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開戦前夜

 それから半日は目が回るような忙しさだった。

 諸侯から上がってきた見積もりを元に編成を決め、ざっくりとではあるが戦いの方針を定める。

 ナーグ子爵を初め、経験豊富な諸将が補佐してくれなければ、とてもではないがまとめきれなかっただろう。

 とにもかくにも最低限の準備をして屋敷へ戻る。

 半ば倒れこむように寝台に横になりながらミキは呟いた。

「足りない……」

 正確な情報は掴めていないが、前後の状況からブライム伯の兵力は万を超えるだろうと推測される。

 一方こちらは、ナーグ子爵が増援のため編成していたディバリ勢四千が唯一まとまった戦力で、後は出席者が護衛として伴ってきた兵士が、それぞれ数十から多くて百を超える程度。

 領地から呼び寄せる兵がどれだけ間に合うか、という状態だ。

 全部揃うのを待てば互角に近い数字にはなるだろうが、そんな悠長なことをしている暇はない。

 問題は東方だ。

 諸侯の前では「東方を救う」と大義名分を掲げたが、実情は正反対かもしれない。

 東方戦線の総指揮を任されているのはリーサル伯爵。

 しかし、ミキが遭遇した刺客に人狼が含まれていたことが気にかかる。

 人狼を配下にしているのは、ミキの知る限り、リーサル伯のみだ。

 この世界において、国家を樹立する、あるいはそこまで行かずとも組織を形成して行動するのはヒトに限られる。

 エルフやドワーフは自分達でまとまって暮らしており、それに近い性質を持つが、他の種族はせいぜい「群れ」を作る程度で、集団として動くことはほぼない。

 だが、彼らはヒトとの間でなんらかの関係を持ち、力を貸すことがある。

 例えば、ミキの父が吸血鬼の母を娶り、それによって吸血鬼という種族そのものがウィーヴディールに味方しているように。

 そして一つの種族が関わりを持つのは、ヒト側の一つの集団に限定されるようだということが知られている。

 吸血鬼の例で言えば、彼らが力を貸すのはウィーヴディールのみ。

 他の領主、あるいは他の国に協力することはない。

 従って、人狼が彼ら自身の意志でミキを襲ったのでなければ、リーサル伯の関与の疑いが濃厚だ。

 あいにくミキに人狼族の恨みを買った覚えはないから、現状ではリーサル伯が怪しいと見るしかない。

 そうなると、ブライム伯の叛逆とも関連があると考えるべきだろう。

 二人で示し合わせての行動か、あるいはリーサル伯が裏で糸を引いているのか。

 いずれにせよ、早急にブライム伯を叩かないとリーサル伯の軍勢が戻ってきて合流することになりかねない。

 そうなれば敵の総数は数万にも膨れあがる。

 それから対処するのはかなり難しい。

 リーサル伯はリーサル伯でザーリット家と事を構えているから、すぐに動くことはできないはずだが、知恵者として知られる伯のことだ、全てが計画のうちなら裏でなんらかの手を回している可能性は十分にある。

「ブライムを降してその兵力を吸収すればなんとか対抗できるだろうけど……。どこまで行っても兵が足りない……」

 唯一の救いは現状、リーサル伯が表立った動きを見せた情報がないことだ。

 速やかにブライム伯を制圧すれば、ザーリットとの間で挟まれる事態は避けたいだろうから、なにもなかったフリをしてこれまで通りの立ち位置を保つことは十分考えられる。

「急がなきゃ……。でも兵が足りない……」

 ぼやきながら、ミキの意識は眠りに落ちていった。


 辺りには乳白色の霧が立ちこめていた。

 一瞬、迷いの森にいるのかと思ってしまったが、それは数日前に終わった話だ。

 そんな風に記憶と論理的思考が明確である以上、これはただの夢ではない。

 そう結論を出した瞬間、霧のなかにクリスの姿が浮かび上がる。

 あぁ、これはクリスの力だと、自分の結論の正しさをミキは悟った。

 同時に、彼女が無事だという知らせが事実だと確認できて、安堵する。

 クリスは夢魔だ。

 夢魔は他者の夢に入りこみ、あるいは夢を操る。その内容が多くの場合、性的な内容を伴うことから、淫魔という別名でも知られている。

 夢魔は単独では生殖能力を持たず、夢のなかでヒトと交合することで子孫を残す。

 先代国王が無聊を慰めようとブライム伯に紹介された夢魔に魅入られ、クリスという王女をもうけたことは当時、結構な噂になった。

 残念ながら、その論調はあまり好意的なものではなかった。

 あのぼんくら王家がついに淫魔にまでたぶらかされた……という誹謗中傷に近い性質を持ったものであった。

「ダーリン……」

 クリスは気遣わしげにミキを見つめる。

「公爵様のこと、聞いたわ。なんて言ったらいいのか……」

「そんな顔しないでください。僕はだいじょうぶです」

 笑顔を作るミキに、クリスの表情はむしろ沈んだ。

「あの後、平気だったの? ケガとかしてない?」

「なんとか無事です。クリスこそ、元気ですか?」

「ケガとかはないけど、最悪の気分よ。王宮に連れ戻されて、部屋に閉じ込められて……。なにより、これでまた国が乱れるんじゃないかって憂鬱だわ」

「……そうですね」

「あ、ダーリンが気にすることないわ。悪いのはうちの先生で……」

 ブライム伯は献身的に王族に仕えたことで知られるが、クリスに対しては教育係を兼任していたらしく、彼女は伯を「先生」と呼ぶ。

 クリスはその先を続けられず、うつむくようにして頭を下げた。

「……ごめんなさい。こんなことになるなんて……」

「クリスが謝ることじゃないですよ」

 ミキは首を振って応じる。

 彼女にしてみれば、踏んだり蹴ったりだろう。

 ミキの父の死で、戦乱の平定が遅れることは避けられまい。

 しかも、その事態を招いたのが、師と仰ぐブライム伯なのだ。

 やりきれない思いは察するに余りある。

「なにか聞いてます? あんなことをした理由とか」

「例のふざけた建前だけ。王家を復活させ、サルートを異世界人の手から取り戻すんだって」

 クリスは腹立たしげに唸った。

「別にいいわよ、それならそれで。でも、今じゃなくていいでしょ。公爵様が国内を平定して、平和になってから暗殺するなりなんなりして取って代わればいいじゃない。ようやく終わりが見えてきたところなのに、ここで揉め事を起こせば決着までに余計な時間がかかっちゃうことくらい、わかりそうなもんだわ」

 とてもミキより年下の少女が口にするような言葉ではない。

 しかしクリスが言うには、ブライム伯は王家に伝わるアーティファクトを用い、王国の歴史について相当量の情報をスパルタ的に彼女に叩きこんだらしい。

 結果、精神的には見た目通りの幼女ではなく、本人曰く「成熟したレディ」、ミキの印象しては「老成した耳年増」という少し歪んだ人格ができあがっている。

 そしてその教育の成果と言っていいのかどうか、彼女はかなり強固な平和主義者だ。

 と言っても、戦争や暴力を盲目的に否定するものではない。一刻も早くこの国の戦乱に終止符を打ち、平和な時代を手繰り寄せなければならないという使命感を胸に抱いている。

 しかし、彼女は夢魔だ。

 この戦乱の世を自力でどうこうできるような能力には恵まれていない。

 その上、自身の所属する王家は、完全に飾り物状態になっていた。

 そこでクリスが考えたのが、夢魔の力を利用して権力者に取り入ること。

 とはいえ、ウィーヴディール公爵とは年齢の差がありすぎて難しいので、その跡継ぎであるミキの婚約者の座を狙い、まんまと手中に収めたわけだ。

 最初は伏せていたそうした事情を、あるときクリスは全て打ち明けてくれた。

 ミキの場合は、たぶらかして操るより、正直に話して協力を求めるほうが得策だと判断したらしい。

 おとなしく操られてくれるほどバカでもなさそうだし、好んで乱を求める性質でもない。

 ならば、誠意を持って話し合い同じ目的のために力を合わせる方針で物事を進めるほうが、より効率がいい。

 ミキとしても、そうしたクリスのスタンスは好ましく思えた。

 なにか隠し事をしているようだとは感じていたし、そのままなら、やがてなにかしらの疑念を抱いて遠ざけていたかもしれない。

 加えて、彼女が語る平和への渇望は、ミキに指針を与えたとも言える。

 それまでミキ自身は、特に目的意識を持っていなかった。

 ウィーヴディールに生まれ、跡を継ぐことが濃厚で、その境遇の持つ意味はなんとなく悟るに至ったが、良くも悪くも淡々とその事実を受け入れるだけだった。

 なんのため継ぐか、継いだ後どうするか、そういったことに自分なりの考えは持っていなかった。

 それが芽生えたのは、クリスとのやりとりを通じてのことになる。

 長く続く戦乱の世を終わらせる。

 そのために、この国で最大の勢力であるウィーヴディールの後継者となり、その力を使う。

 悪い考えではないと思った。

 ミキ自身は、それほど戦乱のマイナス面を実感したことはなかった。

 なにしろウィーヴディールの御曹司だから、危険からは遠ざけられている。

 そして平和のありがたみも知らない。

 と言うか、それを知るヒトはこの国にはいない。

 戦乱が始まって既に百年以上が経過している。

 始まった年に生まれた赤子も、とっくに墓に入っている計算だ。

 異世界に生まれた父は、恐らく知っていたのだろう。

 長く生きるオウルやエルル、母や叔母も知っているかもしれない。

 しかし彼らがそれをミキに伝えることはなかった。

 単に想像するだけでは実感を伴わないとでも思ったのだろうか。

 だがクリスはそれを語り、共に目指してほしいとミキに訴えた。

 やはり実感は伴わない。

 しかし単純に考えて、死人は少ないほうがいいだろう。

 壊れる家、焼かれる畑も少ないに越したことはないはずだ。

 多分それは多くの人を幸せにすると思う。

 なにより、そのことを美しい夢魔の少女は喜ぶはずだ。

「まったくですね。父のなにが気に入らなかったのか知りませんが、わざわざ話を難しくする必要はないと思うんですが」

「まぁ、先生は王家大好き人間だから……。私に言わせりゃ、王家がこの国になにをしてくれたって言うのよって感じだけど。昔はともかく、今は乱れまくった世の中を公爵様に守られながら、のほほんと眺めてただけじゃない」

 クリスは大げさに嘆き、一度言葉を切って、じっとミキを見つめる。

「……なんですか?」

「私達、これからどうなるのかしら。婚約の話も、きっと……」

「そうですね。ブライム伯が認めるとは思えません。いずれ、なにか言ってくるでしょう」

「そうよね」

 ため息をついて、それから彼女は熱っぽい視線をミキに向けた。

「私としては、今の状況でも、あんたが一番、私の願いをかなえてくれそうだって思ってるんだけど……」

「そう言ってくれるのは嬉しいですけど、実際問題、かなり後退しちゃいましたよね。ちょっと、なにかを約束できる状況じゃ……」

「わかってるわ。それでも、きっと同じ夢を見ててくれるんだって……そのくらいは信じてもいいでしょ?」

「えぇ、もちろん。僕としても、目指すべき方向を変えるつもりはありません」

 クリスは嬉しそうに頷く。

「期待してる。……それで、これからどうするの?」

「えぇと、申し訳ないんですが、ブライム伯を討つため軍を発します。できればクリスのことは助けたいんですが……」

「気にしなくていいわ。自分のことは自分でなんとかするから。それより、ちゃんと先生に勝てる? 兵力、一万は軽く超えてるって話よ。最初は及び腰だった配下も、公爵様に勝っちゃったもんだから調子に乗ってるし」

「それなんですよね」

 ミキはため息をつく。

「間違いなく勝てるだけの兵が集まるまで待ってたら、状況が悪化しちゃいそうで」

 クリスは腕組みをして考えこみ、それから躊躇いがちに切り出した。

「例えばの話だけど……。私があいつらどうにかして、降伏するって言ったら、受け入れてもらえる?」

 夢魔には相手を魅了する力がある。

 主立った者を説き伏せれば、あるいはそれも不可能ではないのかもしれない。

 しかしブライム伯がそうした夢魔の性質を知らないわけがない。

 なにしろ夢魔が力を貸しているのは、他ならぬブライム伯なのだ。

 うかつにクリスが行動すれば、かえって彼女の身に危険が及ぶ恐れもある。

 ミキは慌てて首を振った。

 もっともらしい理屈を付け加えることも忘れない。

「いえ、それはまずいです。叛乱鎮圧だけ考えるなら一番効率的かもしれませんが、それだと僕が侮られてしまう。家中にも周辺諸侯にも『公爵は死んだけど、息子もやべぇぞ』って思わせないといけない。そのために、ここはパーッと華々しく勝つ必要があるんですよ」

 クリスは頷いた。

「そっか。……となると、私にできることは……」

「ないですね」

「はっきり言うな! あぁっ、もう! なんで私、夢魔なのよ! なんかこう、もうちょっと役に立つような能力とか持ってる種族ならいいのに!」

 クリスはせっかくの艶やかな銀髪をぐしゃぐしゃにかきむしる。

 その様子が微笑ましくて、ミキは軽口を叩いた。

「エッチなことは得意なんでしょう?」

「そうだけど! それは今、なんの意味もないでしょ!」

「そうですね。……いや、なくもないです」

 ふと思いついて前言を撤回すると、クリスは冷ややかな目でミキを見据えた。

「なに? なんかいやらしいことでも考えてるの?」

 類い希な美貌だけにそんな表情すら様になる。

 ぞくぞくして、つい変な趣味に目覚めてしまいそうだ。

「あぁ、いえ、クリスにできること、あるかもなって」

「なに? 脱げばいいの?」

「違いますよ。そういうのはもう少し育ってからで」

 憐憫を帯びたミキの視線が注がれているのを知って、クリスは両手で胸をかばう。

「変態っ!」

「いや、今のクリスには欲情しないって言ってるんだから、むしろ変態ではなく正常で……」

「いいから、言いなさいよ! 私にできること、あるかもなんでしょ!?」

 顔を赤らめて言い募るクリスに、ミキは笑いを引っこめた。

「あぁ、はい。僕のことを愛してます、信じてます、きっと助けに来てくれるはずです……って周囲にアピールしてもらえます?」

 いくら軟禁されていても、人の口に戸は立てられない。

 クリスのそうした発言は王宮から都へ、そして周囲へと噂になって広がるだろう。

「引き裂かれた婚約者達、少女を救いに少年は決死の戦いを挑む……って民の同情を買うには持ってこいの構図だと思うんですよ」

「あんたねぇ……。乙女の純情を政治利用しようなんて、ろくな死に方しないわよ」

「え、でも、みんなそういうの好きですよね?」

「まぁね。でも、私達両方ヒトじゃないから、効果薄いかもよ」

「その分、二人ともまだ大人じゃないんで。あんな小さな子達が……って保護欲をそそることも狙ってます」

 クリスは、ハァとため息をついた。

「わかった、やってみるわ。なるべく健気でお涙頂戴な感じでいいのよね?」

「よろしくお願いします。……あぁ、そう言えば、ルースはどうしてます?」

「いじけてる」

「いじける? どうして?」

「逃げてる途中でブライムの家臣が出てきて『迎えにきました』って言ったとき、それを信じてついていったのよ。結果、私はご覧の有様でしょ。軽率だったって落ち込みっぱなしよ」

「いや、それは仕方ないのでは……」

「でしょ? 私だって『あぁ、これで助かった』って思っちゃったもん。まさか公爵様を襲う裏で、私の身柄を押さえようとしてるんだとは思わないわよ」

「ですよね」

「様子を見に行っても、姫に合わせる顔がないって、出てきやしないわ」

「まぁ、状況が好転すれば立ち直るでしょう」

「好転させてね、次期公爵様?」

「努力はしますよ」

 クリスと同じ言葉を返して、ミキは微笑む。

 クリスはなにかを思い出したようにポンと手を打った。

「あぁ、そうそう。ブライムの先遣隊はアストン城に入って、あんた達を足止めしようとするはずよ。時間を稼いでなにをするつもりなのか、そこまでは知らないけど」

「……! 貴重な情報、ありがとうございます! できること、あったじゃないですか!」

「え……。そんなに?」

「めちゃくちゃありがたいですよ。助かりました」

 情報というものは、しばしば戦況を左右する。

 この場合、ブライム勢の動きはミキにとって、ノドから手が出るほど欲しい内容だった。

 加えて伝達速度が通常のそれとは段違いに速い。

 本来であれば最低でも一日や二日は待たなければ手に入らない情報だ。

 それを指揮官が手に入れた意味は途方もなく大きい。

 実はこうした観点から夢魔の能力を通信手段として有効活用できないかと考えた者はこれまでにも何人かいたらしい。

 ただ、それほど便利なものではなく、挫折を余儀なくされている。

 まず夢を見せる相手は誰でもいいというわけには行かない。

 夢魔にとって夢を見せる行為は生殖と密接に関連しているため、多少なりとも好意がないと「生理的に無理」となるそうだ。

 加えて、単に情報伝達だけを目的とすると、夢を通じた精神的な接続を維持することが難しくなるとも聞く。

 また本人の体調や精神的なコンディションにも左右されるため、不安定だ。

 しかも夢魔という種族自体、それほど数の多い種族ではないため、人数を揃えるのが難しい。

「感謝します、クリス」

 ミキは片膝を突いてクリスの手を取り、その甲に口づけた。

「早く迎えに来てね、ダーリン」

「えぇ。約束、守らなくちゃいけませんからね」

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