襲われたねね
庭に面した廊下のかなり先に厠がある。
古びた小さな城だけあって、厠に向かう俺が廊下の床を踏みしめるたび、ギシギシと木が軋んだ音を立てる。
視界の先に見える庭の端に板で造った囲いの向こうから、湯気が立ち上がっている。
ねねのお風呂である。
何気に視線を向けていると、囲いの入り口の扉の所に立っていた侍女が慌てた様子で扉を開けて、その中に姿を消した。。
扉の向こうは脱衣所になっていて、さらにその奥に湯船がある。
侍女はその脱衣所の中に姿を消した。
なんだ?
ねねが何か忘れ物か?
にしては、慌て気味。
もしかして、ねねが滑ったのか?
なんて思いながら、廊下を進んで行くと、さっきの侍女を肩に抱えた男が出て来た。
侍女は気絶しているのか、体中が完全にだらりとしている。
なんで、こいつはねねのいる風呂から出て来たんだ?
こいつは何者?
「見忘れたのか?
大村が連れて来た家臣ではないか」
サルが言う。
その男がきょろきょろ辺りをうかがいながら、その場を離れようとして、俺と目があった。
「ちっ、見られてしまったか」
そう言うと、肩に抱えていた侍女を投げ捨て、腰に差していた小刀に手をかけた。
襲われる。
そう思った瞬間、俺の体は固まり、思考回路も迷走を始めた。
「何をしておる!」
サルが叫ぶ。
その間にも、男が刃先を俺に向けて、距離をぐんぐん縮めて来る。
「ねねは一刻を争うやも知れんのじゃぞ」
ねねが?
そうだ。この男はきっと、ねねを襲った後に違いない。
とすれば、確かに一刻を争うかも知れない。
そう考えた時、俺の思考回路は再び動き始めた。
「曲者じゃ。ひっ捕らえろ!」
大声を上げると、全神経を男の動きに振り向けながら、俺も腰の小刀を抜き去った。
そこから、男の動きはまるでスローモーションだった。
一段高い廊下にいる俺を襲うため、男は自分も廊下の上に上がる事を選択したらしい。
進路が俺の少し横に向いている。
廊下の直前で、男が大股で廊下に足をかけた。
攻撃のチャンス!
そう思った俺が刃先を男の頭上に振り下ろす。
硬いものに当たった感触と、柔らかいものを切り裂く感触が入り混じる。
俺が放った刃は男の横顔から、肩にかけて切り裂き、鮮血をほとばしらせた。
「ちぃぃぃっ」
鮮血に染まる男の顔は、しかめっ面ながら、戦意を失っていない。
俺が男を蹴り飛ばすと、男は再び地面に転落した。
「殿下。何事ですか」
「殿下。ご無事で?」
家臣たちが駆けつけてきた。
家臣たちは事の事情を素早く飲み込み、男を取り押さえた。
「そやつは大村の家臣ぞ。
大村はまだ城内におろう。ひっ捕らえよ」
そう言うと俺は裸足のまま庭に飛び降り、ねねのいる風呂場に向かった。
「ねねぇぇ」
叫びながら脱衣所に飛び込み、その奥にある扉を開けた。
湯気が立ち上る湯船の中に、ねねは沈んでいた。
「ねね。しっかりしろ」
湯船に両手を入れてねねの両脇に手を回し、お湯の中に沈んでいたねねの体を持ち上げる。
湯船から出たねねの頭はぐったりしていて、目も口も動く気配を見せない。
早く出さなければ。
そう思って、力を込めて湯船から引き揚げようとするが、小柄なサルの体では容易じゃなかった。
俺は着物を着たまま湯船の中に飛び込んだ。
その頃、侍女たちが湯船の周りに駆けつけて来た。
「ねねを運び出せ」
そう命じながら、湯船の中でねねの体を抱きかかえ、湯船の外の侍女たちにねねの体を預ける。
四人ほどの侍女たちに抱きかかえられながら、湯船の外に運び出されると脱衣所の床に白い肌着だけを体に巻き付けて、ねねは寝かされた。
「医者じゃ、医者を呼べ」
そう叫びながら、横たわっているねねに目を向けた。
胸が動いていない。
呼吸が止まっている。
俺はねねの胸の中心辺りに両手を置くと、肘を伸ばして、手の付け根に体重をかける事を繰り返すと、ねねの顎先を上げ、口と口を重ねて、息を吹き込んだ。
そして、再び胸に手のひらを置き、体重をかける事を繰り返す。
何度かの繰り返しで、ねねが咳込み、目を開けた。
「ねねぇぇぇ」
思わず、ねねに抱き付いてしまった。
別にやましい気持ちじゃない。本当に自然な気持ちだった。
「秀吉さま」
「うん、うん。無事でよかった」
ねねの声に安堵感が一気に広がった俺はそう言って、ねねを抱きしめる腕に一層力を込めた。
そんな時、サルが言った。
「秀吉さま??」
あれ?
ねねを抱きしめながら、俺はサルの疑問の意味を理解した。
俺はねねに、そんな呼び方をされたことは今までには無かった。
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