるのみ、などというイジワルも言わずに。邪道は、いま彼女たちがしているような拷問技術を用いて敵を苦しめることだろう。
――龍の逆鱗を砕き、急所を貫く。それしかない。
最大攻撃を鱗に一点収束、貫き通す。相手の攻撃を耐え抜き、隙をつき急所を貫くのは英雄の所業だろう。この場合、問題となるのは……一度や二度では済まないということ。
ルナが肩入れしているとはいえ、二人は終末少女ではない。10回、20回、そもそもそれだけの数の必殺技を撃てるか疑問で、しかも龍だって急所は守る。急所を無防備にさらして歩くのは変態だ、強者のやることでもなく。
今、彼女たちが龍を傷だらけにしているのは拷問しているからだ。そして、何度も激突するうちに龍の身に傷を刻んでいけるのは、彼も必死になっているからだ。
全力になっている以上、それは別のところでほころびを生む。余裕が全くない。慎重に自らの身体を守るだけの余裕がはぎとられてしまった。そうしなければ敵を倒せない。
だからこそ、龍はその身に炎色の血を流し、少女二人は絶命に至る傷を受けながらも復活する。龍と人が互いを憎み、殺し合う。
龍は精彩を欠いていき、人は過ぎたる力を使う代償に取り返せない欠落に苛まれる。
「あは。私たち、やるものだと思わない? サファイア」
「そうね、私たちは孤児だった。力も何もない、ただの犬にすら怯えるだけだった私たち」
「そして実験動物に志願した。そうするしかなかったもの、私たちは何も持っていなかったから」
「運が良かったわ。みんな、覚悟をほめてくれたけど今一ピンと来なかった。でも、ピンとくるものはあったわね。ルビィ」
「今となってはムシケラにすら思える中級魔物。でも、当時はその程度にすら苦戦していて」
「でも、勝ったわ。嬉しかったよね、初めて自分を認められた気がした」
「ドラゴンと戦って勝ったとき、気持ちよかった。だから、もう一回。そう思って、でもダメだと思った」
「私たちは狩られる側じゃない。強くて、強い魔人になれたって思った。けれど、それはあそこで終わりって。身体をうまく動かせなくて、魔力を使えなくなった」
「あの人が助けてくれた。全てを差し出す代わりに力と振るう場所をくれるって」
「だから頷いたんだよね。もう一回、ドラゴンを踏みにじることができるから。勝利の美酒を、もう一度味わいたかった」
「うん、もう一回。生きている限り、渇くから。だから」
「やろう? 殺そう」
龍は爪で引き裂き、尾を振り回し、ときおり噛み砕く。ブレスはない、まだ矢は口内に突き刺さっているし、歯の神経を抉られる痛みは二度と味わいたくない。
それでも、近くにいればその牙を使う。守り一転倒の姿勢など戦いなどプライドが許さないから。
いつのまにか逆鱗は砕かれた。本当の急所が敵の前にさらされてしまった。それでも、敵は許せないから。殺すと誓ったから。強力な力でもって、やられる前に殺すのだ。
がばりと口を開けて、逆鱗狙いの彼女を噛み砕こうと口を開く。
そして、サファイアは”そこ”に入る。口の中に勢いよく飛びこんだ。虫が口の中に飛び込んできて思わず飲み込んでしまった、そうなった経験がある人はどれくらいいるか。
とにもかくにも、そうなった。丸飲みである。
「ウ――」
それで殺せたと思うほど龍は生易しい拷問じみた戦いをされてない。ほら、すぐに――食道を蛇骨刀で掻き切られる痛みが襲ってきた。
「「セット、同調――死神の力を見るがいい。契約を果たせ【C・W サイレント:デス】」」
体温の抜け落ちた冷たい声。”内側からも”。ルナの与えた最後の力。高まる力、闇を纏いて崩れ落ちる。炎すら喰らい闇へと堕とす。ルビィ、矢を生成する。腕が崩れ落ちながらも――死という絶望を解き放つ。
「マケルモノカ! ニンゲンニィ。ニンゲンゴトキニ、マケルナドォ――ユルセルモノカァ!」
極大威力のブレス。矢が突き刺さった舌さえ焼き尽きても構わぬと、すべての力を込めた竜の悪あがき。
そして、少女たちはそれを許すようなロマンチストではない。腹から飛び出た蛇骨刀が彼を地面に縫い付ける。簡単な話、伸ばせるしその逆もできるのだから。
柔らかい内側、それも死神の力を使ったそれは龍の血反吐をまき散らす結果を生む。ブレスは明後日の方向へ無駄に放たれる。
「フ――フザケ……」
人間に負けるという現実か、それとも仲間ごと射殺すという非道か。どちらに言っているかはともかく、龍は現実を否定し、そして現実から否定される。
死した魔物は魔石となる。胃酸で溶けて人相が崩れ、さらには矢に巻き込まれて半身を失ったサファイアが宙から落ちる。そこに、崩れかけたルビィが歩いてきて倒れこむ。
「勝ったね。サファイア」
「うん、勝った」
満足げに空を見る。ぼろぼろと身体が崩れていく。あまりの強化により、肉体が魔物に近いものへ変成している。……遺体は残らない。
「ルナ、ちゃんと覚えててくれるかな」
「あの子はヒネてるけど優しいから」
「あの子、これからどうするのかな」
「きっと、かわらないよ。女の子といちゃいちゃしてるだけ」
「ふふ、そうね。少し心配だけど、でも」
「私たちは良い終わりが欲しかっただけ。でも、あの子の終わりは想像できないかも」
「ね、サファイア?」
「なに、ルビィ」
息を合わせて。
「「今まで楽しかったよ」」
崩れ落ちた。体は塵となり、主を失ってもなお煮えたぎる溶岩に飲まれて区別がつかなくなった。残ったのは、借り物のアーティファクト。