第三話
医務室に悲鳴が上がる。
「イタタタ……」
「全く、女の子なのに怪我ばかりしてどうすんのさぁ」
「それは朱詩がっ――タァ!」
ひっかき傷に消毒薬がしみて思わず涙目を浮かべた小梅に、上層部の一神であり医務室長の修羅がため息をついた。
あの後、朱詩と小梅を引き離した修羅と百合亜は更にいがみ合う二神の距離を取らせるべく修羅が小梅を、百合亜が朱詩を引き受けた。
逆にしなかったのは、朱詩と修羅が組み合わさるとすぐに喧嘩になるからだ。
別に仲が悪くて憎み合っているわけではないが、何故か並ぶとからかいあい、喧嘩となる。
「しかも朱詩はあれでも男なんだから、負けるのはどう考えても小梅の方な事ぐらい分かってるでしょうが」
「うぅ……」
「まあ、僕なら負けないけどね」
そう言って胸を揺らす修羅に本来なら「あんたも女だろう」と、その胸と美貌だけを見れば言いたい。
しかし小梅はこの修羅が完全たる女ではない事を知っていた。
奇跡の存在――両性具有。
それも、男性器と女性器を持ち、子供を産ませる事も出来れば産む事も出来る両性具有の中でも更なる稀少な存在だった。
誰が信じるだろう。
その可憐で愛らしい美貌と豊満な胸、くびれた腰という蠱惑的な肢体の股間に立派すぎるものがあるなどと。
そして朱詩にこそ敵わないが、常に色気ダダ漏れの修羅もまた多くの者達を惑わし狂わせる。
いや、上層部の殆どにそれは当てはまるか。
そんな彼は、学んだ医学を駆使して医務室長として働いている。
つまり、医師。
話しながらも的確に処置し、薬剤を扱う姿は小梅ですら魅入られるほどに鮮麗されていた。
「でも、朱詩が悪い」
「だから、可愛く醜い嫉妬って思ってあげてよ」
可愛く醜いって何だ。
いや、それよりも。
「嫉妬って何」
「嫉妬は嫉妬だよ。ってか、あのバカに言っておいてよ。殺さなかった事は良し! でも、半殺し一歩手前にすんなバカっ! って。この神手が少ない中で大工職神減らされたら王宮の補修工事が滞るっての」
「はぁ?! 何それっ!」
「だから、嫉妬に狂った天使様が暴走したんだよ。いい? きちんと伝えてね」
「それ、朱詩がやったの?! 何考えるのよあのバカはっ」
ドンッと壁を打ち、その痛みに小梅は体を丸めた。
「バカだね」
「私もそう思った」
溜め息をつく修羅が新たに湿布を取り出した。
「物資少ないんだから、余計な傷は増やさないでよ」
「はい」
湿布を貼られながら、小梅は素直に頷いた。
――所変わって、そこは王妃の間。
そこで朱詩が上層部の一神であり、女官長の百合亜に手当をされていた。
「イタタタ……あんの馬鹿小梅! 少しは手加減しろって! この僕の顔に傷ついたらどうしてくれるのさ! 責任もんだよ責任もんっ!」
「朱詩、顔が笑っていますわ」
「むしろにやけてるし」
鋭いツッコミをするのは、宰相明睡の自慢にして溺愛する妹姫にして、やはり上層部の一神の明燐。
鮮やかな朱色の髪を持つ彼女は凪国一の美姫と謳われながら、王妃付きの侍女長として辣腕を振るう。
見た目は匂い立つ色香の麗しい絶世の美姫だが、その内面が烈女に相応しい苛烈な気質である事を知るのは王と上層部ぐらいだろう。
一方、百合亜もまたそのキツク冷たい美貌が表す厳しい性格から烈女の称号を得ていた。
けれど、磨き抜かれた宝玉、または鬼百合の如き美貌の裏に潜むのは明燐よりもよほど穏やかな気質だった。
しかし、それを知るのもまた、王と上層部ぐらいである。
そしてそんな二神に、いや、王と上層部全員から溺愛されるのが、この部屋の主であり、心配そうに離れた所から朱詩を見ている少女――果竪だった。
この凪国の王妃である彼女は、見た目こそ十人並だが、その中身は王と上層部が恋い焦がれて止まぬほどの輝きを秘めている。
朱詩もその輝きに見せられた一神であり、果竪を溺愛していた。
大切な可愛い妹分として、心から愛していた。
「朱詩、また小梅ちゃんをからかったの?」
「またって何だよ。むしろ傷物にされたのは僕の方だよ。もう、これは絶対に責任とってもらわないと」
「責任って、お金?」
「果竪、物事を全てお金で判断しちゃ駄目だよ」
「そうですわ、果竪。むしろお金で縁が切れるならば安い物」
「明燐?」
引きつった笑顔を向ける朱詩に、明燐は鼻で笑った。
それはまさしく女王様として、下僕を見下すそれ。
「小梅も災難ですわね。こんな女性よりも女らしい男の娘に目を付けられるなんて」
「明燐、それ何? 馬鹿にしてるの?」
「おほほほほほ、男を惑わしあ~んな事やこ~んな淫らな事をしまくっていても一神たりとも産めない生産性皆無の第四の性別に属する輩が大きな顔をしないでくださいまし」
「なんだよそれっ! ってか、性別は男か女か両性具有しかないだろっ」
「いえ、男の娘がいますわ」
ビシっと言い切る明燐に、百合亜と果竪が無言で頷いた。
「ちょっ! 百合亜と果竪も酷いよっ」
「いや、でも」
「男の娘はもはや天界十三世界において確固たる地位と定義をもった性別だし」
「男の娘だろうと所詮男だろっ!」
「女性に代わる子供を産める可能性を持つ男です」
「違いますわ、百合亜。どんなに乳繰り合っても産めない非生産性の集大成と言える存在こそが男の娘ですのよ」
男の娘。
定義は、女性と見紛う美男、美少年。に加えて、どんな男でも惑わし狂わせ乳繰りあった挙げ句、神口減少を促進する非生産性百パーセントの魔性の存在。
「って、今すぐその定義消せっ」
「いやですわ、この男の娘の代表者」
ハートマークが付きそうだが、「くたばれ男の娘」と聞こえてしまうのは何故だろう。
百合亜は果竪を抱えて安全地帯に避難しながら朱詩と明燐の争いを見守った。
「この男の敵! 女王様っ」
「おほほほほ! 最高の褒め言葉ですわ! 良ければヒールで踏んで差し上げても良くってよ」
大戦時代は女王様として、多くの敵を鞭で屠りヒールで踏みしだき、愛?の奴隷にしてきた明燐。
そんな彼女の奴隷達は各地に散らばっていたが、たぶん一声かければすぐに集まってくるだろう。
一度手を出せばもう二度と離れられない究極の麻薬のような存在らしい――明燐の調教は。
『あの悪魔は美姫の皮を被った大魔王です』
そう、萩波に言わしめた――が、上層部からすれば萩波の方が大魔王である。
ロリコン大魔王。
当時十二歳だったいたいけな果竪を無理矢理襲って妻にした最悪のロリコン野郎。
時々、そんな相手に絶対的な忠誠を誓っている自分達が哀しくなると言ったのは、とある上層部だけではなく、きっと上層部一同の思い。
「そのうちその胸も膨らんでくるんではなくて?」
「膨らむか馬鹿っ!」
「そして巨乳になって小梅に殴られてしまえばいいのです」
「はんっ! 小梅と出会ってから常に殴られている僕がその程度で傷つくかっ」
「百合亜、どうしたの?」
口元を手で覆って顔を背けた百合亜に果竪が心配そうに声をかける。
だが、「いえ……」と言う言葉だけしか百合亜は返さなかった。
(ふ、不憫すぎる……)
百合亜は心の中で涙ぐんだ。
好きな相手に常に殴られ続けるって。
しかも、その程度で済ませられるなんてどれだけ殴られてきたのか。
確かに百合亜も、大戦中に朱詩が小梅に悪戯してよく怒られていたのは見てきた。
そしてそれは、凪国が建国されてからも続いていたのも知っている。
「あのね百合亜、そろそろ二神を止めないとまずそうだよ」
「あ、え?」
ハッと百合亜が我に返れば、そこには凄い状態の明燐と朱詩が居た。
「このっ! とっとと○○界でデビューしてろっ」
「はんっ! その時はあなたも奴隷として調教して差し上げますわっ」
互いに半裸に近い状態となっている二神。
しかも取っ組み合いがどう見ても絡み合いっぽく見えるのは、その美貌ゆえか。
またいくら中性的な肢体とはいえ男である朱詩も、豊満で女性美溢れる明燐の体と重なっているせいか、素晴らしいダイナマイトボディに見えてしまう。
「感覚の不思議って凄いですね」
「百合亜、どしたの?」
ぐっ、と拳を握る百合亜に果竪は少しだけ後ずさった。
と、そこに騒ぎを聞き付けた宰相がやって来る。
「五月蠅い! 騒がしい黙れ――って、朱詩! 俺のお姫さまに何をっ」
明睡は自分の妹を『お姫さま』と呼ぶ。
それもただのお姫さまでなく、『俺のお姫さま』と。
それがシスコン大魔王と呼ばれるゆえんであるが、明睡は気にしない。
しかも今は、妹のあられもない姿と、そこに共に居る盟友にして今は殺意対象となっている朱詩の姿に今にも卒倒しかけていた。
「朱詩! 貴様俺のお姫さまをどうする気だっ」
「五月蠅いな! ってか、僕にとって明燐なんて女の永久的範疇外だよ!!」
なんだろう、それはそれでムカツク。
「そうですわお兄様! 朱詩など私にとっては永久的に下僕としか見れませんっ」
そして再び始まる争い。
「ちょっ! そのままじゃこの前見た全裸プロレスになっちゃう!」
「全裸プロ――ってどこで見たんだよっ!」
「そうだよ! 僕の知らないところで誰の裸を見たのさっ」
「あ、修羅と小梅ちゃん、いらっしゃい~」
のほほ~んと一神手を振る果竪に手を振る間もなく修羅が百合亜へと突進していく。
そしてそのまま行き着く先は果竪と萩波の愛の巣――というか、萩波だけにとっての愛の巣たる寝台へと倒れ込んだ。
「馬鹿! そこは萩波の聖域! 殺されるぞっ」
「いやいや何を。ただ寝台に転がっただけだよ、明睡」
パタパタと手を振る果竪を余所に、明睡の顔から血の気が引いていく。
「明睡、もう遅いよ」
「は? 小梅、諦め――」
ドンっと、空気が重たくなる。
あれほど騒いできた朱詩と明燐が動きを止めた。
「おやおや、これはとても楽しい事になってますねぇ?」
白い魔王と共に吹き荒れるブリザードに、室内が凍り付いていく。
あれ?神力制限されている筈なのにおかしいな。
そして数秒後――。
王宮を振るわす王の怒気が引き起こした揺れに、神力制限されていようがいなかろうが王には関係ないのだと誰もが思い知らされたのだった。
因みに、その揺れは実際の揺れではなく、体に直接叩き込まれた恐怖によるものだが、そんな事は関係なかった。