第79話 プロジェクト『ヘヴンズゲート』開始宣言 side:ルナ
最も秘された場所、全ての中心に立って僕は宣言する。”ここ”こそが爆心地。今こそ人類が空を開放するのだ。
「ここにプロジェクト『ヘヴンズゲート』の開始を宣言する!」
最深部から声を届ける。ルナが自ら一つ目の作業を実施する。
中核をなす軌道掃射砲エーレンベルグの動力炉に封印された魔石をセットし、開封するのだ。その魔石は、ただそれだけで人類が使ってきたあらゆる魔力の総計をも凌駕する災害の源である。
「魔力の放出を確認。魔力の充填完了まで72時間」
暴力的な魔力の渦が爆心地を中心に広がった。
【災厄】、それは死してなお大地を汚染する最悪の敵だ。倒せざる災害を前にして、人は頭を垂れて運命を受け入れるほかない。
ただ魔石から発する魔力を受けるだけでまともな人間なら死に至る。ゆえ、ルナがそれを担当した。――ここで無駄に死者を出すのは楽しくない。
「よろしい。では、炉心を暴走させないようにコントロールしてくれ」
言い残して去る。
もはや”ここ”はおびただしい魔力と炉心からの熱で人間が生きていけない環境になっている。ルナが話しているのは隔壁の向こうの技術者である。
そもそも3年あったとはいえ、最初は天から舞い降りたような幸運だった。白露照が起こした奇跡。【災厄】を打倒しえたという福音。
つまりは中核の軌道掃射砲だって大急ぎで建造した、継ぎ接ぎで何人もかかりきりにならなければ暴走して砲身が吹っ飛ぶポンコツである。
だが、それでも莫大なエネルギーを投射できる”砲台”だ。
ただ一発、人類が経験したことのない威力でもって龍の島を消滅せしめんがためにそれはある。ただそれだけのために、【翡翠の夜明け団】はこの三年を費やした。
そして、ルナは指令室に移動した。
何人ものオペレーターが必死にコンソールに向かっている。今、忙しいのはここと最深部の掃射砲しかない。
これまで経験したことのない規模の魔力を操作しているのだ。不具合などいくらでも出てきて、それをごまかしごまかし運用する。発射の瞬間まで持てばいいと言う突貫工事の弊害だった。
「状況は?」
最上位の、一段高くなった椅子に座る。
そこは場所が高いだけで、他の椅子となんら変わりはない。そんな無意味な贅沢に意味を見出さない夜明け団らしいスタンダード品だった。
さらには、ルナは”団服を着ている”。いつものフリフリではなく、さらにはちょっとした防御魔術が施されていて質のいいだけの特注品だ。
目の前の団員と同じ服。団員たちは熱狂し、この時を迎えていた。
「予測されたとおりに推移しています。今のところ、拡散する魔力は予定通りの分布となっております。魔物発生の予測時間まであと10時間」
「周辺の魔物の引き寄せは?」
「魔物群から散布される魔力分布の到達予測時間まで2時間。そこから先は推測でしかありませんが――魔力に引き寄せられた魔物の群れはおよそ10時間内に到着するかと」
「そう。うまくローテーションを回す必要があるけど――悪いが君たちは例外だ。今も忙しいだろうし、作戦終了まで忙しく働いてもらうことになるだろう。戦域をオペレートできるほどの人材を休ませる余裕はない」
「わかっています。神経活性薬をいただいたので問題はありません。ルナ様こそ休める時間はありませんが、疲れた顔を見せてもらっては困りますよ?」
いたずらっぽく言う。どうやら僕はけっこう親しみを持たれていたらしい、と笑みを浮かべて。
「僕は問題ないとも。睡眠が必要なほど人間らしく見えるかい?」
「外見上はかわいらしいお嬢様かと。中身は我々も知ってはいますが」
「ふふ、そうかもね。今はこんな制服だし、手習いのように見えるかな?」
「外部の者はいないので、そのような不心得者はいないかと――”あの”彼らとて無関係ではありませんからね」
「くっくっく、あいつらは秘密兵器だからね。さて、僕は見回りをしてこよう。何かあれば専用回線に回せ。覚悟はしておいてね、何が起きてもおかしくないけれど――”何もない”なんてことはない」
「了解しました。しかし、戦域はあなたにも”見える”ので覚悟するのは我々かもしれませんね。悪い知らせでもしっかりと聞きますよ、聞きたくないですけどね」
「当然だ、トカゲどもの動向はさすがに読めん。神経を緩めるな。ただし張り詰めると持たんからそこは調整しておけよ」
ひらひらと手を振って指令室を後にする。
働いている団員たちに、自分の姿を見せて回るルナ。
ここはヘヴンズゲートのためだけに作られた砦だ。それに必要なもの以外は何もない。ただ装甲と火力だけを積み上げて、”それ”はある。
実質上の最高権力者の姿を見せて奮起させる。命を懸けた働きなのであるから、偉い人に見てもらわねば。そして、実際にルナは偉い。
〈ルナ様、レーダーにて魔物の群れを確認しました。号令を〉
秘密通信が入った。時は来た、僕は全体への回線をつないで宣言する。
〈さあ、魔物どもが来たぞ。皆の者、血も涙も通らぬ鉄火の弾幕で憎き獣どもを血肉の塊へと変えてやるがいい!〉
ルナの通信が砦中に響く。
応える声は大音声――鬨の声。火薬の音が連続する。砦全体に響く爆発音。そして、魔物の群れへと降り注いだ鉄塊に刻まれた魔術陣が引き起こす爆裂音。
1発は魔物数匹をたやすくこま切れ肉へと変えて、それが百発近くも一息に降り注いだ。
〈機械化兵を出せ、弾を無駄打ちするな!〉
この指令は出したくなかったけど。
ただ、機械化兵で弾薬を節約するのはいい考えだと思う。序盤の余裕があるうちに不安のある欠陥(だと個人的に思う)兵器は使いつぶしておきたい。
使ったなら後で文句は言われないだろうし、真打は最初から決まっている。
「――で、君らは何をやっているわけかな?」
格納庫。その中でも飛び切りの危険物を扱う部屋の一つに僕はいる。
使う準備を始めている技術者たちが忙しく、そして繊細に仕事をしている。それは、使うまでに準備が最低でも10時間かかる代物だ。
「ルナ様。これはガル様の指令です。運び込んでおいた『フェンリル』の起動準備を、と」
「フェンリルはたしか、活性時間が10時間ほどしかなかったと思うのだけど」
活性時間とはつまり使用期限だ。
袋から出して使えるのは限られた期間、例えばそれが乾くまでの時間とかいうのは粘土とか色々あると思う。つまりはそういうこと。
使用準備をしたら10時間以内に起爆しなければ、二度と使えない数十mlの汚染液体が残るのみ。カピカピに乾いた粘土は捨てるしかないだろう?
「その通りです。今も我らが団の兵士たちは戦っております。切り札を準備しなくてはなりません」
「その作業は中断だ。この時点で命を捨てるのは許さない。作戦時間開始時より60時間にわたって活性化作業を禁じる」
活性化作業で10時間、作戦時間が72時間ということは使えるのは実質最後の二時間だけ。使わないならそれに越したことはない。が、まあ最後なら見せ場を作ることもやぶさかではない。
自爆なんて指示したくもないけれど、したい人はいるから。それが作戦を成功させるためであれば、僕は否定しない。
「……は!? それは、ガル様の指示では――」
「僕の命令だぞ。ガル、確かあいつは第7部隊の担当だったか。先走る癖は団員特有だが、さすがにこれは困るよ。今、このとき処罰するわけにはいかんが――生き残っていれば糾弾は避けられない」
僕が直接の部下は育てた子たちのみで、他は指揮官ごと借りてきた。僕を頂点として命令系統をそのまま下に置いた形だから、目は行き届かない……どころか確実に末端には届いていない。
組織としての規模がでかすぎるために、一つ一つ分かれている部署がそのまま別系統で成り立っている弊害が出た。最終段階においては僕の権限下に置かれるが、それはこの今だけで前は別。最高責任者の僕が知らないものが紛れ込んでいても、まあさもありなんといったところでしかない。
準備は完全どころか、至るところに穴が空いている。それでも、やるのだ。果断と冷静さをもって、プロジェクトを決行する。それは最初から分かっていたことで、だから僕は実行段階においても最前線を駆け回っている。
「そ、そんな。私は……」
なにか恐れているようだし、確かに僕は偉い人だ。けれど、どうせ仕方のないことだ。そこまで強権的に何かをする気もないし、どうせこいつにできたことはない。とても手間のかかるやり取りで、権力というものは面倒だ。
「君に責任はない。そもそも僕は『フェンリル』なんて自爆兵器には頼らない。そんなお手軽な見せ場を作ってしまえば、潜在的な自殺志願者が先走る。――いや、君に言うことではないか。いいな、僕の指示を待て」
「は、はい。予定ではこの後別のところで整備の予定があるのですが」
「それならそちらへ。これを暴走させるなよ、人間と同調させなければ爆発しなくとも無駄にされても困る。貴重な兵器であることは変わりない。……僕が用意させたのじゃないけどね」
「了解しました。再封印処置を行ってから行きます」
「そうしてくれ。では、そのように」
一通り見回って、指令室に戻る。もちろん色々と予定と違うことは会ったけれど、一々描写していては日が暮れてしまう。
「戦況は?」
まあ、情報はアクセスして知っているが確認は必要だ。……目の前のこの子達にも。
「戦局は滞りなく推移しています。弾薬の消費量は5%です」
15時間時点で5%なら問題ないと思うかもしれないが、そもそも最初の10時間ほどは戦闘はなかった。そして戦闘は激化の一途を辿ることは規定事項――予測するまでもなくわかっている。
足りなくなるか? 最初から弾薬の量は懸念事項だ。どれだけ使うものやら予想なんてできやしない。
「……そういえば、機械化兵に動きがいいのが一機いるね」
「ああ、あれは宇津宮”元”研究員ですね」
驚く。いや、貴重な研究者が実験材料になるだなんてありえないといっていい。一度罪を免れたように有能な人間というのは貴重で、罪を犯しても恩赦が出る。監視が厳重になっていくだけだというのに。
「なんで彼が乗っているの?」
「なんでも機械化兵に最適な脳は成長期の女性だとか狂った理論を打ち立てて、少女をさらって脳髄を摘出して実験に使用したとか。その罪を問われ、本人が脳髄を摘出されたようですね」
……やれやれ。