12
魔人と化したゼーラが自我を取り戻した瞬間、彼の脳内では魔人となってからの記憶が一瞬のうちで全て甦り、ゼーラは自分、そして自分の部下が受けた理不尽な行いを思い出した。そして眼前に、その理不尽なおこないを執行した張本人、ネントスの顔を確認したとき、それはもうほとんど反射的だったのだが、ゼーラは手刀で憎き魔法使いの首を飛ばしていたのだった。
結果的に、ネントスの魔人創造の儀式は失敗だった。より説明すれば、創造の儀式は一部の魔人に対して効果が薄かったのだ。しかも、ゼーラだけに関していえば、彼が魔人として活動しているときの記憶もゼーラ自身が忘却もせず保有していたことを見ても、魔人創造の儀式には致命的な欠陥があったことが容易に推察できる。
さらに付け加えれば、魔人の完成にはムラがあった。まずパレルモンの大広間で、五体の魔人がさっそく動かず、その後、ミデール、バルロス連合軍との戦いでは、大いに能力を発揮した魔人軍団だったが、ランシル城を目の前にして五十体ほどの魔人が停止。そして、ゼーラの目覚め。一刻も早い魔人の完成を待望するヌベルにこたえるべく、古代書を精読し、理解したつもりだったネントスに手落ちがあり魔人に不具合が出たのか、それともいにしえの誰かが苦心の末、完成させた魔人創造の術そのものが実は未完成だったのか、それはだれにもわからない。
――ボトン
なにかが大地に落ちてきた。ゼーラは音に反応して首をめぐらす。
そこには、目を見開きこちらを見つめるネントスの生首があった。
「うぐおっ!」
ネントスの首を見た途端、ゼーラは頭を抱え苦しみ出した。
「あ、あいつのせいで……、おれたちは、お、おれたちは……」
ゼーラの記憶は、パレルモンの大広間で横たわっているときまで遡る。
厳密には、床に横たわり、自分の体に魔人創造に必要な紋章を書かれている瞬間などはゼーラは知らない。その時までは普通に眠っていたのだから……。
だが、ネントスの古代語の呪文の詠唱が開始されてから、ゼーラの魔人としての記憶は始まった。まず体の中が突然灼熱化し、その熱さに悶えた瞬間、体温は一期に冷却されていく。不快な感覚だった。もちろん苦痛や不愉快な感覚は魔人時には、まったくなかったことだったが、記憶としてそのときの自分が受けたそれらが生々と甦ってしまう。続いて思い返される記憶は、目の前に立ち並ぶ異様な姿をした巨体群。
(このす、姿が、おれの部下たちか……)
――苦しい
部下の姿が変化しているということは、自分も……自分も彼らと同じように変身していると考えるのが普通だろ?
もう全て理解できた。この整列のあとは、ハルコニア平原で鉄騎兵との戦闘。敵兵の阿鼻叫喚を覆い尽くすような巨人たちの咆哮! その耳をつんざく獣のような雄たけびを自分が放っている。戦闘が終結すれば、途端、静寂が訪れる。目的が達成されればもう動かない体。だが、目は見開いたままで、その視界に映るのは見るもおぞましい、自分たちがつくった敵兵の骸。 それをつくったのは我々ゼーラ隊。なんという戦闘力。なんという無慈悲さ。敵を攻撃するのは当たり前だが、ここまで完膚なきまで叩きつぶさなくてもいいではないか……。
ゼーラは、苦悶の表情を緩め、目をゆっくり開けた。
相変わらずネントスの首は傾いたまま地面に落ちている。
その様子を見るとまた発作のような動悸が体の中から蠢き出したが、ゼーラは動悸を屈服させようとした。両膝に両手をついて前屈みになり、歯を食いしばって、自分の体の中の異変をおさめようとした。
「うごぉ!」
と叫んだ瞬間、ゼーラは直立姿勢になり、面を天にむけた。肩で息をしている。そう、息をしている。
今さらながら、ゼーラは自分が呼吸していることを知った。次に手のひらを見た。血色の悪い両手がそこにある。これが自分の手、手首、腕。その手で顔を覆う。そして目、鼻、口、頬とそれらの部分がどうなっているのか確かめるように撫ぜる。続いて、前髪をかき上げ頭髪を確かめる。異常に髪が伸びている。それはうなじを越え、背中の半ばまで伸びているようだった。 だが背中では髪の存在は感じられない。どうも皮膚感覚が鈍っているようで、地面にある細かい砂が風に吹かれているのは目視できるが、肌では風が当たっているかどうかよくわからない。
「ふふ、まあいい」
もう、自分の状態がどうなってるのかなんてどうでもいい。今自分のやるべきことは一つしかない。
ゼーラは辺りを見渡した。ネントスの弟子たちは、あるじの屍を放置したまま、自軍の方へ逃げたみたいだった。さらに視野を広げると、じっと大地に立つ巨人の群れがいる。目を凝らすと、何体かの巨体の持ち主は、動いているようにも見える。ゼーラは、彼ら巨人たちのさらに先に視点を合わせた。高い城壁がある。それをよじ登っているのは、かつては自分とともに戦場を駆け抜けていた大切な部下。彼らはまだ魔人として任務を遂行中なのだ。城側から落石攻撃を受けている。しかし彼らはそれをものともせず城内に侵入しようと躍起のようで、ズンズン壁を登り続けている。もう天辺に辿りつき、敵兵を殴りとばしている者もいる。ネントスが死んでも魔人としての効力は失われないようだった。
彼らが不憫だった。
「おれたちを直にこんな異質なものに変えたのはネントスなのだろうが――」
ここでゼーラは自分の声質が変わっているのに気がついた。聞き慣れない声、それがしかし今の自分の声。姿だけでなく声も変わってしまった……。が、そんなことどうでもいい。
ゼーラは振り向いた。前方には、ヌベル軍。
「――命令したのは、皇帝ヌベルだろうに……」
瞼を閉じ、ゼーラはハルコニア平原での惨状をふたたび思い返す。
「こんなものが見たいがため我々を創ったか……」
ゼーラは、大きく息を吸った。吸いきると、深い息を吐いた。そこで目を開いた。
「よかろう、おまえたちが見たかったものをおまえたち自身が体験しろ!」
そう叫ぶとゼーラは、半身になり、背後にいる巨人たちを肩越しに確認した。
「われの声が聞こえるものはおるかぁ! 姿も声も変わってしまったが、われはゼーラ! だれかゼーラ隊の者で意識がある者はいないかぁ!」
絶叫だった。その声は辺りの空気を震わした。ゼーラは、自分と同じように意識を取り戻した者が魔人の中に居ないか確認したのだった。
「ああ……」
ゼーラの一番近い巨体から声のようなものが漏れた。
「ゼ、ゼーラさま?」
「おお! 貴様、だれだ?」
ゼーラは、半身だった体を声の巨体にむけた。
「ドモーハです」
「ドモーハ? ドモーハ……。あっ! ティーンの戦いのとき、腕に矢が刺さったまま戦い続けた『矢立ちのドモーハ』?」
「そ、そうです。あの、その、本当にあなたはゼーラさまで?」
そう言うおまえは本当にドモーハかとゼーラは問い返したかったが、やめた。
「そうだ、こんななりになったが紛れもなくおれはゼーラだ。ドモーハ、しばらく待って。――他に、他にゼーラ隊の中で意識が戻った者はいないか!」
ゼーラは他に自我を取り戻した者がいないか周囲に呼びかけた。すると十体ほどの巨人が、ゼーラとドモーハの元にノシノシと近寄ってきた。
「おまえたち……」
ゼーラは集まった巨人たちを見渡し絶句してしまう。
前かがみのまま大地に立つ者。太股が異様に膨れ上がっている者。前頭葉がつき出ている者。様々な巨人がゼーラの前に並んでいる。
亡国の部隊として、自分についてきてくれた部下たち。その者たちが、今では原型をとどめていない姿となり変わってしまっている。申し訳ない気持ちでゼーラの胸はいっぱいだった。しかし感傷に浸っている暇はない。
「皆の者、よく聞いてくれ。わたしはゼーラだ。なぜこんな姿になったのか、わかっている者もいれば、今の自分の現状が飲み込めない者もいるかもしれない。だが、わかっていない者もわたしの言うことをなにも考えず遂行してくれ。我々の敵は、むこうにいる群がる連中だ。一時、我々が属していたヌベル帝国、やつらこそわたしたちにとっての元凶なのだ。だから今からやつらを駆逐する」
ゼーラの熱弁を聞く巨人たちは、各々顔を見合わせる。
「我々だけでですか?」
右肩が異常に盛りあがった巨人が尋ねる。声はとても低く不気味で迫力があるものだったが、それとは裏腹に、眉が八の字になっている巨人の表情は明らかに不安そうだ。
「うむ、そうだ。時間がないから手短に説明する。我々には、はかり知れない力があるのだ。――いや、正直言うとわからない。もしかしたらもう強靭な力は失われているかもしれないが、わたしはまだあると思っている。おまえたちが、不安がるのは仕方がない。こちらは数の上では劣勢であるが、わたしたちは、それをも覆させる力があるはずなのだ」
ゼーラは同意を求めるように巨人となり変わった部下たちを見渡す。
だが、部下たちの反応は鈍い。昔の彼らだったら、首を伸ばし、熱のある賛同の声をゼーラに浴びせたはずなのに、なんの声も上げず、彼らはゼーラを見つめたままの姿勢で突っ立ている。右肩の巨人同様、みんな不安げな表情だ。敵は大軍だ。彼らが不安がるのも無理はない。ゼーラはここで部下たちに戦意がないこと気がつき愕然とした。ゼーラは決意した。
「よし、では見ておれ、わたしが単独でやつらに目に物見せてやる」
ゼーラは翻り、ヌベル軍を睨みつける。そして前かがみの姿勢をとった。
「いくぞおおおおお!」
ゼーラは駆けだした。
「オオオオオオオオオオオオオオオ――」
咆哮しながらゼーラは疾駆する。一駆けするごとに大地が削れる。
凄まじい走力だった。とても人間業ではない。ゼーラの背中を見送る巨人のある者が、
「おれにもあれができる! ――おれもいく」
と言い走り出した。
「そうだ、おれも将軍と同じように駆けることができる、できるんだ」
またもう一人の巨人が言う。
――そうだ、そうだ
巨人たちは、自分たちが魔人時行っていたことを思い出したのか、記憶を反芻しているようだった。そして各々がゼーラと同じことができると自覚したようで、主人を追いかけるように全員駆けだした。彼らは走っているなかで、自分たちが帝国から受けた仕打ちをも思い出し、走りに怒りをのせ、加速した。先頭を走るゼーラは、もうまもなく敵と接触する。
もっと早く投稿したいのですが、なかなか上手くいきません。焦って、本当に書きたいことを書けないまま投稿するのもどうかと思うし……。悩みどころです……。