第五話
朱詩の様子がおかしい――。
そう告げた明睡に、周囲の反応はというと。
「朱詩がおかしいのはいつもの事よ」
と、茨戯が。
「寧ろおかしいから上層部なのですわ」
と、明燐が。
「まともな神経してたら今頃は墓の下だ」
あはははははと笑う史に、うんうんと頷く修羅。
即座に百合亜の説教が始まるが、史は耳栓をし、修羅は右から左に聞き流す。
因みに、他の上層部も皆似たり寄ったりの反応で、全く仕えない。
「そうか、相談した俺が馬鹿だった」
駄目だこいつら、と明睡は頭痛を覚えた頭を手で押さえる。
「景気づけに朱詩を鞭で打って差し上げましょうか? お兄様」
「殺し合いになるからやめてくれお姫さまっ!」
というか、果竪の部屋で取っ組み合って怒られたばかりだろうと明睡は妹を説得した。
しかし、流石は凪国の女傑。
明燐はキラリと目を輝かせ、ハンッと胸を張った。
「この私に二度目はございませんわお兄様。次こそは仕留めてさしあげますわ」
「誰をだ!」
「お兄様、民主主義って素敵ですわね?」
やる気だ。
マジで殺る気だうちの国王をっ!!
ってか、絶対王政から民主主義に変更可能なら、とっくの昔に萩波が王位を辞退してるわっ!!
「うふふふ、腕が鳴りますわ」
「お、お姫さま、やめてくれ!! 今殺られたらうちの国が潰れるっ」
「新しいものは古きものを潰す事で生まれるものです」
正論だが、現時点では生まれる前に一緒に消滅する。
「さあお兄様、今こそ革命の時です!」
「頑張って、明睡」
「けど、ほぼ百パーセントの確率で返り討ちだよね」
「ってか、髪一本残らず消されると思うけど」
というか、なんで俺が革命を起こす流れで言っているのか?
「とりあえず、革命起こす前にお前ら潰す。百合亜、修羅殴っていいか?」
「え?! 明睡、修羅を殴らないで! 女の子なのに傷が残ったら結婚出来なくなるわっ」
「明睡、僕(の顔)をめちゃくゃにしてよ」
「修羅?! そんな大胆な告白――ってか、明睡、涼雪というものがありながら」
「大丈夫ですわ、百合亜。お兄様と修羅が乳繰り合ったからといって涼雪には何の影響もありませんわ、これっぽっちも」
「あ、明睡が倒れた」
床に転がりシクシクと泣く明睡に茨戯がカツを入れている。
しかし、明睡のボロボロにされた心は巨大鮫すらも通り抜けられるほどの大きな編み目となって入れられたカツが抜け落ちていく。
「お前らは鬼だ! 悪魔だ! この隠しても隠しきれない性格と根性悪の集まりどもがっ」
「いやいや、主にアンタの妹がその主犯格だし」
「俺のお姫さまがそんなことを言うものかっ!」
「分かったわ明睡。あんたの頭も素敵に腐ってるから」
五十歩百歩。
似たり寄ったりの性格破綻者集団。
その中に明睡もしっかりと属していると茨戯は断言した。
「それで、朱詩の事はどうするのです?」
「朱詩も性格破綻者に決まってるじゃん!」
「修羅、そうじゃなくて」
百合亜が修羅をたしなめた。
「けど、確かに朱詩の様子がおかしい事は確かでしょうね」
「さっきはそんな事言わなかったくせに」
「明睡、百合亜の意見に反論したら赦さないよ?」
「あ? 果竪はこの前思い切り反論してたろ」
「果竪は良いの、可愛いから」
理不尽が服を着て歩いているような修羅に、明睡は強すぎる破壊衝動がこみ上げた。
しかしここで戦った所で、周囲に甚大な被害を与えるだけだとして必死にそれを押さえつける。
「明燐はどう思いますか?」
「そうですわね~。まあ、朱詩が小梅をからかうのも、小梅がそれに対して怒るのもいつもの事ですが――」
「なんか違うのよね、アノ二人」
茨戯の言葉に、他の上層部が頷いた。
からかうのも、それに小梅が怒るのも同じ。
けれど、違うのだ。
そう――なぜなら、この前もそうだが朱詩と小梅が取っ組み合う、しかも互いに怪我するまでの取っ組み合いなど大戦時代はしなかった。
いや、凪国が建国して間もない頃もそんな事はなかった。
からかうけど、冗談。
小梅もそれに気づき、怒っているけれど、どこかで「仕方ないな~」みたいなとこがあった。
けれど、今では本気で言い合い、そして取っ組み合いになる事などしょっちゅうだった。
朱詩はおかしい。
けど、小梅もまたおかしい事に上層部は薄々気づいていた。
以前は笑って聞き流した筈の事を、小梅もまた聞き流せなくなっている。
冗談なのに、本気で受け取る。
特に――。
「まあ、このまま放置しとくのはやっぱり無理かね~?」
「したら後で被害は倍になって返ってくるけど」
「というか、原因は何なんだよ」
「ってか、朱詩は何に苛立ってるんだ?」
上層部の一神の言葉に、明睡は大きく息を吐くとその一言を告げた。
「……ああ、あれか」
「あの体質は……うん」
「けど、それは朱詩も重々承知だったろ。ってか、それが分かっていて小梅にちょっかいかけまくってたんだろ?」
「しかも、小梅の事を好きになったんでしょう?」
何を今更――という空気が流れる。
「それにさぁ。その体質については研究とかしてるじゃん。何とかする為に――って」
「そうそう。忠望が中心になって」
忠望――それは、上層部に所属する一神である。
もともと家が薬屋だったせいか、異常なほどに薬の知識に富んでいるうえ、薬の調合に関しては凪国一と言ってもいい。
しかも、常に自分が作った薬の実験台をもとめて徘徊する危険人物だった。
ただし、仲間達や善良な市民に対して危険な薬の実験をする事は皆無で、実験台となるのは悪辣非道な悪人ばかりである。
その為か、任務や向こうから起こした戦いの場において、その実験は行われていた。
よって彼は、仲間達からは『狂科学者』、『マッドサイエンティスト』と呼ばれていた。
そしてそんな彼が今現在神生を捧げて取り組んでいる薬品が二つ。
一つは、『豊胸剤』。
真っ平ら過ぎる胸に悲観する果竪の為に何とか作ろうとしている。
というのも、果竪が必死に作っているのを見て何かを感じたらしい――たぶん同情。
だが、男でその薬の効果を実験するのはやめてくれ。
ただでさえ顔が女なのに、ここで胸まで膨らんだら色々と終わってしまう。
そしてもう一つは――
「朱詩の体質改善薬だっけ」
「むしろ、体質自体を変えるのだろ」
「まあ、あれはあってもあんまり役に立たないからな」
役に立たない事もないが、いかんせん効果が強すぎるし、下手すれば無差別で効果を与えてしまう。
しかも酷くなれば、いや、かなりの確率で中毒にしてしまうのだ。
おかげで朱詩の生活は多くの制約が必要となり、不自由さがあった。
朱詩が一カ所に留まらずに常にうろちょろしているのは、それも理由の一つだった。
「忠望、早く作ってやれよ、朱詩に」
「そうそう。お前なら何とかなるだろ」
忠望に、周囲の視線が集まる。
「って、あれ? 忠望はどこ行った?」
先程までそこに居た筈の忠望の姿はどこにもなかった。
雪を踏む音が聞こえる。
それを無視し、ごろんと寝っ転がっていた四阿の長椅子の上で、朱詩は向きを変えた。
「ふて寝か」
「……」
「しかも、無視か。良いご身分だな」
「五月蠅いな。僕、機嫌悪いんだから肉片にされたくなかったらとっとと消えて?」
「俺の方がメスの使い方は上手い。一番は修羅だが」
そう言うと、忠望は長椅子に横たわる朱詩を見下ろした。
「少し詰めろ」
「イヤだね」
「そうかい」
と、朱詩の体にドスンという重みによる圧迫感がのし掛かった。
「げほっ! な、なんで僕の上に座るんだよ!!」
「ここは椅子だ。椅子は座るもの」
「神が寝てるだろっ」
「詰めろと言ったのに詰めなかった方が悪い。それに、ここはお前一神のものじゃないからな」
「こんの馬鹿忠望がっ」
朱詩が腕を振り上げれば、あっけなく重みが消えた。
ストンっと、忠望が空中で一回転しながら地面へと降り立つ。
長い三つ編みの髪が遅れて舞い上がり、忠望の背中を打った。
「起きたか」
「僕としてはお前を永遠の眠りに就かせてやりたかったね」
「遠慮するよ。薬の研究をする時間がなくなる」
「ああ。全く効果のない薬の開発か。ってか、それはもう止めたんだっけ」
「止めた?」
怪訝そうに眉をひそめる忠望に朱詩がカラカラと笑う。
「そうさ! 作れる筈のないものに、お金も手間もかけている暇なんてないだろう? この、国の安定に忙しい時に」
「朱詩」
「駄目だったんだろ? 全部。ありとあらゆる方法を試して」
朱詩の言葉を忠望は黙って聞き続ける。
「確か、百種類はあったっけ? この世に存在する材料を調合し、考えつく方法で作り上げた薬剤。それ、全部駄目だったもんね? 確か最後の結果は一週間前に出たっけ、駄目でしたって」
「……」
「これなら、僕の体質改善の薬なんていう不確かなものに手を出さず、最初から別の病気の薬開発でもしてれば良かったよね」
「朱詩」
「そう、無理。全部駄目。どんなに頑張っても、僕の体質を変えるには至らなかった。少しもね。危険物はそのまんま危険なまま。本当に無駄な努力。むしろそのまま焼却処分?」
「朱詩」
「ああ、でも駄目だね。気化したらアウトだもん。だよね? だから、僕だけ湯殿だって別だし」
朱詩は楽しくてたまらないと言う様に笑い続ける。
「これが駄目なら――というところまで試したよね? うん。大戦時代から試してた。けど、結局駄目、全部駄目だった。だからもうおしまい。無駄な時間だったね」
「無駄?」
「そう。僕は一生このまんま。死ぬまでね。あ~あ、あいつらの大部分は死んだのに、もう男娼じゃないのに、今でも僕はあいつらの残したものに苦しめられる」
朱詩はぐっと体を後ろにそらせた。
忠望が視界から消え、見えるのは吹き抜けの四阿の柱から見える、空。
「傍に長く居るのも駄目、触れるのも駄目、だから結婚も出来ないし、子供だって持てない。家庭を築く事も無理。独り身決定だね~、それか、兵器? ああ、それがいいよね。ムカツク国に潜入して王と上層部をたぶらかしまくって手玉にとるのもアリだよ」
「まだ方法はある」
そう告げた忠望の視界に、朱詩が迫る。
「がっ!」
「あ? 何? なんか言った?」
忠望の首が、朱詩の腕に締め上げられていく。
「しゅ、し」
「方法? あらゆる方法を試したのに?」
「が、あっ」
「痛い事も我慢した。恥ずかしい事も我慢した。それでも、どうにもならなかった」
「あ、く、うぅっ」
「言えよ、本当の事。期待させんなよ、無理だって言えよ。もう打ち止めですって」
朱詩の瞳が、闇を宿し始める。
輝く瞳が、ゆっくりと濁り始める。
「もう駄目でした。何の方法もありません。君はその淫らで嫌らしい可哀想な体で一生生きていかなきゃならないんですって、言えよ」
「く、ぐぅっ」
ギリギリと締め上げる力に、忠望の意識が薄れていく。
けれど、ここで気を失えば待つのは確実な死だろう。
それだけではない。
ここで忠望が落ちれば、朱詩はずっとこのままだ。
「はな、せ」
「言えよ、そしたら離してやるから」
狂気の笑みが、忠望に迫る。
「ほう、ほうは、ある」
「あぁ?!」
「まだ、み、つか」
「見つかってない方法がある、だと? 本気で言ってるの?」
嘲笑う笑みを浮かべる朱詩。
その手が緩んだ隙に、忠望は朱詩から距離を取った。
「ご、がはっ」
「それってあれなの? 見つかってないけれど、いつか見つかるかもしれないから期待して待っててって」
「そ、そう、だ」
「ふざけんなよ! そうやって期待させて、どうせ見つからないで終わるだけだろっ」
「……」
「期待させて、もしかしてって思わせて。でも、結局無理だった。作れる筈ないって、いつもいつも笑いながら言ってただろ!!」
「そいつの名前を教えろ」
忠望の声の温度が下がる。
「はぁ?」
「クビにする。そんな事を言う奴に研究する資格はない」
「何言ってんだよ」
「作れる筈がない? 出来る筈がない? 不可能を可能に、新しいものを見付ける為にするのが研究だ」
「……」
「どんなものだって、最初からそのままあったわけじゃない。先神達が必死に探し出して、研究して、その理論が正しいかを何度も実験して、その上で世に出ているものなんて沢山ある。そしてそこには、数え切れないほどの失敗が生まれている」
忠望の眼差しに、朱詩が気圧される。
狂科学者のくせに。
危険神物のくせに。
「薬だってそうだ。新しい薬を作り出す。今までなかった薬を作り出すには、それこそあらゆる方法を試すし、それで駄目なら今までにない方法を考え出して作る必要がある。今の方法が駄目でも、新しい方法では可能かもしれない」
「その方法が見つかるのかよ」
「見付ける」
「そんな方法があるのかよ」
「なければ作る」
淡々と告げる忠望に朱詩は言葉を詰まらせる。
「既存の方法が駄目なら、新しい方法を考えればいい。出なければ、出るまで考える」
「それで出るなら簡単だよね」
「だから難しい。けど、そうやって作り出された薬は沢山ある。そしてそれらは、その薬を作った者達が諦めなかったから出来たんだ」
「……」
「どうして諦める? 全ての方法を試したわけじゃないのに。確かに今考えつく限りでは全ての方法かも知れないが、それが本当の意味での全ての方法だとどうして決められる?」
「うる、さい」
「そう言うのは図星だからだろう」
指摘された朱詩がくわっと忠望を睨み付ける。
その手が伸びかけ――けれど、忠望の首を絞める事なく握りしめられる。
「期待したくないなら、しなければいい。けれど、俺は止めない」
「無駄だよ」
「どう言われようと構わない。俺が勝手にやりたいから、やる」
「馬鹿だね、君」
「ああ、馬鹿だ。というか、馬鹿じゃなきゃ研究者なんてやってられない」
本当にその方法が正しいかなんて、誰も教えてくれない。
新しいものを探す時などは特にそうだ。
それでも、何度も何度も繰り返して結果を出し、それが正しいのだと証明する。
「あれさ。最後まで信じ切る――俺としては、それが大切だと思っている」
「……」
「まあ、完成の報を気長に待ってろ。どうせ俺達は神だ。寿命なんてあって無いに等しいんだからな」
忠望の言葉に、朱詩はグッと唇をかみしめる。
「本当に、出来るのか?」
「さあな。試してみない事には分からん。そしてそれを完成させられるのが俺かも分からん。ただ、その研究をしているのが俺だから、その可能性は高いだろう」
「完成したら、普通に僕は暮らせるの?」
「その方向での効果を発揮する様に研究している」
「……じゃあ」
忠望の手が、朱詩の頭に触れた。
「その未来が叶うかは、お前次第だ」
「それって」
「とりあえず、小梅をからかいまくってばかりいる時点では低いな」
「――っ」
痛いところを突かれ、朱詩は顔を赤らめた。
「な、ならどうすんだよ! 今告白して気持ちを伝えたって触れあえない! けど、何もしなければ他の男が小梅に目を付けるっ!」
「からかわないで優しくすればいいだろ」
「優しくしてもし小梅が僕にべた惚れしちゃったらどうすんだよっ」
どうすんだよ~~
どうすんだよ~~
どうすんだよ~~
間延びするエコーの中、忠望はゆっくりと手をあげ。
「ないない、絶対ない」
「ちょっ! 研究者は不可能を可能にするんだろっ」
「確かにそうだが、今のはない、うん、ない」
「ふざけんなっ!」
「ってか、むしろ優しくした時点で気持ち悪がれて距離を置かれるな。日頃の行いの悪さだな」
「忠望に言われたくないよっ」
キーキーと騒ぐ朱詩に、忠望はひたすら手を横に振り続ける。
というか、長年培ったものがそう簡単に変わるわけがない。
けれど――。
「とりあえず、大戦時代の時みたいな関係には、戻れるかもな」
からかっていたけれど、それでも今とは違っていたあの頃。
仕方ないな~と最後には結局赦していた小梅。
小梅の優しさにつけ込む卑怯なやり方だが、未熟過ぎる朱詩の精一杯のコミュニケーションだと、どこかで小梅も気づいていた筈。
だからこそ、小梅は赦していた。
そうして、二神で、長い時を一緒に居た。
「昔、みたいに、か」
「小梅の中での今のお前の評価はマイナス値だからな。とりあえずゼロ地点まで戻ってこい」
「それってつまりどうとも思われてないっていう」
「わかりやすくて良いだろ。どんなものでもゼロからのスタートだ」
そう言い切る忠望に、朱詩は先行きの不安を感じたのだった。