14
爆撃をくらった瞬間、ゼーラは前のめりとなり、そのまま顔面から大地に叩きつけられた。
一瞬何が起こった理解できなかった。気がつけば光はなく暗黒の世界。またもや暗闇に戻ったとゼーラは自嘲的な笑みを埋めた土の中で浮かべた。もうその時には、自分の身に起きた出来事はわかっていた。
「あいつだな」
土の中で口をひらいた。そのせいで口内に砂利が入ったが、魔人ゼーラは苦い味など感じない。
両手で地面を支えると、二の腕に力を入れ反転しながら素早く起き上がった。
面した先には、外套を羽織る人物がいる。
「――イルーン」
その陰影、忘れはしない。
「イルーン」
もう一度、ゼーラは口にした。額や頬、唇にくっ付いている小石が、ポロポロとこぼれ落ちる。
「予定を変更する。イルーン、まずおまえから終わりにしてやる」
駆けた。
ゼーラは大地を蹴り、イルーンにむかった。魔法使いイルーンももちろんゼーラの動きに反応している。乗ろうとしていた馬から離れ、魔法を唱えようとした。だが、あの巨人には何の魔法がもっとも効果があるのか? 火球の魔法にもビクともしない、あの巨人に……。考えているうちに、彼の体はゼーラの腕による横殴りで吹っ飛ばされていた。
「――イルーン!」
惨状を目撃したヌベルが叫んだ。
右腕と頼んだ魔法使いの体が、凄まじい勢いで横へと飛んでいく。
イルーンの体は地面を何回も跳ねて、漸く停止した。
「イルーン――」
そう叫び、ヌベルは大地に横たわる魔法使いの元へ駆け寄ろうとしたが、小石に足を取られ躓き転倒してしまった。
「ぐっ、くそ!」
「――陛下!」
数名の黒騎士がヌベルに近寄り、倒れた体を支えようとする。
ヌベルは、黒騎士に支えられながら立て膝をつき上体を起こした。
イルーンが見える。だが、動く気配はない。
「イルーンまでもが……」
歯を食いしばった。
もはや帝国は終わりだ。ヌベルはそう断定した。仮にこの場を上手く逃れ、安全な場所に退避出来たとしても、帝国の軍事、内政両部門の中心にいたイルーンがいないとなると、国の運営は途端に滞り、帝国は崩壊の道を辿ることになるだろう。
イルーンはイルーンで、ヌベルという存在を重視し、その主人であるヌベルもイルーンを帝国の運営の要として頼りにしていた。
そのイルーンが死んだのだ。
ヌベルは項垂れ、剣を持たない方の手で大地を掻き毟った。
国を治める長としてイルーンを失ったことは痛恨の極みだったが、やはりここまでウーンサリス統一という同じ志を立て共に一喜一憂してきた人物がいなくなったということは、ヌベルにとってもの哀しいものだった。
「陛下、あれを御覧ください」
俯き、意気消沈しているところへ一人の黒騎士が声をかけてきた。ヌベルが顔を上げると、先ほどまで大暴れしていた他の魔人たちがこちらにゆっくり近づきつつある。もう大多数の帝国の兵士は戦場から逃走もしくは戦死しており、帝国軍で戦場に残るのはヌベルと彼の周辺につき従う黒騎士たちだけだった。
ヌベルはゆっくりと立ち上がった。
「もはやここまでか。まさかこんな呆気なくわが生涯が終えようとは……」
茫然と立ち尽くすヌベル他黒騎士たちを魔人たちは半円形になりつつ包囲を狭めていく。
「皆の者、止まれい!」
ゼーラが大声で号令した。ヌベルに歩み寄っていた魔人たちは、動きを止めた。
そこでヌベルは、魔人が共通語を喋っていることに気がついた。魔人はヌベルに対して背を向け立っており、そこから煙が上がっていることがヌベルにもわかる。魔人の背中は火球の影響でまだ焦げていた。肉を焼く厭な臭いが辺りに漂っていたが、嗅覚の機能が低下しているのかゼーラの鼻腔を刺激することはない。しかしその厭な臭いももう少しすればなくなるであろう。驚異的な回復力で、ゼーラの背中の火傷は元の皮膚の状態に戻っていく最中だった。
「ヌベル!」
その共通語を喋る魔人が、振り向きざまに自分を名指ししてきた。
「おれが誰かわかるか!」
魔人は叫び終えると、ゆっくりヌベルに近づいていく。
「…………」
すぐにわかった。
ゼーラだ。間違いない。こちらに集まりつつある魔人たちを一声で制することができるのはかつては魔人たちを束ねていたゼーラか彼の副官イラマスしかいない。イラマスはヌベル自身が首を刎ねているし、となるとやはり答えはゼーラとなる。
だが、言葉は返さなかった。ヌベルは無言でゼーラを見つめる。
「恐怖で言葉も出ないか?」
魔人ゼーラはゆっくりと歩きヌベルとの距離をつめる。皇帝を護るべく、黒騎士たちは魔人の視線を遮るようにヌベルの前に幾重にも壁のように立ちふさがる。さきほどは魔人の攻撃力に圧倒されていた黒騎士たちも腹を括り各々が壁の一つとなっている。
「俺の目当てはヌベルだけ、おまえらには用はない、今なら逃げても追いはしない」
ゼーラは黒騎士たちを見渡しながら優しく言う。だが、黒騎士らには優しい声として届いていない。むしろゆったりとした口調が不気味に思えた。
部下の最後尾でゼーラの言葉を聞いていたヌベルがおもむろに口をひらいた。
「皆の者、わたしのことは気にするな。ゼーラもああ言ってくれているし無駄死にする必要はない。ここまでわたしに仕えてくれたことに感謝こそすれ、恨むことはない。今すぐこの場から離れよ」
黒騎士たちは肩越しにヌベルの思いを聞いていた。ゼーラにもヌベルの声は聞こえている。
「やはりわかっていたか、俺がゼーラだということを……」
ゼーラは笑みを浮かべた。
「そのとおり! おれはゼーラ。おまえたちが仕えるヌベル陛下によってこんな異質な姿に変えられてしまったゼーラだ。俺……、いや俺の部隊にこんな仕打ちをした関係者が何人いるか知らんが、確実に係わっているであろうネントスとイルーンはあの世に送ってやった。そこにいる皇帝陛下も計画に加わっているのは明白。よって陛下もすぐさま二人のいる場所へ連れていこうと思っている。おまえたちは俺たちがこんな姿になったこととは無関係。どけ、道をあけるのだ、おまえたちは主人ヌベルの言う通り、無駄死にする必要はあるまい」
ゼーラは黒騎士たちをまたもや見渡す。だが、かれら黒騎士たちは、騎士としての誇りは失っていない。忠誠を誓う主人のため、命を賭してこれを護る。かれらの表情には、その決意たる面持ちが浮かんでいる。
「そうか」
ゼーラはかれらの意思を表情から読み取った。
「ではお望み通り、全員まとめてあの世行きだー!」
ゼーラは駆けようとし、黒騎士たちは身構えた。
その時だった、ヌベルの周辺が突如として翳った。
立ち位置上、ゼーラが真っ先に気がついた。
自然にヌベルの頭上を見上げる。
「――鳥?」
天空に一つ影が漂っている。ゼーラは鳥かと思ったが、にしては大きい。
しかも影は空中で静止している。
「はっ!」
とゼーラが何事かを直感的に頭に浮かべたとき、空を漂う影が落下してきた。
「グレートスか!」
ゼーラが叫んだと同時に、黒い物体がヌベルの目の前に着地した。ゼーラの直感は当たった。まさしくそこに、グレートスが駆る竜が着地したのだった。彼が飛来してきた理由は明白。ヌベルを助けに来たということしか考えられない。
「させるかぁ!」
ゼーラはヌベル目がけ突進する。
「陛下を護れ!」
黒騎士たちもグレートスの登場の意味がわかっている。少しでも時間が稼げれば、グレートス殿が陛下を竜の背に乗せ、この場から立ち去ってくれるということを。だが、グレートスの気性を鑑みて、この場で魔人相手に奮闘する気ではと不安な気持ちになった者もいたことは事実だった。が、そんなことを考えている時間などなかった。全員でとにかくヌベルを護る。彼らは一致団結し、肉の壁となった。剣で攻撃はせず、馬ごと魔人に体当たりしていく。
肉の壁が一つや二つぐらいならゼーラも容易く突破できたであろうが、それが四つ五つ六つと増えるにつれ、彼の進撃は徐々に停滞していく。それはすなわち、ヌベルとの距離が縮まらないということだ。
「おまえたち! ヌベルを逃がすなぁ!」
ゼーラは馬腹を蹴りあげながら、他の魔人たちに命令する。
竜が舞いおりてきても特になにもせず傍観していた魔人たちは、号令がかかるや、目の色変えてヌベルに襲いかかる。
だが、遅かった。
魔人たちが走り始めたときには、ヌベルを乗せた竜は翼を広げ飛翔の準備をしており、竜の離陸を妨げようと諦めずに魔人が突進したところ竜の火炎の息が立ちはだかった。魔人たちは面食らい、進撃を停止してしまった。その間に竜は地面から離れ、空へと舞い上がっていた。
ゼーラも肉の壁を取り払いながら、その様子を見ていた。
「ぐそ!」
ゼーラは最後の壁である黒騎士を殴りとばし、それから空に顔をむけ吠えた。
「ヌベル! 必ずおまえの命をもらいにいくぞ。それまで余生を謳歌しておけ!」
絶叫が大空に虚しくこだました。
ヌベルを乗せた竜は、徐々に遠ざかっていく。ゼーラはその様子を憎々しげに眺めている。
竜はやがて点となり、視線の先から消えた。それでもゼーラは天を仰ぎ、仇が去ったはるか彼方を見つめ続けていた。