ねねとの距離
俺に恋心を全く見せなかったねね。
ずっと夫婦になっても、同居する他人でしかなかったねね。
それでも、ずっと二人でいる内に、俺がいなくなると寂しさを感じてくれるようになった。
だとしたら。
今なら、押し倒せるかも。
そんな気もしないでもないが、今の俺ではそんな元気は無さすぎ。
せっかくのチャンスだが、今はこのチャンスをつかむ事はできない。
とりあえず、この雰囲気でねねとの距離を縮めればいい。
そのためには俺がいなくなれば寂しいと言う気持ちをねねの心の中で、膨らませる必要あり。
そんな考えで、ねねに言う。
「ねね。死ぬかと思うたわ」
俺がいなくなった世界では寂しい。そう思ってほしい。
「殿、お疲れ様でしたぁ。
しかし、全てはうまく行ったのですね。
今日は腕によりをかけて、馳走しますよ」
うんうん。
ねねとの距離は大接近。そう思わずにいられない。
が、再びこんな危険な事をさせられたら、マジ死んでしまいかねない。
ねねとしても、マジで俺が死んでは困ると思ってくれたはず。
そう思った俺は頭を振った。
「いや、それがな」
「何が?」
ねねが怪訝な表情で俺の言葉の続きを待っている。
俺は事の一部始終をねねに語った。
そして、信長が俺に殿を命じて京に向かって駆けだした話までをしたところで、ねねが口を挟んできた。
「信長様は誤解したんだぁ。
でも、元々そのつもりだったんだから」
そう。ここだ。ここで、ねねに言っておかなければならない。
殿と言うのは、全滅覚悟の仕事である事を。
そうしておかなければ、いつまたねねは俺に殿を買って出ろと言うやも知れない。
「ねね。正直に言うが、わしは殿に浅井の裏切りまでは告げるつもりじゃったが、殿は言う気は無かったんじゃ」
その言葉を言い終えた瞬間、ねねの表情が一気に険しくなったかと思うと、掴んでくれていた俺の右手を投げ捨てるように離した。
なんでやぁぁぁ。
ねねとの距離が離れた気がした。
心の距離が離れた分、物理的距離を縮めたい衝動に駆られ、ねねに四つん這いで迫って行く。
ねねはそんな俺から、後ずさりで逃げていく。
縮まらない物理的距離。と、離れていく心の距離。
「だって、ねねは知らぬから、殿を務めろと簡単に言うが、死ぬやもしれんのじゃぞ」
とりあえず、殿の危険さを理解してもらいたくして、そう訴えた。
ねねはと言うと、何やら表情が複雑に変わっているようにも見えて、怒っているのだろうが、よく分からない。
「ねねぇ。怒っておるのか?」
とりあえず聞いてみた。
「あったりまえじゃん!」
迷いもなく、即、きっつい口調でねねが返事した。
純粋、100%の怒りで、俺への心配など無さげ。
ついさっきまで、ねねは俺がいなくなると寂しいと思ってくれていると思っていた事が、どうやら的外れな考えだったのかも知れない。が、そうは思いたくない。
「しかし、わしにもしもの事があったら、困るであろう?」
うん。と言って欲しい俺の心など、我関せずで、ねねは右の人差し指を俺に向けて突き出してきた。
「いいっ!」
何だか、立場が上の者に説教される気分だ。
「あんたは武士なんでしょ。
戦場で、死ぬことを恐れてどうするって言うのよ!」
そりゃあ。武士なら、そうかも知れんが、俺は元中学生だ。
年を重ねて、今は大人とは言え、平和な世界の住人だ。
とは言え、この場でそんな事を言えば、頭がどうかしたと言われるに違いない。
「何を申すか。わしは元は百姓じゃ」
そう。サルは元は百姓なんだ。
「じゃが、わしは高貴な娘を抱けるなら、命をかける覚悟くらいあるぞ」
サルが言うが、無視、無視、無視。
「あんたねぇ!
今は信長様の家臣なんでしょっ!
しっかりしなさいよっ!」
「わしはただ信長様の草履取りでよかったんじゃ」
そう。
俺には、もとい、サルにはお金を稼ぐ才があると言う事だった。
ハーレムはお金に物を言わせて作ればよかったんだ。
「だと言うに、ねねが清洲城の城壁の修理などさせるから、殿さまから取り立てられてしもうて、こんな事になってしもうたんじゃ。
わしはこんなとこ、来とうなかった!」
「あんたは加藤○史郎君か!」
「誰じゃ、それは」
「そんな事はどうでもいいのっ」
そう言ったかと思うと、ねねは突然腕組みを始めた。
「うーん」
唸り声まであげるなんて、今、ねねの頭の中は何をしているのやら。
なんて、思っていると、突然甘い声で、俺の名を呼んだ。
「藤吉郎殿ぅ」
突然の態度の変化。次にどんな言葉が続くのか。
そんな思いで、ねねを見つめる。
「く・げ・の・む・す・め。欲しくないんですかぁ?」
また公家の娘と言う餌をぶら下げられてしまった。
しまったと、俺は思ったが、遅かった。
ねねのその言葉に、旨の奥が疼いたかと思うと、瞬く間にこの体を乗っ取られてしまった。
「失礼な。
乗っ取っておるのはおぬしのほうじゃろうが」
と、俺に頭の中で言ったサルの激しい息遣いが聞こえる気さえしてしまう。
「それはマジで?
信じていいんじゃな」
「だって、もうお前様は信長様の立派な家臣団のお一人ではありませんか」
「分かった。わし、頑張るから、ねね。支えてくれ」
サルはそう言い終えるなり、ねねに抱き付こうとした。
「こら! ねねは俺のものなんだぞ!」
サルに怒鳴る。
「おぬしのものはわしのものであろうが」
「違う!
こんな猿顔の男に、あんな事や、こんな事をさせてたまるかっ!」
「いや、その猿顔、今ではお前のものだしぃ」
そうサルが言い終えた時、膨らんでいたサルの欲情が萎んだのか、体の制御権が俺に戻って来た。
ねねは抱き付こうとする途中で、制御権が俺に移り、少しバランスを崩した俺を、ねねがするりとかわして、にこりと微笑んだ。
「物理的には支えて上げないけど、知恵の面で支えてあげるからねっ」
つまり、やっぱ、ねねとの物理的距離は遠いと言う事だ。
今日も、俺はねねにあんな事や、こんな事をできないと言う事がはっきりした。
そう思うと、俺の口から情けない声があふれ出てしまった。
「ねねぇぇ」
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