第78話 契約 side:ルナ
僕は階段を下る。地下に設置された研究区画、その奥底にあるのは僕の研究の集大成――箱舟の技術を使った超越技術だ。3つのカプセルにおびだたしいほどのケーブルが接続され、いくつものスクリーンの前に多くの研究者が並んでいる。
「……そろそろ出番だよ」
その3つのカプセルには3人の裸の女の子が浮かんでいる。ルナにとってはこの三年間で見慣れた顔だ。ルビィ、サファイアのアダマント姉妹、そしてレン。少女の裸体が惜しげもなくさらされている。
改造――そう聞いていい顔をする人間は少数派だろう。そもそも失敗する可能性があるのはもちろんだとして、それをどう高めようとも成功率はせいぜいが30%が上限というのはためらう理由には十分であり。
さらには、自分の肉体を改造する……手を入れるとなると親に申し訳ないという気持ちもあるだろう。それが世界的に認められているわけでもない。夜明け団は犯罪結社だから縛られないというだけの話で、それは立派な違法行為だ。
――それでも、力を得たいと思った人間がそこまで堕ちる。魔物に復讐を誓い、全てを捨て去った人間がそれに手を出す。もしくは、捨てるまでもなくすでに人間性を失っている人間が魔人であるのだ。
そう、魔人は一度挫折を経験した元人間だ。人間の力では無理だと悟ってしまったのである。敗北の味を知り、絶望に身を任せた経験を共通して持っている。ゆえ、勇者のような人間はいない。みな、どこかひねくれていて、自分を信じられない。
ああ、だからこそ一度勝利の美酒の味を知ってしまったら戻れない。ルビィ、サファイアのアダマント姉妹、そしてレンの三人は一度栄光を味わった人間だ。己の”人間”に、才能のなさに、絶望して力を得る手段として改造を選んだ。そして、幹部クラスの人間として大舞台で戦い、勝利を収めた。
だからこそ、それは呪いにも近い依存性で彼女たちを縛る。一度捨てた人間性……ならば、もう一度美酒を味わうために捨てることに何のためらいがあろうか。
ここにいるルナ・アーカイブスは【翡翠の夜明け団】の大幹部にして少人数ながらも最大規模の勢力を誇る。だが、それはおかしなことではなかろうか。たったの三年でここまでの規模を築き上げるなど、ありえないといっていい。
それは能力的な問題ではなく人脈の問題だ。そもそもルナは1か月も使わずに貴重な第0世代の人材を手に入れていた。ルナが名実ともに最大戦力であろうと、さすがにそれはありえないことではなかろうか。
強力な能力を持っただけの新人がそれだけの権力を得るなんてどんなインチキだ。いくら実力主義を標榜してても、強力な力を持っただけの新参者をそこまで信用するなどありえない。
――けれど、そのありえない快進撃を説明する手段はある。
これほどまでに巨大で有用な人脈を数日で築くのは物理的に不可能だし、トップたるO5に協力してもらったところでそれはボス本人ではなく虎の威を借る狐に過ぎない。それに、そういうのは下の人間には嫌われると相場が決まっている。それでは勢力を維持することなどできない。
その矛盾を解決するには――本人ごと買ってしまえばいい。築いた人脈、人生をかけて得た評価、そしてそれを作り上げるに至った能力。その全てを。
〈幹部級の人間を側近にして、その勢力のトップとして勢力をそっくりそのまま奪う。〉という手段。
要するに悪魔の契約だった。
力と引き換えに人生のすべてを売り渡す。ルビィとサファイアがルナを主と仰いで辣腕を振るったのはそういう理由だった。一目見て忠誠心を抱くとか、他ならぬルナにはそういうことはない。
ルビィとサファイアが組織としての力を献上し、さらにルナの行うべき夜明け団の上層部としての仕事さえも代行する。
そしてもう一人夜明け団の前線、そして古株であれば誰もが知っているレンも当初からこの契約を契っている。そもそも命の炎がいつ途切れてもおかしくない状態であるから、白露街以降はそれほど表立って活動していなかったが、彼女の力も大きい。
――”これ”こそが契約の代価だった。
ルナを【翡翠の夜明け団】の大幹部の一人として、もはやO5すら超える知名度を得て、広く活動させるということ。そのために力を振るうこと、仕事をすること。
いつの時代も副官というのは損なものだ。
大した名誉も報酬も得られず馬車馬のごとく働かされる。もっとも、この場合の報酬は人知を超えた力。どれだけの金を積んでも得ることのできない至宝――どころか、それを振るう大舞台までくれるというのだ。
全てを投げ打つ価値があるとみなすかは人次第だろうが、彼女たちは是非もないと”乗った”。
「コンディションはどうなっている?」
僕は支配者然とした様子で問う。
そうとも、僕こそがこの砦の支配者。プロジェクト『ヘヴンズゲート』を邁進する闇に潜む大幹部。この子達に最終改造を施した外道。
……もはや彼女たちはこの培養液から出れば、数時間も命が持たない。そこまで重度の改造を施した。
「問題なし。多少興奮神経系に高ぶりが見られますが、暴走する兆候はありません。許容範囲内です」
「それはよかった。これから最終調整を行う」
手をかざして制御系を掌握する。コントロールし、この世界にあり得ざる材料をもって契約者を強化する。彼女たちが願った通りに。
人類にとっての絶望――ドラゴンの王と同じ位階にまで改造する。
もろもろの最終改造を終えて意識を戻す。ただし、レンはいまだ目を覚まさず。というか、改造が特殊すぎて今や自意識がどうなっているか分かったものではない。
「さて、気分はどうかな? ルビィ、サファイア――君たちの一生を捧げて得たものはそれに見合う価値があったかな」
「……実感がありませんね。本当に力を得られたのですか?」
「あげたのはそんなに都合のいい力じゃない。けれど、力と振るう舞台を与える契約は違えない。間違いはないさ、今は指一本動かせなくても」
「失敗した、というのは勘弁してほしいのですが?」
「そこは知らない。土台、”これ”だって君たちのに関しては生存時間を上げるためのものだ。それに関しては心配するな」
「まあ、よいでしょう。あなたのでたらめさは仕えた三年間で嫌というほどわかりました。信用していますよ。それにあなたは知り合いに甘いですからね。気づいていないとでも思っていましたか」
「……む。そんなことないと思うけど」
頬をかく。え、ホントに? と、そんな他人にやさしいなどという自覚は一切ないルナだ。同種の生き物、【終末少女】にならともかく。
「ま、いいさ。すでに君の名は【翡翠の夜明け団】の秘宝、『黄金記録盤』に刻まれている。そして、これは二度目のチャンスだ。逃すなよ」
それは夜明け団には珍しく、〈意味のない〉秘宝だった。
意味のないというのは戦うには関係ないという意味である。多大な功績を残した人間の名を刻み、記録し、永劫に残す――ただそれだけのアーティファクト。
【黄金】とは錬金術の目指す目的であり、不滅の象徴。不朽の偉大なる名である。要するに名誉欲を満足させるためのものだった。
「不滅の記録。偉大なる名。栄誉――人生をかけるには十分」
口を利いていなかったルビィが言う。
実のところ、彼女たちは全身マヒ状態なうえに液体につかっているから声など出せるわけがないし、体は読唇術で読み取れるほどには動かせない。
それでもルナは口のわずかな動きを見て会話している。
「お世話になりました。あなたはこれから忙しくなるでしょうから、これでお別れですね。最期にこれだけ言えて良かったです」
ぎこちない、ただ揺れただけとも見えるお辞儀をした。
ルナが有力者になるための裏話。ただ運が良かった、強力な能力を持っているだけでは悪の組織の幹部にはなれません。