そして、元の世界へ
「杉原佳奈と言うようでした」
ねねは即答した。
「かな?」
俺の時代の名前ではあるが、この時代にもありそうな気がした。が、俺はその名前に、何か引っかかった。
なんだろう?
小首を傾げた俺の脳裏に、元の世界のイメージがぼんやりと浮かび上がった。
後部座席の窓が開いた一台の高級乗用車。
「おはよう、佳奈ちゃん」
停車した乗用車の後部座席から、隣に立つ女子高生にかけられたあいさつ。
「おはよう、すみれ子ちゃん」
あれは、あれは。記憶を探る。
いつだったか見た夢?
かなちゃん。俺の憧れの天使。
もしかして、あれは夢ではなく、歪んだ時空が見せた元の世界の光景?
そして、ねねの中にいたのは、あの天使?
「その子の友達に、すみれ子ちゃんと言う名の子がいたかどうか分かる?」
「山城すみれ子。
お金持ちの家の女の子」
あの夢のような光景の中、すみれ子ちゃんと言う女の子が乗っていた車は、超高級車。
俺は確信した。
あの夢は、ただの夢ではない事を。
ねねの中にいたのは、俺が元の世界で憧れていた天使だと言う事を。
俺はずっと、あの天使と一緒だった。
だと言うのに、俺はあの子と何もできなかった?
「いや、それ違うだろ。
中身が仮におぬしが言う子だったとしても、体はねねじゃ」
サルが突っ込みを入れる。
「だとしてもだ。もっと、仲良くなりたかった」
「夫婦だったではないか」
「本物の夫婦じゃなかっただろ」
「そもそも、その子はなんでこの時代に来たんじゃ」
「うーん。
俺を追いかけて来たとか?」
「あり得ない事言って、どうする」
あり得ない事くらい分かっている。
相変わらず、サルは俺の思考を勝手に読んでいやがる。嫌な奴だ。
「わしと一緒が嫌なんじゃったら、そろそろ出て行けばいいではないか。
おぬしの天使も元の世界に帰ったんじゃないのか?」
サルの言葉は、俺の心を激しく揺さぶった。
「ねね。
そのかなとか言う子はどうなったんじゃ?」
「たぶんですけど、元の自分の世界に帰ったんだと思いますけど」
「さっさと、おぬしも出て行け。
わしは天下人となって、茶々と楽しむんじゃ」
サルが頭の中で叫ぶ。
今こそ、俺への反逆の時だと感じ取っている。
「そう言うが、戻る方法など分かる訳ないわ!」
俺の頭の中では、天秤がゆらゆらと揺らいでいる。
片側には元の世界に戻る選択肢、もう片方はこの世界に残り、今の生活を続けると言う選択肢。
ずっとサルが独占し続けて来た女の子とのあんな事やこんな事も譲ってくれると話がついた今、俺はハーレムを手にしているのに、まだ誰一人、手を付けていない。
この世界に来た頃だったら、きっと戻る選択肢を選んだだろうが、ここまで来てしまえば、悩まずにいられない。
もちろん、戻る方法が分かればと言う前提ではあるが。
「おぬしは元の世界で、人生をやり直したいと祈ったのであろうが。
ならば、もう一度祈ればよかろう」
「それくらいの事で帰れるのなら、苦労はせぬわ。
帰りたいと思った事はある!」
サルにきっぱりと言い切った。
そう。思った事など何度かあった。
頭の中のサルとの論争に没頭していた俺の胸に、ねねが飛び込んできた。
「秀吉様。
ずっと、ずっとお慕い申しておりました」
ねねの勢いに、俺は布団の上に仰向けに倒れ込んだ。
覆いかぶさってくるねねの体を両手で抱きしめながら、思った事がある。
俺も年だが、ねねも年だ。
どうせなら、もっと若い時にこんな風に抱きしめたかった。
それも、かなちゃんを。
天使のかなちゃんの姿を想像する。
なんで、未来から来たって言ってくれなかったんだよ。
俺はあの天使だと知っていたら、もっともっと大切にしたのに。
ねねの胸が俺の胸のあたりに触れて、その柔らかな感触を感じる。
だけど、欲情なんかより、胸が締め付けられるようで切ない。
ずっと、ずっと忘れていた感情だったが、沸き起こって来るのは、あの天使の姿を見つめて、ちくちくと疼いていた胸。
天使、かなちゃんへの恋心。
かなちゃんの柔らかさを感じたかった。
俺はハーレムなんか要らない。かなちゃん一人いればいい。
人生をやり直したいなんて祈ったあの時の俺は、間違っていたのかも知れない。
現在のものを捨てて人生をやり直すんじゃなく、現在の中で、自分を変えなきゃいけなかったんじゃないのか?
現在から逃げたような俺だからこそ、かなちゃんだったねねは、俺に冷たかったのかも知れない。
「いや、ただ猿顔が嫌だったんじゃないのか?」
サルが言う。
「その猿顔、お前のだし」
いずれにしても、俺は間違っていた。
そう確信した瞬間、頭の中に声が響いた。
「もう、この時代からのやり直しはいいのか?」
いつも俺の頭の中で騒いでいるサルの声じゃない。
俺がこの世界のやって来る時に、森のような光景の中で聞いた声のような気がする。
「ああ。
俺は元の世界にいるべきなんだ」
そう頭の中で答えた時、体が少し浮いたような感覚に包まれた。
「今じゃ。出て行け。
この体を返してもらうぞ。
茶々とわしは楽しみまくるんじゃ!」
サルが叫んだ。
それが、俺が聞いたサルの最後の声だった。
俺の意識は一瞬だけ巨大なピンクの空間に染まった後、何かに吸い込まれる感覚に包まれ、闇に包まれていった。
狭い、狭い。
なんだ、ここは。しかも真っ暗だ。
しばらく足掻いた俺は微かな明かりを感じ、体全体を締め付けているような感覚から、解放された。
が、目を凝らしているはずなのに、ほんのりとした明るさしか感じない。
どうしたんだ?
そんな時、俺の耳に意外な声が聞こえた。
「おぎゃー」
おぎゃあ??
そう思った瞬間、俺の意識は混沌の中に引きずり込まれていった。
-完-
そして、第3部に続く。
まず、はじめに。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
そして、 評価にお気に入り入れてくださった方々、ありがとうございました。
完結できましたのも、皆様のおかげです。
主人公の戻し方はこう言う設定にしました。
いかがでしたでしょうか?
そして、主人公の名前は第3部の最後の最後で明かされる予定です。
感想などいただければうれしいです。
どうも、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




