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第1話「人生、ブッ壊れました」

「あ〜、TS症だね」



 3月21日、春休み。


 あの茶目っ気のあるおじいちゃん先生の言葉を俺、白山セイは一生忘れないだろう。



「へ?TS症?」



 随分と高くなった声で聞き返すと、彼は「そうそう」と頷いた。


 正式な病名を「突発性性染色体異常」、一般的な男性の持つXY性染色体の内、突然Yの方がXに置き換えられる、つまり女性になってしまうという恐ろしい病気である。


 どうやら症例もまだ日本国内でも数例しか報告されてないらしく、指定難病にはなっているものの発症原因も治療法も何もかもが不明な、まさしく意味不明な病気らしい。



「あと数日もすれば身体つきもしっかり変わってくるよ。補助金はたんまり出るから服は早めに買い換えるようにね」


「いや、そう言われても……マジで意味分かんないです。まず何が起きたんですか?」


「君さ、カクレクマノミって知ってる?」


「知ってますよ。イソギンチャクの中にいるやつ」


「そうそう。あの生物って体内に雄の部分と雌の部分があって、それを切り替えて性転換するんだよね。君の身体にも同じことが起きてるんだ。遺伝子レベルの話になるけど」


「え、それって治ったり……」


「しないね、残念ながら。でも健康とかそういうのには全く影響ないから安心して。だいぶ分厚いやつだけど資料も診断書と一緒に渡しておくから、暇があったら読むと良いよ。診断書は役所と、あとコピーして学校にも提出してね」


「は、はい……」


「おいおい、未来ある若者がそんな顔するもんじゃないよ。せっかく生きるのには絶対に困らないような美人になったんだ。こうなってしまった以上、楽しまなきゃ損ってやつさ」


「そう言われたって……」


「それじゃ!高校デビュー頑張って!」



 そう言って半ば強引に俺を送り出した先生。


 俺は窓口で大量の書類を受け取った後、おぼつかない足取りで帰路についた。



「ママー!!あの人すっごいかわいいよ!!」


「あら、本当ね。まゆちゃんも好き嫌いしなかったら、将来あんな美人さんになれるわよ」


「じゃあまゆもピーマン食べる!」



 ……楽しまなきゃ損、か。



◇◇◇



 それから数週間経った入学式当日。


 俺は大きく張ったブレザーの下の胸を弾ませながら通学路を歩いていた。



「早くしないと可愛い息子がおいてっちまうぞ〜♡」


「はいはい。急ぎ過ぎだよ、セイ。僕としては君が元気で何よりだが……」



 「それにしても案外適応するものだね」なんて笑いながら父さんは俺の後を小走りで追いかけてくる。


 入試以来久々に歩く通学路はテンプレートのような桜が咲き誇る並木道。


 今日のために人生初の美容室で仕上げてもらった、少し長めの黒髪ボブが風に揺れる。


 それからしばらく歩いた俺は校門の前で足を止め、少しズレたネクタイを整え直した。



「セイ、写真でも撮るかい?あの看板で」


「と〜ぜん。こんな美少女、1枚でも多く撮っとかないと機会損失だろ♡」


「ははっ、その調子の乗り癖は母さん似だね」



 そう言って一眼レフを構え、「私立冬ヶ丘高校入学式」と書かれた看板の前に立つ俺に向けて何度もシャッターを切る父さん。


 あ、今隣通った男子生徒、「めっちゃ美人……」って声漏れてんのバッチリ気付いてるかんな♡



「よし、こんなものでどうかな」


「おっけ、盛れてる盛れてる〜。ほんっと顔良いわ、今の俺♡」


「やれやれ……あんなに写真嫌いだったセイがこんなになるなんて、人生何が起こるか分からないものだな……」


「しゃ〜ないだろ?性別から変わってんだから。そりゃ趣味嗜好の1つや2つ変わるって」


「ははっ、それもそうだね」



 そう相槌を打った父さんはシルバーの腕時計をちらっと確認し、「そろそろ行こうか」と促してくる。


 イヤーカフを弄りながら俺は頷き、それぞれ保護者入口と生徒入口へ分かれ、体育館へ向かった。



◇◇◇



 正直、自分でも驚くくらいの豹変ぶりだが、そのきっかけは取るに足らないことだった。


 ただ、ちょっとした興味本位で承認欲求という枷を少し外してしまったのだ。


 大体見る専、たまにゲームのスクショを上げる程度でリア友とも繋がっていなかった、FFも100人弱のアカウント。


 そこに気まぐれで上げた自撮りが、盛大にバズった。


 もっと具体的に言うと、2.2万RT、8.3万いいね。


 怖いくらいに止まらない通知と加速度的に増えていく数字で、俺の脳は焼き切れた。


 たかがSNSの数字だけで、俺の中に残っていた「男に戻りたい」なんて気持ちは跡形もなく消え去ってしまったのだ。


 顔が良くて、スタイルが良くて、声が良くて、おまけに目も良い。


 こんな身体を捨ててまで、元に戻れるかも分からない一般陰キャ男子に執着する必要なんてどこにもない。


 そんなことに気付いてしまった。


 だから俺は、全力で美少女を謳歌することにした。


 ファッション、髪の手入れ、メイク、ネイル、スキンケア、下着選び……大体のことを母親と妹に教わり、俺は振り込まれた七桁の補助金をブッパして高校デビューに備え、こうして今に至るというわけだ。


 あ〜、美少女最っ高♡



◇◇◇



 まあ、そんなこんなで入学式。


 少し髪の少ない、ふくよかな校長が折りたたんだ原稿と共にマイクに向かって喋っているところだった。



「──であるからして──」



 例えどのような環境であろうが、偉い人の話ほどつまらないものはそうそうない。


 前や後ろの大人達のちょっとした緊張感に対して、パイプ椅子に並べられた新入生達はなんともつまらなそうな顔でぼーっと前を見ているだけ。


 それはどれだけの美少女になろうと例外ではなく、俺も背もたれに体重をかけながら小さくあくびする。


 ちびちび左右の男子からの視線を感じる程度で特にやることも感じることも考えることもない、そんな虚無な時間を過ごしていた、そんな時だった。



「1つ聞きたいんだけどさ」



 唐突に左耳に囁かれるアニメ声。


 いや、あり得ない。


 俺の左側に座ってたのはガッツリ日に焼けた丸刈りの、99%野球部であろう体育会系男子。


 そんなことを考えながら声の方へ目をやると──



「あなた、男の子だよね?」



 いわゆるブルーシルバーのような長い髪をなびかせた美少女が、そこにはいた。



「え、嘘、待って、何?」


「好きなだけパニクるといいよ。あなたの目は間違ってないから。実際、ついさっきまでここに座ってたの、スポーツ推薦の男の子だったし」


「待って、ちょっと待って、何?何が起きたの?というかどちら様ですか?」


「そうだね、教えてあげる。私は黑谷(くろたに)アメ。あなたの同い年で、クラスメイトで、そして「魔法使い」」


「あ、えっと、俺は白山(しらやま)──」



 ……待って、こいつ今なんて言った?



「だから魔法使い。ま・ほ・う・つ・か・い。知らない?まさか人生でディズニー通ってないなんてことある?」


「いや、言ってることは分かるんだけど……」


「……何?その目。気狂いでも見てるみたいだね」


「えっと……「みたい」っていうか……」


「……待って、まさか、私ウソついてるって思われてるの?本物の魔法使いなのに?」



 心底信じられない、と言った表情でこちらを見る彼女。


 いや、こっちのセリフなんだが。


 というか校長が話してる真っ最中なのにこんな喋ってたら後でバチクソに怒られるんじゃ……?



「だから何度も言わせないで。私は魔法使いなの。そんなことどうにでも出来るに決まってるでしょ」



 やれやれと呆れたようなジェスチャーをしながら彼女はため息を吐く。


 ……ん?



「……待って、俺の考え読まれてる?」


「うん、そうだよ。正確に言えば地の文だけど」


「じの……?」


「そこは気にしなくていいの。とにかく、これで分かったでしょ?私のチカラが本物だって」



 小さい口の口角を得意気に上げ、彼女はドヤッとした笑みを見せてくる。


 それでもまだ俺の顔が疑っているように見えたのか、いきなりじゃんけんを挑んできた彼女。


 だいたい十回戦くらいやってもちろんこっちの全敗。


 どうやらガチで心を読まれてるらしい。



「うわ、これでマジの魔法少女のパターンあるんだ……」


「だからそうだって言ってるでしょ。それと、「魔法少女」じゃなくて「魔法使い」。魔女になる予定なんてないんだから」


「それまどマギで聞いたな」


「言っておくけど、あなたが思ってるよりも私はずっとすごいの。全知全能、天下無双、不可能なんてなんにもない。例えば──」



 そして彼女が指を鳴らした、次の瞬間。



「……これにて、私からの挨拶を終わります」


「校長の話だって、止められる」



 俺は生まれて初めて、「魔法」なんてものを信じる羽目になった。

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