縁を呼ぶ廃墟 -6-
「この子、大丈夫かしら?」
倒れている少女を目にして、ゼフィアは懸念していた。
「まずは様子を見ることが先決だ」
アーネストの言葉を聞くとすぐに、ゼフィアは少女の様子を調べた。幸い、彼女の呼吸は安定していたものの、怪我は全身にいくつもあった。どうやら切り傷のようだ。
「生きてる……わね」
「気を失っているだけだ。傷自体は命に関わる程ではないだろう」
「……よかった」
少女が大事でないことに、ゼフィアはほっとした。
「安心している場合か、他にすることがあるだろう」
次に彼らは、少女の手当をすることにした。
ゼフィアが慣れない手つきで右足に包帯を巻いている間、すでにアーネストは左腕の包帯を巻き終えていた。実際に手当をした経験の差であろうか。ともかく、彼がこの場にいたことが、純粋に助力であることは事実だった。
しかし、少女がどうして倒れていたのかは不可解なものであった。
何故彼女は一人で人気のない場所を出歩いていたのか。おまけにこの廃工場周辺には、魔物も出没する。危険を冒してまで、彼女は何をしようとしたのか。
しかし、アーネストの見解では傷は魔物によってつけられたものではなく、刃物によってつけられた疑いが強いようだ。
そして、身につけていたシンプルな病人服は彼女が望んで着るとは思えない。
事情はわからないが、もしかすると彼女は、何者かから逃げていたのでは——。
「ん……?」
少女は、ぼんやりと目を開ける。
「目を覚ましたか」
「本当に!?」
ゼフィアは推理に夢中だったが、少女が目を覚ましたと言うアーネストの知らせを聞いて、我に帰った。
「お姉さんとお兄さん、名前は?」
少女はぼんやりとしたまなざしのままゼフィアとアーネストを見つめ、そして尋ねた。
アーネストとゼフィアは順番に名乗る。
「ゼフィアに、アーネストね。ありがとう、わたしを助けてくれたみたいで」
「それはどうも。……あなたの名前は?」
ゼフィアはばつが悪そうに、少女に対して名を尋ね返した。
「わたしはカトヤだよ。よろしくね、ゼフィア、アーネスト」
カトヤと名乗った少女は、屈託のない笑顔を向けるばかりだった。
「カトヤ。ちょっと聞いてもいいかしら?」
「なに?」
ゼフィアの問いかけに、カトヤはただ首をかしげる。
「あなた、どうしてあんな場所で怪我をしていたの? どこから来たの?」
ゼフィアの質問は、カトヤの経緯。彼女を取り巻く状況は明らかに不自然で、どこか引っかかりを覚えるものだった。
「それは……」
カトヤは困惑している。
「おい、困ってるじゃないか」
それだけではなく、アーネストからも怒られた。
「思い出した。わたしはただ、あの場所から逃げたかっただけなの」
「どうしてその場所から逃げたいと思ったのかしら?」
「あの場所にいる人たちはわたしをジッケンタイって呼んでいた。わたしに自由なんて、何もなかったから」
話によると、彼女は不本意ながらも何らかの実験に携わっていたらしい。それがどんなものであったのか、ゼフィアは気になっていた。知的好奇心は反応せずにいられなかった。
しかし、これ以上追求しない方がいいだろう。そう、ゼフィアは結論付けた。それは、カトヤ自身の名誉のため。いくら知りたいと思う事があっても、それが原因で他人に嫌な思いはさせたくなかった。推理の答え合わせは出来たのだから。
「悪いことを聞いてしまったみたいね」
「それに、あの場所にいる前のことを、何も覚えていないから」
瞬間、一転する場の空気。ゼフィアとアーネストは思わず顔を見合わせる。
記憶喪失。作り話の中ではよく聞く話ではあるが、彼らがこうして実際にそれを目の当たりにした人間を見ることははじめてだった。
「それは記憶がないってことか?」
「そうみたい。家族が誰なのかもわからないし、どこに住んでたかもわからないの」
アーネストはカトヤに尋ねる。当事者であるカトヤがこんなにも落ち着いていることが不思議だった。
ゼフィアは魔法に関する知識を頭の中で掘り返してみたが、記憶に干渉する魔法などといったものは思い当たらなかった。いくら魔法が便利なものであるとはいえ、そんな都合のいい魔法はないらしい。人の心はいつだって曖昧で、分からないことだらけだ。だからこそ、本当に信じられるものなのかが分からなかった。信頼できるものは、理論で解明できることだけなのだと。
本気で心に関わる魔法を研究している者たちもあるほどだ、魔法で人の心を解き明かすことが出来るのならば、それは夢のようなことなのだろう。実際、そんな都合のいい魔法は在りはしないものの。
「カトヤ。その怪我は逃げてくる時に負ったものなのか?」
ゼフィアが口を閉ざして考えにふけり始めると、アーネストはかねてからの疑問を口にした。
「そうだよ。ここまで逃げてくるだけで精一杯だった」
「そうか。よく一人で頑張ったものだ」
アーネストはカトヤに目線を合わせ、彼女の頭に手を置いた。
「優しいのね、あなた」
「冗談はよしてくれ」
「お世辞は苦手よ……って」
言ってから、ゼフィアは今自分がとんでもないことを口走っていたことに気がついた。
「まあ、お世辞だろうが冗談だろうが、ありがたく受け取っておくさ」
そんなゼフィアの反応を知ってか知らずか、アーネストは悪くないと言ったようにつぶやく。
「今の話は忘れて頂戴」
平然を装うゼフィアだったが、彼女の頬はわずかに赤かった。
あんな風に言われたら、どう出ていいかが分からない。
「……ねえ、カトヤはどうしたい?」
ゼフィアは、無意識のうちにカトヤを見る。
「わたしもゼフィアについていく!」
涙目ながらも、頑なな表情でカトヤはそう言った。彼女は上目遣いでゼフィアを見つめる。
「でも、これから仕事があって……別に、わざわざ私についてこなくてもいいのよ?」
「わたし、あなたたちなら助けてくれるって信じてる」
「私は便利屋じゃないわよ。ただ、魔法を使うことくらいしかできないわ」
「魔法は、何でも出来るから魔法なんじゃないの?」
「魔法が万能な訳じゃないのよ。使うためには勉強だってしなくちゃいけないし、魔力がないといけないわ」
この少女は本当に何も知らないのだろう。魔法が万能である事を信じる程には。
「そっかあ……」
がっくりとするカトヤ。
「カトヤを知っている人がいないか、調べることくらいならできるが?」
「本当!?」
アーネストの言葉に、表情を180度変えるカトヤ。それは彼女にとって、助け舟だったのかもしれない。
「カトヤも、帰るべき家に帰りたいだろう?」
「うん。思い出せるのならば、昔のことを思い出したいよ」
「そうそう」
「何かしら?」
アーネストはゼフィアの目を見る。何か用でもあるのかと彼女は思った。
「カトヤの件はお前の責任でもあるからな、ゼフィア。ちゃんと面倒見ろよ」
「私がいることで、足手まといにならないかしら」
「ううん、足手まといなんかじゃない。ゼフィアも一緒にいてほしいな」
「そう言うなら、仕方ないわね……」
口ではそんな風に言うゼフィアも、満更ではないような様子だった。
「よろしく頼んだぞ」
肩にポンと手を置かれる感覚。振り向くと、アーネストは微笑みを浮かべているばかりだった。寧ろ、その微笑みは釘を刺すために違いない。
「……ありがとう。ゼフィアもアーネストも!」
カトヤはアーネストとゼフィアの前へと駆ける。ハミングをするかのように、彼女はどことなく楽しそうだ。
「そんなに動いて大丈夫なの?」
「平気だよ。わたしはもう元気なんだから!」
ゼフィアの心配を振り切って張り切るカトヤではあったが、足取りはどこかふらついていた。
「無理はしないで。本当に歩けるの?」
転びそうになったカトヤを、ゼフィアは受け止める。その体重は、想定よりもとても軽かった。彼女の体格が華奢であるせいかもしれないが、尚更気が気でない。
「おい、後で倒れても知らないぞ。なんなら背負っていこうか?」
「大丈夫だよ。けど、本当にやばくなったらお願いしようかな」
カトヤを気遣うアーネストだったが、彼女はただ無邪気な笑みを浮かべるばかりだった。彼もまた、カトヤのやんちゃさに手を焼いているようだった。
崩れた廃墟はただ動かずに、彼らを見送る。
この出会いと歩みは、彼らの運命が動き始める一歩に過ぎないものでしかなかった——。