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母の故郷

 男爵の言っていた結界はさほど強力なものではなく、吸血鬼の力を抑えれば問題なく通過できるレベルだった。

 城内の物音が届かない距離まで離れたところで、ミキは歩調を緩める。

 振り返れば、まだクリード城からは煙が立ちのぼっていた。鎮火に手間取っているようだ。追っ手がかけられた様子はない。

 ミキは並んで歩くエルルに目を向けた。

「いつ気づいたんです?」

「んー、最初から『あれ?』って思ったよ。行方不明だった王子様が帰ってきたっていうのに、お迎えに来た人数が少なかったっしょ?」

「急いで飛び出したから、人が揃わなかったのかもしれませんよ」

「かもね。でも、あの規模のお城なら手の空いてる騎士の十や二十、すぐ集められるはず。もしかしたら、若が帰ってきたってこと、あんまり大勢に知られたくないのかもって」

 否定できずにミキは頷く。

「あとは行き先でグレースを示したこと? 確かに堅固だけど川の中州に築かれた砦っしょ? 若を軟禁するのにちょうどよくない? ディバリへ向かうなら、他に城でも砦でも山ほどあるのに、あえてグレースを選ぶ理由、気になるよね」

「それはちょっと難癖っぽくないですか。確かに候補は他にもありますが、じいに異心がなくてもグレースを選んだ可能性は高いと思いますよ」

「まーね。決定打は晩ご飯に入ってたお薬よ」

「薬!? 気づきませんでしたが……」

「そんな害のあるもんじゃないよ。ちょっと寝付きが良くなるお薬が、バレない程度に混ぜてあっただけ。どうせ若には効かないのわかってたから黙ってたけど」

 思わずミキは呻いた。

 正直、まだ男爵が裏切ったとは信じたくない気持ちが強い。

 一体なにを望んでのことなのか。他ならぬ男爵の願いなら、ミキとしても、かなえるにやぶさかでないのだが。

 なんにせよ、理由はどうあれ現状、味方ではないようだ。

 フランド男爵さえ頼れないとなると、この先どうなるのか、楽観より不安が優る。

 ついため息がこぼれたとき、行く手の暗がりで小さく光の精霊が瞬いた。

 顔を上げると、闇に淡く金髪が揺れる。

 オウルが笑顔で手を振っていた。

「こんな夜中に出歩くなんて、いけない子ね」

「オウルこそ、里へ報告に行ったんじゃなかったんですか」

「ちょっと忘れ物をして、取りに戻ったの」

「オル姉、しっかり者のくせに時々うっかりするよね」

「長生きしてると、どうしてもね」

 エルフ達は白々しく笑い合う。

 突然の離脱を言い出されたときは、オウルすら味方してくれないのかと愕然としたが、今になってみればあの時点で既に彼女はエルル同様、男爵を警戒していたのだろう。

 あのまま三人で入城していたら脱出はかなり窮屈な作戦になっていたはずだ。オウルの機転に感謝する他ない。

「ケガはありませんか」

「だいじょうぶよ。それより、これからどうするの? 男爵を味方につけられないとなると、かなり選択肢は限られると思うけど」

「そうですね……」

 一応、ミキにも自分の領地と呼べる土地は与えられている。

 しかし、現状では敵地に近く、安易な入領は危険を伴う。

 手近な城に赴いて一時的に接収することはできるだろうが、城主が素直に応じるとも限らないし、表面的に従っても内心にしこりが残るようでは先々揉め事の種になる。

「じいがダメなら、後はもう血のつながりに期待するくらいしかないと思います」

「血? どの?」

「フリットです」

 ミキの答えに、二人は声にこそ出さないが「げっ」という顔をする。

 フリットは母の出身地だ。

 山がちであまり豊かではないが、その分、軍を展開しづらく、手を出しにくい。

 手を出しにくい理由は地形の他にもう一つある。吸血鬼の本場なのだ。

 戦えば甚大な被害が見込まれ、勝ったとしても手に入るのは不毛な山地。そのため、ミキの父が母を妻に迎えることで領地に編入するまで、長い間、触らぬ神に祟りなしという扱いの土地だった。

「マート様かぁ……。確かにあの方なら、ミキさんに味方してくれるだろうけど……」

 マートは母の妹、つまりミキの叔母に当たる。純血の吸血鬼で、ウィーヴディールに嫁いだ姉に代わって、フリットの領主を務めているはずだ。

 血縁もさることながら、種族的な問題から、マートが他の勢力と通じるとは考え難い。

 ヒトにとって吸血鬼に対する警戒心は本能から来る根深いものだ。あえて手を結ぼうとする者はなかなかいないだろう。

 そうなると父が倒れた今、ミキが当主を継ぐことに最も大きなメリットを見こめるのが、フリット勢とその領主、マートと言っていい。

 そう考えれば相応の支援が期待できる。

 ただ、何分にも相手は吸血鬼である。

 エルフは吸血鬼に対してヒト以上に嫌悪感が強い。

 一方、吸血鬼の側もエルフの血はあまり好まない者が多いのだが、なかには「珍味」と称して喜ぶ場合もある。

 実はマートがその部類だ。なんでも「長生きしすぎてヒトの血には飽きた」らしい。加えて「長命なエルフの血を飲めばより若さを保てると言われる」とかで、オウルやエルルと顔を合わせる機会があると、血を飲ませてくれないかと持ちかけるのだそうだ。

 実を言うとミキに対してもハーフの「味見」を要求したことが一再でなく、あまり頼りたい相手ではないのが本音だ。

 とはいえ、

「勝負には元手が必要ですから。背に腹はかえられません」

 二人は顔を見合わせてため息をついた。

「仕方ないね」

「途中でニンニク買ってこ」

「もちろん二人を取り引き材料にしたりしません。叔母も仮にも領主です。領民の生命や財産より自分の食欲を優先したりはしないでしょう」


 した。


 叔母はミキの来訪を歓迎してくれたし、協力も約束してくれた。

 しかし、その代償として「味見」を強く要求したのである。

 フリット領の主城、その執務室でミキの叔母、マートは煙管をくゆらせる。

 室内は凝った意匠の調度で揃えられ、優雅な雰囲気を醸し出していた。全てが厳選された品で、どれもかなりの年代物、一つで一財産になる逸品ばかりだ。

 しかし、どれほど価値ある品も、部屋の主の存在感の前では引き立て役に過ぎない。

 マートは肉付き豊かな長身を紫紺のドレスに包み、艶やかな黒髪を複雑に結って、多くの宝玉をあしらったティアラで飾っている。どこの王侯貴族を前にしても引けを取らぬであろう、高貴な雰囲気を身にまとっていた。

 ヒトで言えば二十代後半くらいに見えるが、無論、吸血鬼の年齢は見た目からは測れない。

 長椅子に腰を下ろしその叔母と向かい合うミキは、こめかみを指先で押さえて唸る。

「マートさん、状況、わかってます? 僕以外の誰が跡を継いでもフリットの立場は悪くなりますよ」

 名前で呼ぶのは「おばさん」という呼称を彼女が嫌うからだ。

 吸血鬼も長命な種族だし、見た目の若々しさはミキの知る限り欠片も損われた様子がないが、それでも女性にとって加齢を連想させる言葉はタブーらしい。

「知ったことじゃないわねぇ」

 いっそ見惚れてしまいそうな鮮やかな手つきでマートは煙管の先を灰皿に打ちつける。

「軍勢ことごとく身体中の血を抜かれて干物になる覚悟があるなら、誰でもかかってらっしゃいな」

 それは決して大言壮語ではない。

 この叔母は吸血鬼のなかでも飛び抜けた力の持ち主で、まともに戦えばどれほどの損害が出るか、ちょっと考えたくないレベルだ。特に高速移動を得意とし、その居場所を特定することがそもそも難しい。

 武力に訴えてフリットを制圧するのではなく、母と婚姻を結ぶことで味方に引き入れた父の選択は、その生涯のなかでも屈指の英断と称賛していい。

「マートさんはそれでいいでしょうけど、フリットにはヒトの民も大勢います。彼らは大切な財産でしょう。蹂躙されるのは愉快じゃないはずです。補充するにしたって、お金も時間もたくさん必要ですし」

「そうねぇ。だから、坊やが跡を継ぐつもりなら応援するわよ。でも、協力してほしいと言うなら、謝礼を用意するのが誠意というものではないかしら?」

「ですから、僕が正式に当主の座に就いた暁には、加増を約束すると言ってるじゃないですか……」

「お金は余ってるのよねぇ。私が興味を持つのは、お金じゃ買えない価値」

 マートはミキの首筋を見やってぺろりと唇を舐めた。

 あまり行儀が良いとは言えない仕草ながら、思わず目を惹きつけられてしまう妖艶さが漂う。

「加増すれば家格も上がるわけですし、お金じゃ買えない価値だってありますよ……」

 ここで叔母の要求を呑むわけにはいかないのである。

 ミキ個人としては、自分自身半分は吸血鬼なのだし、血を吸ったり吸われたりすることに抵抗はない。

 だが問題は外聞である。

 ミキはウィーヴディール家の次期当主という公の立場から協力を要請している。

 それに対してマートが要求しているのはごく私的な見返りだ。

 これを受け入れてしまえば、ウィーヴディールの名に傷がつく。

 血を吸うというのは、肉体的な損傷が生じることを意味する。法的に解釈すれば傷害罪の要件に該当するだろう。つまり叔母の言い分を呑んでしまうと、ウィーヴディール家はいざと言うとき所属する者を生け贄として差し出すことも厭わない、そんな風に見られてしまいかねない。そうなれば、信用はガタ落ちだ。それは今後の政治、軍事において取り返しのつかない失点となり得る。

 マートは決して頭の悪い女性ではないが、そこはやはり個として絶大な力を持つ吸血鬼という種族だ。群れなければ他種族の脅威に対抗できない、ひ弱なヒトが必然的に重んじざるを得ない集団としての名誉、体面、そうした価値観に実感が伴わないのだろう。

「家格なんてなおさら興味ないわ。不死者の王たる吸血鬼、さらにその王たる私に、これ以上の栄誉なんて必要ないもの」

「まぁ、そりゃそうですね……」

 とはいえ、引き下がるわけにも行かない。

 これからミキがなにをどうするにせよ、裏付けは必要だ。長く続いた戦乱の世で、血筋だけで自分の後継者としての正当性を主張しても、受け入れてくれる者はそう多くないだろう。

 まずは最低限、軍としての体裁が整う手駒が欲しい。

「他になにか欲しいものはないですか? 謝礼としての条件を満たすような……」

「そうねぇ」

 マートは煙管に口をつけ、宙にぷかりと煙の輪を浮かべた。

 態度は高慢、主張は強硬、でも百パー自分の要求が通らないと気が済まないような暴君ではない。

 ……はず。お願いだからそうであって。

 幸い、甥っ子の祈りは通じた。

 いや、言葉の綾だとしても、「幸い」などという表現を使うべきではないかもしれない。

 不意に彼女の瞳が真紅に染まった。

 背後に控えたオウルとエルルがとっさに身構えるほどの壮絶な殺気が吹き荒れる。

 動揺を表に出さないよう平静を装いつつ、ミキは秘かにツバを呑んだ。

「首」

「はい?」

「裏切り者の首を取ってきなさい。姉さんの墓に供えなくちゃいけないわ」

 ざわりと、自分のなかの血が騒ぐのをミキは感じる

 意識していなかったわけではないが、それは今、考えても手の届かない話だと棚上げにしていた。

 しかし、叔母の言葉に刺激され、強烈な感情が心のなかでむくりと首をもたげる。

 そうだ。自分がまず第一に考えるべきこと。それは──復讐。

「……それはちょっと」

 そう応えたミキにマートの鋭い視線が食いこむ。

 物理的な圧力すら錯覚させるほどの、強烈な視線だ。

「できないと言うの?」

「いいえ、違います。それは誰に言われるまでもなく僕自身の意志として、必ずこの手でねじ切ってやろうと思います。ですからそれをマートさんへの謝礼として差し出すのでは、僕の気が済みません」

 ふ、とマートの口元が緩んだ。

「坊やはちゃんと、私達の血を継いでいるようね」

「母上とは、それほど長い時間を一緒に過ごすことはできませんでしたが」

「妙な人間に惚れたりするからよ。姉さんは賢い人だと思っていたけれど、男を見る目はなかったわね」

 ミキの父は、その実績だけで十分「英雄」と呼ばれるに相応しい結果を残したが、義妹のお眼鏡には適わなかったらしい。

 しかし、故人の名誉を守るため叔母と口論しても、得るものはない。

 ミキはただ苦笑するに留め、条件の見直しを提案した。

「裏切りに加担した連中の首を一ダースほど並べるということで手を打ってもらえませんか」

「それでいいわ。ただし、生きたまま連れてこなきゃダメよ」

「畏まりました」

 恐らく彼らは自らの選択を激しく後悔することになるだろう。

 しかしそれは自業自得、同情の余地はないと、叔母に向かって下げた頭のなかでミキは考えていた。

「坊やがそのつもりなら、これを渡しておくわ」

 顔を上げたミキに、マートは手の平にすっぽり収まるサイズの箱を放る。

 受け取って開くと、指輪が入っていた。

 深い紅の輝きをたたえる宝玉があしらわれている。

 かなり値打ちのある品であることは間違いないが、単に高価というだけではない、なにかしらいわくありげな雰囲気を漂わせていた。

「これは……?」

「家を出るとき、姉さんが置いていったのよ。自分の跡を継ぐべき者に渡せって」

「母上の……」

「形見よ。持っていきなさい」

「……受け取れませんよ。母上の跡を継いだのはマートさんでしょう」

「私はただ、領地の始末を任されただけ。姉さんはもっと大きなものを見ていたわ。同じものを見るとしたら、坊やでしょう」

 あいにく母と共有した時間はそう長くない。

 母になにかしらの遺志があったとしても、それをくみ取れるかどうか微妙だ。

「母上が見ていたものってなんですか?」

「さぁ。あの変人が考えることなんてわからないわよ。ただ、なんとなくそんな風に思うだけ。なんなら、売り払って軍資金の足しにしても構わないわよ」

「……わかりました。使い道はよく考えます」

 ミキが頷いたとき、宝玉が微かに煌めいたような気がした。


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