09
――ハルコニア平原
ヌベルが諸将を前に言っていた通り、この地はミデールの東に位置し、古今数々の戦いが繰り広げられていた場所であった。 最も身近な戦闘では、ミデールが当時の大国、グニンに大勝したことでこの平原の名が周知されている。そのハルコニア平原の中央には、小高い丘が隆起していて、まさにその場所にたった今、ヌベル帝国の主だった将軍たちが、皇帝ヌベルを中心に騎乗で着陣したのだった。彼らの頭上には、燦々と輝く猛暑の太陽が、彼らの着用する鎧をじりじり焼くがごとく照らしつけていたのだが、ハルコニア平原北東部で万年雪を頂に覆うキュシュ山から流れてくる涼しい風のおかげで、暑さのため不快になることはない。この環境がこの地で多くのいくさが行われた原因であったのかもしれない。猛暑の時期には涼やかな風が、本来なら灼熱と化す大地に潤いを持たせ、逆に、気温が上がりにくい寒い季節には、南から海流とともにやってくる暖かい風によって比較的すごし易い地域となり、いわゆるハルコニア平原は年中寒暖の差がない地域となっていた。通常ならこの地に街だの村だのが成立していてもおかしくなかったのだが、ウーンサリス大陸の歴代の権力者は不思議とここを戦場と定めていた。時を選ばずして、小競り合いから果ては大戦と言われる規模の戦いがこの平原では頻繁に行われていた。そしてヌベルはミデールとの前哨戦にこの地を選んだ。もちろん目的は、先に諸将に宣言したとおり、魔人の戦闘力を披露することだった。ヌベルは遡ること三日前、つまり、自軍の諸将に魔人をお披露目したその日に、ミデール国に、明後日ハルコニア平原にて、我が軍の少数精鋭の兵の力をお見せしたくヌベル直々にかの地で待つと、挑戦状ともとれる封書を書き送っている。ミデールがこの挑発にのってくることは賭けでもあったが、ミデールはこの挑戦を受けた。ヌベルらが陣する小高い丘より米粒のように見えるのが、ミデールの軍勢だった。もっともこの表現には注約がいる。米粒の前衛は、ミデールが一時的に軍事同盟したバルロスの騎馬軍団である鉄騎兵団が務めていた。数は三千。そのすぐ後方の中軍に、ミデールの重装歩兵軍団およそ一千。後詰には、これまたミデールの騎馬隊が五百待機している。いわゆるミデール軍はバルロスとの混成軍だったのだ。ヌベル帝国からの封書が届いた時、ミデールでは、丁度バルロスの王がヌベル帝国攻略のために自ら兵を引き連れ、同盟国であるミデールに渡航していた。 ミデールの家臣の多くは、ヌベルの挑戦状はなにか罠があるとして、出陣は取りやめるべきと主張したのだが、バルロスの王は、
「この手紙を受け取り出兵さえしなかったら、ミデールは臆したと、敵を勢いづかせる形となるやもしれん。幸い、我が自慢の鉄騎兵団がこの国にはいる。敵はそのことを知らない。とりあえず彼らが指定するハルコニアに兵を進めるべきだ。ヌベルが我らの軍容を見て退却すれば、それを笑い我が同盟軍の士気を高め、仮にもし戦いとなっても、戦場は平原だ。敵に伏兵の心配はないし、それにわたしが有する鉄騎兵団の得意とする平原という戦場でその機動力を活かし、散開したり密集したりして敵を翻弄しつつ、好機を待って敵軍に突撃しヌベルを破る。どうであろう、万に一つも我々が敗北する理由などないぞ」
自信余りあるバルロス王の発言だった。もともとバルロスの王は、ヌベルが征服しつつあったウーンサリス大陸と呼ばれるこの大地を「島」程度の規模でしか認識しておらず、実際、ウーンサリス島と揶揄し、小馬鹿にしていた。バルロス王がそう思うことはあながちはずれていないとも言える。正確性という意味では、どこまで信じられるかわからないが、当時使用されていた世界地図を見て、バルロス国があるリデン大陸とウーンサリス大陸を比べればその大きさは歴然で、約十倍は違うとわかる。その小馬鹿にしていたウーンサリスで、急速に勢力を拡大していたヌベル帝国に多少の脅威を感じたバルロスの王が、帝国の実力を直に拝見し、場合によってはヌベル帝国に痛手を与えんと息巻いて今回自ら兵を率いミデールに渡航してきたのだ。そんな時、ヌベルからの挑戦状が届いた。元々いくさ好きのバルロス王が、この挑発に乗らないということは考えられないことだった。
ミデールの国王もバルロス王の意見に賛同した。バルロス王は自部隊を先鋒にとまで言っているのだ。ヌベル帝国が手紙のように少数で兵を繰り出すという保障はなにもなかったが、バルロスの王が言った通り、平原では伏兵の心配はなく、たとえ敵が大軍で攻めてこようとも、バルロスの援軍があるのは事実で兵数の差が一方的になることはないだろう。こんな状況でいくさを回避しようものならミデールは本気で戦う気が無いと見られ、軍事同盟そのものが破綻する恐れもある。早速その話し合いの場で、綿密な作戦が立てられた。ミデールの国王は、バルロス王が自信満々に掲げる鉄騎兵団の威力についてはなんの不安もなかったのだが、やはりヌベル帝国には、グレートスが擁する竜騎兵が存在している。空から攻撃されれば、自慢の鉄騎兵も壊滅するのではと会談の席で尋ねたが、バルロス王は心配ないと返事し、加えて、そこは情報として知っていたミデール国の重歩兵軍団が所有する対竜騎兵兵器を鉄騎兵団と連携しつつ用いれば、無類の強さを誇る竜騎兵も殲滅できると進言した。ミデールの王もそれはそうかもしれないと、込み上げてくる勝利の予感に満足し、自信を持ってハルコニアへと軍を進めたのであった。
ミデールの王は、バルロスとミデール混成軍の最後尾で陣を張り、開戦を待っていた。当初、勝利は間違いなしと満面の笑みを浮かべ床几に腰かけていたミデール王だったが、ハルコニア平原中央の小高い丘に着陣している敵の様子を偵察隊によって知らされてからは、表情が曇ってしまった。
報告では、丘にいる兵数はわずかで、どう見積もっても、五百もいないということだった。
(本当に少数精鋭の部隊を揃えただけなのか?)
ミデールの王が小首を傾げるほど、ヌベル帝国の兵数は少ない。そのことは、帝国側の諸将たちの不安でもあった。
彼ら諸将が、ヌベル皇帝に従いこの丘に騎馬でやってきた時には、ネントスとその弟子たち、それにネントスが産み出した魔人軍団はもうすでに到着していた。魔人たち各々の手には、こん棒のような物が握られており、物々しい雰囲気を醸し出していたが、それにしてもあまりにも数が少ない。将軍たちは自部隊を率いてこの平原に臨んでいるのではなく、あくまでも今回の戦いは魔人軍団だけで行うということが皇帝の厳命だったので、彼らは、戦いの傍観者に徹するしかないのだ。本当に魔人だけで、敵を破ることができるのか? 丘からは、遥か先で部隊配置が完了している敵軍の姿が霞んで見えている。その数は、遠目では確定できないが控え目にいっても、丘に立ち並ぶ魔人たちの十倍はあろうかとおもわれる。
その大群の上空を、一つの黒点が悠々と旋回している。まさしくそれは、グレートスが駆る魔竜だった。パレルモン城を飛び立った彼は、他の将軍らとほぼ同時刻にハルコニアへ到着したが、丘には着地することなく、敵情視察のためそのまま魔竜を操り、先刻からミデール軍の様子を空から眺めている。グレートスは、竜騎兵に放たれる大型ボウガンを警戒してか、高度をかなりとっており、その場所で十回ほど旋回したのち味方の陣営に帰ってきた。陣営と記したが、多数の兵士を従えない帝国側に陣屋などが組まれる必要もなかったので、帝国側の諸将は騎乗のまま吹きっさらしの丘に身をさらしているのだった。
「敵の数は?」
たった今丘に戻ってきたグレートスにヌベルが馬を寄せ尋ねた。
「五千」
諸将から少し離れた場所に竜を着地させたグレートスは、竜から降りながらぶっきら棒にこたえた。かれの機嫌はここ数日晴れないでいる。しかし漸くこの日を境に晴れるかもしれない。ヌベルが期待する魔人軍団とやらが、この地で敵によって壊滅すれば、彼自身が推し進めていた魔人軍団を中心と置く今後の戦略がいきなり頓挫するわけで、そうなれば、それ見たことかと、グレートスとしては、鼻で笑ってやろうと考える。だが一方で、彼のヌベルに対しての忠誠心は本物で、魔人軍団が壊滅するということは、敵がこの丘めがけて殺到するわけなので、その時は、自分の魔竜の背にヌベルを乗せ戦線を離脱するつもりだった。だがこの時はまだ戦端は開かれていない。 ヌベルは敵の兵科の種類も知りたかったが、敵数だけを不機嫌そうに言うグレートスから更に聞きだすことが煩わしかったため口をつぐみ、イルーンらが集まる場所へと戻っていった。どうせ敵の前衛が、騎馬だろうが歩兵だろうが魔法戦士の部隊だろうが、魔人軍団の初陣は計画された通り今日実行される訳なので、なんでも良かった。というより、どんな敵が来てもそれを討ち破ってもらわねば、ヌベルとしては困るのである。彼はイルーンとネントスから進言された策が、ヌベル帝国が抱える問題を打破するものとして、魔人計画の発動を指示し、漸く魔人軍団を誕生させるところまでこぎつけたのだった。あとは結果だ。魔人軍団がこのハルコニア平原で、ミデール軍を敗走させ、できれば多大な打撃を敵軍に与え、ヌベル帝国全軍が今回の戦いで快勝した勢いのままミデール本国に乗り込みたい。とにかく派手に勝ちたい。魔人軍団ここにあり、という情報をウーンサリスだけでなく、海を越えて存在するリデン大陸の国々にも轟かせ、ヌベル帝国は強国で、海を渡ってまで対決する必要はないということを根付かせたい。ウーンサリス大陸を統一すれば、内治に専念し、国力を増強させる。それがヌベルの方針だった。
ヌベルは、イルーンとネントスの間に馬を入れ、彼らに状況を尋ねた。
「魔人はいつでも動けます。下知があればすぐに魔人軍団を敵軍に突入させることができます」
ネントスがしわがれた声でこたえた。彼の顔色は冴えない。魔人を誕生させてからの六日間、ネントスは、魔人がどこまで自分の唱える呪文――古代語――に反応するか確かめていた。魔人創造の儀式で誕生した魔人は、その儀式での呪文詠唱者の声にしか反応しないので、ネントス一人がその任に当たっていた。
まずパレルモン城で帝国の諸将らに魔人の存在を明かす前には、個々の魔人に古代語で語りかけ反応を見た。この中で、五体の魔人が反応を見せず、そのまま今もその五体はパレルモンの二ノ丸の大広間で突っ立ったままでいる。あとの魔人は、ネントスの期待通りの反応を見せ、第一関門は通過するに至った。それでもまだまだ将軍たちに魔人を披露する段階とは言えないので、ネントスは、城の大広間で極秘裏に自分の弟子と魔人の訓練を進めた。 その甲斐あって創造の儀式から三日目、魔人たちは、人間でも聞き分けられるある程度の命令なら、スムーズにこなせるようになったため、将軍たちへ披露する運びとなったのだ。ヌベルは、魔人の良好な反応をネントスの報告で知らされ、胸を撫で下ろした。彼は魔人が誕生したその早朝、ミデールに使者を送り挑戦状を叩きつけている。彼は急いていた。ウーンサリス大陸を一秒でも早く平定し、彼が従属させている領主に帝国の威信をみせつけ今後の領土経営をより盤石なものとしたいのだ。だからこそ一刻も早く魔人の強さを確かめ、安堵したかった。挑戦状に記された決戦の刻限は三日後、場所はハルコニア平原と定めた。ミデールとの戦いまでの期間、ネントスは、魔人たちをもっと洗練された軍団に仕上げるために、これまた彼の弟子たちとハルコニアの小さな丘で野営を張り、訓練を続けた。魔人は平原を駆け、跳躍し、誕生したての頃とは、まるで違う俊敏性をみせるようになり、ネントスや彼から報告を受けたヌベルを満足させた。が、魔人に活気が漲るのとは逆に、ネントスはそれまで魔人軍団の形成注力のためから疲労困憊の体となり、ミデールとの決戦が目の前に迫ったこの状況のときには、息も絶え絶えとなっていた。
「大丈夫か?」
ネントスの疲労の声と表情に気がついたヌベルが声をかける。
「わたしは大丈夫です……。それより陛下。いつ、いつ彼奴らに魔人の鉄槌を喰らわせたらよろしいでしょうか?」
ネントスはこけた頬をヌベルにむけながら尋ねた。魔人には、前もってめがける標的の存在は古代語で知らせてある。あとは一言、その者たちに向け、攻撃の命令を下すだけだ。
「まだだ。やつらが動きだしたのちだ。やつらが動き出した直後、魔人に突撃の号令をかける」
「御意」
それから帝国側の人間は、小高い丘から敵の動向を注視するに至った。同じく、バルロス、ミデール共同軍も、帝国がどう打って出てくるか様子を見ることで時を経過させていたが、やがてしびれを切らしたバルロス王が、後方のミデール王に出撃すると報告だけすまし、ほとんど独断のような形で自慢の鉄騎兵団を動かした。鉄騎兵団は、脇をしめ手に持つ長大な槍を地面に垂直に伸ばし、盾を構え、馬腹を蹴り突撃を開始した。その様子は、当然帝国陣営にも確認でき、敵軍が動いたのと同時に、ヌベル皇帝が大剣パゾスを鞘から抜き出した。パレルモン城でイラマス、マレンタスら、ゼーラの兵士たちを切った細身の剣は、非戦闘時に帯びる、いわば皇帝としての儀礼的な武器であった(魔法付加の効力は無いが、切れ味は抜群)が、戦場に赴くときは、この大剣を腰に収めることが通例となっていた。そして開戦の号令をかけるときにはその大剣を鞘から抜き、その剣先を敵に向けると同時に攻撃の合図を叫ぶのだ。
まさにこの時も、
「突撃ぃ!」
という皇帝の号令がハルコニアの平原に鳴り響いた。
ネントスはその声を聞き、古代語をすばやく魔人にむかってなげかけた。 さきほどまで身動き一つしていなかった魔人たちが突如咆哮し、丘を我先に駆け下り進撃してくる敵めがけ横一列に突進していく。
地鳴りがした。彼らが一歩進むたび大音響がし、緑の大地が削られ、土けむりが高く舞い上がる。かれら魔人に対するバルロス鉄騎兵団の特に最前衛は、遠目でその異常さにいち早く気がついたが、特攻を止めるわけにもいかず進撃を続けていた。が、敵の大きさが小指の先ぐらいの距離になったとき、彼らは示し合わせてもいないのに一斉に手綱を引き絞り、馬に停止の命令を与えた。騎乗の歴戦の勇士たちは、これまでに見たことのない存在が自分たちに迫りくるのを、勇気を振り絞って突破しようとは思わなかった。人間ともおもわれない巨漢、肌の色、それに走りながら彼らが手にしている大木、どれをとっても、リデン大陸でかれらが対抗した敵には見られなかった。いにしえにきく巨神族が眼前に突如現れたといってよく、彼らは恐怖のあまり手綱を引いた。馬は突然の命令にいななきながら足を棒にし急停止したが、かれらのすぐうしろを走行していた騎兵らは、予想外に出現した味方の壁をどうすることもできずただぶち当たり、あるものは馬から投げ出され、あるものは味方の背中を槍でついてしまったりと、バルロス軍は、敵と当たる前に大混乱をきたしたのだった。混乱を中軍まで拡げさせないために、前衛の鉄騎兵はすばやく動揺を収拾しようと手綱を右左と引っ張りもがいたが、そんな彼らの兜に影が覆いかぶさった。なんとか馬を制御しきり、一瞬あたりが薄暗くなったことに気がついた鉄騎兵の数人が、空を仰いだ。が、もう遅かった。彼らの頭上から魔人が降ってきた。そう、魔人たちは鉄騎兵と衝突する少し手前で次々と跳躍した。それは恐るべき跳躍で、もし鉄騎兵が魔人たちを目視したまま突撃を敢行していたなら、突然敵が消えたと錯覚したかもしれないぐらい魔人は瞬時に空へ飛んでいた。それが鉄騎兵の頭上から空を引き裂きながら横一直線に落下してきた。鉄騎兵は魔人の下敷きとなり、踏まれたほとんどの者がかれらの足の下で絶命した。魔人たちは攻撃の手を止めない。かれらは着地したあと、手にしているこん棒を素早く真横になぎ払い、周囲にいた鉄騎兵を馬もろともふっ飛ばし、新たな敵を求め、敵中めがけ走り出した。
魔人の猛攻がはじまった。かれらはネントスの命令を果たそうと、生ある者を目にするや、それらのことごとくを、叩き、蹴り、ねじ伏せ、敵軍を殲滅するためにめまぐるしく動き回った。
その様子を小高い丘で見ているヌベル始め、帝国の諸将は息を飲んだ。敵の先鋒部隊が衣服のように空中に舞い上がっているのが、距離が離れた丘の場所でもわかったからだった。グレートスに至っては、諸将らの後方から冷然と魔人の力量確かめようと腕を組んで拝見していたのにも関わらず、いつの間にやら一人の将軍が乗る馬の尻を強引に肘で押しのけ、諸将の先頭で魔人の力を口を真一文字にし食い入るように見つめていた。グレートスは、敵の兵科を開戦前に魔竜を駆り上空から物見している。敵の前衛は、鎧に身を固めた重量騎士団のはずだった。もっといえば馬にも防御のためか、全身に鎧らしき物を着用させていた。それをあいつらは軽々と空中へ飛ばしている。グレートスは、他の将軍よりも戦慄していた。自分でもあんな芸当はできない。――いや、できる。今でこそ、竜騎兵として竜を上空から操り敵を翻弄または攻撃し、他国に恐れられたグレートスだったが、彼単体の力も、つわものヌベルにも決して引けを取らない。剣、斧、槍とどんな武器でも達人の腕があったが、なかでも槍の使い手として竜騎兵となる前は敵に畏怖されていた。戦場を徒歩で進軍し敵を見つけるや、敵兵の腹に穂先を突き、そのまま槍を振り上げ、敵兵を空中に飛ばすということもやっていた。だがあの魔人たちのように一息も入れず縦横無尽に動きまわるなんてこと、昔の自分はともかく今もできるであろうか? グレートスは自信が無い。グレートスはもっと間近で戦いの様子を確かめたくなった。彼は離れてとめてある竜の元に急いだ。グレートスの動きにすぐさま反応したヌベルが馬をめぐらし振り返る。「グレートス、よせ! 今日は、戦いを見るだけだぞ!」
ヌベルが声をかけた時、グレートスは竜に跨っていた。
「手は出さない。上から見るだけだ」
そう言うとグレートスは片手で手綱を握り、竜の硬い背を二、三度軽く叩いた。竜が翼を広げ、羽ばたいた。風が起き、ヌベルは目を細める。
グレートスが操る魔竜は、雲ひとつない青い空へと垂直に上昇し、ある程度の高度まであがるとそこから一直線に魔人と鉄騎兵が交戦する戦場へと赴く。交戦と記したが、魔人が一方的に鉄騎兵を追い立てていると表現した方が合っている。鉄騎兵は逃げまどい、もはや、戦いの体をなしていない。グレートスが戦場の上空に到着した時には、勝負はほとんど決していた。バルロスの兵は、我先と戦場から逃げようとしていて、総崩れとなるのも時間の問題だった。
実際そうなった。バルロス王は退却しないよう兵士を叱咤したが、もう統制はとれなかった。バルロス王も自軍の兵に紛れ逃亡し、中軍に配置されていたミデールの重装歩兵もバルロス兵に流されるように退去し、最後尾に陣取るミデール王も、前方から殺到する味方に呑みこまれる形となり、結果、ミデール、バルロス混合軍は、ハルコニア平原から全軍撤退した。魔人たちは追撃しなかった。馬をとばし、魔人たちが暴れ回る場所まで辿りついたネントスによって、その命令を受けたからだった。さきほどまで荒れ狂わんばかりに戦場を疾駆していた魔人は、命令を聞くやその場で停止した。さきほどまで、ハルコニアにはびこっていた緑草は、魔人と鉄騎兵が合いまみえた場所に限って土が掘り返され茶色と化しその風景を一変させていた。その場へ、ヌベル率いる帝国の将校が、現状把握のために馬を走らせ集結した。見渡せば、目も覆いたくなるほどの惨状だった。人か馬か判断できない肉片が辺りに飛び散り、大量の血痕があちらこちらに大地にこびりつき、幾多の戦場を駆け抜けてきた諸将たちも過去このような凄惨な光景を見たことがなかったので、ただただ唖然とするしかなかった。
魔人たちは、停止命令が出された直後は、その場に立ち尽くし、平原に吹く涼やかな風に身をさらしていたが、ネントスから一つの場に集まるよう指示されると、おとなしくネントスの前に整列した。ほとんどの魔人が、唯一の武器である棍棒を手にしていなかった。実戦の最中、敵を一撃した際砕けたり、又は意に介さず手放したりしたのだが、しかしそれでも魔人たちは武器が無くなっても特に迷うことなく己の肉体を駆使し戦っていた。諸将は、今回の武勲の一等であるそんな魔人たちを騎乗からまざまざと見た。不思議なことにあれだけの激戦を繰り広げた魔人たちだが、彼らの体にはかすり傷一つついていない。魔人の超人的な力が敵の攻撃を俊敏に避けた結果とも思われたが、腑に落ちない将軍の一人が、ネントスにその疑問を質した。
「魔人には、驚異的な再生能力があるのです」
確かにそうだった。
ヌベルがウーンサリス大陸を制覇すべく快進撃を続けていた途上の時期にネントスはその勢力に属し、帝国がいとも簡単に占領したある国の宝物庫で意味深な古文書を発見した。それこそが、魔法使い、とくに魔法生物に携わっている者にすれば垂涎の書、魔人創造が記された古文書だった。その古文書に記載されている文字は、ウーンサリスと海を介して存在するリデン大陸南にあるダーンクラム言語学院で教えを受けたネントスでも容易に読解できるものではなかったのだが、魔人創造に関することが記されているということがなんとなくわかったネントスは狂喜した。ちなみにダーンクラム言語学院は、リデン大陸の秀才が集まる権威ある学舎で、入学することも困難を極めたが、卒業するにはさらなる辛苦を重ねなくてはいけない。ネントスが学んだ同時期にイルーンも先輩学生として在学していた。それはさておき、その言語学院を首席で卒業し、あらゆる言語に精通したネントスでも魔人創造のことが印された古文書の古代語を完璧に訳すとなると骨が折れることだったのだが、弟子の協力もあり、苦心の末、古文書の解読に成功した。しかし実際に呪文を詠唱し魔人を創るとなるとこれまた壁がたちふさがり、幾多の失敗が待ち受けていた。古文書には、魔人創造のためには器が必要で、それに適するのは強靭な肉体と記してあった。だからネントスはまず体力ありげな亜人種一体を利用し魔人を創造した。が、誕生した魔人は、ネントスが発する古代語に理解を示さず床から起き上がることはなかった。魔人創造は失敗だった。だがネントスは、その「失敗作」を丹念に調べようとした。探究心から失敗作の内部の構造を確かめたいと解剖のため皮膚にメスを入れた。 ところが切った皮膚が、みるみるうちに閉じていくではないか。何度も魔人の皮膚を切り刻むが、結果は全て同じだった。初めての魔人創造は失敗に終わったが、ネントスは、魔人が完成すれば無敵の兵団になると喜色を浮かべた。その喜色を今またネントスはハルコニアの大平原であらわしていた。疲労のせいか、笑顔はひきつり不気味に見えたが、ネントスは大満足だった。
「見事だ、ネントス。予想以上の戦果だ」
ヌベルが馬を寄せねぎらった。
「ありがとうございます」
「一旦パレルモンに戻り、しばし休息し、軍勢を整えたのちに魔人軍団を先陣としてミデールに総攻撃をしかける。ネントスもそれまでできるかぎり体をやすめよ」
「私は今からでもミデールへとと考えておりました」
「はっはっは、無理をするな。疲労が顔に出ているぞ。さあ、パレルモンへ戻ろうぞ」
馬をめぐらし、馬蹄をならしながらヌベルはその場を去っていく。諸将らもその後に続く。ネントスも魔人に自分についてくるようにと古代語で命令し、ヌベルを追いかけようと手綱を引き、馬首をめぐらした。ネントスの視線は自然と空へ向けられる。そこには一足先にパレルモンへ引き上げるグレートスと魔竜の姿があった。彼は戦いが終わっても戦場には降り立たず、上空を数回旋回したのちそのままパレルモンへと竜をとばしていた。幾分竜の飛翔が弱く感じられたのは、自分の疲労から視点が定まらないからそう見えたのかどうなのか、そんなことを考えながらネントスは馬に鞭を鳴らした。