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対 蝮作戦

 見渡す限り水をたたえた田が広がり、その先には大きな川が流れている。

 少し丘のようになった場所に立ち、信長はさっきから腕組みをしたまま黙り込んでいる。


 チ、チ、チ、チチ。

 小鳥たちのさえずりと風のざわめきだけが耳に届く、長閑な時の流れ。

 こんな時、俺のする事は、黙って信長が動き出すのを待つだけである。



「サル」


 何か思いついたのか、信長が俺に視線を向けた。


「蝮はどうあしらえばよいかと考えておったのじゃが、なかなか難しいでな。

 そちの考えも聞いてみたい。

 蝮は威嚇するのと、従順にするのと、どちらがよいと思う?」


 蝮?

 威嚇も逆効果なような。

 かと言って、蝮を相手に従順はないだろう。


 うーん。

 俺も腕組みして、首を傾げてみた。


 その時、今までよりもちょっと強い風が吹いた。

 ちりん。

 信長が腰に巻き付けている鈴が鳴った。


 これだ!

 突然ひらめいた。


 熊が近づかないように、鈴をつけて山に入る。

 驚かせて、最初から逢わないにすればいいではないか。



「殿、蝮めを驚かすような事をすればよろしいかと」

「何? 蝮を驚かすのか?」


 信長は右手で、自分の顎のあたりをさすりながら、目を閉じた。


「へい。サルめと二人で」


 俺は言葉を足した。蝮相手なら、それで十分。

 そんな気持ちで、力を込めた。



「お前、蝮が何なのか、誤解していないか?」


 焦り気味の声が、頭の中に響いた。


「何の事だ?」


 頭の中のサルに問いかけた。


「蝮とは、この先に見える美濃を治める斎藤道三の事じゃ。

 僧侶から油商人となり、ついには美濃一国を乗っ取ったほどの男じゃから、蝮と言われておるのじゃ」

「それって、とんでもない悪者なんじゃね?」

「決まっておろうが。さればこそ、蝮と呼ばれておるのではないか」


 そんな奴相手に、信長と二人で驚かそうなんて提案をしてしまうとは。

 逆に怒らせて、切り殺されてしまうではないか。



「ふむ。サル。

 それはよいかも知れぬのう」


 信長は俺の心中など知らず、ニコニコ顔である。

 どうやら、この作戦で蝮に挑む気らしい。

 俺が轡を持っていた馬に、信長はひらりとまたがった。



「と、と、殿。少々お待ちを」


 今にも駆けだしてしまいそうな、信長をそう言って、引き留めようとしたが、信長も大声で、俺に言った。


「舅殿との面会、楽しみじゃのう」


 信長の声の方が大きく、俺の焦って震えた声は信長に届かなかったらしい。

 信長は一気に馬を駆り始めた。


「舅なのか?」

 俺は信長の後を追いながら、サルにたずねた。


「そうじゃ。濃姫のお父上じゃ」


 サルの言葉に、俺は安堵した。


「何を安堵しておる」

「俺は女の子と付き合ったことないが、その気持ちくらい分かる。

 カノジョとかのお父さんって、苦手だ」

 うんうん。と、駆けながら、頭の中で両腕を組んで、頷く。


 信長はだから心配していたんだ。


「左様な訳あるまい。

 蝮にこの尾張を乗っ取られる事を恐れておったに決まっておろうが」


 サルはそう言うが、それは当たりであって、外れだと思う。

 俺にはさらに経験が無いが、父親と言うもの、娘がとられてしまうのは嫌なものらしい。

 それだけに、娘の結婚相手と言うものは、うれしくもあり、憎くもある。

 そんな感情で、信長を見ているのだ。


「何を呑気な」

 サルは俺を信じちゃいないが、仮にも娘の結婚相手をどうこうするなんて、俺には考えられやしない。




 とは言え、舅に会うのに、二人だけでよかったのか?

 と言う疑問はあるが、信長がそう決めたので、今、二人で蝮との対面場所である富田の正徳寺に向かっている。


 いつもの事だが、信長と俺の姿に町の者たちは、小声で悪態をついている。

 だが、今日はいつもより町の者の視線が突き刺す感じがする。

 今から、蝮の道三と対面と言う事を町の者たちも知っているのだろう。


 にもかかわらず、信長はいつものうつけと言われる姿。

 その姿への驚きと非難。

 驚きと言う点はある意味、計算どおりとも言えるのだが、これでよかったのかと言うのは俺の中にもある。


 何しろ、蝮を驚かせばいいと言いだしたのは俺だが、その時の俺は蝮をただの蛇と思っていたのだから。

 その時だった。



「信長さまぁぁ」

 半べそ顔で、そう言いながら、てとてとと走り寄って来るのはねねだった。

 思わず、抱きとめようと、信長が乗る馬の轡を持つ手を放して、両手を広げた。



「ねね殿、どうなされました」


 このまま走り寄ってくれば、いつもしていたように、抱き上げてやれる。

 そう思っていたのに、ねねは歯を食いしばるような気合を入れた顔で、一気に立ち止まってしまった。



「ねねどのぅ」


 残念さに、声が出た。


「はぁぁぁぁ」


 ねねが思わず深いため息をついたとか思うと、俺に冷たい目を向けた。

 ねねとの関係はうまくいっていたはずなのに、どうしたと言うのか、今の視線は完全に嫌なものを見る目ではないか。


 最近、ねねの様子が変わった気がしてならない。

 俺が何か嫌われるような事をしたのだろうか?

 そんな俺の戸惑いなど無視して、ねねは馬上の信長に目を向けた。



「信長さまぁぁ」

「なんじゃ。そちは浅野の家のねねと言うらしいの」

「はい。さようでございます。

 ところで、信長様。今日は道三様とのご対面の日ではないのですか?」

「よう知っておるのう。今から、向かうところよ」

「はい?

 今から、向かわれるのですか?

 違いますよね?」

「何を申しておる。今から、向かうのじゃ」

「お供は?」

「見えぬのか? サルがおるではないか」

「へい。殿」


 ねねの結婚相手となるはずの俺抜きで話が進んでいたが、ようやく俺の番が回って来た。

 が、俺のセリフはそれだけ?

 ねねは俺の存在など無いかのように、信長と話を続けている。


「いや。あのう、相手は蝮ですよ?」

「ははは。何を申すかと思えば。

 相手は人間じゃ」


 そうそう。蝮は蛇じゃない。

 俺でさえ、誤解したんだ。

 ねねのような子供が誤解していても仕方ない。


「いや、ただ単に、お前があほうなだけじゃ」

 と、サルが言うが、無視、無視。



「はい?」

「知らぬのか? 斎藤道三はわしの舅殿。人間じゃ」

「あのう。斎藤道三が蝮の道三と言われているのはご存じですよね?」

「なんじゃ、本当は蝮なのか?」


 そう言った信長の顔はニコニコ顔だ。

 信長も相手が子供だけに、話を合わせているのだろう。

 一方のねねは困惑顔だ。



「濃姫は今日の事はなんと?」


 子供の発想が飛んだのか、突然、ねねの口から濃姫の話が出て来た。


「お濃か。あやつはわしの事をうつけじゃ言うて、嫌うておるからのう。

 早よう会って来いとだけ申しておったわ」

「は、は、ははは」


 ねねの笑い声には力が無い。

 がっくし感が伝わって来る。

 何か期待外れの答えだったようだが、信長と濃姫の間がうまく行っていないのは、皆が知っている事実。



「あのう、鉄砲、たくさんお持ちなんですよね?」


 はっきり言って、子供の会話は次が読めない。

 今度は鉄砲に話が飛んだ。

 ねねの頭の中には、全てに何かの流れがあるのだろうが、俺には分からない。

 思わず、小首を傾げた。



「種子島か。あるぞ。城に300はある」

「そんなにたくさんの鉄砲は、どう使われるんですかぁ?」

「珍しいし、かっこいいから集めておるだけじゃ。

 皆が申すには種子島は戦には役に立たぬそうじゃ」

「はい? マジで?」

「まじとは何じゃ?」

「あ、ああ。本当にそうお考えなのですか?」


 信長は知らない言葉のようだが、「マジ」とは、この時代でも一部の人は言うらしい。

 ちょっと俺は驚いて、ふむふむと数回頷いてしまった。



「お前、完全に無視されておらぬか?」


 会話に入れてもらえない俺に、サルが言ったが、これも無視、無視。



「皆がそう申すのだから、そうであろう。

 違うのか?」

「は、は、ははは」


 またまた、がっくし感満載のねねの笑い声。



「信長様。道三の目を点にさせてみたくないですか?」

「何? 舅殿の目が点になるのか?

 それはまことか?」

「もちろん、まことですよ」

「で、どうすればよいのじゃ?」

「それはですねぇ」


 そう言うと、ねねは嬉々として話し始めた。

 話の中身は鉄砲隊を含めた軍勢を率いて、道三の度肝を抜くのだ言う事と、正徳寺に到着してから、肩衣に長袴に変化へんげして、道三を驚かすと言う事だった。

 まあ、驚かすと言う点では、俺と同じである。


「いや、全然違うだろ。

 ねねの言っている事の方が、すごかろう」

と、サルが言うが、これも無視、無視。


 ねねの話は信長にも受けたようで、馬上で大笑いし始めた。


「この格好を見せつけておきながら、寺の中で、こっそり着替えるのか。

 それは舅殿も驚くであろうのう。

 で、目が点にまでなってしまうのじゃな。

 うーん、人の目が点になるとは奇妙な事よのう。

 では、早速城に戻って、みなを集めて出直そうぞ」


 そう言うと、信長は馬首を反転させた。

 ねねの目は俺ではなく、立ち去り始めた信長を見つめている。



「ねね殿。それではまた」


 アピールも含めて、ねねに向けて、笑顔で大きな声で言ってから、信長の後を追う。



 正徳寺には、のんびり行くはずだったので、時間的には余裕がある。

 とは言え、今から軍勢を整えるとなれば、急がないとならない。

 そう思ったのだろう、信長が飛ばし始めた時だった。



「信長様ぁ、お待ちください」


 ねねが絶叫気味に走ってきている。

 高めの子供の声だけに、馬で駆けだしていた信長にも聞こえたようだ。

 馬を止めたかと思うと、振り返った。

 ここでねねを無視して、城に戻って行ってもいいはずだが、信長は馬首を反転させ、駆け戻って来た。


 それだけ、ねねの話に興味があるのかも知れない。

 さすがは、未来のわが妻である。

 うん、うん。と頷いている内に、信長は俺の前を通り過ぎ、ねねの前までたどり着いていた。



「なんじゃ」

「いいですか!」


 ねねが馬上の信長を見上げ、右手の人差し指を軽く振りながら言った。

 上の者が下の者に諭している風だと言うのに、立場が逆じゃないか。

 そんなねねに、気分を害した気配もなく、顔を向けて信長は話を聞いている。



「たぶん、対面の時、こちらが道三殿です的な事を言われると思うんですけど、その時には“であるか”とだけ言えばいいです。

 他は何も喋らず、ずぅぅぅぅぅっと、黙っていてください。

 これで、蝮もいちころですから」

「”であるか”、であるか。

 わははははは」


 そう言うと、再び馬首を反転させ、駆けだし始めた。

 今度は、さっき以上のスピードで、俺の横を駆け抜けて行った。

 慌てて、信長の後を追う。

 これが俺の役目でもある。



「何だか、情けなくないか?

 お前、この世界で人生やり直して、切り拓くんじゃなかったのか?」


 サルが言う。


「お前こそ知らないな。

 ローマは一日にしてならずと言うんだよ」


 そう。

 簡単に未来は切り拓けやしない。

 日々の努力。これがあっての事だ。



「そう言って、自分を慰めていても、それが負け惜しみだって事くらい、わしには分かるんだが」


 サルの言葉が聞こえた。

 サルは俺の思考全てが読めるんだった。

 無視、無視。

 無視して、信長の後を追った。



 結局、俺はお供をしなかったが、道三との対面はうまく行ったようで、信長は上機嫌で戻って来た。


 とりあえず、俺の蝮を驚かす作戦はうまく行った訳だ。



「いや、それ違うだろ。

 うまく行ったのはねねの作戦だろ?」


 サルが言うが、これも無視、無視、無視。

評価に、お気に入り、入れて下った方、ありがとうございます。

前作にもあったシーン。サル側だと、こうなるのでした。

いかがでしたでしょうか?

これからも、よろしくお願いします。

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