~涼~ 喫茶「風花」
「……帰るか」
ぽつり呟く。
居た堪れなさを感じ、頭をぽりっと掻きながら歩き出した。
~~~♪
突然流れる機械音、携帯の着信だ。
いえすたでーわんすもあ?
その音に足を止め、振り返る。
勿論、俺のじゃない。
かと言って他には誰もいない……はず……いないよな?
先刻の件もあるので、目を凝らしながら音のする方を探す。
人の姿はない。
さっきの彼女がいた場所に白い携帯電話一つ、ぽつりと落ちていた。
どうしようか迷った末に、鳴り止まない携帯を拾いあげた。
着信表示は『蓬』。
……なんて読むんだ?
鳴りやない携帯。
もしかしたら本人が探す為にかけてるのかもしれない。
ピッと通話ボタンを押した。
『やっとでた。また河川敷で寝てた?妙子』
先刻の彼女の声じゃない。
大人っぽい女性の声に戸惑い言葉が出てこない。
えっ…と……あっと……なんて言えば良いんだっ。
焦るな俺!悪い事はしてない!……多分。
さて困った、どうしたもんか。
『もしもし妙子?聞いてんの?もしかしてまだ寝てる?もしも~~~~し!?』
電話の向こうからの催促にごくりと唾を飲み込み覚悟を決めた。
「あの~……」
『……誰?』
うわっ、あからさまに声変わったよっ!
当然て言えば当然だろうけど、その声に凄味が伝わってくるようだ。
「お、俺、今河川敷でこの電話拾ったんですよね。たぶん先刻までここで寝てた人のだと思うんですけど……。」
『………………。』
沈黙が実際の時間より長く感じた。
なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだ。
もういっそ見なかった事にしてここに置いて行くか?
なんて事を考えていたら、電話の向こうから軽い溜息、そして改まった口調が俺に届く。
『それはありがとうございます、助かりました。』
「……いえ」
『今お時間ありますか?もしお願いできたらその電話を持ってきて頂けたらと……。』
「はっ?」
『本人は携帯なくて連絡つかないし、本当なら取りに伺いたいところなんですが生憎店番してて離れられないのです。』
「はぁ……」
『今、三日月川ですよね?それなら神無橋を渡って少し行った所に風花っていうグリーンショップと喫茶店が隣合わせになった店があるので、喫茶店の方にお願いできませんか?』
あれ、風花ってどっかで聞いたな。
どこだ……記憶を逡巡させる。
駄目だ、思い出せない。
店の場所も聞くところによると、そんなに遠くもない。むしろ近い。
行けば思い出すかもと好奇心が勝って俺は承諾した。
「解りました、たぶん10分位で行けると思います」
『ご迷惑おかけします。よろしくお願いします』
お互いぎこちない会話を早々に終わらせる。
オレンジ色のビーズストラップがついた携帯電話。
先刻の彼女らしいそれをポケットへとねじ込み目的の場所へと足を向けた。
*
ほどなくして指定の店はすぐに見つかった。
レンガ造りの喫茶店、隣には綺麗な緑の植物が並んでいる。
少し大人っぽいシックな喫茶店の扉を遠慮がちに押し開けた。
カラ~ン
小気味よくカウベルの音が鳴る。
ジャズだろうか、店の雰囲気に合う曲が流れてる。
店に客はいない、カウンターでグラスを磨いている女性がいた。
先刻の電話の彼女なんだろうか?
ロングな髪、顔立ちは細く可愛いではなく、美人という言葉よりは綺麗?
どう違うのかと言われても説明し難いが見惚れるには十分だった。
20歳くらいだろうか、ちょっと近づき難い。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
「……あ、いや、俺……。」
「もしかして電話拾ってくれた人ですか?」
「そう……です」
「ありがとうございます。こちらにどうぞ」
「えっ?」
慌てて電話を取り出そうとする俺に、微笑みながら自分の前のスツールを勧めてくれた。
うわっ、笑うとまた印象が少し変わる。
先刻の近寄り難い空気が少し和らいだ。
「お礼に好きな物飲んで行って下さい」
「いや、大した事してないし……」
「もうすぐ携帯の持ち主本人もくると思うんですよ。本人に直接お礼言わせたいし……だから遠慮なしでどうぞ」
そこまで言われたら断るに断れない。
勧められた場所へ大人しく座った。
「何します?」
「じゃぁ……カフェオレを。」
「畏まりました。」
差し出されたメニューを受け取らずに答えると、慣れた手つきで彼女が動く。
カチャカチャと鳴る食器の音が店の空気と交わる。
不思議な感覚。
まるでここだけが別の空間のような錯覚に囚われる。
始めて来たはずの店なのに昔から知っていた気がする店。
コポコポっと珈琲を落とす音。穏やかなBGM。小さな青い花。
全てがこの店空気となって交わっている。
「お待たせしました」
軽く会釈をしてそのカップを置いてもらった。
漂う珈琲の香りが食欲をそそった。
「頂きます」
あ、美味い。
ちゃんとした豆から入れた珈琲を飲むのは久しぶりかも。
もう一口、後を引いた口へとカップを口につけた……その時!
「よっもぎ~~~~~!!」
ガランガランガラン!!
ぐっっ!驚いて珈琲が変な所に入りかける。
とても先刻入ってきた時に鳴った同じカウベルとは思えない激しさ。
肩を小さく窄ませながら、入ってきた人物を見やる。
とそこには先刻の彼女、きっとあの携帯の持ち主がいた。
「妙子、もっと静かに入って来いっていつも……」
店の彼女は呆れた声を入ってきた彼女に投げる。
悪びれたそぶりも見せず、えへへと河川敷でみせた同じ顔で笑て応えった。
お下げの彼女と目があった。
「あれ~さっきの?君も珈琲飲みにきたんだ。美味しいよね~♪」
なんて良いながら俺の隣の椅子に座る。
遠慮という文字はどこにもないようだ。
「蓬、ホットココアね。河川敷で寝ちゃって体冷えちゃったみたい」
携帯の事、気づいてないみたいだ。
なんて切り出そうか困ってカウンターの、蓬と呼ばれた彼女をみた。
そんな俺のヘルプな眼差しに気づいた彼女は、苦笑いしながら自分の携帯を取り出し短い操作で電話をかける。
さっきと同じイエスタデーワンスモアが俺のポケットから流れた。
「あ、電話だ」
ごそごそ自分の鞄を探し出す。
いくら探しても見つからない。そりゃそうだ……俺は自分のポケットの中から携帯を取り出した。
「あっ、私と同じ携帯だね!着信音もお揃い。ストラップもっ!!奇遇だねっ」
出された携帯をきょとんと見た彼女の言葉。
そんな訳ある訳ないじゃないか。
どこまで天然なんだ……。
「これはっ……」
戸惑いながらも説明しようとした俺の手もとに、にゅっと伸びた手が携帯の通話のボタンを押した。
びっくりして顔をあげた。
蓬と呼ばれた彼女の手が俺の手を誘導し、オレンジの携帯が俺の耳へとあてられる。
以外に冷たく、柔らかい手。
ドキッとしたのか、ビクッとしたのか、俺の体に一瞬緊張が走った。
そんな俺にかまわず、彼女が話し出す。
「もっしもーし、そちら白井妙子の携帯だと思うんですが・・・?」
「……たぶん、そうだと思います」
「何故、携帯お持ちなんですか?」
「河川敷で拾ったんですが……」
「それでご丁寧にここまで届けて下さったんですね、ありがとうございます」
「いえ……」
下手な小芝居を終えて携帯を切りながら、目をぱちくりした彼女に問いかける。
「だってよ、妙子?」
「えっ…あれ……それ私の??」
通話の終わった携帯を畳みながら、俺は未だ状況のつかめない妙子さんに携帯を差し出した。
その携帯を嬉しそうに受け取る彼女。
「ごめん、あの時俺が驚かしたから落ちたのかも……」
「うんん、ありがとっ!全然気づいてなかったよ。君も神崎だよね?その制服……1年生?」
「そう、えっと妙子さん?」
「私、白井妙子!2年だよっ」
「え゛っ」
しまった、思わず声が出てしまった。
慌てて取り繕おうとしたが時遅し。
「今の[えに濁点]がついた台詞は何よっ、どうせ年上には見えまんよーっ!」
ぷーっと顔を膨らませた妙子さん。
その仕草はどう見ても年上に見えませんって……。
「ごめん、なさい」
それでも素直に頭を下げた俺に驚いたのか、ぱちくりっと2~3度瞬きさせてからお得意のにぱっっとした笑顔を見せてくれた。
「うっそー♪慣れてるから気にしないよっ」
そこに先ほど注文したココアが差し出された。
いつの間に淹れていたんだろう、やはりプロは違う。
その手際に関心しつつ、俺も思い出したように先程出されたカフェオレに手をつける。
すでに温くなってしまってはいたが味オンチの俺でも美味しかった。
「あ~あ~……でも蓬みたいにもう少し大人っぽくなりたいなぁ」
制服の胸を引っ張りあげて中を覗く妙子さん。
……貴女の大人っぽくはそこなんですかっ?!
平常心を意識しつつ、聞いて聞かない振りを続ける。
「これはこれで大変だぞ?」
「だよねぇ……こないだもお水のバイトしないか言われてたし。」
「未成年を勧誘するなっつーの」
え゛
今度は心の中だけで驚いた。よしっ!
その驚きを飲み込むようにカフェオレを流し込んだ。
「同じ制服きて歩いてたのにねっ」
「まったくだ」
「……っ」
その言葉を聴いた瞬間、カフェオレが喉に詰まった。
咳き込む俺。
妙子さんが大丈夫?と背中をさすりながら俺を覗き込む。
蓬さんからは、はいっとおしぼりが差し出される。
良い連携だ。
涙目になりながら受け取ったおしぼりで手を拭きながら動揺した心の波も拭った。
「……君も蓬を20歳前後のお姉さんと思ってたでしょう?」
ふふんと見透かしたように笑う妙子さんに苦笑している蓬さん。
ううう……すっかりばれてる。
どう取り繕うか……考えを逡巡させる。
「君と同じ神崎高で、妙子と同じ二年。北山蓬、よろしく。えっと……」
「来生涼、よろしくお願いします。」
「涼君だね、よろしく」
*
こうして俺は風花という店と妙子さん、蓬さんを知った。
二人の気さくさ故だろうか。
気ままに足を運べる店、それが風花なんだと思う。
俺が二度目に訪れるには時間を要したが、その後常連になるまで大して時間はかからなかった。
入学してから感じていた物足りなさが消えていた事に気づくのはまだもう少し後。
漸く、タイトルのお店登場しましたーっ