小説家 9日目
2025年7月18日、金曜日。目覚めの冷房の風は、昨日とは違った。鋭さは消え、むしろ昨夜の湿気を洗い流す清冽さを帯びていた。
机に向かう。画面には昨日綴った「水」の記憶が固まっている。再読する指が震えた。川の冷たさ、足を掬う水流の感触、喉を塞ぐ絶望。書かれた言葉は、まるで再現映像のようだ。しかし不思議と、その映像はもはや私を完全には飲み込まない。7月10日、初めて完成させたあの原稿の重みが、心のどこかに確かな錨を下ろしている。
書き直し始める。昨日は恐怖の再現だった。今日は、その恐怖を紡ぐ理由を自分に問う。キーボードを叩く指は、時に止まり、時に速くなる。恐怖の描写を削る。代わりに、川面に揺れる木漏れ日の美しさを、溺れる直前に見えた光景を加えた。恐怖と美しさは、同じ記憶の両面だったのだ。
窓の外、昨日の雨の痕はほとんど消えていた。残る僅かな水たまりは、朝日に照らされ、小さな鏡のように瞬いていた。それはもう恐怖の象徴ではなく、ただ在るもの。私はそれをノートの端に走り書きした。
夕方、私は作品を完成させる。冷房の風が首筋を撫でる。今日は励ましでも刃でもない。ただの風だ。明日、私は長編小説に挑戦することにした。