序
「風光明媚な異世界で、スローライフを堪能しませんか?」
死にかけている人間に、一体何を聞いてるんだろうこいつは。そんなもんより飯が食いたい。
ニートをこじらせて親に捨てられ、家も売却されて、現在無一文で路頭に迷い、お腹を空かせて公園のベンチで寝転んでいた私は、ネットスラングでいうオタクキモデブヒキニートという人生終わったとしか言い様のないダメ人間であった。
ちなみに年齢はアラフォーというやつだ。うん、本気で終わってる。
親がやたら過保護だったため就職もせず実家でひたすら退廃的な生活を過ごしていたら、兄の結婚相手、つまり義姉がこのままじゃダメだと両親を説得した結果、斯様な事態となりました。
うん、わかってる。自業自得だ。
一応大学生の時に就職活動はしたのだが、見事に全滅しただけでなく、当時の面接官の言動に精神をズタボロに切り裂かれ、気がつけばヒッキーと成り果てた。
運動もせず部屋でネトゲ三昧してたらそりゃ太る。醜くブヨブヨとなった自身の肉体の醜悪さを他人様に晒すなど堪えられず、引きこもりは更に悪化した。どれくらい酷いかというと、実兄の結婚式にすら出席できなかったくらいだ。
勿論自分で辞退したし、周囲もそれでホッとしていた。そもそも服がないしな。兄の幸せは心から祈るが、その妹がこんなでは義姉の親族にろくな心象を与えまい。
ちなみに義姉は、仕事のできるイイ女(語彙の少なすぎる自分が憎い)であった。
自信家で、それだけに私のような社会の底辺のクズの存在が許容できなかったのだろう。実家に来るたびに酷い罵声を浴びた。ちなみに他に誰もいない時限定。彼女は外面がいい。
一応その言動は全部録音しておいたのだが、気がつけば家族は全員義姉の意見こそ正しいという考え方になり、私はますます引きこもりに拍車がかかった。
自業自得なのだが、味方がいないというのはこれほどに心を切り裂くものなのか。
さて、そんなわけで、家族全員に見放された私は、先述した通り親に捨てられ住む場所もなく金もなく服も身につけているものだけという切ない状態で放逐された。
あ、一応幾ばくかのお金はいただけたんですよ。但し、ひきこもりを外出させるための口実として。
私がハマっていたMMOの特殊課金アイテムが、コンビニでのみ買える限定版だったわけです。
仕方なく久々に外出しようとしたら、何故か家族がちょうどいい、とばかりに寄ってきた。
明日ちょっとお客様がくるから、一日外出して欲しい、といってお小遣いをくれた。何故か万札数枚。
私は承諾し、課金アイテムの購入は翌日にした。そして言われた通り外出し、一日を時間つぶして帰宅してみたら、実家が蛻の空になっていた。
しかも鍵が合わない。扉に挟まっていたメモには、この家は既に売却されたこと、もう面倒みきれないから自分で生きていけという決別の言葉があった。
勿論連絡先はない。そして普段出歩かない私は、携帯を持っていなかった。
漫喫で過ごすにしても所持金は程なく尽き、働き先も見つからず、気がつけば立派に薄汚れたホームレス。
公園で水だけは飲めたが、それだけだ。無一文は辛い。いくらデブでも、自らの脂肪は食えない。
絶食二日目で空腹に意識が朦朧としつつベンチで横たわっていたところに、冒頭の質問があったわけだ。
目を開けるのも億劫で、誰が話しかけているのかイマイチわからない。一応薄目を開けたが、逆光のせいで顔がわからない、背格好からして青年から中年といった年代だろうか。
というかこいつは何を言っている。風光明媚な『異世界』で『スローライフ』だと?
「……ゲームならともかく、現実的に私の年齢と肉体で農作業は無理だろう」
意外と冷静な声が自分から出た。正直、今の私の思考はかなり鈍っていると思う。空腹辛い。
「そうですね、現実的な知識もなさそうですね。それに労働に適した肉体でもなさそうですね」
自分がいったことを繰り返されてるだけなのに、なんでこうも言葉の刃が痛いのか。
「まあ、その辺りはなんとでもなりますし、どうですか。このままだと野垂れ死ぬだけですし、心機一転頑張ってみませんか?」
意味がわからない。
野垂れ死ぬのは理解していた。このまま死んだら親に迷惑かけそうだなとは思っているが、ただでさえ重い体が空腹でもはやまともに動けないし、思考もそろそろグダグダループに入っている。死は相当近そうだ。
「なんとでもなるのか」
「なんとかしますよ。とりあえずこちらは新しい風を送り込みたいし、貴方は今にも死にそうだ。私の話を受け入れても今更デメリットはないでしょう?」
怪しさ満点だけどな。
そもそも異世界とか新しい風とか何なんだ。
と、元気だったら色々ツッコミどころ満載なんだが、こちらは既に意識が朦朧とし始めている。
ここで死ぬなら、どうせ死ぬなら。
確かに、何言ってるのかわからんこの男の話に乗ってみるのも一興か。
そう考えてしまう時点で、自身が相当に危険な状態だったのだと気づけないくらいには、私はボロボロだったと思う。
結果、私はその得体の知れん男の話を了承した。
「ご成約ありがとうございます。では、複数の情報を参考に、適度に生きていける環境を整えますか。ではとりあえず」
目の端に煌めくものが映る。あれは、刃?
逆光で男の顔は相変わらず視えないのに、何故か、男がにんまりと嫌な笑みを浮かべているのがわかった。
「死んでください」
軽く言われた内容を理解する間もなく、細身の刃が振り下ろされた。
ゴト。
という鈍い音と共に視界が転がる。
目の前には、多分男の靴。そして地面。上から滴り落ちてくる赤い滴。
「これでも腕はいいので、痛みはないでしょう。では、いきましょうか」
死ぬのか、と理解した時、最期に思ったのは家族の事。
おかーさん、気にしないといいけどな。自分のせいだって責めなきゃいいけどな。
でも多分無理だろう。ごめんおかーさん。ダメな娘でごめん。ごめんなさい。
視界は急速に白く狭まり、私は意識を手放した。




