縁を呼ぶ廃墟 -5-
呆然と立ち尽くすゼフィア。彼女の肩は震えていた。
一瞬、目の前が真っ白になるかのような錯覚すら覚えた。
そんな彼女を嘲笑うかのように、ロボットのランプはチカチカと光るままだ。
「早く逃げよう。爆発に巻き込まれたらお陀仏だぞ!」
強く手を引かれる感覚があった。それがゼフィアを現実に引き戻すきっかけとなっていた。
遅れをとらないように、ゼフィアは懸命に走ろうとする。
先を行く男は、胸甲を身につけ、魔物の相手をするために使っていた幅広の剣を背負っていたものの、それでも彼女よりも駆ける足は速かった。彼の背中を追いかけるだけでも、ゼフィアは必死だった。
それは、彼女自身の弱さ、そして見通しの甘さをも思い知らされる瞬間でもあった。
魔法の探求という閉ざされた世界の中で生きてきたゼフィアにとってみれば、世界が広いことは知る由もない。
周囲に立つ壁のコンクリートは所々にひびが入っており、錆びた鉄筋がむき出しになっている。
建物を支えるだけの力は残っているようではあるが、強い衝撃を加えるとあっけなく崩れてしまいそうだ。
そんな場所に爆発物が仕掛けられていると考えると、長居できる筈はない。
ゼフィアはただ、何も成果が成せなかったことが、悔しくて仕方がなかった。
なりふり構わず、近くにある出口を目指して二人は走り続ける。
ゼフィアが往路で辿った経路とは違うようではあった。工場はあまり規模の大きなものではないとはいえ、それでも調査するにあたって広さはあった。前を行くこの剣士は違うルートで工場に潜入したのであろう。
走りに走って出口が遠目から見え始めようとしていた、その時。
突如、背中に爆発音が響いた。衝撃が身体にも伝わってくる。
「自爆というのは本当だったのね」
遠くから聞こえるのは、ガラガラと鉄やコンクリートが落ちてゆく音。それは、崩壊の波のはじまりだった。
「まずい、建物が崩れる——!」
工場は手入れがされていないために、日に日に風化している様子だった。そんな所に一発衝撃を加えたら、連鎖反応で全体が崩壊してもおかしくはない。
二人は出口へと一目散に向かう。
ようやく外へ出られるか——そう思った時、天井は今にも崩れようとしていた。
このままだと潰されてしまう、でも出口までは三歩ほどの距離が——!
突如、ガキンと金属がぶつかり合う音が鳴り響いた。上を見ると、落下した鉄柱を剣で押さえる男の姿があった。
礼を言っている余裕はなかったが、彼に恩を感じながらゼフィアは出口まで駆けていった。ゼフィアが無事に出口へと脱出できたことを確認すると、男も工場から外へと出てきた。
その間、ゼフィアは工場が崩れていく様子を垣間見る。
「何をぼんやりしている、こっちだ」
剣を背中の鞘へと仕舞いながら、男は言った。
「は、はいっ!」
工場の建物からは抜けたものの、工場のある土地から抜け出した訳ではない。
工場の真の出口——すなわち、工場のまわりに張り巡らされた有刺鉄線の破れ目までは少しばかり距離があった。
爆発での瓦礫に巻き込まれぬよう、有刺鉄線に沿って道を行ったはいいが、それでも塵が視界を覆おうとしていた。
ずっと放置されていたためか、きっとほこりも溜まりに溜まっていたのだろう。
塵が舞う地を進んでいく中、抜け道がかすかに見える。
二人はそこを抜けた後、工場から離れようとした。
「ごめんなさい、手間をかけさせてしまったみたいで」
歩いてゆく途中、工場が崩壊していく様子を眺めながら、ゼフィアは咳をしながらそう言った。
ほこりが気管に入ったのか、わずかに呼吸が苦しい。
ただ、剣士の男が気がかりであった。偶然同じ場に居合わせただけではあるものの、彼の助けを得ることがなかったら無事に脱出できるかもわからなかっただろう。そう思うと、恩を感じずにはいられなかった。
「無事ならそれでいい。お前……と呼び続けるのも難だろう。名前は?」
「ゼフィアよ、ゼフィア・サージェス。あなたは?」
「アーネスト・ベレスフォードだ。ゼフィアに言っておきたいことがあってな」
「何かしら」
「あの時、ロボットと大勢の魔物に向かって魔法を使ったことはいい判断だった。礼を言わせてもらう」
「どういたしまして……」
「けれども、遊び半分で魔物へと手を出すのはよせ。普通なんとかなるものではないのだからな」
突然お礼を言われたことに戸惑うゼフィア。そこに、アーネストは彼女へときっぱり忠告をした。
「……そう。お邪魔だったようね、私」
「いや、そんなつもりではなかったのだが……そう、お前も目的があってここに来た訳だろう?」
皮肉げに呟くゼフィアは、どこか遠くを見ているような目をしていた。そんな彼女に対して、言葉を濁すアーネスト。
「ええ。けれども、こんな派手にやられちゃあね。なんて報告すればいいかしら……」
「仮にあのロボットが元凶であるならば、この場所に魔物が現れることも、魔法の気配を感じることもないだろう」
「あのロボットを調べられたら良かったのだけれども——」
「終わったことを気にしても仕方ないだろう。ゼフィアはこれからどうするのだ?」
「フィエントに戻って、研究所に報告に行くわ。始末書書かされることも、覚悟してる」
ゼフィアにとって、アーネストの問いは懸念の種になっていた。
もし魔物がいると知っていて、脆い建物であると知っていてここに派遣したならば。そうゼフィアは考えていた。
ただ、憧れであった魔法研究所で働くことができたとはいうものの、都合のいい道具のように扱われていることに対しては不満だった。今回も結局は、そんなケースだったのだろう。
それが不条理なのか、自分自身に問題があるのかすら分からない。
依頼は実力を上層部に見せることができるチャンスではあったが、それもあっけなく失敗してしまった。
そんな状況の中で、いつ自分の研究ができる——? それがゼフィアを焦らせた。彼女の焦点は遠い。しかし、遠くを見ていたからこそ、目に入ってしまったものがあった。
「見て、あれって……!」
ゼフィアは思わず声を漏らす。遠目からではっきりと姿は分からなかったものの、病人のような真っ白い服を身につけた、金髪の人が倒れていたのだ。
「何だ?」
アーネストは訝しげであったが、すぐにその表情は変わった。
無言のまま足を速めるアーネストに、ゼフィアはただついていくばかりだった。
現場を見て、ゼフィアが驚いたことはもう一つあった。
それは、倒れていた人物が小柄な少女であるということだった——。