墨俣一夜城3
父親違いの弟 小一郎。
俺は使える奴と見込んでいた。
正確にはサルの助言によるのだが、確かに機転が利くし、俺を兄と慕い、忠実でもある。
そんな小一郎と、信長から借り受けた数人の兵に織田の旗印を掲げた荷車を押させて、でこぼこの道を進んでいる。
木で出来た荷車の車輪は、地面のでこぼこの衝撃をそのまま荷台に積み上げた荷物に伝えていて、揺れる度に陶器の壺の中に入れた銭はちゃらちゃらと金属っぽい音を奏で、極上のお酒を入れた壺はちゃぷちゃぷと液体が揺れる音を奏でている。
そんな音に包まれながら、ある時は木々が生い茂り、またある時は田が広がる田舎道を歩き続けている。
やがて目の前現れた茅葺の大きな家。
それこそが、仲間とすべき蜂須賀小六の屋敷である。
開き放たれた門の向こうに見える男たちは、薄汚れた身なりをしていてるが、遠目にも屈強そうな体格だと言うのが伝わって来る。
近づく俺たちに気づき、何人かの男たちが、俺たちに視線を向けた。
その顔も着衣と同様薄汚れているが、眼光は鋭く光っていて、その視線で俺たちを突き刺すように睨み付けた。
「サルか?」
一人の男がそう言うと、片手をあげてみせた。
「蜂須賀殿はおられるかのう?」
声を張り上げてたずねると、その男は頷いてみせた。
「今日はいい話を持ってまいった」
そう言いながら、蜂須賀の屋敷の門を潜り抜けた。
俺に続いて荷車が到着すると、男たちが集まって騒ぎ始めた。
「サル、何じゃ、この荷物は」
「織田の旗印がついておるではないか」
男たちを無視して、蜂須賀の家の中に上がり込んでいく。
目の前に広がるのは俺の部屋の全ての広さの2倍はあろうかと言う土間。
その奥にある板の間の奥に、真昼間から酒をあおって座っている蜂須賀の姿が目に入った。
ここにはサルはもちろん、俺も何度か来ているし、蜂須賀たちとも会話を交わしたことは何度もある。
が、今日はある意味、決戦気分。
ちょっと、緊張してしまわずにおられない。
ぎゅっと、両拳に力を込めると、力を込めて声を放つ。
「邪魔する」
ちょっと横柄な口のきき方で、その板の間に上がり込むと、蜂須賀の前に胡坐をかいて座った。
「何じゃサル。
織田の兵を引き連れて来たそうじゃな。
しかも、わしに向かって、その口のききよう」
「今日は、おぬしによい話を持ってきた」
「なにぃぃ。信長の小者が生意気な口をききおって」
蜂須賀のその口調も、表情も、かなり不機嫌そうである。
それもそのはず。
蜂須賀小六とサルの関係は、蜂須賀小六の方が、ずっと上だった。
下の下の下だと思っていた俺、つまりサルにこんな口のききかたをされた事が不愉快でたまらないのだ。
とは言え、この作戦を完遂するためには、俺が上となって蜂須賀小六を使う必要がある。そう、サルが言うのだ。
これまでの経験から、俺はサルにはいくつかの才があると認めていて、このサルの意見も考慮すべきだと俺は思っている。
そのため、俺は俺なりに作戦を考えて、この場にやって来ていた。
「蜂須賀殿。すみませぬなあ」
小一郎はそう言って、蜂須賀をなだめると、今度は俺に言ってきた。
「兄者。
蜂須賀殿はまだ兄者の家臣でもなければ、信長様の家臣でもござらぬ」
俺からは言えぬ言葉を、小一郎に言わせて、俺の意図を蜂須賀たちに伝える。
これも作戦の一つ。
「なにぃ。
これはおかし過ぎてたまらぬわ。
サルがわしの上に立つと言うか。
わははははは」
豪快に蜂須賀が笑うと、俺たちを取り囲んでいた蜂須賀の部下たちも大笑いを始めた。
いつもは和やかに接してくれていた者たち。
もちろん、それは俺がこいつらの下に位置していたからである。
だと言うのに、俺の下につけと言われ、笑い声の中にも嘲笑と怒気が含まれている事は男たちの表情を見ればすぐに分かる。
へたをすればこのまま袋にされるかも知れない。
ちょっとした緊張感が俺を包む。
が、蜂須賀を仲間に入れろと言ったのはねねである。
ねねの言葉に間違いはない。
が、よく考えると、ねねは蜂須賀をどうやって仲間にすればいいとは言わなかった。
今の作戦は俺が立てたもの。
もしも、まずってれば。そんな思いに、冷たいものが背筋を伝ったその時、サルが頭の中で笑った。
「いやあ、はははは」
「なんだよ」
こんな状況で、サルにまで笑われ、むっとした口調でサルに言う。
「いやあ。
わしも猿顔ゆえ、色々笑われ続けてきたが、今ほど笑われた事はないぞ。
お前にこの体を奪われて以来、おぬしの猿顔はますます磨きがかかったのではあるまいか」
そう言うと、げはげはと頭の中でサルが笑い始めた。
まったく、自分の猿顔を俺に押し付けやがって。
そんな思いが、俺を包んでいた緊張感を解きほぐした。
大きく一息、吸い込むと、蜂須賀に向き直った。
清洲の城壁修理の時と同じように、俺の方が立場は上。
そう言うオーラを身に纏う。
「蜂須賀殿。そろそろ態度を明らかにすべきとは思わぬか?」
「はっ! 何をぬかすかと思えば。
言っておくが、俺は信長にはつかぬ」
「あの殿は、並の大将ではないぞ。
何しろ、大軍勢を率いてきた今川義元を討ちとったんじゃからな。
つくなら、美濃ではなく、信長じゃと思うがの」
「はっ。あれは運が良かったまでじゃ」
「左様であろうか。
凡庸な大将でれば、籠城するであろうところを、ただ義元の首のみを狙う作戦を立てた訳じゃから、並の大将ではごさらぬ」
大きく頭を振って、大袈裟なジェスチャーを見せる。
「それにじゃ。運は大事な要素じゃと思うが、いかがかな。
おぬしも、わしと共に、運をつかもうではないか」
「何をぬかすか。
信長に運があれば、とうに美濃を手に入れておるであろうが。
それができずに負け戦を繰り返してばかり。
そのような信長に味方などできる訳なかろう」
「その事で、蜂須賀殿のお力を借りに兄者は参ったのです」
穏やかな口調で小一郎が言う。
「なにぃ?」
「墨俣に築城するにあたり、兄者にお力添えを。
蜂須賀殿のお力があれば、作戦成功は間違いなし」
「墨俣じゃと。
これは笑わせすぎる。
サル、おぬしは信長の捨て駒じゃ。
勝家でさえ成せぬものを、おぬしに信長が本気で任せる訳ないであろうが」
そう言うと蜂須賀は今まで以上に大笑いを始めた。
「冷静に考えれば、そうじゃろうのう。
じゃが、ねねの作戦なら、成しえると俺は保証する。
いや、わしが命じられたとしても、ねねと同じ考えに至ったはずじゃ」
サルの言葉は、いつもそんな風な事を言う。
だったら、ねねの言葉の前に、言ってみろよ。
「だったら、この後はわしの言うとおり、蜂須賀に言ってみるがよい」
サルの自信が胸の中に伝わって来る。
確かに蜂須賀との付き合いはサルの方が俺より長い。
蜂須賀の事は俺よりもよく知っているはず。
俺は頭の中で頷くと、サルの言葉をそのまま口にした。
「目を曇らせておらず、真実に目を向けられよ。
おぬしも知っておろう。わしが、信長に気に入られておる事を。
そして、わしに才がある事も気づいておるはずじゃ」
言いながら、少し照れてしまう。
俺自身、自分に才があるなんて思った事なんかない。
「馬鹿言うな。
才はわしにあるのであって、おぬしではないわ。
何を照れることがあるのやら」
サルが頭の中で言う。
「なら、聞こう。
勝家でさえなせなんだ墨俣への築城、どのようになすと言うのじゃ」
「大きな声では言えぬ」
そう言って、蜂須賀を手招きすると、迷いもせず立ち上がり、俺の前まで寄って来た。
脈あり。そう感じずにいられない。
蜂須賀の耳元に、口を近づけると、ねねの作戦を語った。
「なにぃ?
そのような事が」
「どうじゃ。
おぬしたちの力を借りれば、可能な事であろう」
蜂須賀が腕組みをして、黙り込んだ。
「もうひと押しじゃ」
サルが言う。
「しかもじゃ。これを見よ。
墨俣築城がなった暁には、墨俣はわしに任せるとの事じゃ」
蜂須賀に懐から取り出した信長からの書状を渡してみせる。
そこには、今俺が言った通りの事が記されている。
しかも、信長の花押付きの本物の書面である。
「そろそろ、おぬしも決断の時じゃ。
先の無い斎藤につくより、才も運もある信長様やわしにつくべきじゃ。
逃げずに、わしに賭けてみろ」
さっきまで、俺に嘲笑を向けていた周りの男たちも、黙り込んで成り行きを見守っている。
一人一人に視線を合わせていった後、外に置いてある荷車を指さした。
男たちの視線が荷車に向かう。
「あそこにはまずは手始めの手土産が入っておる。
うまい酒と、銭じゃ」
男たちののどがごくりとなったのを感じた。
「事が成就すれば、さらなる恩賞が約束されている」
そこで言葉を止めて、立ち上がる。
「恩賞が欲しいかぁ!」
そう言って、握りしめた右こぶしを天井に向かって突き出しながら、自分で言う。
「おぅぅぅぅ」
部屋に轟いたのは俺の声だけで、清洲の城壁修理の時と同じで、他の男たちからは反応が無い。
「ほれ、ほれ」
みなを誘うように、そう言いながら、右の拳を何度も突き出すと、俺は言った。
「うまい酒が飲みたいかぁ。
おぅぅぅぅ。
ほれ、ほれ。
今こそ、うまい酒と恩賞を手に入れる時ぞ!」
そう言いながら、荷車の番をしている兵たちにを手招きする。
外で荷車の番をしていた兵たちが一つの壺に対し、二人がかりで運び入れて来た。
銭が入っている壺はそのまま傾け、蜂須賀の前にじゃらじゃと銭をぶちまけ、酒が入っている壺は蓋を取り除き、酒のにおいを部屋の中に拡散させていく。
男たちの目の色は完全に変わってきた。
俺はさらに大きな声で叫ぶように言う。
「恩賞が欲しいかぁぁぁ」
「おぉぉぉぉぉ」
男たちの声で、部屋が震えた気がした。
右の拳を俺と同じように突き出す男たち。
蜂須賀に目を向けると、観念した表情で立ち上がると、俺に近づいてきた。
「分かったわい。
サル、力になろうではないか」
俺は右手を差し出しながら、その言葉を訂正させた。
「サルでは困るのう。
わしはおぬしの上じゃから」
「ふっ。ははははは。
藤吉郎殿か」
笑いながら、蜂須賀が俺の右手をつかんだ。
「どうじゃ。わしの腕前は。
みなをやる気にさせるのも凄かろう」
サルが頭の中で言うが、素直に頷けやしない。
「恩賞が欲しいかぁは、俺のパクリだから」
サルにそういい返す。
「よいではないか。ミッションクリアじゃ」
そう。まずはミッションクリア。
とは言え、このミッション、まだ先は長い。




