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恒星

作者: 朱

歩いていた。

灯りもなにもない真っ暗闇を、ただ1人で歩いていた。

目的も行き先もあるのかすらわからないまま。

ただただ歩くことしかできなかった。


「はぁ…」

私はため息をついた。

白く染まった息は、冬の夜風に吹かれ、音もなく闇に溶けていく。

毎日毎日仕事に追われ、今日も肩にかかった鞄は、持ち帰った仕事たちのせいで横に膨らんでいる。

午後10時と遅いためか、もともと人通りの少ない家に帰るための坂道には誰もいない。

私はもう一度ため息をつき、ぐるぐるに巻いたマフラーに鼻まですっかり埋まった。

「私、何のために働いてるんだろう…」

入社当時は毎日が勉強だった。

先輩社員がやることを盗み見て、アドバイスを貰ったり叱られたり、評価されたり批判されたり。どうすれば最善で、それを学ぶのが大変で、でも、やりがいを感じていた。

感じていたはずなのに。

いつから仕事が作業に変わってしまったのだろう…

「痛っ」

不意に靴擦れをした部分にパンプスが強く当たり、俯いた。

脚を曲げて、傷を確認すると、会社を出るときに貼った絆創膏がよれて、傷口からずれている。指先で絆創膏を元の位置に貼り直して押し付ける。

爪先が尖ったパンプス。

学生のときは、自分が踵の高い靴を、こんなにも普通に履くとは考えもしなかった。

あの頃は、大人はもっとカッコいいものだと思っていた。

自分ももっと、大人になっていると思っていた。

でも、今ではもう、ゴールすら見失ってしまった。

わからなくなってしまった、自分でも。

結婚して、母親になる友人。

なにか没頭できる趣味をもつ友人。

みんな大切なものがあって、目的があって、カッコいい大人になっていた。

取り残された自分が、とても惨めに感じられて、目頭が熱くなる。

下を向いていれば、負けを認めたように涙が落ちてきそうで、私は急いでパンプスを履き直し、顔を上げた。

女の子がいた。

膝丈のチェックのスカート。

紺色のブレザーの裾から、灰色のセーターが覗いていて暖かそうだ。

白いマフラーは、夜に浮いて見え、彼女を神秘的に見せた。

彼女は私に気付かず、空に向かって手を伸ばして微笑んでいる。

そして、小さな声で

「届いてるよ」

と言った。

見た感じ、15、6歳くらいだろう。

それなのに、こんな遅くに外で不審な行動をしているなんて、今時の女子学生はよくわからない。

しかし、放っておくのも危ないと思い、私は

「何してるの?」

と声をかけた。

本当に私のことに気が付いていなかったようで、彼女は少し驚いてばつが悪そうな顔をした。かと思うと、一瞬でそれを隠し、淡々と

「星見てたの」

とだけ答えた。

落ち着いた声音は大人っぽいのに、敬語でない口調からふてぶてしさが滲んでいる。

けれど、その様子が不快ではなくて、むしろ、学生の頃の気のおけない友人といるかのように感じた。

私も、何も取り繕わないままに

「星?」

と首を傾げた。

予想外の答えにどうすればいいのかわからなかったというのもあり、私はさっきの彼女のように空を見上げた。

星を見る、という目的で空を見上げたのは何時ぶりだろうか。

空には、小さい頃から見慣れている星たちが瞬いていた。

「う、わぁ…っ」

見慣れているはずなのに、私は口から漏れる歓声を抑えることができなかった。

久しぶりに見上げた空は、冬特有の冷気を含み、湿気の少ない澄んだ空気のお陰で、より黒く近くに感じられた。

そこに浮かぶ星は、まるでおしゃべりするように、大気の揺らぎでチカチカと光る。

その光は、薄くたなびく雲をも貫いて、私たちがいるところにまで届いている。

この、言葉にできない気持ちを、どうやって表現すればいいのだろう。

このまま自分の中で完結させるにはもったいなく感じるほどに、空は深く青くて美しかった。

彼女は、そんな私を見て薄く笑い

「お姉さん、目はいい?」

と聞いた。

さっきと比べると、若干棘が抜けたように、彼女の淡々とした口調から冷たい感じが消えた。

お姉さんと呼ばれたことに、少し舞い上がってしまったのもあるのだが、私も嬉しくなって

「両目とも1.5、キープしてるわよ」

と得意気に言った。

彼女は意外そうな表情をしてから、じゃあ、と空を指差した。

「あの青っぽい明るい星、見える?」

少し興奮しているのか、彼女は早口になりながら私に聞いた。

彼女の指を視線で辿ると、確かに、他よりも少し大きく明るく輝く星に目がとまった。

私が頷くと、彼女はそこから指を移動させて、少し斜め上を指差した。

今度はさっきのに比べて小さく暗い星。

彼女が私の顔を覗き込みながら

「見える?」

と聞いたので、私は見えるよと笑った。

それを確認した彼女は、さらにその指を横にスライドさせた。

そして

「この3つで冬の大三角形。

あの明るい星、シリウスっていうんだけど、すごく綺麗に見えてるでしょ?」

と微笑んだ。

さっきまでとは全く違う、柔らかい微笑み。

見ているこちらまで笑顔にしてしまう、そんな優しい微笑み。

「そうだね」

私も笑って答えると、彼女はありがとうと静かに呟いた。

よくわからなくて

「なにが?」

と聞くと、彼女はぽつりぽつりと話してくれた。

「今日、学校でね、星の明るさや大きさは、地球からの距離に依るって習ったの。それを聞いて、なるほどなーって納得して、それから、少し虚しくなった。

それで、堪らなくなって星を見に来たんだけど、うん、やっぱ綺麗なんだよな」

「虚しく?」

彼女の話を聞いていた私は、さっきの冬の大三角形を眺めながら、彼女に尋ねた。

彼女は少し考える素振りをして、自分の気持ちをまとめるようにゆっくりと話し出した。

「なんかね、今まで神秘的で美しく感じていたものの種明かしをされて、急に現実的なものにされて、なんかこう…汚されたみたいな?

でも、そういう理論とか理由とか関係なくて、そういうのがあるから心が動くんじゃなくて、もっと単純に、綺麗だなとか好きだなとか、そう思った瞬間に心が動くんだなって、お姉さん見てるとそう思えて安心した」

心が動く。

なるほど、そうなのか。

さっき、星を見て、心臓がきゅっとなったアレが、心が動いたということか。

あぁ、そうなのか。

生きることに慣れてしまって、いつのまにか忘れてしまってたんだ。

いつもより、心臓の音が身近に聞こえる。

そっかそっか。心が動いてるのか。

不意に私は、彼女がいい子に思えて

「あなたは変わってるね」

と言った。

彼女が心外だというように、頬を膨らませたので、私は取り繕うように早口になって

「あー、えっと、ほら、最近の子が、私のこと、お姉さんって呼ぶの珍しいし、オバサンって呼ぶわよ普通」

と言った。

言い訳っぽいかな、と思ったが、彼女は

「それを言うなら、私もがきんちょだよー!」

と笑った。

傾げた頭に従って、彼女の白いマフラーが揺れ動く。

ふと私は彼女の呟きを思い出して、まだ笑っている彼女に問いかけた。

「そういえば、さっき、届いてるよって言ってたの、なんだったの?」

彼女は最初、なんのことかわからないという顔をしていたが、少し考えて、納得したようにあれかと呟いた。

そして、

「もう、恥ずかしいなぁ」

とむくれながら、彼女は1つの星を指差した。

「あの星、さっきまで雲に隠れてたの。

雲に隠れながら、ずっと光続けてたの」

彼女は一度そこで言葉を切り、私と向き合ってから

「密かにね、その頑張りを褒めてたの」

と笑った。

彼女は恥ずかしそうにしていたが、私はその褒め言葉が、あの星に届けばいいなと願った。

そして、もう一度星を見上げた。

心が動く。

だから、頑張れるのか。

目的なんてなくても、心が震えたら、それがきっと、明日に繋がる原動力になるんだ。

最初に見上げたときよりも、星たちを近くに感じた。

彼女がやっていたように、手を空へ伸ばしてみると、広げた指の間から、星の光が降ってくる。

もっともっとと手を伸ばしたところで、手首の腕時計に目が行った。

時間はすでに10時半を回っている。

ずいぶん時間が経っているのに気付いて、私はハッとした。

私はまだいいのだが、彼女は未成年の学生だ。

親御さんが心配していると思い

「やばい! 気付かない内に時間…」

と彼女に向って言おうとした。

が、彼女はどこにもいなくて、私1人が冬の夜空の下に立っていた。

冷たい風が私の足元を通り抜けた。




空を眺めていた。

たくさんの星が瞬くのを、1人で眺めていた。

暖かい風は、かすかな桜の香りを運ぶ。

あのときよりも、冬の大三角形はずいぶん西の方へ逃げた。

靴擦れは、かさぶたがはがれ綺麗に治った。

もう春なんだなぁと思いながら、ふらふらとおぼつかない足取りで星を見ていた私に、突然声がかけられた。

「なにしてるの、オバサン」

振り返ると、懐かしい、生意気そうな顔で笑う少女が1人。

私もつられて笑った。

「オバサンって言うな、がきんちょ」

初めまして、朱と申します。

この度は、恒星を読んでいただいてありがとうございます。

時間の都合で短編をぶつ切りにしながらアップさせていただきます。読みにくくてすみません。

この作品を読んで、少しでも誰かの明日の一歩に繋がれば嬉しいなと思っております。

拙い文章ではありますが、一生懸命書いて参ります。


最後に、ここまで読んでくださってありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい ! 綺麗な物語ですね。 読後感が爽やかです。感動しました。 「届いてるよ」とは、こういうことだったのですね。 納得出来ました。 短編としての構成も見事です。 「何し…
2016/03/09 16:08 退会済み
管理
[良い点] 表現に無駄がなく読みやすい。「届いてるよ」とは何の事か? この先を読みたいと感じました。 [一言] 初めまして。朝星青大と申します。 このサイトから、しばらく遠ざかっていました。…
2016/03/03 18:42 退会済み
管理
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