少女は自由を恋い焦がれ
彼女はただ、追っ手から逃げていた。癖のない金色の髪を短く切り揃えた、小柄で中性的な印象の少女だ。
彼女の足はとても速い。複数の男が少女を追っていたが、彼らが追いつくことは叶わなかった。寧ろ、少女は追っ手の男との距離を広げようとしている。
だが、そんな状況の中でも、彼女は一度も後ろを振り向くことはなかった。
少女が願うことはただ一つ――それは自由。
目を覚ましたとき、彼女は無機質な部屋の中にいて、ベッドの上に横たわっていた。今までに何があったのかも、全く思い出すことが出来ない。名前と年はかろうじて覚えていたものの、親が誰で、自分が何者かも分からない。少女はある種の記憶喪失だった。
けれども、この外には空があり、大地がある。外にはここよりもずっと、広い世界が広がっている。そんな記憶だけはかろうじて残っていた。
部屋で初めて顔を合わせた人間は、フードをかぶり、マスクをした得体の知れない人物だった。彼は医者だと名乗ったが、医者とはにわかに信じがたい姿だった。
その自称・医者は、事故で頭を打ち、そのショックで記憶喪失になったという経緯を少女に話した。だが、彼が事故の詳細について話すことはなかった。
そんな訳だから、彼女は部屋の中に閉じこめられていることに違和感を覚えていた。たまに部屋の外へ連れ出されても、リハビリと称した訳のわからない実験をさせられる。そんな日々なんて、苦痛でしかならない。外へ抜け出せ、そう彼女の本能が告げていた。
どうしてこんなに速く走れるのかはわからない。不思議だと少女は思ったけれども、それを特に追求しようとはしなかった。彼女にとっては、外に抜け出すことがまず第一だったからだ。少しでも早く逃げ出したかったから、この身軽さはむしろ恩恵だった。
隙をみてこの得体の知れない病院を抜け出そうと、目を覚ました時から少女はずっと考えていた。だから、抜け道のルートはなんとなしに把握している。
走り続けると、ようやく出口にたどり着いた。
少女は希望を胸に、出口の扉を開く。
しかし、外の世界で待っていたのは、追っ手と同じ制服で身を固めた、この病院を騙る研究所の衛兵たち――。
少女は、自身の計画の穴を感じていた。この研究所には出口が一つしかない。
それはすなわち、先回りした衛兵はどこから少女が逃げるのかを熟知しているから、彼女を包囲することが出来るということ。
実際問題、少女はそこまで考えてなかった。
「せっかくここまできたんだ。なんとかして逃げ切ってやる!」
だが、少女の考えは揺るがなかった。
「命は保証する。だから大人しく、部屋に戻るんだ」
衛兵の一人は、少女を説得しようとする。
「ぜったい、嫌」
しかし、少女は大人しく引き下がる気がないようだった。
少女は衛兵と睨み合う。衛兵たちの視線は彼女に注がれる。張りつめた空間が今にも作られていた。
頑なな少女は、睨んだまま一言も口にしようとはしなかった。
「仕方ない、ここは実力行使に出るしかないようだな。くれぐれも、殺してはならないぞ」
しばらくの沈黙の後に、少女を説得しようとした衛兵は剣を鞘から抜く。
衛兵たちは少女を殺さないことにこだわっていたようだが、少女にしてみればあの場所に戻ることこそ、生きながら死ぬことに等しかった。
少女も対抗して、手にした一組の双剣を鞘から抜く。これは逃げる前、彼女が監視の目をかいくぐって密かに盗み出した二本のショートソードだった。
一対多数。おまけに、一のほうは小柄で華奢な少女。明らかに不利な状況ではあるものの、少女が怖じ気付くことはなかった。
「ただ、わたしは外の世界を見てみたいだけなんだ。だからそこ、どいてくれない?」
少女はその手のショートソードに目配せをする。そして、周りをぐるりと取り囲む敵を眺めて、無邪気な微笑みを浮かべていた――。