岐阜城にて
岐阜の広間でねねと二人座って、信長を待つ。
俺が去った後、柴田は上杉軍とぶつかり敗退している。
柴田は俺が勝手に帰ったからだと、当然信長にちくっている。
しかもだ。
本願寺を攻囲していたはずの松永久秀が、反旗を翻し、信貴山城に立て籠もった。
信長の機嫌を損ねる事が続き過ぎている。
かなり、かんかんに怒っている事間違いなし。
それだけに、生きた心地がしやしない。
「大丈夫なんじゃろうか?」
不安を口に出さずにいられない俺に、ねねがイラついた口調で言った。
「静かに落ち着いてなさいっ」
俺と違って、ねねは落ち着き過ぎている。
それは俺を安心させようとして? なんて訳がないのは、今の怒り口調が表している。
「しかしじゃなあ」
「私を信じられないの?」
口調だけでなく、きっつい視線を俺に向けた。
信じたいし、信じない訳にもいかない。
が、その根拠が欲しい。
と、思っている時、襖が開いた。
そこには信長の姿があった。
怖くて、顔は見られない。
急いで、平伏した。
「サルッ!」
口調はいつになく厳しい。
「ヒャッ」
信長の畏れに弾かれた俺はそんな声を出して、半歩ほど跳んで後ろに下がった。
「よくもわしの命を無視して、引き上げて来おったわ」
やっぱ、怒ってる。
「決して、上様の命を無視した訳では」
そこまで言っても、続ける言葉を持ち合せてはいない。
懸命に謝り、裏切りの意思が無い事を分かってもらう以外に無い。
そう思っている俺に意外な信長の言葉が届いた。
「久秀がまた病気を出しおったわ。
信忠と共に、久秀を片づけてまいれ!」
俺は顔を上げて、信長に視線を向けた。
俺を見下ろしている信長の顔つきは厳しいが、それは厳しいであって、怒りではない。
どうやら、俺は助かったらしい。
「お、お許し下さると言う事で」
とりあえず、確認だ。
「当たり前じゃ。
そちにはまだまだやってもらわねばならぬ事があるでのう」
「ありがとうございまする。
上様。
秀吉の上様への忠誠、変わる事はありませぬ」
「うむ。
サル、励め」
ねねを信じてよかった。
「何を申すか。
心底信じておれたら、あんなに不安にはなるまいて」
そう、サルが言ったが、無視、無視、無視。
「ところでじゃ、ねねもおるようで、ちょうどよい。
聞きたい事があるのじゃ」
信長はそう言って、ねねに視線を向けている。
「なんでございましょうか?」
「久秀ごとき、大した問題ではないが、石山本願寺はしぶとい。
しかもじゃ、毛利の水軍によって、わが包囲網は打ち破られたわ」
その話は俺も聞いている。
信長軍によって陸と海の両方から包囲されている本願寺を救うべく、毛利の水軍が現れた。
対する信長の水軍は惨敗し、本願寺の包囲は海から破られた。
そして、陸からの包囲に加わっていた松永久秀が戦線を離脱し、信貴山城に籠り謀反を起こした。
「ねねなら、何か面白い手を考えるのではないかと思うてのう」
信長もねねを頼りにしている。そう言う事らしい。
「しかし、あれじゃのう。
信長はお前よりも、ねねの方を頼りにしておるのではないか?」
サルが言うが、ねねはそもそも特別な女の子なんだから、信長がそう感じていたとしても不思議じゃない。
「だからこそ、ねねなんじゃないか」
それだけ言い返して、無視、無視、無視。
「問題解決ですね。
毛利水軍に勝つための」
ねねの声には、自信ありげだ。
何か策があるんだろう。と、思っていると、ねねに肘でこつかれた。
何?
そんな視線をねねに向けると、ねねが意味ありげな目配せをしてきた。
これは、ねねが言うところの5回なんでを繰り返すのを俺にやれと言っているらしい。
頭の中に、パッと五回のどうしてが浮かばないが、とりあえずぶっつけ本番でやってみる事にした。
「う、う、上様」
自信の無い気持ちが、ついついどもらせた。
「此度は毛利の村上水軍との決戦におきまして、我が方の水軍の多くの船が焼かれたと聞いておりまする」
「うむ。そうじゃ」
「そこで、問題解決のため、どうして? を五回繰り返していきまする」
「なんじゃ、それは?」
「はい。ねねに教えられたものにございまする」
「ほう。やってみせろ」
「ははぁ。では。
どうして、我が水軍の船が敗れたのかと申しますと、燃やされたからにございまする。
どうして燃えたのかと申しますると、木でできていたからにございまする。
どうして木でできていたのかと申しますると、水に浮くからにございまする。
どうして水に浮くのかと申しますると、木でできているからにございまする。
あれぇ? 元に戻ってしもうたわ。
解決すべき問題はなんじゃったかのう?」
ねねが突然、俺にやらせるから、うまく行かなかったじゃないか。
どうするんだよ?
そんな視線で、ねねを見ると、「はぁぁぁ」と、ねねは大きなため息をついた。
「無理しなくていいのよ。
木でできているから、燃えちゃうのよ。
それだけ解決すればいいのよ」
「なんじゃそれは?
わしには4回で終わったとか、色々言うくせに」
ちょっと、むっとした口調の俺に信長が大きな声で怒鳴り気味に言った。
「サル。黙っておれ」
俺に向けられた厳しい視線を緩めたかと思うと、信長はねねに視線を移した。
「ねね。
これではまるで、天下布武ではのうて、そちたちが喧嘩夫婦じゃのう」
そう言って、信長は笑い始めた。
俺の横のねねが、少し進み出るような仕草をしながら言う。
「それよりも、毛利水軍の件ですが」
「うむ。申してみよ」
信長が真剣な表情に変えて、頷きながら言った。
「燃えない材質で造ればいいんですよ」
「ねねは簡単に言うのぅ」
「水に浮く物と浮かない物の差は何だと思います?」
信長は何か考え始めたようで、すぐに返事をしない。
この世界の者たちには難しいんじゃないか?
ここは俺の出番。
これで、ねねへのポイントもアップ。
そんな思いで、胸をそらし気味にして、大きく息を吸い込んだ。
「ねね。それは重いか、軽いかじゃろ」
「サル、では、なぜ小石は沈む?」
割って入った信長の声に、視線を信長に向けた。
「同じ大きさにしてみよ。
木の方が軽いに決まっておろう」
信長が言葉を続けた。
何だか、小学校で受けた授業のようじゃないか。
答えなんだっけ?
比重? って、なんだ?
そもそもその答えがあっているのかも分からないが、この世界にそんな概念があるのかどうかも分からない。
どう話せばいいんだ?
説明の方法が見つからない、俺に信長が厳しい視線を向けている。
信長はせっかちである。
ぐずぐずしていると怒り出しかねない。
「へっ!
そ、そ、それは」
とりあえず、場をつなごうとした俺に信長が言った。
「どこかに境目があるはずじゃが、それが分かったとて、水に浮き、火に燃えないものがあるのか?」
「その境目は水より重いか、軽いかです。
そして、鉄だって浮きます。それは」
ねねの言葉に思わず、目をむきそうになった。
「うっきぃきぃ。と、まるで猿じゃのう」
サルが頭の中で突っ込みを入れる。
「だから、これはお前の顔だって」
とりあえず、サルにその事だけ念を押しておく。
この世界の者たちにはおそらく信じられない事だと思う、鉄が浮くと言う事を平気で言うねねには驚きである。
そう。
俺の元の世界では鉄でできた船が普通に造られていた。
ねねの知識は俺の元の世界並なのかも知れない。
もしや、俺と同じ世界から来た?
そんな思いで、ねねを見つめていると、信長が意外な言葉を言った。
「塊でなければいいのであろう?」
そのとおり。
と言うか、この世界の者でも、どうやら、それくらいの発想はできるものらしい。
一瞬、ねねに俺の元の世界の人なのではと感じたが、それは行き過ぎたものだったらしい。
そりゃそうだ。
この世界は俺が人生をやり直すために、俺のために造られた世界。
俺と同じ世界の者が二人いる訳がない。
ねねは知識や発想が豊かで、俺を導く特別なこの世界の女の子と言う存在にすぎないのだ。
「じゃがな、水が入らないように一枚の鉄で大きな物を造る技術はない。
木の船の周囲を鉄で囲むのが限界であろうな。
ねね。どうじゃ、これなら火矢にも沈まぬ船が作れるか?」
「はい。間違いなく」
ねねの声も表情も、いきいきとしていて明るい。
俺に話す時よりも、いい表情をしているのはなぜだ?
「そりゃあ、猿顔に明るい笑顔は向けられんであろうのう。
せいぜい、嘲笑の笑顔じゃ」
サルが言う。
まったく、完全にこの猿顔を俺に押し付けて、自分は他人のつもりでいる。
「うむ。では早速とりかかろう。
サル、その方もさっさと久秀を片付けてまいれ」
「ははぁ」
俺とねねは、信長の命に平伏した。
「大義」
平伏している俺たちを残し、信長はその言葉だけを残して、立ち去って行った。
それから俺は信長の嫡男 信忠と共に信貴山城を攻め、松永久秀を討つと、中国攻略を命ぜられた。
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