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 この時期のカフィラスは暑い。いや熱い。この地は元々平地が多いウーンサリスの東南部では珍しく街の周囲が山とまでは言わないほどの隆起した大地に囲まれており、カフィラスの南西にある海から吹く暖かい風が盆地の窪みに溜まり、それに加え日中の強い日射しがカフィラスを照らしつけ、街を熱くする。しかしなぜカフィラスに暮らす人たちはここに居続けるのか? もちろん理由はあった。それはこの街の下に眠る地下水が暑さによる喉の渇きを潤すからであって、それがあればこそ街の住人は、ここで生活できたのである。井戸を掘れば、水がなみなみと溢れ出て、一時は、街のあちこちが水を求める住民たちで掘り返され、カフィラスは穴だらけになったこともあった。だが、地下水をくみ上げすぎたためか、カフィラスの北部で地面が突然陥没し数名の死者が出る事態が発生。それを受けカフィラスでは、井戸掘りに規制をかけ、それを破った者には、重罰を与えた。

 だが、水が豊富にあるといってもやはり街は暑いし、熱い。特にカフィラスの中心部にある繁華街は、いつも人でごったがえしており、縦横に張り巡らされた道という道は、人々の往来で埋め尽くされており、より熱気が高く感じられた。

 この日も例に漏れず繁華街は賑やかで、あちらこちらで商人の掛け声や、住人の話声で街の中心は喧騒に包まれていた。だが、街の中心から東部に位置するズーマ地区――カフィラスの三人の代表者の一人であるアンゼが仕切る区域にある「清風亭」という宿屋兼酒場の前を横切る一本道は異様な静けさが漂っていた。さっきまでこの道を往来していた人たちは、体を小さくして道の両側に身を移して立ち止り、道の真ん中には空間ができた。その空間を、悠々と歩く集団があった。

 サーガルの魔剣士団の一隊だった。

 総勢五名、逆三角形の配置で歩く先頭は、このカフィラスではあまり見かけない白い肌を持つ団長サーガルだった。魔剣士全員、揃いの黒革の鎧を着用しており、腰には黒光りした鞘に収まっている細身の剣を携帯。足元は黒の革靴を着用し、まさに全身黒ずくめの集団が往来を闊歩していた。目的はもちろん街の巡邏。サーガルは約二百いるこの集団を二十の隊に分け、さらにその隊を半分にし(これを班と呼ぶ)、各班に巡察の地域を割り当て昼と夜の区別なく街のあちこちを見張らせるようにした。魔剣士たちの休日は十日に一度。その休日でも魔剣士たちは、自分たちが寝泊まりする宿舎に設けられた訓練場で、稽古に励んだりしていた。ほとんど気の休まることのない毎日だったのだが、魔剣士たちは、日々の習練で鍛えた精神力で己に屈せず淡々と自分に課せられた任務を遂行していた。

 任務――それはカフィラスに潜む不穏分子を取り締まること。具体的にいえばそれは、カフィラスの三代表周辺の動向に重点を置き目を光らせることだった。この日も、アンゼが直接経営しているのではと噂される清風亭の前を通りがかり、自分たちの姿を見せることで、いつもおまえたちを見張っているぞと無言の圧力をかけていたのだ。その一方、魔剣士団には、十名ほどの別働隊ともいうべき隠密の集団が存在しており、彼らは剣も帯びず、市民に紛れて、いたるところに散らばり街の様子を探偵し、帝国軍として見過ごせない情報を五感を研ぎ澄まし採取しようとしていた。

 今もまさしくその清風亭の前を歩きながら魔剣士団は右へ左へ視線を流し、怪しい人物がいないか目を配っている。怪しい人物と一言でいっても、表を往来している街の人たちの殆どは、ただの一般市民だったので別に悪いことを企むとか、実行しようとしているわけではなかったのに、魔剣士団からの追及の視線を受けると、妙にそわそわとする。だからか、魔剣士団の視線から逃れるため、他人の影にごく自然に入って身を隠したり、わけもなく空を見上げたりする者もいた。その空を何気なく見上げた一人の街の男が、青空に浮かぶ一つの黒点を目にした。

 「――あれなんだ?」

 男がそう呟いた時、丁度魔剣士たちが男の背後から彼を追い抜く形でその横を通りかかった。

 最後尾を歩いていた一人の魔剣士がその言葉を拾い、斜め上をむく男の横顔を捉え、自然に男の視線の先を追いかけた。

 なにかが浮遊していた。魔剣士は立ち止り、浮遊物の正体を見極めようとした。

 立ち止った魔剣士に感づいた他の魔剣士たちも歩みを止め、何事かと振り返る。

 後ろで魔剣士――名はキセンリ――が顎をあげ空を見上げている。

 「どうしたキセンリ?」

 他の魔剣士が、訝しげにキセンリに声をかけた。その声で先頭を歩いていたサーガルもようやく部下の立ち止りに気が付き、足を止め背後を確認した。その拍子に腰まで伸びる彼の長い髪が、風の力も手伝って半円に軌道を描き、腰へと再び落ち着いた。彼の髪の毛は、よくみれば僅かに赤みを帯びていることがわかる。一説によると、今までの斬った相手の返り血が髪に付着し、それが沁み込み、そのせいで髪の毛を変色させたと言われていた。

 それはともかく、剣を振るえば悪魔と恐れられるサーガルだったが、非戦闘時の彼は、至って物静かで言葉数も少ない。この時も振り返り、空を見上げる部下をみても、

 ――どうかしたのか?

 とも尋ねず、切れ長の目を部下たちに向けるだけで終始している。

 キセンリは相変わらず空の一点を凝視したままだ。

 「あれは……」

 黒点は先ほどより大きくなっている。もうキセンリは黒点が何か理解した。

 前方でこちら見つめるサーガルにキセンリは駆け寄った。

 「団長、あれをご覧ください!」

 キセンリは空に人さし指をむける。

 サーガルは、指の延長線上を目で捉えようと、ゆっくり首を動かす。

 「…………」

 「おわかりになりましたか? あれは竜です。しかも良く見ればだれか騎乗しているようです。方角から考えて、ランシルから飛び立ったグレートスさまの魔竜団の内の一騎がこちらに向かって来ているのでしょう。まさかミデールとの戦いがもう決し、戦勝報告を携えてランシルを飛び立ったのでしょうか?」

 カフィラスに駐留する魔剣士団は、グレートスがヌベルの方針に反発し、戦場離脱したことを知らない。当然最終決戦地、ランシルに魔竜軍団も従軍していると思っている。その地から竜がやってきたとキセンリが思い込むのはごく自然なことだった。

 「…………」

 サーガルは黙ったまま、こちらに向かいつつある竜を見据えている。

 「……」

 キセンリは、無言で空を見上げる直属の上司の反応を待つ。キセンリ及び、魔剣士団たちは、サーガルの無口には慣れている。必要最低限のことだけしか喋らないサーガルに対してなぜ無口なのかと問いただした人物がいないので、誰も彼の心中をわかりかねたが、組織としての魔剣士団には、行動指示を的確に与えてくれるので、部下たちとしてはなんの支障もなかった。魔剣士たちはその指示を待ち、指示が出れば、忠実に命令を実行する。それだけだった。

 「――二人いる……」

 「えっ?」

 「竜の背に二人乗っている」

 サーガルにそう言われてキセンリは、目を細めもう一度竜の姿を確認した。だが、騎乗の主がいることはなんとなくわかったのだが、一人なのか二人なのかは判別できなかった。

 「まさかあれは、グレートス殿?」

 サーガルの表情が一変した。竜を操っているのは、グレートスなのか?  サーガルは、目を凝らし竜の操縦者を確認する。

 「間違いない、グレートス殿だ……」

 サーガルは沈思する。ランシルからの伝令に将軍級、しかもヌベル帝国皇帝に次ぐ階級であろうグレートスが直々にカフィラスに向かってくるとは考えられないことだった。

 (なにかあったのか?)

 サーガルの全身に緊張が走った。竜の行き先はどうやら、魔剣士団の拠点である宿舎のようだ。

 「方向、高度から推察するに、竜の着地地点は、我らが寝起きする宿舎だろう。――すぐに戻るぞ!」

 サーガルは身をひるがえし、来た道を急いで取って返す。キセンリたちは、サーガルの突然の行動に面食らったが、すぐさまあるじの背中を慌てて追いかける。道の両側でその様子を見ていた通行人は、呆気にとられ彼らの行方を見送っていた。魔剣士団の姿は、彼らが巻きあげる砂埃ですぐにかき消されていた。




 サーガルは、口を真一文字に結び走り続ける。

 (なにかあったのだ……)

 サーガルたち魔剣士団のカフィラスにおいての根拠地は、街の中心からかなり離れた郊外にあった。街を見下ろす丘の頂上部をならしその上に建てられた宿舎は急造され、木造二階建ての本館と、別館の二棟が平らになった敷地内に縦になって並んでおり、それらは十日ほどで完成した。その周囲にはこれまた木の板で出来た簡易の防壁が備えられ、その中で二百人の魔剣士と二十名程の一般兵、それに魔法使いソペリウと彼の部下数人が寝起きしている。

 その宿舎に到着するため、サーガルは走る。一行が繁華街を通り抜けた頃、彼らの頭上に影がさした。影に反応して、サーガルを除く魔剣士団は走りながら真上を見上げた。そこには自分たちを追い抜いていく竜の腹が確認できた。

 サーガルは、真っ直ぐ見据えて走っていたが、空の上から自分たちを追い抜いていく竜の姿が視界に入った時、目を見開いた。離れゆく竜の背中の上に、こちらを振り向く皇帝ヌベルの姿が確認できたからだった。

 「陛下!」

 思わず、叫んでしまった。

 ヌベルは振り向いたまま、ある方向を指さし、サーガルに背を向けた。その方向には宿舎がある。サーガルに宿舎で落ち合おうと合図したのだろう。

 (なぜだ? なぜ陛下が自らこのカフィラスに……)

 考えても明瞭な答えは出てきやしない。サーガルは走ることだけに集中した。

 竜の速度はやはりはやく、あっという間にサーガルたちの遥か先へと進んでいった。

 サーガルがカフィラスの住宅街を走り抜けた時には、彼と部下の間にも距離ができており、そのままサーガルは単独先行で丘の下まで辿りついた。そこから宿舎まで一直線に伸びる長い石段が造設されていたのだが、サーガルはそれを一息もつかず駆けあがった。

 階段を上り切ると、少し先に門が見え、いつもならその両脇には番兵が一名ずつ見張りについているのだが、この時は、門の前に五、六人の兵士がたむろしていた。

 そのうちの一人がたった今、石段を登ってきたサーガルを見つけるやいなや、彼のもとへ駆け寄ってきた。

 「サーガルさま! さきほど、さきほど、陛下とグレートスさまが、こ、こちらにお見えになられました。陛下は、団長がもう間もなくここに到着するから、到着次第、団長だけを訓練場に呼んでくれとおっしゃっていま――」

 兵の話が結ばれる前にサーガルは動いていた。行先はもちろん訓練場。

 訓練場は、本館と別館の間に設けられた広場で、別段、訓練のための器材があるわけでもなく、ただ単に、砂地で出来た空間が存在しているだけのものであった。

 サーガルは、本館と外部を囲む木製の防壁の間を走り、訓練場へと急いだ。すぐに空間がひらける。訓練場に到着したのだ。白い砂が日光に照らされ、その反射光がサーガルの目をを襲い一瞬視力を奪われたが、すぐに景色を確認することができた。訓練場でまず目を引いたのが、その中央に居座る竜だった。竜のすぐ傍に人影が二つ。ヌベルとグレートスだろう。

 サーガルは、訓練場中央へ急いだ。

 「陛下!」

 サーガルはヌベルの足元に駆け寄るとすぐさま地面に片膝をつけひざまづいた。

 「陛下、一体どうなされたのですか?」

 おもてを上げ、サーガルは尋ねる。

 「非常事態だ、サーガル」

 ヌベルはサーガルを見下ろし答える。サーガルからはヌベルの立つ場所が逆光の位置だったので表情が見えなかったのだが、声の感じだけでそれを想像することはできた。喜怒哀楽もない無表情に違いない。声にまったく精気が感じられなかったから。

 「――非常事態……」

 サーガルは、ヌベルが発した非常事態の中身を考えるがなにも思い浮かばない。もちろん非常事態の対象は帝国を指しているのだろう。帝国になんの非常事態が起きるのか? もう大陸制覇まですぐそこまでと迫っていたヌベル帝国になんの落とし穴があるのか? 考えても明確な答えなど導き出せそうにない。

 「ソペリウは今ここにいるのか?」

 「いえ、確か彼は今、三代表との会談のため、街へ赴いており不在のはずです」

 「そうか……」

 「すぐに使者を街にやりましょうか?」

 「いや……」

 ヌベルはそう言うと目を瞑った。

 「少し休みたい。ソペリウが戻って来るまで、おまえたちの宿舎でわたしとグレートスは仮眠をとる」

 「なっ! こんなむさ苦しい宿舎に、陛下とグレートス殿を休ませるわけにはいきません。街へ行けば、設備の整った宿屋もあります」

 「ここで構わんから、すぐに場所を提供してくれ」

 これはグレートスの言葉だった。

 「相変わらず実直だなおまえ」

 グレートスは笑みを浮かべた。彼はこの生真面目な魔剣士が好きだった。この膝を地につけ仰々しくヌベルに対するのは、サーガルだけだ。ヌベルは、起立の姿勢でよいと何度も呆れ気味に言ったのだが、彼はその姿勢を通す。

 「グレートスの言う通りだ。仮眠をとる場所などどこでも良い。案内してくれ」

 さすがにヌベルもグレートスも疲れていた。かれらは別に隠していたわけではないのだが、実は亜人種だった。顔色が少し青白い以外は人間とあまり変わらず、だれもその事実を知る由もなかったが、能力としては、人間と違う部分があった。グレートスのように人間と比べて怪力を持つ者がいたり、耳がよく利く者がいたりと個人差もあったが、共通して持ち合わせている能力として、三日ほど飲まず食わずでも通常の力を出せ、その間不眠でも平気だということがあった。だからこそかれら二人は、ヌベル帝国建国以前――少数で多勢を相手にしていた時代――の食糧が乏しく、劣悪な環境だったときでも、常に戦場では先陣に立ち、人間離れした戦闘を行い、その姿を見た味方は勢いづき勝利してこられたのだ。

 そんな彼らも休みたかった。魔人がこのカフィラスを襲撃してくるかは不明だったが、もしものことを考えて早急に防衛策を立てる必要はあった。が、今は休息のときだ。ヌベルに至っては、魔人ゼーラとの一騎打ちのとき落馬した打撲のせいで肉体的苦痛もあったのだが、それよりも、精神的疲労を和らげるため心身からだを休めたかった。寝床に横たわり、頭を一瞬でも空っぽにし気分を落ちつけたかった。

 ヌベルに促されたサーガルは、すぐさま立ち上がり、ヌベルたちを宿舎まで先導した。グレートスの竜も翼をとじたまま、彼らのあとに後ろ足をそろえてドシドシはねながらついてくる。

 しばらくすると、訓練場は静かになった。

 整地された白い砂地には、竜の爪痕だけがくっきり残った。


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