第80話 プロジェクト『ヘヴンズゲート』序盤
そいつの名は久留木 詩夫と言う。【翡翠の夜明け団】での洗礼名をスノックという彼は、団の中では一般的な人間の一人だった。
街を魔物に襲われて、壊滅して命からがら逃げだした。妻も、子供も喰われて死んだ。生き残ったのは何かの間違いとしか思えない。そういう人間は数多くいて、そのうちのいくらかが復讐を胸に夜明け団への門を叩いた。
「くそ。くそくそくそくそくそくそ!」
指の感覚はもうない。背中のバッグから震える手で、銃に近い形状のそれを探し出し、銃の背面に空いた穴から薬品のアンプルを入れる。
かちゃかちゃと割れるかと不安になってしまう音だ。10秒はかけたが、ようやく入った。
「はぁ、はぁ、はぁ――」
腕の静脈をぴしゃりと叩いて浮き上がらせる。そこに恐る恐る銃口を押し付け、引き金を引く。
「は……あぐっ」
手がわずかに赤くなる。興奮剤を混ぜたポーションの注射だ。これを打たなきゃやってられない。工場の仕事と似たようなもの? 馬鹿言っちゃいけない。
幾倍もきつくて、ストレスもすごいのだ。そこは戦場だ、精神を病むものが山ほども出る地獄なのだ。
「おい、あまり使いすぎるなよ。配給されたものを使い切ったら本当に地獄だぞ」
ああ、確かに地獄だろう。
重たい砲弾を筒に入れて、発射ボタンを押す――それだけの作業だ。けれど、砲弾は重いしボタンを押せば爆音が響く。
それをもう何日繰り返したか。いや、時計を見れば数時間なのだが、その作業は酷く時間の感覚を鈍らせる。
「なんで、こんなことに……!」
夜明け団は志望を重視する。やりたいと言ったらやらせてくれるところなのだ。もちろん、責任ある立場には相応の実績を求められるにしても。
それに関わる仕事をさせてくれるし、実績を出せば出世もできる。
「愚痴言ってる暇があるなら手を動かせ! はっはァ! テメェだって楽に魔物ぶっ殺したいですとかいったクチだろ!? 殺せるぜ! ボタン押すごとに奴らは粉みじんだぜ、ヒャッホォ!」
狂気に取りつかれたように楽し気に作業をする横の男。同僚、ということになるのだろうか――思うところは、その無駄な元気を分けてほしいということくらいだった。ついでに、アンプルも。
「確かにそう言ったさ! でもな、これはなんか――そう、違うだろ!?」
夜明け団の門を叩くときにこう言った。
安全なところから魔物を倒してヒーローになりたい、みたいなことを。復讐だっけ? もう忘れたが、それはたしかに叶えてくれた。
”ここ”は安全か? こんな下っ端のところまで来てくれた、あのお偉いお嬢様なら疑いようもなくうなづくだろう。てか、なんであんな幼女が一番偉い人なんだか。偉い人ってのはどうなってるもんなのか。
とはいえ、”あの”ルナ・アーカイブスとか言う怪物が守る砦にして、そのために作られた絶対防御の砦なのだ。逆に落とされたなら夜明け団の存在意義がなくなる、とか。
まあ、よっぽどとんでもなく大切なもので、だから全力で守ってるらしい。〈この砦が安全〉とは事実ではなく、それは確信であり盲信である。
(確かにあのお嬢様は、俺たちとは雰囲気が違ったけどな――)
狂信は客観的な視点とは言えない。背水の陣をやっておきながら、後がないからもうだめですは通らないだろう。ここがだめならもう終わり。たぶん二度目の幸運はないし、拾ってくれるところがあるとも思えない。
「ヒャッハ――――」
横の男を見れば嬉しそうに作業を続けている。ああ、この能天気さと馬鹿みたいに同じことを続けていられる根性がうらやましい。ホント、早く終わってくれないかな。
「…………」
反対側は無言で、無心で作業をしている。このキツい単純作業をこなすならそれが楽なのかもしれない。
「くっそ! やればいいんだろ、やりゃあ――」
別に魔物をぶっ殺したところでそこまで嬉しくないし、無心にもなれないがそれでも作業をこなしていく。
どうせ、狙いをつけるのはどっかの偉い人がなにかしらやってつけてるのだし。発射タイミングにしたって、やって悪い時はボタンは反応しないから光っているときだけ押せばいい。
――ああ、本当に至れり尽くせりの単純作業だ。
指令室、そこは20時間が過ぎてもなお熱気が持続している。
単純作業ではないのだ、すべてを統括する頭であり、情報を統括する文字通りの司令塔は緊張に満ちている。ああ、ちょっと肩が凝ったななんて休んでいる暇はない。
日が沈んだ。明かりが消える。それは闇に閉ざされて視界が効かなくなる時間。夜がやってきた。
――けれど、指令室の人間にはそんなものは関係ない。魔物にはそもそも暗闇を恐れるだけの知能などない。ただ大きな魔力の波動に引き寄せられるだけ。だが対する夜明け団とて只人ではありえない。
機械化兵は当たり前のようにナイトビジョンくらい持ってるし、砦の火砲はそもそも肉眼で狙いをつけていない。
つまり、双方ともに闇は全く問題にしない。どうせ、眠れるような暇はない。どちらかが滅ぶまで続くデッドレース。
「弾薬の消費、やはり予測したとおりに行かないか」
ルナは指令室でふんぞり返っている。全く問題ないといった顔で、むしろ楽しげですらある。――これは演技だ。
ルナの表情は自分で作れる。彼女が思うところのチートである。意図せずして顔が引きつるような”人間”とは、種族が違うのだ。
「このままでは作戦終了前に弾薬が尽きてしまいます。ルナ様、どういたしましょう?」
「何も問題はないとも。頭の足りないトカゲどもが蹴散らしてくれるさ。そして、そのときこそ秘密兵器の出番なのだからね」
誰がルナの顔を見たところで、困っているとは思わないだろう。魔女であれば表情の推移から推測することはできても、この顔だけを見せるのならば気づかないに違いない。
能面のような無表情ではなく、表情豊かなポーカーフェイスでもってルナは自身を偽る。彼女自ら言ったように”問題ない”と。
「……ドラゴン。予測戦闘時間では15時間後となっておりますが」
「さすがにそいつは完全にただの予測。そういうのをやってる部署が、ただわかりませんでは仕事にならないから無理やりひねり出したものさ。僕は本人からそう聞いてるから間違いない」
「最近の活動を確認したことから、この戦場への【災厄】の参加はないというのは……」
「そいつは希望的観測だね。確かにそういう傾向はあるし、それを確認したから実行が今日なんだ。今日がだめだったら次はいつになったのか。しかし、【災厄】の行動は三年前から微妙に変化し続けている。そして、通常ならともかく”こいつ”は非常事態だろう? あいつらがどうするかなど誰にも読めんさ」
「では、最悪の時は――」
「それはないのさ。あいつらはまぬけだ。知能のないけだもの。【災厄】の方は多少はましらしいが――どうなのだろうね。幼児並みの知能しかないんじゃないかな。頭の足りない連中が作戦行動なぞとれんよ。そもそも最悪とは何だと思う?」
「それは、五大【エレメントロードドラゴン】の参戦、そして【災厄】の襲来では?」
「それの17方向同時進撃だ。一挙に押し寄せてくるほど怖いことはない。戦力の逐次投入は愚策など、戦争の一つや二つもやればわかるよ。なにせ、海の向こうでは年がら年中戦争ばかりやっているのだから実例に事欠かない」
悪魔のような笑みをのせて。
「さあ、努力も根性の知らない奴らに人間の悪意というのを教育してやろう。不眠不休――それは奴らも同じだろうが、僕たちのそれはわけが違うぞ……!」
オペレーターの子はうなづいて、神経系を活性化するタブレットを口にする。