第81話 焔征龍ボルケーノドラゴン(上)
そして、72時間のうち40時間が過ぎた。
ひっきりなしの襲撃に、機械化兵は全部ドッグ入りだ。弾薬もまた残り少ない。……というか、一割を切った。
そして、砕けてはまた来る波のように延々と延々と押し寄せてくる魔物ども――その挙動が変わった。
魔物は際限なく押し寄せる波のように迫り来ていた。偶然隙間ができてもそこに法則はない。圧倒的な数が偶然にできた空隙すらも埋め尽くす。
それが今や、適当なところに固まっていた。何かを恐れて身を寄せ合うように、風に翻弄されて積みあがる木の葉のように。
「来たか」
僕は一言そうつぶやく。それだけで優秀なオペレーターたちは理解して計測を始める。この魔力構成から察するに――
「”火”、そして”水”の五大【エレメントロードドラゴン】。重い腰を上げてようやくやってきたか。こいつらが来たのなら弾薬消費は抑えろ、できるだけ節約して魔物どもを殺せ」
了解、との返事が来て各部署に通達される。
四方からの隙間のない圧力を受けるのは得策ではなくても、それでも砦の壁は人類最高硬度を誇るほどに固い。
【夜明け団】の築き上げたすべてがここに集結している。ゆえ、少しならば取りつかれても問題ない。……弾薬も、心もとないからね。
「お昼寝の時間は終わり。あいつらを起こせ」
ドラゴンの通り道は地獄の釜が開かれたかのような状景だった。
エレメントロードは属性の王と言うだけあって、その制圧能力は【災厄】に迫る。人では生きていけない領域を率いて龍の王が行軍するのだ。
すべてを焼き尽くしてもなお止まらぬ火災、あらゆるものを飲み込み水の底に飲み込む水害が砂漠を制覇する。
「ふふ。来たね、サファイア」
「うん。来たよ、ルビィ」
二人は手をつないでいる。
彼女たちが相手にするのは”火”の【エレメントロードドラゴン】。相手は手の届かないはるか彼方の空中にいる……というのに、すでに空気は100度を超えて熱されている。
人間であれば肺を焼かれる。皮膚を焼かれる。ただの一秒ですらとどまることのできない地獄に彼女たちはいる。
「まずは、引きずり落してやろう、サファイア」
「そうだね、あいつを地に叩きつけて見下ろそう、ルビィ」
サファイアが手に握りしめた蛇腹刀を掲げる。
それは、アルカナの使っていた武器。人類には到達不可能な神具。身にまとっているのも、アルカナが着ていたものだ。そしてルビィはアリスのものを。
それはルナから貸与されたもの。ルナたち三人は代わりの団服を着ている。
……正しくは予備であるが。無論、彼女は本物だと思ってるし、機能的には変わりがない。唯一だと思っているから予備の存在に思い至ってすらいないし、どちらであろうと機能は同じ。
そもそもが無意味なルナのこだわりなのだ。自分のならともかく、アリスとアルカナの服を誰かに着せたくない、という独占欲。
「「沈め、天敵」」
ルビィがサファイアを投げ上げる。無遠慮に空を飛んでいる竜の羽めがけて蛇腹刀を振った。それはしなり、分かれて伸びて羽の柔らかい中央部分を削って抉る。
「ッギィィィイィィ!」
耳をつんざくような悲鳴が上がった。上位存在のそれはもはや悲鳴と言うより、むしろ兵器とすら言える。アーティファクトの守りがなければ脳をかき回されていた。
「「堕ちろ、トカゲ――【エアシャット】」、【スティンガーブレイド】」
連携魔術、空気をなくして真空の刃を突き立てた。さらに、2人は嗜虐的な笑みを浮かべて。龍は呼吸するゆえ、そういう攻撃とて有効――龍の鱗を馬鹿正直に砕こうとするより、よほど。
「「自らの炎で焼けて苦しめ【トルネード】」」
原理的には一種の火災旋風だ。
無風地帯に火災で起きた炎が爆発的に流入して超高熱で通り道を焼き尽くす現象。魔術で強制的に真空にしたところに上方から風を流入させた。
魔術で作ったトルネードを、敵の放った超絶高温領域の空気をたっぷりと圧縮して。もたらすものは炸裂――数千tに匹敵する爆薬を起爆させるのと同じだけの効果を得た。
「ギィィオオオオオ!」
憎しみの咆哮が響く。物理的に死をもたらす呪いの怨嗟。これほどの存在となれば怨恨の感情は実際に効果さえ持つ。
「生意気ね、このトカゲ。ねえ、サファイア?」
「まさか、人類を殺し尽せるとでも思ってるのかしら。ねえ、ルビィ」
それもサファイアとルビィには通じない。
纏ったアーティファクトが死の咆哮から彼女たちを守る。”それ”がなければまともに向き合うこともできない、そんな相手だった。
【災厄】などが存在しても、それでも【夜明け団】の団員にとって至高は人間だ。天敵? そんなものは倒す術を見つけ、絶滅するまで殺し尽す作業が終わっていないだけだ。
「アワレデ、オロカナ、ニンゲンゴトキガ――」
しゃべる。言語を理解できるほどの知能があるのだ。
団の、それも上の方の人間は駄トカゲとか馬鹿にするが、それは実際のところ事実というよりそうであればいいなという願望で、自分たちは賢いといううぬぼれでもある。
「しゃべった? 珍しいトカゲもいたものね、サファイア」
「標本にして飾っておきましょうか、ルビィ」
知能がある? 話せる? だからなんだ。
団の人間は、命はムシケラのものですら美しいとか言ってしまうロマンチストではない。だからそいつがしゃべろうが敵と和解できるなんてのは想像の範囲外で、殺して栄誉となすためのトロフィーにすぎない。
「シヌガイイ、ニンゲン」
世界が変わった。
「……これ、これは――サファイア」
「動きにくい、ね。ルビィ」
熱のフィールドを張りなおした。強力すぎるほどに強力な炎熱の領域。砂漠すら溶かす煉獄の窯の内側。溶岩が足に絡んで動きにくい――アーティファクトがあるからこそ、この程度で済んでいる。
「ワガナ――ワレハ、【焔征龍ボルケーノドラゴン】。モロイ、ニンゲンドモニ、”シ”ヲクレテヤロウ」
しかし、それはこいつが変えた環境に過ぎない。言ってしまえば余波ていどの余技。本当の”攻撃”はこれから始まる。
「「――ッ来る!」」
息を息を合わせたようにぴったりと、同じタイミングで逆方向に駆け出した。
攻撃方向を絞らせない戦闘技術。龍は技術なんてものを知らないが、彼女たちと【夜明け団】はずっとずっとそればかりを磨き上げてきた。
「コシャク、ナ!」
まとめて潰せないのはシャクだが、それなら一匹ずつしとめればいい。彼は強大な龍の王だ。壊せなかったものなどなく、我慢も知らない。とりあえず手を動かすよりも焔を吐きたい気分だったから、そうした。
そんな”気まぐれ”。技術のない身体能力に頼った戦い方が相手ならば、【夜明け団】は百戦錬磨だ。よし、そうしよう――そう思ってちょっと動いた瞬間にそれを察し、言葉すらかわさぬ連携でその死に値する一撃をいなす。
狙われた方は龍の口に目を配って、吐き出そうとした一瞬前に敵の前面に滑り込む。そしてもう片方は弓矢で口を叩きあげる。あごの下から貫くことすらできなくても、片方が逃げる時間を稼ぐには十分だった。
そして、逃げた先。地に足を付けた龍の腹の下。溶岩になって溶けて渦巻きつつある砂漠を勢いよくスライディングした。
「苦しめ、そして最後には死ね」
そう、不吉な言葉とともに足の先、三つある指先のうち一つを根本から抉った。
「ッ! オオ。グオオオオオ……」
咆哮、ではない苦しむ声。龍は実体を持っている。魔力が固まった半幽体の災厄とは違うから、人間と同じように苦しむ。箪笥の先――しかもカッター刃付きに親指をぶつけたような激痛で息もできなくなる。
「あは」「あはは」
とても、嬉しそうな声とともに弓矢が目に向かって飛んでくる。それはアリスが使っているもの――たいていは自身の特殊能力を使うために使用する機会こそないが、正しく”それ”はアリスの専用武器、の予備。
「――グ。コ、コシャクナ、ニンゲンドモォ」
少し、ニュアンスが変わった。彼女たちは誰はばかることなく汚い戦法を使ってくる。まともに鱗を抜ける攻撃力がないから、むしろ目的を拷問にスイッチしている。むろん、最終目的は殺すことだが。
「あっはっは――」「くひゃひゃひゃ――」
足元。狙ってくる気配を感じてとっさに飛びのいた。
……逃げた? 彼は自問する。空の王たる龍のうち、選ばれし五のうちの一、焔征龍が。ありえない、と己で応える。そう、これはただの回避。逃げるなどあり得ぬ!
「チョロ……チョロチョロト、コウルサイワ!」
全力。彼が人生でほとんど出したことのないフルパワー。とてつもない勢いでサファイアめがけてしっぽが薙ぎ払われる。まずは一匹。そして次と狙いを定める。
「それだけか! トカゲ」
もう片方が向かってくる。ぐちゃぐちゃになって、血しぶきとともに声も出せずに吹き飛ぶ片方を助けることもしないで。一瞥すらしない。
「ヌ――!?」
彼には理解できない。彼を前にした愚かで脆い人間どもはひざまづいて泣き崩れるか、狂った笑いを上げてどこかに走りながら焼け死ぬかのどちらかだったから。こんな、片方が倒れてもそれがどうしたと言わんばかりに向かってくる人間は知らない。
「気持ちよくなっちゃった?」「ハエを殺して一安心? ばぁか」
弓を引く。弓は引いた瞬間に矢が生成される。どうせルナの持ち物だ、物理法則に反するとかいうくらいのことは不思議でもない。
「グ――」
この瞬間彼は悟った。こいつは、”イカレテル”……! 矢は正確に口、左右の目、かぎ爪の付け根を正確に狙う。震えるように身じろぎして、視界は暗転して。……激痛。
「あは――苦しんでるね、ルビィ!」
「楽しいね、サファイア!」
血霞を上げて吹き飛んだ少女が狂笑を浮かべて蛇骨刀を振るっていた。かろうじてまぶたをつむって守ったはずの目を――瞼をそぎ落とし、こそいで削ろうとする。
「フ――フザケルナ!」
彼は物質存在だ。【災厄】のような半魔力で構成されてるために再生が簡単かつ要らない痛覚まで捨てた、そんな脅威とは違う。
そして、始めから寿命など投げ捨てているために身体に致死レベルの負荷を与えるポーションをいくらでも使える魔人とも異なる。ちなみに、サファイアとルビィは国と繋がり国土を支配する【夜明け団】の権力を存分に使ってポーションなどいくらでも持っている。
「「くひ」」
怪しい笑い。立場が逆転している。普通、一般的にはわずかな傷が生死を左右されるのは人間なのだ。断じて、魔物ではない。
だが、今――この場だけは激痛が集中力を奪い去り、流れる血が体力を喪失させているのは魔物である。魔人の方は、自らの傷にかまわず特攻を続けている。
「面白いね、サファイア。あいつ、おびえてるよ」
「うん、面白いね、ルビィ。魔物のくせに、人間みたいに」
それを聞いて、吠えた。
「ワレヲ、カトウセイブツト、アナドルカ!」
もはや痛みなど気にしない。プライドにかけて、こいつらは絶対に殺す。今までも逃す気などみじんたりともなかったが、絶対だ。多少の痛みなど怒りで吹き飛ぶ。絶対に殺すと誓ったぞ。
「あは、やる気だよ。サファイア」
「やる気だね、滑稽だね。ルビィ」
お前みたいなバカの行動など予想できるといわんばかりの顔。それが、彼の怒りを発火させる。
「シネェェェェ!」
全力全開、超高熱の吐息――空気すらも燃やし尽くし、地面は溶けるどころか蒸発すらも飛び越えて。プラズマ化して電光が走る。
プラズマの雷、爆発的に広がったそれがアーティファクトすらも破壊する爆炎となって犠牲者を求めて疾走する。
すべてが超高熱のプラズマの中に消えた。
エレメントロードドラゴンは真正面からなら、ルナたち3名を除いた夜明け団の全員と戦っても勝てます。もちろん一匹で。
……奇策を用いずヨーイドンで戦ったらの話ではありますが。