第四話
「朱詩、あんたって本当に馬鹿よね」
「イタタタ……ってか普通顔を殴る? この綺麗な顔をっ! 商売道具が使い物にならなくなったらどうしてくれるのさっ!!」
一度は百合亜に手当された筈の朱詩は、王の怒りに触れて更なる傷を増やし、今、小梅に手当されていた。
もちろん、王妃の間ではなく――朱詩の部屋にて。
あちこちにぬいぐるみが転がっており、到底男の部屋とは思えない少女趣味っぽい部屋なのはもはや誰も突っ込まない。
「商売道具って……そういう事、大きな声で言わないの」
「別にいいじゃん! どうせここには他の相手なんて居ないし」
一緒に怒られた明燐は明睡の所だし、百合亜と修羅は医務室へと避難した。
もちろん、果竪は萩波を宥めて王妃の間に留まっている。
よって必然的にその場から朱詩を外に連れ出して部屋まで運び、その傷を手当てが出来た相手は小梅しか残らなかった。
「ってか、マジで痛いって! ったく、ムカツク、殺す、マジで萩波殴るっ」
「出来るならやってみれば? どうせ無理だから」
「酷いよ小梅っ!」
「何が酷いの。そもそも萩波に勝てる相手なんて上層部にも居ないでしょうが」
全員でかかっても、萩波に潰された過去を思い出して朱詩は呻いた。
「それはそうだけど」
「それにそこまで怪我したくなかったら庇わなきゃ良かったでしょうが」
「庇ってなんかいないよ」
そう言ってふいっと顔を背けた朱詩に小梅は苦笑した。
明燐を庇い、明燐の分まで萩波に殴られた朱詩。
その点だけは――。
「なんで頭を撫でるんだよ」
「褒めてるの。ちゃんと明燐を女の子扱いした事」
基本的に朱詩は、男だろうが女だろうが関係ないという信条の持ち主である。
だから敵対すれば女だろうと徹底的に潰しにかかるし弄ぶ。
そんな朱詩が一応女扱いしてくれるのが上層部の女性陣で、完璧女の子扱いしているのが果竪である。
だから果竪が怒られていれば身を挺して庇うが、他の上層部の女性陣の場合は身を挺してまでは庇わない。
「どんな心境の変化?」
「うっさいな」
ふいっと更に体ごと小梅から背ける朱詩だが、その頬が少しだけ赤い事に小梅は気づいて居た。
「ただ、今回の事は僕にも非があると思っただけだよ」
「ふ~ん」
ニヤニヤと笑いながら小梅が新しい包帯を手に取った。
そこで小梅はあれ?と気づく。
そういえば、大戦時代もこんな感じだったっけ。
今は遙か昔――とまではいかないが、それでもこんな風に二神でからかいもなく普通に話すのは久しぶり過ぎるほどに久しぶりだ。
そう――こんな穏やかな時も、あったっけ。
少しは優しくしてやるか――と、先程から邪魔になっていた服の袖をまくり上げた。
と、それを見た朱詩の目が見開かれる。
包帯を巻こうとした手を朱詩に止められる。
「朱詩?」
「もういい。後は自分でやる」
「自分でって」
「いいから。それより、もう暗くなってきたし、あんまり男の部屋に居ると良くないんじゃないの?」
「それを朱詩が言う?」
男だろうが女だろうが、部屋に入り浸る、こいつが。
「なんではいて……あまりにも密閉された同じ空間に居すぎ」
「え?」
「とにかく、早く外に出ろって言ってんだよっ」
そう言うと、朱詩によって小梅は部屋の外へと押し出された。
「ちょっ! 何するのよっ」
「お礼は後でするから今は帰れって言ってんのっ」
そして目の前で閉まった扉に、小梅は床に座り込んだまま切れた。
「こんの、我が儘朱詩の恩知らずうぅぅぅうっ!」
――廊下でぎゃあぎゃあ騒ぐ声も暫くすれば止んだ。
それから、五分もしないうちに扉が開いた。
「――なんだ、明睡か」
「なんだはないだろう」
溜め息をつきながら明睡が後ろでに扉を閉め、中に入ってきた。
それに目も向けず、朱詩は腕に包帯を巻き続ける。
「小梅が怒っていたぞ」
「だろうね」
「手当をしてくれている相手を追い出すのか」
「仕方ないだろ」
朱詩の言葉に、明睡は腕を組みながらため息をついた。
「確かにお前の体質は知っている。けれど、百合亜には手当をさせていただろうが」
「百合亜は、ね。時間も短かったし、直接僕に触れないように手袋してたし」
「特別製の手袋か」
「それでも効果があるのは僅か。けど、小梅の場合は素手だったんだもん」
体の痛みが酷くて気づくのが遅れた。
しかし、小梅が袖をまくり上げた時に朱詩は見てしまった。
小梅がその手袋をはいていない事を。
「小梅にも伝えてあるんだろ? 手袋はくようにって」
「ああ。誤魔化すのに苦労したけどな」
手袋をはく理由は伝えず、ただ衛生面の為にとだけ伝えた。
だから今では、他の者達の傷の手当てでも手袋の着用が義務づけられている。
しかし、他の者相手にはく手袋と朱詩相手にはく手袋の効果と意味は全然違う。
「はいてなかったよ、手袋」
「はき忘れだな、完全に」
「それですむ問題かよっ!」
朱詩の怒声にも明睡は淡々とした様を崩さなかった。
「お前だって知ってるだろ! 僕の体質をっ! それがどんだけ危険か分かってるだろっ!」
「ああ――」
「なら、もっと慌てろよ! それよりお前も出てけよっ! 長く居るとお前も狂うぞっ」
「まだ部屋に入って五分程度だ。それに、窓も開いているから少しは余裕がある」
「汗の蒸発したものですら危険なのに?」
「汗をかく季節じゃない。今は冬だ」
「五月蠅い……五月蠅い五月蠅いっ」
喚き散らす朱詩に明睡は淡々と告げた。
「さっきは小梅に責任をとってもらわなければ――とかほざいていた男の言葉とは思えないな?」
「もう忘れたよ。それに、冗談に決まってるだろ?」
「してもらえばいいだろ? いっその事、責任とって」
その言葉に、朱詩が明睡に殴りかかった。
けれどその一撃は軽く受け止められた。
「本当に、ムカツクんだよ、お前」
「そうか」
「望めば触れあえる、抱き合える。どれだけ長くても大丈夫。僕には、俺には赦されないものを平然と享受しているお前も、他の奴らも全員ムカツクっ」
唸る様な怒声に明睡は眉一つ動かさなかった。
下手な同情をしたところで、この盟友の慰めにはならない。
「俺だって、俺だって……」
朱詩の足からガクリと力が抜け、その場に座り込む。
「俺だってこんな体になりたくなかったよ」
「当たり前だ」
望んでいたのは平凡な幸せ。
ただ、それだけだった。
「なんでだよ。唯一大丈夫な果竪は他の男のものってなんだよ。俺、生涯独り身決定じゃん」
好きなのに、好きでたまらないのに。
それでも触れる事が赦されない。
自分は小梅には相応しくない。
そんな事は分かっているのに望んでしまう忌まわしい自分を切り刻みたくなる。
けど、思うだけなら自由ではないか。
未練たらしくて何が悪いのか。
普通に触れあえて、それを幸せとも思わない奴らになど自分の気持ちの何が分かる。
「あのな、そもそもお前がそういう感情を抱いているのは果竪じゃないだろう」
「五月蠅い」
「あんまりからかうなよ、小梅を。おかげで今ではすっかり恋愛から遠のいてるだろう。今告白しても絶対に本当だと思われないぞ」
明睡の忠告に朱詩が馬鹿にした様に笑った。
「そもそもしないものを、どうやって本当と思うんだよ」
「しないのか、告白」
「しないよ。出来る筈が無い」
そんな事、とっくに諦めていた。
小梅への思いに気づいた時に。
けれど――本当に諦めているなら、どうして自分は離れないのだろう。
そんなのは分かりきっている。
諦め切れてないからだ。
いつか、いつかと願う自分が居るからだ。
こんな体質でも、小梅と結ばれる、そんな夢のような事を願っている自分が確かに居る。
他の男の方がお似合いだと思いながら、いざ他の相手と居る小梅の姿に耐えきれず、ちょっかいばかりかける――そう、最低な自分。
そしてそんな悪戯よりも朱詩はもっともっと酷い事を沢山してきた。
中でも――
「難儀な奴だな、お前も」
「ってか、告白とかいう以前の問題だろ。それに告白したとして、触れあえない男と恋神同士になって何が楽しいのさ。しかも、結婚したって肌を合わせられないんだよ?」
「神工受精」
「首折るよ、本気で」
あははははと笑う朱詩にも明睡は動じない。
「子供を得るだけなら出来るという話だ」
「ただの子造りマシーンだろそれ! ってか、そんな相手と誰が結婚したいんだよ!」
「お前、かなり女性側の心境にたっているぞ、それ」
「そこで心も女になったなとかほざいたら、殺る、本気で殺る」
それは明睡とて同じ事。
しかし明睡はその事については口にしなかった。
「で、愛情の裏返しでからかい続けていると」
「……」
「そういう所も難儀だって言うんだよ。本当に突き放したいなら近づけなければ良い。にも関わらず、中途半端に近づいて、しかもやる事は嫌がらせばかり。小梅が可哀想でならない」
「……」
「まあ、断腸の思いで突き放したくても、本当は傍に居たくて、触りたくて、触れたくて、自分のものにしたい――その思いの狭間で揺れて、全く関わりを断ちたくなくて、でも必要以上にふれあわないようにからかう、か。子供かお前」
「お前に言われたくないよ。明睡だって涼雪と満足に話すら出来ないじゃん、今」
「五月蠅い」
初めて、明睡の顔に表情が浮かぶ。
怒りと言う名の。
「僕の事はどうでも良い。だから、ほっといてよ」
「ほっとく? 他の男を近づかせないように、他の男に相手にもされないように、小梅の食べ物に砂糖を大量に入れるお前が?」
「可愛い悪戯」
「糖尿病で殺す気かお前はっ! 小梅がダイエットしても日々体重が増えてくって泣いてるの知ってるだろっ」
「大丈夫! 小梅は食べることが好きだから、僕が悪戯を止めても太るね、絶対! 今の小梅なんてコロコロとした卵だし」
駄目だ、早くこいつを何とかしないと小梅の血糖値がやばい。
しかし、そんな明睡の思いとは裏腹に、小梅の食事に混ぜられる砂糖の割合は全く減らなかった。
なぜなら、厨房職員が全員朱詩に脅されているからである。
そしてそれこそが、朱詩にとっての最大の足掻きでもあった。
小梅が誰にも見向きもされなくない体になれば――。
娶ることは出来なくても、ずっと小梅と一緒に居られる。
そんな醜い思いが成すものは、ある意味女性にとっては最低すぎる悪戯だと朱詩は果たして気づいて居るのか。
いや、悪戯ではない朱詩の血を吐くような妨害工作という時点で、これっぽっちも気づいていないのかもしれない。
しかしそれでも希う。
恋い焦がれて止まない。
それほどに、愛していた。
朱詩の過去を知り、その全てを受け入れてくれた彼女を。
『たくさん、思い出作りしようね』
哀しい過去を忘れるぐらいに楽しい思い出を作り続けよう。
そう言って、朱詩を受け止めてくれた、彼女を。
誰よりも、誰よりも。
愛しているのだ。