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 とても長い夜があけた。本当に長かった。魔人たちの誰一人として眠ることができず、ただいたずらに夜が明けるのを待っていた。睡魔など誰にも訪れなかった。なにもしないまま時間の経過を待つということは、魔人たちの精神を蝕んだ。肉体的疲労はないが、精神的に今回の一夜は、こたえた。だが、いずれ眠ることができるだろう。陽が昇るにつれ、彼らの心境も周囲の明るさと同じように晴ればれとしてくる。良い風に考えるようになってくる。今は魔人としての体に慣れていないだけで、いずれは人間としての習慣が魔人の体を支配していくと、ゼーラの部下たちは、何の根拠もない予測を立て、辺りにいる仲間と楽観しながら喋っていた。

 ゼーラも部下の話声を、陽が昇るにつれ明暗が移り変わっていく砦周辺の地形を眺めながら聞いていた。陽のもとで砦の周辺の大地を見れば、思ったより緑が目立ち、さらに視線をのばすと、陽が昇ってきた方角には、緑の葉を付けた樹々が広々と茂っており、それがどうやら森とわかった。

 現在の陽の位置からすると、目指すパレルモンの方角は、その森を突っ切って行かなければならない。

 「だれか、パレルモンからランシルの行軍中にああいう森を通った記憶のある者いないか?」

 ゼーラは、森の方を指さし部下に尋ねる。

 部下たちは、お互いの顔を見合わせ思い返すが、彼らの中でランシル討伐のための移動で森を通った記憶を有している者はいなかった。

 「だれもいないようです」

 クレムが部下を代表してゼーラに告げた。

 「そうか……」

 ゼーラは腰を上げ、

 「全員集合してくれ!」

 と部下を自分の周りに集める。

 部下が集まるとゼーラは口をひらいた。

 「陽の位置からすると、目下の目標はあの森を走り抜けることだ。なにぶん、現在われわれはあてもなくパレルモンを目指しているが、昨日さくじつのわれらの走力を鑑みれば、走る方角が合っていればもう今夜中にもパレルモンへ到着するかもしれないとわたしは予測している」

 予測というよりゼーラにとっては希望だったのだが、とにかく部下たちにはそう説明した。

 「われらは、疲労も空腹も感じず、睡魔に襲われることもない。これらがいいこととは思わないが、今はそれを深く考えず、この能力を活かし、目先の任務を達成することだけを考えよう。よいな皆の者。今日も走って走って走りまくるぞ」

 部下の魔人たちは、「おぉお!」とときの声を上げた。

 「いくぞ!」

 ゼーラは叫び、斜面を駆け下りていく。部下もゼーラに続く。




 ゼーラ隊はすぐに森に到達し、樹々を避けながら巧みに走る。しかし森での走行は、さすがに速度が落ちる。

 樹を避けたと思った瞬間、次の樹が出現し、それに衝突する。大地に伸びる剥き出しの根っこに足を取られ転倒しそうになる。そうなる者が続出したため、ゼーラも速度を落とし障害を回避せざるを得なかった。

 しかしそれでも、人間がこの森を走破しようと思えば、一日以上を費やすことになっただろうが、魔人たちは、陽が空の真上に昇った頃には、森を抜けつつあった。

 その頃、前方の樹々の間から、煌めく光が目に届いていることに先頭を走るゼーラは気が付きはじめていた。

 目がおかしいのかと、彼は、目を細め焦点を合わせようとするが、輝きはおさまらない。

 ゼーラは、背後に続く部下にむけて、手で「徐行」を意味する合図を出した。部下たちは走る速度を落とす。

 「あれは……」

 そう言うと、ゼーラは早歩きほどの速さになり、やがて足を止めた。部下たちもそれにならう。

 前方に樹々はもう少なく、森を走破したことになったのだが、樹のかわりにゼーラたちの目の前に現れたのは、海――

 「えぇえっ?」

 ゼーラのすぐ後ろに立っていたクレムが驚きの声を上げた。

 その驚きの声は、ゼーラ隊全員に浸透していく。

 「……海がなぜここに?」

 ある部下が口にした。

 そうなのだ。いくらミデール周辺の地理に疎い彼らでも、ランシルからパレルモンの行程に海が見えるという状況がありえないということぐらいは知っている。その海が目の前にある。

 「ゼーラさま……」

 クレムが茫然と立ち尽くすゼーラの背中に声をかける。

 ゼーラはクレムを無視し、歩みを進めた。樹の影から出て、独り、明るみに姿をさらした。間違いなく海だった。ゼーラが立つ場所からほんの少し先に崖があり、その先には大海原が広がっている。

 崖に打ちつける波音を聞きながら、ゼーラは、陽に照らされた煌めく海を眺めている。ゼーラの故郷キルスはウーンサリス大陸の中央部に位置し、の地は山に囲まれており海がなかった。自然、海を見る機会がこの時のこれまでなかったゼーラにとっては、パレルモンから大いに外れてしまったのであろう現実より、海がもたらしてくれる心地よさの方に魅了されていた。それは他の魔人たちも同様で、彼らのほとんどがキルス出身者で海を見たことが無い。部下たちも森を抜け、燦々と降り注ぐ日光の下で立つゼーラのすぐ傍まで近寄り、彼らも大海原の迫力を堪能していた。

 だが、隊の長としての任務を思い出したゼーラは、部下の方を振り返り、自分の意見を述べる。

 「みんなすまない。ご覧の通り、わたしが進むべき道を誤ったため、目にするはずもない海に出くわしてしまった」

 ゼーラは森を走っている最中のどこかの段階で陽の正確な位置を見誤っていた。頭上には陽を遮る樹々に茂る葉っぱの影。陽の位置など殆ど確認せずに走っていた。だがとにかく走った。走ればいずれ森を突破できると、根拠のない盲信を胸に走り続けた。そしてその結果、海に到達してしまった。これにより、ランシルからパレルモンを結ぶ最短の道より、相当西に進路をとり走行していたことがわかる。ミデールのランシルから真西へと進むと大海が待ち受けており、ゼーラたちが辿りついた場所は、それよりは北に位置にしていたが、パレルモンから大いに外れてしまっていた。

 「しかしゼーラさま、これで、海岸線という確かな目印を得ることができました。このままこの海岸を北上すれば、パレルモンはおろか、ダルケンオに近い、海上都市マサリオに着くことは確実です」

 この発言は、クレムのものである。彼が言う海上都市マサリオは、ダルケンオ南西のヒューン半島を覆い尽くすように建てられた青い瓦で有名な家屋が並ぶ、漁業が盛んな街の名だった。

 ゼーラも、マサリオという街名は聞き知っていたので、そういえばと思い返す。しかし――

 「しかし、ここがどこだか確証は不明だが、それにしたって、ミデール領を越えたかどうかわからない地点だぞ。そんなところからマサリオに向かうとなると、何十日も走ることは覚悟しないといけない」

 ゼーラは、クレムに眼差しを送る。

 「それはもとより、では?」

 クレムは微笑する。クレムが微笑したことはゼーラにもわかった。魔人となった相手を集中してみれば、表情から感情が何となくではあるがわかるようになってきた。

 「そういえばそうだな……」

 ゼーラも笑った。

 「この中で、これまでに海を見たものは?」

 ゼーラは部下たちに質問した。だが、誰からも見たという答えは返ってこなかった。

 「そうかいないか。――当初の予定を変更し、パレルモンを目指すことはあきらめ、この海岸線を沿って走り、マサリオに向かうこととする。マサリオにむかう間にも、いくつかの港町を目にするかもしれないが、そのときはそのときの考えで行動したいと思う。とにかく当面の目標地はマサリオだ。これからはわれらにとって目新しい海を見ながらの走行となる。そのあいだ、存分にこの大海原を網膜に焼きつけながら走ろうではないか。――では、いくぞ!」

 ゼーラ一行は、再び走り始めた。

 海からは心地よい潮風が流れ、それは、走るゼーラたちの鼻腔と皮膚を心地よく刺激しているはずだったが、彼らは、その恩恵にあずかることができないでいた。彼らは、皮膚の感覚は鈍っていることには感づいていたが、嗅覚までもが、鈍化しているとはまだこの時点では気付いていなかった。彼らは潮の香りを知らないまま走る。




 ゼーラたちが海岸線を北上し始めた頃、パレルモンではヌベルを中心に軍議が行われていた。通常行軍なら四日かかるところをヌベルとグレートスは不眠で空を移動し、一日で、パレルモンに到着した。空の上での二人は、お互いの心情を吐露したあとは、しばらく無言を通し、竜もグレートスの手綱からどういった刺激もなかったので、ただ翼を動かし飛行しているだけだった。

 だが日没間際、

 「――パレルモンへ頼む」

 とヌベルがグレートスの背へ一言投げかけた。

 グレートスはなにも応えず、しかし、落日の陽を受け薄らと浮かびあがるキュシュ山を確認し、その位置から大体のパレルモンの方角を導き出し、そちらへと竜を軌道修正した。

 その後、グレートスはヌベルから、イルーンとネントスが死亡したことを聞いた。

 そのことにも返答せず、口を噤んだままのグレートスだったが、内心ではかなり動揺していた。ネントスの死亡はともかく、イルーンの死が帝国にもたらす影響は計り知れないものがあると、グレートスですら理解できた。

 グレートスは竜をパレルモンへと急がせた。彼は夜間も、北天に浮かぶ不動の星を目印に目的地を見失うことなく竜を飛行させることができたので、竜の翼を休ませるため、小休止を二度挟みはしたが、それ以外は、移動に全時間を費やした。

 パレルモンへ着き、ヌベルとグレートスは、休息することなくパレルモンに残る諸将と、今後の魔人の対策についてすぐさま検討した。しかしパレルモンには、諸将と呼ばれる、将軍級の人物はたったの一人しかいなかった。 最終決戦であるミデールとの戦いを、印象深いものにしたかったヌベルは、パレルモンに残す兵を最小限とし、ほぼ全軍をランシルへと集結させ、戦勝のあかつきには、まずはランシルに集まった軍勢の前で式典の形式でウーンサリス大陸統一を宣言し、終戦を大々的に謳いたかった。それはヌベル自身にとってもウーンサリスでの戦いの終息を意味し、彼も兵と一緒に戦闘の終結を分かち合いたかったのだ。だが、その行事は魔人の反逆によって頓挫し実行されなかった。

 今はその魔人の対策を講じなければならなくなっている。ヌベル、グレートス、そして、パレルモンの留守を預かっていた将軍三人は、真上から降り注ぐあたたかい日光の下の城の中庭で、立ったまま論議を交わしていた。

 その話し合いの中で、ヌベルはすぐにパレルモンを放棄し、前線を下げることを決断した。できればランシルから散り散りになって逃げ帰ってくる味方の兵をパレルモンで収拾してから前線を下げたかったが、彼らが戻ってくるのには、まだまだ時間がかかる。城に逃げ帰ってくる彼らを救いたいという情を多分に持ち合わせていたヌベルだったが、一方で、このときは一国の将としての決断を冷静に執行させようとしていた。

 ヌベルとしては、パレルモンから騎馬で二日はかかる商業都市カフィラスまで一刻も早く後退したかった。

 そこにはサーガル率いる魔剣士団二百が駐屯していた。カフィラスはイルーンが生前、パレルモン、ミデールを含む、南東方面をしきる重要都市として位置付けた場所だった。大陸の南東地帯は街道も余り整備されておらず、従って、物の流通が滞った地域だった。しかしカフィラスは、南北と西に街道が整備され伸びており、商品の取引が盛んだったので、イルーンは、このカフィラスから、パレルモン、ミデールへと続く街道を整備し、南東方面の活性をはかろうとしていたのだった。カフィラスは、ヌベル帝国が滅ぼした、ピエスール王国の一都市だった。だが、カフィラスは、ピエスール王家が配慮するほどに隆盛を極め成長し、遡ること十年ほどまえから殆ど自治都市として独立した街運営を行い、街の外周に濠をほり、表ざたに発表していないが、街に独自の兵を配備し、その者たちに最新の装備(約五百の兵に鋼の武具一式)を整えた。それは、王国を完全に無視した行為だったが、しかし王国側としても、カフィラスがもたらす経済効果の余波が多少はあったので、見て見ぬふりをしていた。そういう状態がしばらく続いた頃、ヌベル帝国がピエスールへ侵攻してきた。カフィラスは帝国に真っ先に恭順の意を示し、自慢の兵の矛先をピエスールにむけ敵国に加勢したのだった。帝国側としても、カフィラスの商業力を今後の帝国に活かそうとしており、街の温存を戦略の中で位置付けていたので、カフィラスの予想外の行動を歓迎した。だからカフィラスの街は戦火に見舞われることなく、現状を保ったのだった。

 だが、やはり帝国陣営にしてみればカフィラスの意向は不気味だった。カフィラスには三人の代表者がおり、街の運営は彼らの合議制で行われていた。その三人の存在を疎ましく思う一方、当時の帝国には、その合議制を解体してまで街の運営に乗り出す力も時間もなかったので、大陸を統一したあとじっくりとカフィラスを掌握しようと考えていた。その統一までの間を、サーガル魔剣士団に表面上は治安維持と称し街を巡察させ、しかし駐屯の実体は、三人の代表が不穏な行動に出ないか見張っていたのだった。実際、サーガル魔剣士団には、ヌベルから直々に、三人の代表を含む不逞人物の殺傷行為が認められていた。三人が帝国に表だって反逆するとは考えられなかったが、パレルモンおよびミデール掃討戦の間、彼らが私兵を使い反旗を翻すことは重々予測できたことだった。ともかく、そのカフィラスで、ヌベルは魔人を迎え討とうと考えた。魔人が、カフィラスを襲撃してくることは、絶対ではなかったが、それでもパレルモン城は先の帝国軍との戦いで防衛能力は半減以下となってしまったので、パレルモンで戦うことは選択肢に元々入っていなかった。ヌベルは、イルーンと戦場で共に過ごす時間が多かった。 その時間の中でヌベルは、イルーンから直接教えを受けたわけでなかったのだが、戦略の何たるかを無意識に学んでいた。このときは、魔人を迎え撃つならカフィラスがうってつけと考えたのだ。カフィラスは、中央部に商店が密集して建ち並び、その周囲に民家が数多く点在していた。魔人とその場所で戦えたなら自分たちにも勝機はあるとヌベルは考えていた。まず街には建物が多く建っており、その遮蔽物に身を潜め、魔人が近づけば不意に躍り出て、魔人の首を刎ね飛ばす。いわゆるヌベルは市街戦に持ち込もうとしていたのだ。

 市街戦なら魔人の突進も建物が障害となって効果を激減させることができるし、そうすれば、帝国軍も彼らと同等に戦闘を進めることができるかもしれない。それに、カフィラスにはサーガルの魔剣士団がいる。魔剣士団の戦術は、ヌベルから見れば――いや、ヌベル以外も、というかウーンサリスでは特異なものであった。彼らの戦法は、簡単に言えば、俊敏さを利用しての一撃離脱。正確無比な高速攻撃を鎧の隙間に与え、それが致命でなくとも、相手の間合いから一旦は離れ、相手に隙ができれば、また攻撃する。しかも集団戦ではあまり使用しなかったが、一対一の戦いのときは、魔闘気といって、魔法でもない特殊な術を使い、相手の戦意を殺ぎ、戦いを優位に進めることができるのだ。熟練の使い手ともなれば、魔闘気だけで相手を萎えさせることができるという。街の中に彼らを紛れさせ、魔人が近づいたところ、正確無比な一撃で首を飛ばす。これしかないとヌベルは思った。しかもカフィラスには、イルーンの高弟ソペリウがいる。魔法力はイルーンには及ばないが、知恵に関しては、イルーンも認めていて、カフィラスの三人の代表との協議でも帝国の代表者として携わっていた。やはり傍らに知恵者がいればヌベルとしても心強い。

 「とにかく、一刻も早くカフィラスへ前線を下げよう。わたしはグレートスの竜と共に一足先にカフィラスへ向かい、カフィラスに駐屯する自部隊および、カフィラスの主導者の私兵に現状を報告し、魔人の襲来の可能性を彼らに告げ、臨戦態勢を整える。マドゥーンは、一騎早馬をパーズーンへ出し、かの地にいる魔竜団をカフィラスへ向かうように命じてくれ」

 マドゥーンとは、パレルモンの留守を預かっていた将軍の名だ。軍議が終わると、ヌベルとグレートスは休憩もそこそこに再び空の人となり、マドゥーンは、部下をパーズーンに派遣し、自分は、二百ほどの兵士を連れパレルモンを出立した。

 しばらくしてパレルモン城は、無人となった。


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