王太子様の婚約者に、浮気の疑いアリ!?
シンシア・ロワルベートは幼い頃よりぬいぐるみだけが友であった。
彼女がまだ五歳の時より、大きな屋敷の最奥に作られたシンシアの為だけの部屋で、シンシアはぬいぐるみと共に長い時間を過ごしていた。
無論、シンシアの両親はシンシアをイジメる様な事はしていなかったし、仕事で忙しい時でも何とか時間を作ってシンシアと話をする様にしていた。
家にいる多数の使用人も、侯爵家の娘であるシンシアを姫の様に扱い、丁寧に……それはもう丁寧に扱っていた。
しかし、全ては家の中だけでの出来事である。
両親はシンシアが外へ出たいという願いを口にする度に苦々しい顔をしており、何度も、何度もお願いして……ようやく庭で遊ぶ事を許可されるくらいであった。
その際にもシンシアと共に遊んでくれるのは両親が与えてくれたぬいぐるみだけであり、使用人たちは静かにお姫様たるシンシアが遊ぶ姿を見守っていただけである。
やがて、シンシアは人間の友を作るのを諦め、ぬいぐるみに語らい、ぬいぐるみと共に寝て、ぬいぐるみに笑いかけながら生きてきた。
だから……もしかしたら、それは必然であったのかもしれない。
ある日、シンシアは自らに不思議な力が宿っている事に気づいた。
それは、ぬいぐるみをシンシアの思うままに、自由自在に操る事の出来る力であった。
この力により、触れていなくても勝手にぬいぐるみは動き出した。
シンシアと共に踊ったり、大きな部屋の中で走り回ったり、シンシアと共にお茶会を楽しんだり。
シンシアの世界は、神様がくれた贈り物によって大きく広がった。
しかし。
シンシアはこの力の事を誰にも話す事はなかった。
誰かが部屋に近づいてくる時は力を使わない様にして。
静かに。
お友達と自分の秘密を隠し通す事にした。
そして、何日も、何か月も、何年もぬいぐるみ達と共に過ごしていた時、シンシアはある事に気づいた。
それは……ぬいぐるみへより多くの力を送り込む事で、ぬいぐるみは元となった動物や人間と同じ姿になるという事である。
体の大きさも、その造形のリアルさも。全てが本物と同じになったのである。
シンシアはこの事実に気づいた時、歓喜した。
歓喜したまま大きなクマの姿となったクマのぬいぐるみへと抱き着いて、ふわふわともこもこの中で深呼吸をしながら喜んだ。
しかし、この力も完璧では無かった。
何故なら、どれだけぬいぐるみが大きくリアルな姿になろうとも、ぬいぐるみ達は言葉を発する事は無かったからである。
それがシンシアは酷く寂しかった。
寂しかったが……それでも良かった。
シンシアにとって、ぬいぐるみはとても大切なお友達になっていたからだ。
シンシアがぬいぐるみとお友達になった日……つまりは、奥の部屋に閉じ込められた日から五年ほどの月日が経ったある日。
シンシアは両親から唐突に『婚約者』を紹介された。
その婚約者はキラキラと輝く金色の髪を持つ、翡翠の瞳を持つ少年で……見た事もない様な美少年であった。
そして、その少年はシンシアの手を取りながら微笑んで、「どうか。僕の婚約者になって下さい」とシンシアに言った。
しかし、人と接する機会が殆どなかったシンシアは、その少年……テオドール第一王子に何も言葉を返す事が出来ず、固まってしまった。
魔女の呪いで石化してしまった哀れな旅人の様に。
シンシアは言葉どころか身動き一つ出来ないのであった。
無理もない。
シンシアは長い間、家族以外の他人と接する事が出来なかったのだから。
そんな事情を知ってか、知らずかテオドールはニコリと微笑んでからシンシアの元を去っていった。
その様子に、シンシアの両親は婚約が嫌だったのか? とシンシアに問うたが、シンシアは黙って首を横に振る。
嗚呼、そう。
シンシアはただ、恥ずかしかっただけなのだ。
絵本でしか見た事がない様な美しい王太子と出会った事で……言葉を発する事が出来ないほどに緊張して固まってしまっただけなのであった。
両親はシンシアの答えに安心し、疲れただろうから寝なさい。とシンシアを部屋に送り出した。
部屋に戻ったシンシアはベッドに潜りながら考えていた。
今日の自分の行動は大変失礼であったと……。
次会う時にはしっかりとお話しなくてはいけないと。
そう考えて……考えて、考えて。
シンシアは一つの名案を思い付いた。
そうだ! テオドール殿下そっくりのぬいぐるみを作ろう!
そして、ぬいぐるみの殿下とお話する練習をしよう!
と。
それが大いなる喜劇をよんでいく事になるのだが……シンシアはまだ気づいていない。
そう。これは事件が始まる五年前。
シンシアが十歳の頃の出来事であった。
☆☆彡
テオドール・タナ・ラーヴツベルは五歳の時、運命に出会った。
その運命の名は『シンシア・ロワルベート』
物静かな、愛らしい少女の姿をしていた。
銀色の、光に溶けてしまいそうな麗しい髪は、一見すれば冷たい印象を覚えてしまいそうだが、少女のソレはテオドールにとって月の光よりも麗しく、陽の光よりも輝いて見えた。
そして、銀の瞳によく似あうアイスブルーの瞳は、少女の容姿を幻想的な物に変えていた。
いや。
そうではない。
テオドールが彼女に運命を見出したのは、容姿ではない!
政治的な繋がりもあり、早い段階からロワルベート家の令嬢と婚約する事は決まっており、テオドールは幼いころから理知的な少年であった為、相手がどの様な令嬢であったとしても受け入れるつもりだった。
そんな、どこか冷めたクソガキであったテオドールを正面から粉砕したのがシンシアであった。
シンシアはまず子供らしくない姿で堂々と挨拶するテオドールに対して、一生懸命という様な言葉がよく似合う様な姿で挨拶。
その子供らしい、愛らしい姿にテオドールはまず軽いジャブで殴られた。
次に、緊張していて落ち着かないであろうシンシアに庭へ行かないか? と誘い、歩き出そうとした瞬間。テオドールの服の裾を指で摘み、思わず振り返ってしまったテオドールに、気恥ずかしそうに微笑んだ姿で連続のジャブを百発くらい同時に叩き込まれた。
そして、最後に。
シンシアにどんな花があるのかなと聞いた時、ようやく落ち着いたのか、とても自信満々に自分が育てているという小さな花を紹介したのだ。
その姿はとても愛らしく、純粋で、真っすぐで。
その花に「良い花だね」というありきたりで面白くもない感想を言ったテオドールに対して、「テオもそう思ってくれますか?」とはにかんだ笑顔を向けた時だ。
無論、シンシアは別にテオドールの愛称を言おうと考えて居たわけではない。
緊張して名前をよく覚えていなかったため、テオという名前で呼んだのだ。
たった、それだけだ。
たったそれだけの事がテオドールにとっては、先日ラーヴツベル王国の王都で行われたボクシングの決勝戦の様に。
一方的にボッコボコのボコにされた様な衝撃を受けたわけだ。
テオドールの精神は限界であった。
が、それと同時に神なる世界への扉を開いた様な心地であった。
故に。
テオドールはその日、侯爵家を去る際に、くれぐれも。シンシアに傷一つ付けない様にとよくよく言い含めて帰宅する事とした。
外出などもってのほか。安全な室内で、結ばれる日まで無事過ごさせるようにと。
そしてテオドールの願い通り、シンシアはテオドールと両親がちょくちょく送ったぬいぐるみに溢れた部屋で毎日過ごす事となり。
十歳となって、正式な婚約者として再会するまで、穏やかな日々を過ごす事となったのであった。
「ちょっとやり過ぎじゃ無いっすか?」
「何がだ」
「いや。お嬢さんを軟禁してた事っすよ」
「シンシアを護るためだ。仕方のない事と言えるだろうな」
「いや、言えないと思いますけど」
テオドール・タナ・ラーヴツベル、十五歳。
テオドールとその側近はテオドールの執務室で完璧王子様の最悪の歴史を聞かされていた。
遠慮なく全てを口にする事が許されるのであれば、テオドールはまだ捕まっていないだけの犯罪者だと側近たちは口を揃えて言っただろう。
「仕方ないだろう! シンシアが外出などしてみろ。シンシアの愛らしさに、暴走した連中が何か事件を起こしていた可能性だってある!」
「いやまぁ。今、まさに俺の目の前に事件を起こした御方が居るんですけど」
「俺は良いんだ。俺は。俺は愛故の行動だからな」
「犯罪者はみんなそう言うんすよ」
「やかましい! シンシアは何も気にしていないぞ! 良いだろう! なら、別に!」
「まぁ……でもなぁ」
「なぁ?」
側近たちは互いに顔を見合わせながら言葉なく気持ちを通じ合わせる。
そう。そうなのだ。
確かに何も問題が起きていないのであれば、テオドールの少々……いや、かなり行き過ぎた行動も許されるのだ。
たぶん、きっと、メイビー。
しかし、問題は発生していた。
既に事件は起きていたのだ。
「でも、そんな事してたから、お嬢さんは浮気してるんじゃないんですか?」
「うわぁぁあああああ!! 嘘だ嘘だ嘘だ! こうならない為に、シンシアを閉じ込めたというのにぃぃぃいい!!」
「やっぱり本音はそっちか」
「どこのどいつなんだ!! その不届き者は! 今すぐ見つけ出して、即刻首を跳ねてくれるわ!」
「いや、流石に罪状もなしにそれは……」
「罪状ならある! シンシアと話した罪! シンシアに触れた罪! シンシアを見つめた罪だ!! 全て極刑! 三回は首を落とす事になる!」
「最後ヤバくないっすか? この国、滅亡しちゃいますけど」
「やかましい! とにかくだ! その犯人を見つけ出して、神の国への引導を渡してくれる!」
「興奮してんなぁ。殿下は」
ヤレヤレと興奮気味のテオドールを見ながら肩をすくめる側近であったが、彼らとしても、これは重要な任務であった。
何故なら、テオドールの婚約者として有名なシンシアに手を出す行為は、それそのものが反逆罪であるし。
相手によっては他国のスパイという可能性だってある。
まぁ、シンシアは別に重要な機密などを知っているワケでは無いから問題ない様に思えるが……この男と繋がったまま結婚などされてしまえば、シンシアに何でも話してしまいそうなテオドールから機密が駄々洩れである。
まさに滅亡の危機であった。
故に、シンシアの浮気相手について調査しようとテオドールに話を聞いていたワケだが、出てきたのはシンシアが浮気をしても仕方ないと思える王太子の暴走であった。
束縛男は疎まれる。というのは一部の者を除けば常識である。
「それで? その男の事は何か分かってないのか!?」
「それがサッパリ。一応金髪に緑の目って事は分かってるんですけど……って、あ」
「なんだ。その、あ。は」
「いや、これ、殿下の特徴と一緒だなと思いまして」
「なにぃ!?」
テオドールはシンシアが見た瞬間に、泣き出してしまうのではないかという様な顔で側近の男を睨みつける。
そして、まるで路地裏のチンピラの様な足取りで調査資料を奪い取った。
「あ、殿下! 駄目ですよ! 殿下が見たら、おそらく刺激が強い」
「金髪の男の腕に、シンシアは抱き着きながら!? 市場を共に見て、歩いていた! だとぉぉおお!!? それは! 俺でもまだやった事のない!」
「あらー。先、越されちゃったんすねぇ」
「殺す!」
「どうどう。どうどう。落ち着いて下さい。殿下。でんか~!」
「即刻この男を見つけ出し! 血祭りにあげるんだ! 中央広場にギロチンを用意させろ!」
「いや、ギロチンなんて二百年前の代物。もう残って無いっすよ!」
「シンシアの為に蘇らせるんだ!」
「いや、殿下の愛するお嬢様がギロチン王妃。なんて呼ばれる様になっちゃいますよ!」
「なんだ、そのふざけた名は! ギロチンの刑に処す!」
「駄目だ。このままじゃ流れで国民が消えちまう。どうどう! 落ち着いて下さい。殿下!」
「とにかく! このままにしておけるか! 国中の兵士を集め! その男の正体を明らかにするのだ!」
テオドールは遂に、その命令を下し、側近たちも仕方ないかと頷いた。
無論、不本意ではあるのだが……来年にはテオドールとシンシアは結婚をする予定であり、このままには出来ないのは確かであるからだ。
今まではシンシアに気を遣って、控えめな調査であったが、もう時間がない。
仮にシンシアが傷つく事になろうとも、強硬手段を取らねばならない状況であった。
「では、最新の情報を教えろ」
「ハッ! 三日ほど前、お嬢様はその男と劇場へ行ったようです」
「なに?」
「ですから劇場へ……」
「俺が! 明日! シンシアと劇場へ行く約束をしていたというのに! そいつは! 三日前に……!?」
一瞬落ち着いたと思われたテオドールの情緒であるが、再び爆発寸前まで高められてしまう。
側近たちは勘弁してくれと思いながらも、怒りに震えるテオドールの為に、目撃情報を最新から順番に過去へ向けて報告していった。
それで分かった事は。
「全て、俺とデートを決めた後に! 同じデートコースを先んじて、か! なるほどなるほど。中々挑戦的な奴の様だな!」
「その様ですね」
「ならば、逆に言えば、捕まえるのも容易いという事だ! 良いか! 次こそそいつを捕まえるぞ!」
「ハッ!」
「そしてェ!!! 俺は明日のデートの準備をする。完璧のペキィ! をシンシアに提供し!! どちらが優れた男であるか! 見せつけてやるのだ!」
「は、はぁ……ちなみに、本日の執務は」
「既に完了している。後はお前たちに任せた」
そして、テオドールは戦いに向かうのだ。
シンシアに誰よりも優れているのは自分だと認めてもらう為の、戦いに。
☆☆彡
色々な波乱がありつつも、シンシアとのデートの日を迎えたテオドールは、朝から緊張した面持ちで馬車に乗っていた。
そして、ロワルベートの家に着くと、いつも通り身なりを確認し、完璧な王子様という様な姿でシンシアを迎えに行く。
「ん、んんっ!」
「テオドール殿下……!」
「あぁ。シンシア。久しいな」
「ふふ。殿下ったら。五日前に会ったばかりですよ」
ふわりと春風の様に微笑むシンシアを見て、テオドールの中でシンシアを抱きしめたいという衝動が暴れるが、今は我慢、今は我慢である。
もはや手を出してしまうのも秒読みという所であるが、シンシアに嫌われたくないという理性が、本能を蹴散らし、圧倒的な武力を以ってテオドールを支配していた。
「さて、では行こうか」
「そうですね」
シンシアに手を差し出し、馬車に導いてから王都へと再び向かう。
その車内で、テオドールはシンシアに例の男について聞きたい衝動にかられながらも、何とか強固な理性でもって、自らの暴走しそうな精神を抑え込んでいた。
あくまで紳士的に。
あくまで紳士的に、だ。
しかし、そんなテオドールの強固な理性もシンシアの一言で粉々に粉砕されてしまう。
「そう。だから劇は観客を驚かす為の演出もあるんだよ。客席から突然出てきたり、とかね」
「ふふ。そうですね。私も驚いてしまって、声を出してしまいました」
「……シンシア?」
テオドールは思わずと言った様子でシンシアが口にした事実に、思わず笑顔を忘れてシンシアの名を呟いてしまった。
その反応にシンシアは首を傾げて何事かとテオドールに問う。
だが、テオドールは一瞬の迷いを振り切って、シンシアへと一歩踏み出していた。
「シンシア!」
「っ! は、はい」
「君は観劇に行くのは初めてだと言っていたね。だというのに! どうして、演出の事を知っていたんだ」
「そ、それは……」
「もしや、私と共に行く前に、他の誰かと行ったんじゃないか?」
ある意味で、それは願いに似ていた。
シンシアが浮気をしている事は既に知っている。
だが、何かの気の迷いだったとして、正直に話してくれれば、まだ大丈夫だとテオドールは考えていたのだ。
無論、相手の男は殺すワケだが。
シンシアは純粋であるし。騙されやすい所もある。
テオドール自身が行った事で窮屈に感じていた事もあるだろう。
王太子妃となることに大きなプレッシャーを感じていたのかもしれない。
そこに付け入った男は当然極刑であるが。
シンシアとは、まだ、大丈夫なのだとテオドールは思いたかった。
無論、駄目だった時はシンシアを王城に閉じ込めて、外へ出られない様にするワケだが。
……。
テオドールはまだ大丈夫だと思いたかったのだ!
「も、申し訳ございません」
「シンシア……そうか。君は浮気をしていたんだね」
「ち、違います!」
「良いんだ。分かっている。君を自由にしてしまった事が俺の罪さ」
「私は、断じて浮気などはしておりません!」
何故、こんなにも追い詰められた状況でシンシアが否定するのか理解出来ず、テオドールは疑問を頭に浮かべていた。
しかし、そんなテオドールへと答えを返すべく、シンシアはゴソゴソと自ら手提げ袋を漁り始めた。
そして、中から取り出したのは……。
「こ、こちらがテオ様です」
「これは……ぬいぐるみ?」
「はい。私が作った、殿下のぬいぐるみでございます」
いや、だからどうした。という様な話ではあるが……テオドールの頭にあるのは、自分の姿をしたぬいぐるみを持ち歩いていて嬉しいという気持ちと。
ぬいぐるみの分際で、テオ様呼びなど許せん。という人形に対する無様な嫉妬の気持ちであった。
「えと? シンシア?」
「私、殿下とのお出かけで失敗したくなくて、このテオ様と一緒に予行演習をしていたのです!」
「そうか」
シンシアの言う事は全て全肯定してしまう病気のテオドールは、シンシアの言葉に思わず頷いてしまったが、すぐにハッとなり側近からの報告書を思い出していた。
そう。そうなのだ。
シンシアの浮気相手は人間である。
少なくとも手乗りのぬいぐるみではないだろう。
これを浮気相手と言っていたのなら、テオドールは側近たちに罰を与えなくてはいけなくなる。
「しかし、シンシア。君が金髪の男と腕を組んで歩いていたという話もあるのだが……」
「それも、テオ様のお話です」
「そうか」
「はい!」
「あー、いや。そのだね。この様に小さなぬいぐるみでは腕を組む事は出来ないだろう?」
「それは問題ありません! 本当は誰にも言ってないんですけど……殿下にだけ、私の秘密をお教えしますね?」
殿下にだけ。
私の秘密をお教えする。
この二つの単語だけでテオドールは世界の破滅と再生を七度は味わった。
しかし、精神は星々の彼方へ飛び去っていようとも、シンシアの言葉を一文字たりとも聞き逃すワケにはいかないと、気合で精神を肉体に閉じ込める。
「てーい!」
そして、愛らしい掛け声と共に、シンシアの手にあった小さなぬいぐるみが、ポン! と軽快な音を立てながらテオドールそっくりな姿になる所を目撃するのだった。
「は……」
「い、いかがでしょうか?」
もじもじと手をこすり合わせながら上目遣いでテオドールを見つめるシンシアにテオドールは剣で七度切り裂かれた様な衝撃を受けたが、何とか致命傷で耐える事が出来た。
精神は既に瀕死である。
「可愛いよ」
「か、かわ?」
「あぁ。シンシアは今日も可愛いね」
「あ、あぅ! わ、わたしでは、なくー! テオ様についてお聞きしております~!」
「あぁ。これはすまない」
テオドールはシンシアに促され、シンシアの隣に座るいけ好かない男を見た。
最初に浮かんだ感想は「気に入らない」であった。
マジマジと見つめて、二度目に浮かんだ感想は「胡散臭い男だな」だった。
悲しいかな。テオドールはおそらく鏡を見るのが嫌いなのだ。
自分に対しては無限に近い数の罵倒が湧いてくる。
特に気に入らないのは図々しくシンシアの肩を抱いている所だと、その顔面に高速パンチを叩き込みたい所存であった。
しかし、シンシアの前である。
そして、コレはシンシアの作り出したモノである。
例え、どれほど気に入らないモノであってもシンシアの手で生まれたのなら……それは世界で一番価値のある芸術と同じ意味であった。
「そうか。うん。とても素敵だと思うよ」
「ほ、本当ですか? よかったです。すっごい頑張って殿下に失礼が無いようにってお作りしたんですよ」
ニコニコと微笑むシンシアに、テオドールの頭は『シンシアかわいい』だけで埋め尽くされたが、原因が分かった以上、彼の動きは早かった。
長かった。
非常に長い一日だった。
しかし、それももう終わる。
「シンシア」
「え? あっ、きゃっ、で、でんか?」
「まったく悪い子だ。こんなにも心配させて」
「え? え!?」
「私はね。君との日々に完璧など求めてはいないんだよ。求めているのは君と過ごす時間だ。それを君にはちゃんと教えないといけないようだね」
「え、えっ」
「さ、では最初の授業だ。まだぬいぐるみとはしていない事をやろうか……」
「それは……んっ」
テオドールはシンシアの唇に自らの唇を重ね、呆然としているシンシアに言葉を続ける。
「さて。シンシア。これからは全ての初めてを私に渡すんだよ?」
「て、テオドール殿下」
「テオ様、だ」
そして、二人の影は重なり……シンシアはテオドールの世界に堕ちてゆくのだった。
色々あって、一年後。
シンシアはテオドールと結ばれる事になり、王妃として城へ入る事となった。
体が弱いという事で、あまり表舞台に姿を見せる事は無かったが、三人の子供に恵まれて、王国は繁栄の時を迎えたのであった。




