『悪魔降臨』
「ふぅ~」
仕事を終えたピエールが、一息ついた。
「じゃあ家に帰るか。」
机から離れ廊下へと出たとき、後輩のシルビアが、目の前に立っていた。
「お疲れ様です。ピエールさん。」
「ご苦労さん、シルビア。」
「これから帰るの?」
「はい、ピエールさんもですか?」
「う、うん・・・・・・」
その時、後ろから声をかけられた。
「お。お二人さん、そこで何してるんだい?」
「い、いや、別に・・・・・・」
話しかけてきたのは――同僚のライルだった。
急に話しかけられたので、少し動揺して言葉が詰まった。
「なんだ?その言い方は?もしかしてお前、奥さんがいるのに・・・なんて罰当たりな・・・・・・」
「ごっ、誤解だ!俺は別に・・・・・・」
急いで誤解を解こうとして、ピエールは取り乱してしまった。
その姿を見たシルビアが、冷たい視線でピエールを見る。
「ひゃっ!ピエールさん、そんな目で私を見ていたんですか?きゃっ」
ピエールの顔から嫌な汗が流れる。
「いや!だから違うって・・・・・・」
シルビアが頬を赤らめているなか、ライルが疑惑の目でピエールを見ていた。
「いや、普通に社交辞令で・・・・・・」
必死に誤解を解こうとピエールは口を動かす。
「本当か?」
まだ疑いの目を持つライルがピエールに向かって問いかける。
「本当に。」
ピエールはライルの目をじっと見つめる。
そんな中、いまだにシルビアはモジモジしていた。
じっと。
じーっと。
見つめ続けた。
「おし!今までにも何かあったわけではないし、大丈夫そうだ。それとも、何かされた?シルビアちゃん」
シルビアが首を横に振る。
「さすがわが同僚!恩に着る!」
ピエールは自分の無実が証明されたとわかると、会社のドアへと駆けていく。
「それじゃ家に帰る!」
後ろを向いてピエールは叫んだ。
「ええ!?」
ライルとシルビアが口をそろえて声を出した。
「さらばだ!!ライル!シルビア!」
足早に帰って行ったピエールを見て、廊下の曲がり角で不敵に笑うシルビアの幼馴染、ルミがそこには潜んでいた。
いち早く家に着いたピエールに待ち受けていたのは妻のマルと息子のテイルだった。
「あなた、お帰りなさい。」
「ただいま。」
「おとーさん!!」
突然、息子のテイルがピエールに抱き付いた。
「おとーさんおとーさん!この本読んで!」
差し出されたのは『悪魔降臨』という絵本、というより書物だった。
「読んでやるよ。でも、ご飯とお風呂を済ませた後な。」
「分かった!ぜーったい読んでね!」
「うん。絶対読んでやるよ。」
テイルは喜びながら自分の部屋へと走って行った。
ああ、今日は夜眠れそうにないなあ、と思いながら、風呂場に向かった。
ちなみに、テイルは10歳である。
なのに、幼稚園児のようないいぐさ。
本人は、「僕はまだ両親に甘えたいんだ!」といっているが、大人になって反抗期が来てもらう方がよっぽど怖い。
そんなことを思いながら、服を脱いで湯船につかる。
5分後。
風呂場から出て食事をとる。
今日はマル特製のシチューだった。
美味い。
やっぱりおいしい料理が作れる妻をもって幸せだなあと実感するピエール。
食事をとった後、テイルの部屋へと向かう(マルとテイルは先に食事と風呂を済ませていた)。
部屋のドアを開けると、そこにはベッドに転がるテイルの姿が。
「おとーさん、じゃあこの本読んで!」
渡された『悪魔降臨』をピエールはゆっくり読んだ。
***
その昔、このオルリムの町(ピエールたちの住んでいるところ)には、緋い三日月が出る晩、『ルシファー』と呼ばれる四つの目と牙を有し、チーターの最高速度をずっと維持できるスピードで当時の住民を食い殺す魔物が出現した。
この魔物には剣や銃の武器は一切効かない。
オルリムの町全てが血だらけになるまで食い殺していくのだが、「4」が4つ揃った年には、さらにその凶暴性を増すことになるらしい。
そんなルシファーを倒す方法が一つだけあった。
それが、「オルリムの南にある神殿の奥にある『聖なる天使の杖』をルシファーに刺す」だ。
唯一物理攻撃が効く貴重な道具なので、代わりはない。
この話をおとぎ話と思って聞くな。注意しろ。
***
明らかに子供向けの本ではないと思った。
「この本、どこにあったの?」
テイルに尋ねると、
「そこの玄関に落ちてた。」
そんな本を玄関に置いたかな・・・・・・誰かの悪戯か?
「ふーん。」
とりあえず、テイルに適当な返答をいれた。
「じゃあ、お休みおとーさん・・・・・・」
テイルはそのまま寝息を立てて寝た。
「俺も寝るか・・・・・・」
ピエールも自分の部屋に入って、ベッドに転がり込んだ。
すると、ノックの音が飛び込んだ。
「開けるよ」
ドアの方を見ると、マルが立っていた。
「あなた。いきなり来て、ごめんね。」
「いや、大丈夫だよ、マル。」
「それで、あなたに質問があるの。」
「ん?・・・・・・!?」
ピエールは唖然とした。
マルが差し出したケータイの画像には、ピエールとシルビアが仲がよさそうに駄弁っている写真が映っていたからだ。
「これはどういうこと?説明して。」
「いやー、これは、あのー・・・・・・」
「あなた、浮気してたの?」
ピエールの顔から冷や汗が出始めた。
マルは、思い込みが激しく、一度そう思い込むと、そう簡単に考えを改めてくれないのだ。
だから、弁解しようとしても、ムダ。
「普通に後輩と社交辞令を交わしていただけだよ。」
「嘘ね。私は騙されない」
「嘘はついてないって!!」
「どこにその証拠が?」
「今まで俺が浮気したことあるか!?」
「・・・・・・」
黙り込むマル。
「・・・それもそうね」
「今回は、許してあげる。」
ピエールは、ほっと息をついた。
「その代わり、私を抱いて」
「!?」
突然の宣言に、ピエールは驚愕した。
「私を愛している証拠を、今、示して」
ピエールは、覚悟を決めた。
そして、優しく両腕でマルの身体を包み込んだ。
マルはゆっくりピエールに身を委ねた。
マルから匂ういい香り。
もうちょっとこのままでいたい。そう思った。
しばらくの沈黙。
「もう、いいよ」
そう言われたピエールはマルの身体から腕を降ろす。
「んじゃ、お休み。」
「うん」
マルはピエールの部屋のドアを閉めて、自分の部屋へと帰って行った。
ピエールは、静かに目を閉じた。