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2話ーwoman sideー

何年の時を過ごしても、彼の優しさに不安が募る彼女の視点。

「言い過ぎたかしら・・・」


冷たく閉まる玄関ドアに向かって、独り不安になる。

どうして、譲はいつも優しいのだろう?

モーニングコールをネタに不穏になりかけると、決まって晶を庇う。

譲を捨てた女なのに。

その事実が、余計に面白くない。

不機嫌になる私を見て悲しげに微笑む譲が尚更、私を苛立たせた。


“俺は、いいんだよ”


と言いたげに悲しくも笑うあの目が、嫌い。

モーニングコールで、自然と優しさを滲ます、あの顔が嫌。

長い年月で積み重ねた曖昧でも心地良い関係に、電話一本で波風を立てる彼女が疎ましい。

彼女の事より、モーニングコールの朝、私が不機嫌になる理由を考えてほしい。

でも、私には何の権利もない。

例えば、晶が譲の前に現れて浚おうとも、私に止める資格はない。

例えば、譲に彼女ができたなら、出て行かなきゃならない。


「嫌な女」


ドレッサーの鏡を指先で弾いた。

一番嫌な人間は、鏡の中のコイツ。

仕方のない事。

私が惹かれた時にはもう、譲の中には晶が住んでいた。

別れた今でも、私と同居する今でも、出逢った頃からきっと彼女だけを見ている。

分かってる。

分かってるのに・・・好きな人の辛い姿は、心を抉られる苦痛だ。


“ピーンポーンッ”


気付けば陽は上り、ベッドに横たわっていた。

インターホンで我に返ると、客人をモニターで確認してドアを開けた。


「元気?近くまで来たから、襲撃しちゃった!」

「弥生、久しぶりね」

「プリン買ってきたからさ、とりあえずお茶淹れてくんない?」

「相変わらずね、わかったわよ」


玄関で素早く靴を脱ぐと、客人は当たり前のようにソファーに腰を据えた。

彼女もまた晶と同様、学生時代からの友人。

天真爛漫で人懐っこい彼女だから、私も気軽に付き合いを続けられている。


「しっかし、いつ来ても綺麗にしてるね~!あれ、譲は?」

「平日の真っ昼間だもの、仕事よ」

「そっかそっか。薫は相変わらず?ご機嫌斜めそうだわね」

「斜めっていうか、今朝ちょっとね」

「ちょっと?なになに、セクハラでもされちゃった?」


セクハラされたのなら、どれだけ気が楽になるか。

そもそも、譲自ら私に触れた事など、ただの一度もない。


「色気のある同居なら、今頃、弥生と同じような体型でしょうね」

「そっか~。あんた達は、まだまだ青二才なのね」


憎まれ口を叩く彼女の表情からは、優しさが零れ落ちていた。

弥生のお腹は、下腹部へ向けて緩やかなカーブを描く。

私達が参加した合コンで知り合った男と、弥生は幸せを掴んだ。

雲泥の差。


「清い同居始めて、どのくらい?」

「思い出すにも、時間がかかるくらいね」

「お~ぉ、譲カワイソ~!!」


嘘だった。

本当は、長い年月が流れても忘れていない。

ただ、臨月を迎える弥生を前にして、私だけが昔のまま変わらずいる錯覚に陥り、寂しくて嘘を言った。

私は、昔から見たら輝きを失った気がした。

会社経営者の父と母のもと、一人娘として持て囃されてきた私は、譲に出逢って初めて手に入らないモノを知った。

どうしても、譲がよかった。

だから私は、晶を待ち続ける彼のもとに走った。

晶が、譲ってくれたから。


「あのタイミングなら、彼は誰でも良かったのよ。きっと、無意識に傷ついていたから」

「あのタイミングって、譲と晶が行ったイヴの教会のこと?」

「私、あの日連絡もらってたの。今夜でサヨナラするって、晶から」

「晶から?なんで?晶と譲は上手くいってたじゃん」


弥生の驚愕の眼差しに言葉が続かず、今まで誰にも言えなかった告白を半端のままに、沈黙した。

そう、私は5年前のイヴの夜、譲を受け取った。

晶は、私が譲に惹かれていることを見抜いていた。

私は、譲が晶の虜だと察知していた。

イヴの夜、私は親に決められて付き合っていた男と別れた。

譲は晶と過ごしてる、そう予想しながら。

滑稽なほど、譲が好きだった。


「理由は知らない。ただ、晶は譲と別れるって言ってた。教会に、あるプレゼントを置いてきたから、受け取って欲しいと」

「あるプレゼント?晶から薫に?」

「不破譲っていうプレゼント」

「ウッソ!?っていうか、言われるままに教会にいたの?あのアホは」


幼なじみならではの弥生の言葉に、一瞬、頬が緩んでしまった。

譲と幼少時代から交流を持つ弥生でも、譲がそこまで馬鹿正直とは思えないんだろう。


「晶は、ミサが始まる前にトイレへ行くと言って譲を待たせたらしいわ」

「譲のアホ、その間どうしてたの?」

「さあ?少なくとも、私が教会に着いた時は、長椅子で静かに待ってたわよ。晶の帰りを」


あの日、晶は譲を残してアメリカへ行ってしまった。

晶の帰りを待つ譲は、それを知らずにいた。

私は、正直迷った。

晶のアメリカ行きを告げて、傷心するだろう譲と流れに身を任せるか?

あるいは、教会で偶然でも装い、一緒に晶を待とうか?


「“拾ってくれないか、俺を”」


どんな声をかけたとしても不信感を与える気がして無言だった私は、譲にそう言われて項垂れた事を覚えている。


「それ、譲が言ったの?」

「そう言って、笑った」

「そっか・・・心の何処かで分かってたんだね、晶が居なくなること」

「晶が羨ましいわ」

「薫・・・」

「私じゃ、5年も暮らしたってこの様だもの」

「薫は、意外と嘘が下手っぴ!一緒にいる期間、ちゃんと覚えてるくせに」

「フフッ、そうね。私って嘘が下手な嘘つきだわ」

「私は幼なじみとして感謝してるよ?その嘘つきが、アイツの側に居てくれること」


自分自身を嘲笑いたくなった。

弥生に感謝されるほど、私は、譲の力になれていない。


「それにしても晶、なんで突然また譲に連絡するようになったんだろ?」


弥生が、不思議そうに首を捻った。

私も、それは疑問に感じていた。


「譲いわく、友達すら音信不通でいたから、寂しかったんだろうって」

「そっか~。いつ頃から、連絡くるようになったっけ?」

「弥生が子供できたって聞いた頃だから、半年以上は前じゃない?突然で譲も驚いてたわ」

「何か辛いことでもあったのかな、晶」

「さあ?興味ないわね」


私の突き放すような言葉に、弥生は苦笑してトイレに立った。

その間、大きく溜め息をついて頭を抱えた。

器が小さい。

自分で、よく分かっている。

晶が逆の立場だったらと思うと、余計に凹んでしまう。

彼女なら、きっとこんなイライラや不安を見せない。

どんなマイナス感情も閉じ込めて、微笑むだろう。

とても優しく、朗らかに。

私には、それができない。

不安で、怖くて、胃が重く感じる。

愛しすぎて、心に余裕がない。


「ねぇ、何かバイトでもしたら?今の薫にはさ、気晴らしが必要だよ」

「バイト?」


いつの間にかトイレを出た弥生が、隣の部屋を凝視しながら提案してきた。

私が使っている寝室。

わずかに開いていたドアの隙間から、空き瓶や空き缶が散乱しているのが見える。

常に綺麗に整理整頓されているのは、私の部屋以外だけだった。

譲は、どんな時でも私の部屋には踏み込まない。

まるで、私の心に入り込むのを躊躇うが如く。

それが寂しくて、悲しくて、虚しくて、部屋に籠るようになった。

独り閉じ籠り、彼が帰って来た安心感とアルコールに酔いしれる。

いつしか、そうしてお互いラインを引いていた。


「働かなくても養ってくれてるから、大丈夫よ。優しい人だもの」

「アイツ、何も言わないの?せめてお酒控えたらとか」

「言ったでしょう、私達は色気のない同居。興味ないのよ、私に」

「それにしたって、小遣いくらい欲しいでしょ」

「母が定期的に送金してくれているわ。父に勘当された一人娘を気遣ってね」

「これだから御嬢様ってのはねぇ・・・たまには、料理や洗濯でもしたら?案外、ハマるかもよ」

「私にできると思う?パンティすら、洗った試しないのに」

「それは、いい大人として問題・・・ってか、誰が洗ってんの!?!?」


弥生が今日一番の大声をあげながら、目を瞬かせた。


「あなたの優しい幼なじみに決まってるでしょ」

「ああ、そうなんだ・・・」


呆れた顔で天を仰ぐ弥生。

自慢じゃないけれど、私は洗濯機の使い方すら知らない。

恋した時の接し方だって、正直、分からない。


「なんかさ~、薫と譲見てると老夫婦みたいだよね。離れるでもアツアツでもなく」

「そう?結構幸せで快適よ。向こうが、どう思ってるか知らないけど」

「そうだ!アイツ、驚かせてやろっか!?私も手伝うからさ」


弥生が、子犬のように生き生きと目を輝かせ、パンッと掌を合わせた。

嫌な・・・というより、面倒な予感がした。


「そんな眉間にシワ寄せて、顔全体で嫌だって言わないの!譲が喜ぶサプライズなんだから」

「シワも寄るわよ、どうせだるい事でしょう」


今日は分が悪い。弥生を適当に納得させたら、早く帰そう。

 

「今日の夕飯、薫と私で作るの」

「夕飯は、いつも仕事帰りに彼が買い物してくるわよ?今夜は何が食べたいかって、毎日電話来るもの」

「甘やかされてるねぇ。いい?普通、キッチンは女の城!即ち、男が入らない聖域だよ?」

「分かったわよ、面倒くさい・・・」


渋々、私は弥生に連れられて買い出しに出掛けた。


「やっぱ和食だよね、胃袋掴むには肉じゃがだよ」

「そうね」

「人参はある?」

「さあ」

「じゃがいもは?」

「どうかしら」

「調味料は切れてない?」

「切れてれば、買ってるんじゃない」

「あのね~・・・真面目に作る気あんの!?料理は、愛情がスパイスなんだよ!」


急に立ち止まった弥生が腰に手をあて、怒りを露にした。

何だかんだ料理が完成した頃には、日が暮れていた。


「アイツ、帰ったら絶対びっくりするよね。薫だって女の子なんだから、やればできるんだよ」

「それ以前に、自分でビックリ・・・これ、食べられるのかしら?」

「大丈夫だって!!そんじゃ、そろそろ帰るね~」

「駅まで送るわ」


弥生の満足した姿を見て、慣れない料理での疲れを癒された。

たまには、家事も悪くないかもしれない。

あくまで、たまにだけれど。


「あのさぁ、薫」

「何?」

「あまり、比べて考えちゃダメだよ?薫の良さだってさ、アイツちゃんと分かってんだから」

「私も譲の良いトコ、分かってるわ。人の気持ちばかり考えて、優しくて・・・---」


駅が見えてくる距離になり、私は足を止めた。


「案外、モテる事も」


釘付けになった視線の先には、譲がいた。

寄り添うようにして、泣いている女が一人。

歩み寄るでも素通りでもなく、ただ見つめていた。


「何してんの?あんた」


身動きできない私を背後から追い抜き、弥生が譲に呼び掛けた。


「え?弥生?」


唐突の登場に目を丸くした譲は、私の存在にも気付き、瞬時に寄り添う女を背中に隠した。

ズキッとした・・・胸の奥深くが。


「何してんだっつってんだよ!!このボケナスッ!!!!」

「痛ッ!違う違う、絶対に誤解だ」


頭に血が上った妊婦の弥生が、泣く女といる譲に何度も殴りかかる様は、浮気した夫と、妊娠中の恐妻のようだった。


「やめて下さい!不破さんが結婚されてるって知らずに、誘った私が悪いんですから!!」

「待て待て、その説明は余計厄介になる」


“結婚”傍から見れば、弥生と譲が夫婦に見えるんだろうと、他人事のように同感した。

虚しくなって、踵を返した。

この場に一番不釣り合いな存在に思えた自分が、惨めで情けなかった。


「馬鹿みたい」


誰かの呼び止める声がして、私は自嘲する口元を押さえて足早になる。

早く帰って眠りたい。

全部、忘れ去りたい。


「薫、待てって」

「私には関係ないから」

「関係なくてもいい、待てってのっ」


譲にしては強引に腕に掴みかかり、一瞬すくんだ私の身が、逃げるように彼の手を振り払ってしまった。


「ごめん、痛かった?」



振り払われた譲の目が、私の自惚れでなければ傷付いて見えた。

その様が滲んで見えて、気付いた。

私は、泣いていた。

何が悲しいのか?辛いのか?傷付いたのか?

分からないくらい、涙していた。


「痛くない、関係ない、言い訳いらない。そういうの、私達に必要ないでしょ」


もう、譲に言葉はなかった。

本当は、嬉しかった。

こんな場面だけれど、引き止めてくれた事実が。

本当は、言いたかった。

私だけに触れて、と。

自分の天の邪鬼さに、憎ささえ芽生えた。


「俺には・・---ある」


顔を背けて涙を止めようとした次の瞬間、驚きで目を見張った。

抱きすくめられた。


「俺にとっては、関係ある」

「何・・・?」

「あの娘は職場の後輩で、来月結婚するんだ。マリッジブルーらしくて相談されただけで」

「そう・・・」

「誤解されたら困るんだ」

「大丈夫。晶に話したりしないし、二度と晶に関わる気ないから」


その温もりを、信じられなかった。

晶に誤解される事を懸念して、私を抱きしめている。

そんな被害妄想をして、また自己嫌悪。


「だから、離して」

「・・・結局、俺には---」


抱きしめる力はやがて弱まり、項垂れながら少し先を歩く。

日が沈んで薄暗い夜道を一人進む譲の背中は、とても細く頼りない。

何を言いかけたのだろう?

彼の心は、彼のみぞ知る。

知りたい、もう一度そう思ってもいいの?

これ以上気持ちを深めてしまえば、心が後戻りできなくなりそうで怖い。

彼がマンションに入った後、私は同じエレベーターに乗れなかった。

そっぽ向いたまま、コンビニへ行ってから帰ると意地を張った。

本当は足並み揃えて同じ部屋に帰りたいのに、用もない買い物で防衛本能を働かせた。

恋愛に向いてないのかも知れない・・・ずっと、男に不自由しなかった、恋の駆け引きに自信があったのに。

無意味な買い物から家路につきながら、私は1日1日の経過に恐怖を覚え始めていた。

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