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新生日本帝国  作者: 霧
7/23

追撃戦開始です!

「なんとしてでも家康殿を守れ!」


東軍が緊迫した中で撤退しているときにこういったのは、東軍の参謀 加藤かとう 嘉明よしあきである。

東軍側は先ほどの戦で多くの有能な大名や名将を失った。そればかりでなく大量の兵士も失った。


(やはり・・・無理があったか・・・しかし!あいつと合流できればまだ負けてはない!)


ほぼ負けが決まっている東軍だが、家康はある大名が率いる部隊と合流するために名古屋に向かっていた。

その部隊は伊達だて 政宗まさむね率いる伊達・最上連合部隊である。しかしこの伊達・最上連合部隊は名古屋にいなかった。なぜなら名古屋には西軍に味方しているある大名家が占領していたからだ。

すでに名古屋に味方がいると思っている東軍はそのまま名古屋に向かっていった。そして名古屋市内が見えたとき戦闘が勃発した。

最初に奇襲をしたのは、名古屋にいた西軍である。彼らは迂闊に近づいてきた東軍にたいして、62式7.62ミリ小銃と62式9ミリ機関挙銃からなる銃弾の嵐をおみまいした。

この奇襲攻撃に東軍は、初め味方の撃ち間違いと思っていたが発砲しているところにある旗を見て凍り付いた。

その旗は赤色の生地に六文銭が描かれていた。そう・・・名古屋を占領していた西軍の味方は真田家である。実はこの真田家は最初に霧荒家に入り、今では霧荒家の家臣になっていた。そして現当主 真田さなだ 幸村ゆきむらは霧荒家当主の龍剣の補佐官に抜擢され、今回西軍の副大将を務めていた。



ようやく敵に気付いた東軍だが、既に遅すぎた。ほとんどの兵士が先ほどの攻撃でやられたからだ。また背後には追撃してきた西軍がもうすぐ近くまで来ており、絶体絶命であった。

しかし、ここで伊達 政宗率いる援軍がついに名古屋に到着した。東軍はこれで助かると誰もが思っていた。

しかし現実は甘くなかった。伊達 政宗率いる援軍は真田家に攻撃せずそのまま素通りし、東軍に攻撃したのだ。実は、この伊達家と最上家は関ケ原の戦いの後、徳川家につかず霧荒家の家臣になっていた。

もちろん密約で行われていたため、東軍にこの重大な事を知っている人はいなかった。(西軍では間違って攻撃しないように知らされていた。)


この攻撃によりついに東軍は崩壊し、家康の首も討ち取られた。

こうして約6時間に及ぶ第三次関ケ原の戦いは終結した。



ちなみに・・・東軍に味方していた大名家の土地や財産はすべて霧荒家のものになった。

また、東軍で降伏したもの以外は子孫も含めて抹殺された。

霧荒家に降伏した黒田 官兵衛・加藤 清正・加藤 嘉明・溝口 秀勝・細川家並びに4900人の兵士たちは厳しい制約をつける条件で霧荒家に属すことになった。

戦死した毛利 輝元には名誉武将が認められ、毛利家は霧荒家の家臣になった。


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