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 もはや、ウーンサリス制覇はなったも同然だった。ヌベルは知るよしもなかったのだが、ミデールに肩入れし、意気揚々とハルコニア平原にてヌベル帝国を撃破しようと戦場に赴いたバルロス軍は、手痛い損害を受けヌベル帝国に対しておののき、逃げるようにウーンサリス大陸から撤退していった。孤立無援となったミデールは、各地にある小城、砦を放棄し、王都に全軍を結集させヌベル帝国を待ち受けた。ミデールに降伏の道はない。これはヌベル帝国の方針として、敵対する相手国には降伏勧告はせず、貴国は徹底抗戦あるのみとこれまでの戦いにおいて宣言しており、実際、数々の国がヌベル帝国に降伏の使者を送ったのにも関わらず、拒否され攻め滅ぼされた経緯があった。文官など一部の投降者には、生存の可能性はあったわけだが、王もしくは、王族関係者には、死しかなかった。よってミデールは戦うしかなかった。徹底抗戦という方策は、いくさ好きのグレートスの意見が反映され進められてきた帝国の主義だった。完膚なきまで敵国を叩きつぶし、帝国の存在を大陸中に畏怖させることも目的にあったのだが、その分帝国の損害も大きく、国の疲弊にも繋がった。だが、亡国の家臣たちに反乱させる気力を失わせる効果も多少はあり、皇帝ヌベルとしては、戦線が広がり、且つ、兵力が減少した現在は別として、ウーンサリス大陸統一をめざした序盤から中盤にかけては助かった面もあったのは事実だった。ともかく、ミデールを打ち負かせば大陸は完全制覇できる。あとは内治に専念し、国力を充実させ国民の住みよい国づくりをめざす。グレートスが、海を渡りリデン大陸をも征服しようと進言してくるのは火を見るより明らかだったが、ヌベルはそれなら竜を駆りリデンでもどこへでも行けばいいとグレートスに言おうと考えていた。ヌベルは戦いに明け暮れた日々に疲れていた。もう限界だった。東西に長いウーンサリス大陸を見境なしに端から順々に併呑していき、その途中、自分を見失うぐらい戦いの毎日にうんざりしていたこともあったヌベルだったが、ある時、ウーンサリス大陸を制覇さえすれば戦いから解放されると思い、それを信じてここまでやってきた。大陸を制覇しても、リデン大陸からどこぞの国の上陸部隊が殺到することも考えられたが、海岸線に防壁でも築き、その中を兵員に守備させれば敵も容易にその地を突破することは難しいはずだ。しかも魔人軍団ができた今、強靭な力を持った彼らにその任を当たらせばいい。戦いがあったとしても緊張するのはその海岸線だけ。あとの地域は、平穏な日常が過ごせる。もうグレートスのいくさ好きから生じる交戦主義に振り回されるのは御免だ。彼の意見は知ったことではない。勝手にグレートスが何事でもすればいいことで、自分は皇帝として国内の政治をとるだけだ。ミデールを破れば全て終わることができる。

 ハルコニア平原の戦いから二日後、ヌベルは、ネントスの魔人軍団を先頭に続々とパレルモンから軍勢を進発させた。無論、ヌベル自身も黒騎士団を率い城を出立した。大軍とは言えない軍勢だったが、ヌベルは、パレルモンで各地に配備していた兵をできるかぎり集結させ、ミデール討伐に臨んだ。 先の戦いで快勝したハルコニア平原を通過し、もぬけの殻となった小城や砦は無視して、パレルモンから四日かけミデールの王都ランシルに到着した。ミデール軍は、城門を堅く閉じ、籠城の構えをみせていた。しかし籠城作戦は、同盟国、もしくは味方の軍が城外にいて効力を発揮するのであって、ミデールの作戦は、戦う前から破綻していたと思われるが、ハルコニアにて魔人の力を存分に見せつけられたミデールとしては、正面から又は奇策を用いたとしても魔人に叩きのめされるのが関の山と判断して籠城作戦を選択したのだった。

 しかもランシル城は強固な城塞都市として周辺地域にも名が轟いており、王城まで到達するのに幾重もの城壁を越えていかなければならない。城内には、各地の小城、砦から集まった兵員が多数おり、それらの腹を満たす食糧も兵員らとともにランシル城に集められた。長期戦に持ち込めば、敵の士気が落ち、万に一つ勝利がもたらせるかもしれない。さらにランシル城が、兵士たちに安心感を与える要素としてもたらすのが、最外部に築きあげられた城壁だ。敵の侵入は絶対許さないと言わんばかりに高く積み上げられた石塁は、籠城戦となれば、その威力を戦うまえに対峙する相手にまざまざと見せつけるであろう。が、ヌベル帝国にはそんな壁など問題なかった。どれだけ高い城壁がそびえ立とうとも、ヌベル帝国に魔竜軍団が存在するかぎり城壁など無力にひとしいのだ。ミデール軍もそんなこと百も承知だった。彼らは魔竜軍団に備えるために、その城壁の最上に対竜騎兵兵器「竜殺し」を配備している。これはパレルモンで使用されたそれとは大きく性質が違い、ただ大きな矢を竜めがけ狙い撃つのではなく、二つの発射台から同時に放たれる二本の矢の矢じりの根元各々に縄を結びつけ発射し、二本の矢が、竜かそれを操縦している竜騎兵に当たらなくても、二本の矢に結びついている縄が、竜の首か翼、もしくは竜騎兵に絡むことができれば竜の飛行の妨げとなり、あわよくば、竜騎兵を地上に墜落させることができるかもしれないという期待も含んだ兵器だった。ミデール軍は、ヌベル帝国と決戦する直前まで、自国の内乱で常に戦闘状態となっていた。しかしヌベル帝国の快進撃が伝えられるや、対立していた王立派と反乱軍は、休戦協定を結び、帝国を共同して追い払おうと一致団結した。ところが、ミデールの兵士たちはすでに長期続いた内乱によって心身ともに疲弊しており、しかもハルコニア平原で大敗を喫し、戦争に対して飽いた感情が多分にあり、士気自体かなり低くなっていたということが実情だった。それでも一部の兵員――特に、王の近衛兵はミデールを守ろうと全力を尽くすべく自分たちの任にあたっていた。近衛兵といえば、王の近くでその命を護衛する軍人らで、そんな彼らが王の元を離れ、城のいわば最前に配備されるのは異様ともいえたが、王にすれば、今まで一番近くで彼らの忠心を見ていただけに、飛来が予想される敵の竜騎兵を命を張り撃退してくれるだろうと期待し配備した。その部隊は、激戦が予想される最外壁に配置されており、彼らは、城を囲むヌベル帝国の動向を注意深く高い城壁の上から竜殺しとともに伺っていた。しかしどういうわけか、戦場にいれば帝国軍の先頭を陣取る攻城戦無敵のグレートスの魔竜軍団の姿がどこにも見当たらない。空を滑空しているわけでもなし、遠目で眺めても目を引くはずのその一団が帝国陣営にいないことに近衛兵たちは首を傾げ、それでも突然遠くの空から彼らが襲来してくることを予想し、全方面に注意を配り警備していた。近衛兵が不思議がるように、帝国陣営の多くの兵士たちも、グレートスの姿が見えないことに疑問を抱いていた。パレルモン出立時も魔竜団の姿はどこにも見えず、ランシル城に到着すればどこともなく空からやってくるのだろうとおもっていたのだが、着陣から時間が経ってもいっこうに魔竜団は姿をみせない。所属する軍の軍団長からも何の説明もないので、兵士らは、ただ開戦の号令を待つのみだったのだが、かわりに、パレルモンから出陣するまえに今回から新戦力として加わった一団の説明は聞いていた。現在、帝国軍の陣営から少し離れた最前衛として居並ぶ魔人軍団のことだ。兵士たちは、突如新戦力として配属された一軍を銘々訝しげに眺めている。なぜ兵士たちは訝しげに彼らの背を見ているか? 帝国の首脳陣は、兵士たちにハルコニアにて魔人軍団が多勢を相手に奮闘し、しかも大打撃を与え潰走せしめたことを伝えていなかった。これは、魔人の強さを知らすことによって、味方の兵の士気が浮つくことを恐れたヌベルが、ハルコニアに赴いた諸将に口外しないようにと厳命したからであった。兵士たちには魔人軍団が新たなに帝国陣営に加わったことと、今回の戦いの序盤から中盤にかけてかれら魔人軍団だけで行うと説明しただけであった。兵士たちの多くは、二百ほどの魔人軍団だけであの巨壁を突破できるのかと疑問の目を彼らに向けているのである。

 なるほど、魔人各々、容姿は人間に似てはいるが、肌の色は青銅色で、背丈は人の常識をはるかにこえ高く、筋骨は隆々、たしかに屈強な集団ということは見て予測できるが、それでもあの城壁を越えることなどできそうにない。城に唯一ある城門は厚い鉄で閉ざされており、これを破壊するのは城壁を越えるより骨が折れそうだ。

 今回の戦いはどうなるんだと、待機の命令が出されている帝国の兵士たちは、この先起こる戦闘の行く末を見守るしかなった。

 そんな味方の軍から注目される魔人軍団に近づく数騎がある。

 ネントスと彼の弟子であった。開戦が迫り、彼は魔人に命令するために、本陣から馬をとばして最前線にやってきたのだ。もう少しすれば、ヌベルも遥か後方にある本陣から前線へと移動してくる。

 これがウーンサリスでの最終決戦となろう。ネントスは魔人の背後でこの魔人たちの力をみるのは最後かと少し落胆していた。もっと自分が完成させた魔人の恐ろしさを多くの者に見せつけたかった。

 ――しかし

 方法はある。

 それは、ヌベル帝国に対して反旗を翻せば、魔人たちを思う存分戦わせることができる、ということだった。

 この考えは魔人の力を見て以来ネントスの脳裡に何度か去来していた。しかしそれは、純粋に魔人の力をまだまだ見たいという気持ちよりも、魔人を操り、ネントス自身がヌベルに代わってウーンサリスの覇王として大帝国を治めたいという願望であったということが本音だったのかもしれない。元々ネントスは野望の士ではなく、魔法生物の分野で新たに強力な魔法生物を誕生させるべく日々研究し時間を費やしてきた。石に魔力を込め、石人形と通称される兵隊を作成したり、貴重な竜の牙から、骸骨剣士「竜牙兵」を創り帝国の貴重な戦力とたらしめたこともある。しかし魔人を誕生させその能力を垣間見た時に、彼の心の中で何かが蠢きだした。魔人の力はこれまで彼が作成してきた魔法生物の能力を遥かに超越していた。魔人一体で、兵千人に匹敵するとネントスは見当していた。これを利用すれば自分がウーンサリスの覇王として君臨できるのではと、野望の士でもないネントスが夢想してしまうほどの力を魔人は見せたのだ。しかも魔人はネントスの声色にしか反応しない。ハルコニアでの戦いのあとパレルモンに戻ったネントスは、一室にこもり、右記のことを真剣に考えた。ネントスと彼の率いる魔法生物軍は、帝国軍での同僚からの評価というのは決して高いものではなかった。理由は、自分は戦わずいつも安全な場所で安穏と戦いを見物し、自ら創造したものを戦場に派遣、戦果を上げるという方法に他の将軍たちは快く思っておらず、中でもグレートスは、露骨にネントスを嫌悪していた。ネントスも将軍たちからの冷たい視線には気付いていたが、彼自身のヌベルに対しての忠誠心は本物だったので、自分は自分の方法で皇帝に貢献すると、確固たる意思で帝国の組織に属していた。だが魔人の力を見て、その力を利用し自分を愚弄する将軍たちにひと泡ふかせたいという願望も野望心に加わり、ネントスに帝国に反逆する気持ちが生まれたのも必然といえば必然だったのかもしれない。

 しかし結局考えは纏まらず、ネントスはランシルに赴いた。彼が煮え切らない理由は、皇帝ヌベルに対しての嘘いつわりの無い忠誠心からだった。ネントスは、イルーンとある事件が発端でリデン大陸からウーンサリス大陸から逃れてきた。その頃のヌベルは、ウーンサリスの北西部でカルカニア神聖国という大国との戦闘の真っ最中で、戦闘当初は勢いもあり有利に戦況を展開させていたが、戦いが長期化するにあたり、新興勢力として寡兵で戦いを進めてきたヌベル軍は次第に停滞していった。まだグレートス率いる竜騎兵はその頃には存在せず、敵を壊滅させる威力ある攻撃もヌベル軍にはなく、それにこれは一番の原因でもあるのだが、戦略を総合的に組み立てることができる者――いわゆる軍略家不在が戦況に影を落としていき、自然と勢いもなくなり、戦闘は膠着状態となった。ヌベルは、カルカニア神聖国に挑むにあたり、有能な人材が集まるよう開戦前から周囲に呼び掛けていて、カルカニアとの戦闘が膠着状態になった時、イルーンとネントスはその情報を聞きつけ彼の陣営に加わった。

 イルーンとネントスを得たヌベル軍は、見違えるように活気を帯びて徐々に勢いを盛り返し、しばらくして念願のカルカニア神聖国を撃破したのだった。それ以降もイルーンとネントスは各地を転戦し戦果を上げ、ヌベルが皇帝の座につくことに貢献した。結果的にネントスは大帝国に所属する魔法使いとなったのだが、彼は元々小勢力だったヌベル軍に身を寄せるのには難色を示していた。カルカニアとの戦時中のヌベルは、もちろん皇帝など称しておらず、「帝国」からは程遠い規模の軍団をまとめる首領だった。ネントスとしては大国に身を投じ、大国なればこそ可能な豊富な資金で魔法生物の研究に一刻も早く没頭したかった。有力な国に属する資格(能力)は自分らにはあると自負していたし、事実、ネントスらの能力ならば、どこの国からでも招かれたであろう。だが共に行動するイルーンは、すでに出来上がった国ではなく、台頭したての国に身を置き一からの国づくりに参加し、ゆくゆくは大国を築き上げたいという夢を持っていた。ネントスとしては年長のイルーンの意見を尊重し渋々ヌベル陣営に加わったが、仮にヌベル軍がカルカニアを討伐したとしても、ウーンサリスには強大な軍事国家がまだいくつもあり、国としての体勢がまだ整っていないヌベル軍がその強敵を打ち滅ぼしていくのは不可能に思え、それよりも逆にそれら列強にすぐさま滅ぼされるのは明白と予測した。カルカニアを打ち滅ぼしたヌベル軍は勝利に湧きかえっていたが、ネントスは、将来性の薄いヌベル軍を頃合いを見て抜け出し、他国に職を得ようと密かに考えていた。ところが、カルカニアを滅ぼした直後、ネントスはヌベルに呼び出され、カルカニア神聖国の書庫、宝物庫の責任者に抜擢され、軍に必要な物、そうでない物の選別、不必要な物で軍資金に流用できるのものは換金するようにと、軍の金庫番のような職に任命された。しかもネントスが魔法生物の研究に必要な物が書庫や宝物庫にあれば、それらを自由に使用しても良いという言葉も加えられていた。ネントスとしては、ヌベルからの通達は思わぬことだった。これにはカルカニア戦役でヌベルに多々な作戦を提供し、信任を得たイルーンの口添えがあったことも事実だったのだが、それにしても、昨日今日軍に入隊した者に軍の重要な書庫や宝物庫を任せるという判断にネントスは驚き、同時にヌベルの度量の広さに心打たれる思いだった。カルカニア国の書庫、宝物庫は戦火に見舞われず、貴重な書物、希少価値の高い武具等が無傷の状態で見つかった。中でもネントスが心奪われたのは、彼もそれまで一度も触れたことがない竜の牙が宝物庫で大量に見つかったことだった。カルカニア神聖国では、異形の生物を問答無用に忌み嫌う思想が信仰という形で市民にまで浸透しており、竜の殺戮が頻繁におこなわれていた。竜の亡骸――皮膚である鱗は、上質な革製品と生まれ変わり売買され、骨や爪も高く売ることができた。中でも竜の牙はもっとも高価に取引されていた。ネントスはしかし、竜の牙が高価に売れるということで喜んだのではなく、彼がまだ一度も創造していない竜牙兵をこれで完成させることができると期待して胸を弾ませたのだった。と同時に、打算が働いた。一大国に身を置けば、ネントスが触れられる文献や魔法生物に使用できる品物はその国の物だけ。ウーンサリス大陸では、全国で群雄が割拠していた。だが、大国、強国といった国でも自国温存政策に舵をむけていたようで、小競り合いはあったが、どの国も自分たちの命運を賭けてまで、本気で雌雄を決するということはないと、ウーンサリス各地を転々としていたネントスらは思っていた。しかし今からのし上がっていこうとするヌベル軍に属せば、全国の貴重な文献、高価な品物を手にすることができるかもしれない。ネントスは、カルカニアの宝物庫で竜の牙を見ながら夢想していた。もう自分の大国帰属論などどこかへ吹き飛んでいた。

 さっそくネントスは、竜牙兵を作成した。苦心の末、十二体できた。この十二体は次なる戦さで実戦を経験し、ヌベル軍勝利に貢献した。ヌベルはネントスを称賛した。この時のヌベルの笑顔がネントスの一生を決定づけた。――このお方の喜ぶ顔が見たい。そして、自分も充足したい。各国に眠る遺産を見聞し、知識を得、場合によっては、それをヌベル様のために活かし、貢献したい。時折、ネントスの魔法生物談義にも真剣な面持ちでヌベルは傾聴していた。益々ヌベルに心酔していき、いつのまにやらネントスは、彼に真の忠誠を誓っていた。それは今でも続いている。

 「――ネントスさま」

 ネントスのすぐそばに馬をつける彼の弟子が声をかける。が、ネントスは一点を見つめたまま反応しない。

 「ネントスさま」

 二度目の声かけにようやくネントスはそちらに首をむけた。

 「陛下のお出ましです」

 物想いに耽りすぎていたのか、ネントスは後方で湧きかえる兵士たちの歓声に今気がついた。馬を歓喜に湧く方へとめぐらせた。そこには自軍の兵に囲まれるヌベル皇帝その人がいた。ヌベルは戦場で兜は被らない。戦さ中でも、自分の溌溂な表情を兵士に見せ、彼らを鼓舞するためだ。そんなヌベルが、黒光りする甲冑を身に纏い、片手を上げ、兵士の声に応えている。どうやら開戦の号令をかけるために、前線に赴いてきたようだった。

 ――やはり無理だ。

 ネントスは結論付けた。

 あの時自分に向けられた笑顔を今も兵士たちにくばっておられる。あの笑顔に刃はむけられない。今後も魔人の力を見たければ、皇帝に直訴でもして魔人らと海を渡り、リデン大陸で一暴れすることにしよう。まぁ要求が叶うかどうかはわからないが……。ネントスは微笑みながら馬首を元の位置に戻した。ヌベルが手を下ろした。と同時に兵士たちの歓声がやんだ。じきに号令が轟く。

 ネントスは、ハルコニアでの戦い同様、開戦前魔人たちに自分の命令が聞こえればあの城壁を登り、中にいる敵兵を皆殺しにせよと命じている。

 あとはヌベルが大剣パゾスを抜き、戦いの合図を叫ぶのを待つだけだった。

 ヌベル帝国の兵士たちは、固唾をのんで自分たちの命運を握る一隊を見ていた。静けさだけが、ランシル城を取り巻いている。

 やがてヌベルが音もなく大剣を鞘から抜き出し、その剣先をランシル城に定めた。

 「突撃ぃ!」

 ヌベルの声が帝国軍とランシル城のあいだで轟いた。すかさずネントスが古代語を魔人の背めがけぶつける

 「ウォー!」

 静寂から動へ。

 魔人たちは獣のように咆哮し、駆けはじめた。ハルコニアでは棍棒を握りしめバルロスの鉄騎兵を打ち破った魔人たちだったが、今回は手に何も持っていない。彼らは城壁をよじ登り、城内になだれ込もうとしていたので、手に武器があれば邪魔になるから素手であったのである。それに彼らは素手でもその戦闘力が著しく損なわれることがないと前回の戦いで判明していたので何も問題はない。

 魔人たちは、空いた手を固く握りしめ、腕を大きく振り敵城目がけ疾駆する。大地の砕かれる音がヌベル陣営に届く。もちろん、ランシルの城壁で警備する近衛兵にもその音は届いているはずだ。すぐさま最高速度に達した彼らの走りに、ヌベル軍の兵士たちは度肝を抜かれた。ハルコニアと同様、彼らは凄まじい砂煙を上げながら疾走しており、その砂煙で魔人たちの姿が捉えにくくなっている。魔人たちとランシル城の間にはかなりの距離があったが、もう少しすれば彼らは城壁に到達できよう。

 そんな時、一陣の風が吹いた。

 魔人たちがつくった砂煙が流れる。

 「ん?」

 まず気付いたのがネントスだった。

 流れる砂煙のあいだに見え隠れする影がある。それもいくつも。

 「なんなんだあれは?」

 視線は砂煙を捉えたまま傍らにいる弟子に尋ねる。

 「どうかしましたか?」

 聞かれた弟子はネントスの発言の真意がわからない。

 「あれだ、ほらあれ!」

 ネントスが指さす。

 「あっ!」

 弟子も気がついた。

 砂煙に立つ影を。いやもうそれは巨大な人影と判断できる。

 風は砂煙をほとんど流しさっていた。

 「あっ……ああ……」

 ネントスは呆然とした。

 砂煙から姿を現したのは、魔人だった。彼らはこちらに背を晒し突っ立ったままその場で停止している。

 「なんだ、なにが起こった」

 思いもよらない自体が起こっていることは間違いない。

 ネントスに動揺が走る。が、異変に対して冷静に対処しようとつとめた。 ネントスはあぶみを馬腹にきつく当て、突っ立つ魔人に近づくため馬を走らせた。どうやら動きを停止させている魔人は全員ではなく、ざっと数えて五十体ほど。全員が全員突撃をやめたのではなく、残りの魔人は命令通りランシル城目がけ突撃を敢行しているようだった。証拠に、突っ立つ魔人の先には砂塵が続々と舞い上がっており、目を細め更に先に視点を合わせれば、数体の魔人が城壁をよじ登っていることがわかった。

 一部の魔人に何らかの不具合が起こり、彼らは停止した。ネントスは馬を走らせながら動かない魔人たちはもう戦力としては期待できないかもしれないと考えていた。それでも残りの魔人だけでもランシル城は落ちると確信していた。が、数は多いに越したことはない。ネントスは、停止している魔人に古代語を語りかけ、反応するかどうか試そうと彼らに近づきつつあった。もし反応すれば、再度ランシルむけて突撃を敢行させる。

 魔人たちの異変は、ヌベルら諸将や帝国の兵士たちにも確認できた。そして、ネントスがその立ち止った魔人たちに騎馬で近寄る様子も。

 「あれはなんだ? なぜ魔人たちが止まっている」

 ヌベルは、傍らにひかえるイルーンに尋ねた。イルーンは馬を進め、ヌベルの真横についた。

 「なにかが起き、魔人の一部が停止したことは間違いないですが、大丈夫だろうと思います。ご覧ください、まだ大多数の魔人は進撃を続けております」

 ヌベルもそのことには気がついていた。停止したのは、一部の魔人。それ以外は相変わらず突撃を継続させているようだった。

 「多分ネントスが魔人に近づいていったのは、かれらの反応の有無を調べるためで、古代語で語りかけ、それで動く魔人には再度攻撃を促し先行している魔人に合流させることでしょう。しかし仮に、今あの場で停止している魔人全てが起動しなくても、残りの魔人でミデール軍は殲滅できます」

 ヌベルも同感だった。たとえ魔人の数が百体に満たなくてもランシルは落ちるであろう。

 だが――

 「あの進撃中の魔人は大丈夫なんて言いきれるのか?」

 不安を口にした。

 「…………」

 イルーンに言葉はなかった。

 今活動している魔人たちが、絶対停止しないという確証はどこにもない。少しの時間のズレが生じているだけで、城壁に辿りつく前に停止した魔人と同じように現在動いている魔人も急に立ち止るということは誰にも否定できない。

 「しかしまぁ、魔人の力が期待できなくとも、城を囲む我々の正規軍だけで敵を殲滅できることは容易だ」

 表情でイルーンの心境を察したヌベルは、楽観した見解を述べた。実際ヌベルの言う通り、帝国側の勝利はまず間違いないだろう。難攻不落のランシル城とはいえ、主力のヌベルの黒騎士団はもちろん、兵数の大部分を占める一般兵を除いても、イルーン率いる魔法使いの一隊も今回ヌベル陣営には配置されており、他にも、暗黒闘士団、漆黒の馬蹄軍団、大僧正ピスバークの暗黒神官戦士団の一部も参戦している。魔竜団がいなくともミデール軍が籠るランシル城を落とすには十分な軍容だった。こちらも多大な損害を覚悟すればだが……。だからか、ヌベルとしては、サーガル魔剣士団の一部でも従軍させればよかったと後悔のようなものが一瞬脳裡をよぎった。剣技、そして着目すべきは彼らの敏捷性――身のこなし様だった。魔剣士たちは装備が軽装で、高々とそびえ立つランシル城の城壁を難なく登り切ることができよう。しかし彼らの不在が戦況を不利にするとは思われない。現状の軍勢でもミデールに勝利することは確かなのだ。

 「大丈夫だ」

 自分に言い聞かせるようにヌベルは呟いた。

 「はい」

 とイルーンが返事したとき、丁度ネントスが一体の魔人に辿りついた。

 その遥か前方には、城壁をよじ登る魔人が米粒ぐらいの大きさで確認できる。彼らは、ミデール軍の落石攻撃を受けていた。それでも意に介さず、魔人たちは城壁に爪をめり込ませながら四肢を巧みにあやつり、頂上を目指していた。

 とにかく残りの魔人は順調と、ヌベルが笑みを浮かべたとき、首が空を飛んでいた。

 ネントスの首がとんでいた。


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