縁を呼ぶ廃墟 -1-
「私は何をやっているのだろう」
ゼフィア・サージェスは心の中にそんな疑問を持ちながら、魔法研究所の廊下を歩く。
癖のある赤髪を長く伸ばし、ありふれたデザインの楕円眼鏡をかけている、二十を過ぎたあたりの娘だ。白いローブ姿が、彼女が魔法を学ぶ人間であるのだと示している。
彼女は、彼女の全てを否定されながらも、それにしがみつくことしかできなかった。
彼女の全て——それは、魔法。
魔法による技術が発展したこの世の中であっても、彼女の魔法に対する執着はとりわけ浮世離れしていた。
だが、ゼフィアは、この世界にどこか生きづらさを感じていた。死と隣り合わせの苦行を強いられている訳ではない。ただ、彼女はどこかこの世界に違和感を感じていた。魔法の世界に浸っていればそれだけで十分だった。
幼い頃の記憶はほとんど覚えていないといっても等しいが、魔法が織りなす数々の神秘を目にしたときの感動は今でも覚えている。それからというものの、ゼフィアは魔法を学ぶためだけに邁進してきた。
魔法のメカニズムが解明されてからというものの、この世界は魔法によって発展してきたといっても過言ではない。それだけではなく、魔法は人々の生活をより快適なものにした。
魔法は必ずしも万能なものではないが、既に、人々にとってなくてはならないものと化していた。
例え魔法の副作用——概して魔法灰と呼ばれるものが自然と人とに害をなしたとしても、人々は魔法の恩恵から離れることが出来なかった。
誰もが魔法を使うために必要な魔力を持つが、魔法を使うためにはその仕組みを理解しなければならない。簡単な魔法であれば子供でも行使できるが、高度な魔法を使おうとなると、深く魔法を学ぶことが必要なのだ。
魔法についての知識を得て、そして更に新たな魔法をこの手で発見することを期待して、ゼフィアはこの研究所に身を寄せようとした。未だ開発段階の魔法もこの目で見ることができるかもしれないと思った。けれども、結果がこのザマだ。懸命に書いた論文が認められたことなど、一度もなかった。
ゼフィアは研究所に入っておよそ一年半になるが、この場所で任される仕事といったら、未だに実験の後始末や雑用ばかり。
自分の研究テーマを企画しようとしても、論文を見てもらえずに捨てられたことが多かった。酷い時には、目の前で燃やされたこともあった。
同期の者たちは殆どが自分の研究に打ち込んでいる。そのため、自分に実力が足りないのだろうかと、ゼフィアは考えた。だが、実力を上司に示す機会がなかった。
ゼフィアはそんな状況を不条理だと感じていたものの、心当たりがないわけではなかった。男社会のこの業界において、女であるゼフィアはマイノリティだ。
それに、この研究所の学者たちは、排他的な者が多いように感じる。我こそがと、学者たちは誰よりも速く成果を上げようと必死だった。そのため、新人や少数派は相手にされにくい。
人のことは言えないが、つくづく頭の固い連中ばかりだとゼフィアは思っていた。
「こんなもので、どうして心ゆくまで研究できよう?」
彼女は何と無しに廊下の壁に寄りかかり、現状への打開策を考えようとした。
遠く離れた故郷に帰ったって、こんな不当な扱いをされているなど言える筈もない。
別の研究所に移るにしても、人材を募集している研究所は少ない。それに、研究所を移るということには何かと手間がかかったのだった。
「ゼフィアくん、ちょうどよかった」
ぼんやりと考えにふけっていると、上司がゼフィアを呼ぶ声が聞こえた。
「何でしょう、博士?」
「実はゼフィアくんに、頼みたいことがあってね」
教授は抑揚のない声で、用件を淡々と伝える。
「はい」
わずかな希望だけを胸に残して、ゼフィアは返事をする。いい予感はまずしなかった。
「廃工場の調査に行って欲しいんだ。無人であるはずだが、何故か魔法の気配が存在する。その原因を探ってほしい」
「え……」
予想外の発言に、ゼフィアはあっけにとられていた。またどうせ雑用をやらされるのだろうと踏んでいたからだ。
「地図はこれだね。頼んだよ」
加えて、上司は地図を取り出した。簡単にしか描かれていないが、これで迷うことはないだろう。
「あ、そうだ。あの工場は、ただの工場じゃない。魔物が住処にしている。くれぐれも気をつけることだね」
魔物。それは、魔法の発達とともに活動的になった生き物たちである。彼らには不明な点も多く、魔物学者が研究を進めている程だ。種にもよるが普通の生物よりも体が大きく、好戦的で人をよく襲うことから、しばしば戦士や魔法使いの間では討伐の対象にされていた。
「承知いたしました」
ややあって、ゼフィアは地図を受け取った。危険な仕事ではあるものの、やっとまともな仕事にありつける。そう考えると、ゼフィアの胸は高鳴った。不安よりも、わくわくした気持ちが増して仕方がなかった。そう、それはまだ見ぬ場所への旅立ちを告げるかのように——。