17
ゼーラは走る。ひたすら走る。休みもなく走る。もう走る大地は、荒涼としたものでなくなり、薄らとだが、草木が生える大地と様相が様変わりしていた。ゼーラはしかし、そんなことにも気が付かず夢中で走り続けていた。目指すはとりあえず、パレルモン近辺と決めていた。彼のあとには、救出隊、遊撃隊が続く。遊撃隊とはパレルモンまで同行し、現地で別れることになっていた。
ゼーラは、魔人としてネントスの後ろにつき従い、パレルモンを出立した記憶はあった。が、どこをどう歩いていたのかはよくわかっておらず、気が付いたときには、ランシルに到着していた。しかも自我を取り戻して、過去の記憶(ミデールのランシル城は城壁が高い)と照らし合わせて、ここはランシルなのだろうと決めつけ、それを起点に、過去、自分が見たウーンサリス全土が載っている地図と照らし合わせ、パレルモンに向かっていた。
いわゆる勘であった。
ゼーラは陽を見ながら大体の方向を算段してずっと走り続けていた。進む方角に不安はあったが、それでも彼には一刻も早くキルス王たちの元にはせ参じたい理由があった。王と王妃の救助はもちろんだったが、ゼーラの私的な感情から言えば、王女ロレンヌとの対面を切望していたのだった。ゼーラはロレンヌに好意を抱いていた。それは秘めたる想いだったのだが、一目、無事な姿を拝見したい。この想いを成就させるために、部下たちの協力を求めたような一面もあり、そのことに関しては申し訳ない気持ちがあった。だが、早く逢いたいという心情とは裏腹に、逢って大丈夫なのかという暗い感情もゼーラの心にはある。それは自分の容姿についてのことだ。ロレンヌが自分の現在の姿を見て何と思うのか? それを考えると、逢うことも躊躇してしまうが、でも王女の姿は見たい。
だからゼーラは、早くダルケンオに到着するために、走り出してから休みもいれず、跳ぶように走っていた。ゼーラの予想通り、今のところどれだけ走っても、胸が苦しいとか、足が痛むとか、そういう症状は全く出ていない。体を労わるための休憩が必要ないのだ。それは他の魔人も同じで、彼の疾走に全員がずっと付いてきていることからでもわかる。
剥き出しの岩、大地に突然現れる窪みという悪路もものともしないゼーラ隊の走りだったのだが、もう陽が暮れる。陽が暮れれば、進むべき方向の目安がなくなり道に迷う恐れもあったので、ゼーラは走りながら身を隠すのに好条件な場所を探すことにした。しばらく走ると、ゼーラは名称は知らなかったのだが、ミデールの小規模の砦、セインス砦が見えてきたのだ。セインス砦は、ランシルから馬をどれだけとばしても一日はかかる行程(休憩含め)なのに、ゼーラ達は、その距離を約半日で走破したことになる。砦の頂きが見えた時、ゼーラは警戒し、手を使い、後ろに続く部下に、減速を指示した。これはかつて、騎乗の戦闘の時に、ゼーラが部下に対して使っていた手話だったのだが、部下たちも当然覚えており、減速し始め、やがてゼーラの停止の合図で砦から少し距離をとって全員足を止めた。
砦は小高い丘に建てられており、辺りは薄暗くなっているのに明かりがついていない。これはミデール軍がランシル周辺の支城、砦を放棄したためセインスも例外なく無人となっているだけのことなのだが、そのいきさつを知らないゼーラたちは足を止め、岩かげに身を伏せ様子を伺うことにしたのだった。
「大きさからいえば、砦だろう。帝国のだろうか?」
「さぁ、わかりかねます。もしやミデールの砦かもしれません」
ゼーラが誰となく質問し、それにルーヒンが答えた。
「――だれもいないのか?」
見上げるゼーラは疑問の声を上げた。
それを聞いてかどうなのか、彼の後ろに控えていた魔人――フェーケという者が、口をひらいた。
「定かではないのですが、ミデールは、ランシルに兵を結集するため、周囲の城や砦を放棄したのではなかったのでしょうか……」
「なに? なぜそのことを知っているフェーケ?」
ゼーラは振り返りつつ、尋ねる。
「混乱するようなことを言ってしまい、申し訳ありません。しかし自分でもよくわからないのですが、なにか耳の奥で残っているのです、ランシルに兵を集結させるという言葉が……」
「……うむ。それは多分正確な情報だろう」
ゼーラはフェーケの言うことを信じた。
フェーケは帝国の魔人として活動している時に、帝国が掴んだミデールの戦略方針をなにかのきっかけで聞いていたのだろう。それはパレルモンを出立するとき、隣りにいた兵士同士の会話だったかもしれないし、もしかするとランシルに到着してからネントスと弟子のやりとりの中で耳にしたのかもしれなかった。とにかく、フェーケはミデールの戦略方針を記憶に定着させたまま自我を取り戻した、ゼーラはそう納得した。
「警戒しながら近づいてみようか。フェーケの言う通りなら、砦は無人のはずだが、もしものことを考えて多くで行くのはどうしても目立ってしまうからよそう。――よし、ドモーハとキュベレン、貴様らはわたしと一緒についてこい。他の者はここで待機」
ゼーラは部下二人を伴って動き出した。この頃にはもう完全に陽は地平線の彼方へ沈んでおり、辺りは暗い。
ゴツゴツした丘陵を、両手両足を使いゼーラたちは登っていく。そのときゼーラは異変を感じた。
正確には、もうすでにその異変は彼を支配していたはずだったのだが、ゼーラ自身が気付いていないだけだった。
目がおかしい。目に痛みなどなかったが、目がおかしい。
ゼーラは手足を止めた。
部下もならって止まった。
ゼーラはそのまま動かない。
(敵か?)
ドモーハとキュベレンの全身に緊張が走る。彼らは、砦の方を確認した。
だが、敵らしき陰影は発見できない。
ゼーラは中腰のまままだ動かないでいる。
「ゼ、ゼーラさま、如何いたしましたか?」
ドモーハは不安が限界となり、我慢できずゼーラに尋ねた。
「――おまえたち、砦が見えるか?」
「はい?」
これはキュベレン。
「砦が見えているか、と尋ねたのだ」
二人は砦を凝視する。
見えている。
「見えております」
二人は声を重ねて言う。
「おかしいと思わないか?」
二人は、ゼーラが何を言わんとしているのかわからない。
「もう陽は沈みきっているのだぞ。それがどうだ、砦が見えているではないか」
「あっ! そうか」
ドモーハが何かに気が付いた。
「どうした?」
横にいるキュベレンがドモーハに顔をむける。
「だって、だってよ、もう辺りは暗いはずだろ? それがどうだ、砦が見えているんだぜ」
「――」
キュベレンは考え込む。
「鈍感なやつだ。おまえにもあの砦が見えているんだろ?」
ドモーハは、呆れ声でキュベレンに言う。
「ああ、見えている」
「何で見えてんだ、あ? 陽が暮れてもう夜だというのに」
「ほんとだ! 明かりもついていない砦が認識できている」
ゼーラたちから砦までまだ距離はある。にもかかわらず、この暗闇の中でも砦を認識できているのだ。はっきりとではなかったが、それでも彼らの常識から考えても、砦が見えていること事態おかしい。
「たぶん、魔人となってしまい、目の機能までも変化したのだろう。まぁそのことはあとで論議しよう。とりあえず砦に近づくぞ」
ゼーラはそう言うと再び手足を動かし、斜面をのぼっていく。ドモーハらもあとに続く。砦に近づくにつれ、建物の大きさと構造がよりわかってきた。たぶん、これは防衛拠点というより、見張り台程度の期待で建てられたのだろうとゼーラは分析した。砦の中央に塔が確認できる。
かれらはさらに近づき、砦まで伸びる石段まで辿りついた。石段の先には扉があるのだろうがゼーラたちが伏せる位置からはまだみえない。いくつかある窓からは明かりは漏れておらず、やはりフェーケの記憶通りこの砦はミデールによって放棄されたのか。ゼーラはしかし、念には念を入れようとし、ドモーハに砦周辺を調べるよう命令した。ドモーハは、中腰の姿勢で砦を見ながら円状に周回し、元に位置に戻ってきた。
「どうだった?」
ゼーラが尋ねる。
「砦の裏手に馬留めがありましたが、馬は繋がれておりませんでした。本当にだれもいないようです。明かり一つ確認できませんでしたし」
「そうか……。――おまえたちはここで待て」
ゼーラはそう告げると、身を低くしたまま石段を五段とばしで上がっていき、登り切る手前で止まって、石段に這いつくばり、顔だけを出した。用心にこしたことはない。ゼーラは人の気配を探った。石段の踊り場からさらに視線をのばせば、扉がある。いや、なかった。扉は開け放たれていた。両開きの扉は、全開されており、中は真っ暗だ。
ゼーラは、姿勢を低くしたまま、開けっ放しの扉へ素早く近づく。砦には入らず、そこから中の様子を探る。廊下が奥へ続いており、正面に塔へ通じるのであろう扉がはめ込まれていない空間があった。通常なら暗闇でみえない陰影が、ゼーラには確認できた。耳を澄ましても、物音一つせず、砦の中は静まり返っている。
だれもいないと判断したゼーラは、石段の降り口まで移動し、下で待機する部下二人を手招きした。
ドモーハとキュベレンは急いでゼーラの足元へ駆け寄ってきた。
「どうかしましたか?」
ドモーハがゼーラを仰いで囁く。
「いや、問題はない。フェーケの言う通り、この砦は捨てられたのだろう。中は確認していないが誰もいないと思う。――キュベレン、待機している者たちをここまで呼んで来てくれ」
「はっ!」
キュベレンは取って返し、岩かげで待機する他の魔人を呼びに行った。
ゼーラとドモーハは石段の踊り場で全員が来るのを待った。
やがて、待機していた魔人が、群がって二人の元へやってきた。
合流したゼーラ隊は、開け放たれた扉まで固まって移動した。
「自分が先に中の様子を調べてきます」
とドモーハが名乗り出た。
ゼーラは「頼む」と頷いた。
ドモーハは、砦内へと足を踏み入れる。開け放たれている扉は、両開きで広い幅をとっていたが、高さは魔人ドモーハには窮屈だったので彼は屈んでそこを通り抜けた。廊下の天井部にも頭頂部がつきそうで、ドモーハは、前かがみになりながら廊下の奥へとすすんでいく。
ゼーラたちはドモーハの腰のあたりに目線を合わせるが、不意にかれの腰が左手に折れ姿が見えなくなった。
しばらく待っていると、ドモーハはゼーラたちから見れば廊下の右手から姿を現わしみんなの前に戻ってきた。
「砦の中心にある塔は、出入口が狭すぎて入れなかったので確認できていませんが、その他の部屋は大小四つあり、誰もいませんでした。しかしこの砦、俺たちにしちゃあ、だいぶ小さいですぜ」
砦が小さいというより俺たちがでかすぎるんだとゼーラは心の中で呟いた。
「全員入れそうか?」
「廊下に何人が寝転べば、大丈夫だと思います」
ドモーハは笑い声を上げた。ゼーラもつられて笑顔になった。久しぶりに心から笑ったなと、ゼーラは最近の自分の心情を振り返った。だが、すぐに真顔となった。
「明日の朝までここを今日の宿とする。なお、現在いる隊を四班に分け、わたしが定刻になれば指示をだすので、その都度交代で見張りについてくれ」
ゼーラはそう言うと、すぐさまその場で隊を四つに分けた。一隊は外に出て、残りは、砦の中で休息をとる。部屋の一つは簡易な食堂ぽく、人間の兵士十人が座れるテーブルがありその部屋が一番広い。だが、巨体の魔人にはそのテーブルが邪魔だ。テーブルを外に出し、食堂で七人の魔人が腰を落ち着けた。残りの部屋にもそれぞれ魔人が割り当てられ休息をとる。しかし、魔人たちにとって息詰まるぐらい各部屋は狭く窮屈で、初め何人かの魔人が自主的に外に出始め、しばらくするとゼーラも含め全員が外に出ていた。
「これなら、四つの班に分けなくてもよかったな」
ゼーラは、砦の石造りの壁に背中を預け苦笑した。そのすぐ横にいるクレムも遠慮気味に笑みを浮かべる。
見張りは、初めに配置された七人が交代で行うことになり、一人が塔へ外側からよじ登り、その天辺で周囲を警戒することになった。
砦の外壁にもたれる者、石段に腰かける者、丘の斜面に身を横たえる者、それぞれの魔人が、各々の場所で休息する。
ゼーラは傍らにいるクレムに、視力の変化に気が付いたかと質問した。ゼーラたちが砦の様子を伺いに行っているとき、クレムたちもそのことを話題としていたらしく、全員が、暗闇でもある程度の視界がきくことに対して驚いていたという。
今もそうだった。ゼーラたちは照明器具を携帯していない。にもかかわらず、こうしてクレムの表情も確認できて、少し先で寝転んでいる魔人、(たぶんベルレイザ)の姿も目視できている。ただ見える色彩は、全体的に緑っぽくみえ、より暗いところは黒、明るい部分は緑に見える。おかしな感覚だった。そのおかしな感覚をゼーラたち魔人は、この砦の周囲で話のネタにし、ときには笑い、時には首を傾げ、時間を共有していた。
だが、仲間との会話が途切れれば、自然と自分と向き合う時間が訪れる。そんなとき考えてしまう。自分に起きた現実を……。
彼らの中には、郷里に残してきた家族のある者もいる。愛を誓い合った者もいる。そんな彼らに自らの容姿を見せれば、どうなるか? 考えただけでも苦しくなる。考えたくないからある魔人は、目を瞑り眠ろうとするが、眠ることができない。思い返せば、自分たちはランシルから半日ぶっ通しでこの砦まで走り通したのだ。それなのに、足に痛みもなければ、疲労感もない。いやむしろ、興奮状態とまでいわなくても、それに近い状態が続いている。空腹感もなく、魔人たちは何するでもなく、目を見開き時間を経過させていた。
ゼーラも、しばらくクレムと雑談していたが、いつのまにやら会話は途切れ、それからは、みはるかす風景を眺め、時を過ごしていた。彼も考えていた。国王たちを救出しにいくことはいい。しかし対面が叶ったとしても、我々のことをゼーラ隊と認識してくれるのかどうか……。否、そんなことは今は考えなくてもいいだろう。とにかくダルケンオに到着することが目下の目標。
ゼーラは腕を組み、その目標の達成だけを暗闇の中でしばらく念じていた。