~少女は永久を唄う~
これは、夢なんだ。
「やぁ、こんにちは…に、なるのかな?」
少女の目と目を合わせた『それ』は、チェシャ猫の様に口の端を引き上げて愉しそうに笑っていた。藍色の肩に掛かる程の癖の無い髪をさらさらと揺らし、大きな深紅の瞳を細める『それ』は少女と同じ年頃と性別だろう。
「はじめまして、うん。これが正解だろうね、君と私は初対面なんだから」
親しみを感じる話し方をする『それ』から、少女の本能が異質だと認識しなければの話だが。
『それ』が少女の返事が無いのに気にした様子を微塵も見せずに、雪の様に白く細い右腕を伸ばして少女の腹部に触れる。
「さてさて、挨拶が終わった所で本題に入ろう…ねぇ、君はこのまま死にたい?」
まるで世間話をする様に尋ねた『それ』は身を乗り出して、少女の顔を真上から覗き込む。
「死にたくないなら、助けるよ?ただ、ちょっとお願いがあるんだ…ん?」
少女の口から赤い液体が零れるのと共に、声にならない微かな風の音が鳴る。
「…そう、じゃぁ…」
ようこそ、神なき世界へ。
少女に告げた『それ』は、今にも泣きそうな。けれでも、愉快そうに歪んだ笑みを浮かべていた。
「じゃぁ、約束しよう。私は君の『命』を助ける。他は君の力で切り開くんだ。大丈夫、出来る筈だ」
直ぐに『それ』の笑みは歪んでつり上がったものになったが、少女の赤く濡れた手は優しく少女の目蓋に触れる。
「そうそう、君に頼むのは貸してもらう事。そして、ジークを探して欲しい事」
少女の目蓋が閉ざされ、闇に包まれるとぼんやりとしていた意識が薄れ始める。
「それじゃぁ、おやすみ」
やっぱり、夢なんだ。
意識を手離す瞬間、少女は『今』はそう、認識をした。
結果的に言えば、少女の『命』だけは助かった。
ただし、少女が発見された時は少女の腹部が切り裂かれ、辛うじて中身が飛び出していない血の池を作る死にかけの一歩前でなければ。少女を発見したグリズリーの様に大きな男は、あれはこれやと時には綺麗な女医を呼んで少女を見せている。
意識が朦朧とし、腹部の痛みに耐えながら死の恐怖を味わう。
「大丈夫だ、俺が付いてる」
涙を流して苦痛にもがく少女に、男は大きな背を丸めて少女の汗を献身的に濡れた布で拭った。
そんな日々を過ごした少女は、今。
「おぅ、シモーヌ。あんまり起きてるんじゃない」
ベッドから上半身を起こして窓の外の景色を眺めていた少女に、男が紙袋を片手に鼻に皺を寄せて唸る。
「大丈夫ですよ、グラハムさん」
「駄目だ駄目だ。窓から魔物が飛び込んで来たらどうすんだ」
「…魔物って…」
開いていた窓に男が手を掛けて、下から目があった若者に凄まじい殺気を送ると力を込めて窓を閉める。
「良いか、昔に仲間の一人が『男は女を狙う野獣で、見境も無いから幼い子供さえも餌食になる』と言っていたんだ」
YESロリータNOタッチの精神は無いのか。
真剣な表情でいう男に少女は、若干引き吊った笑みを浮かべて頷けば、満足そうに少女の頭を撫でてベッドの端に腰を降ろす。
「具合は良いみてぇだな…所でシモーヌ」
「はい?」
男が両手で紙袋をガサガサと揺らしながら、段々とその大きな背を丸めていく。焦げ茶色の瞳を少女を申し訳なさそうに見つめ。
「すまない、まだシモーヌの言う『ジャパン』っていう場所が見つかっていない」
「…そう、ですか」
男の言葉に、少女は心の中で納得して窓に顔を向ける。一見すれば外国の洋風の町並みに見える世界は、町を行き交う人や動物によって少女の知る異国では無い事を無情に見せつける。
現代において、剣や槍といった武器を持った鎧姿の人や。二足歩行で器用に荷台を引き摺る大の大人の三倍はあるワニには、頭に見事な橙色の鶏冠が生えている。
「異世界…か…」
意識を取り戻し、漸く腹部の傷も塞がりかけてきた頃。少女ー霜貫 晴香ーは此処が自身のいた世界では無い事を知ったのだ。