決別
ミキとエルルは男爵が用意してくれた屋敷に案内され、歓待を受けた。
男爵との話が済む頃には既に遅い時間となっていたため、他の文官、武官への顔見せは夜が明けてから出発前に改めてということになる。
最上階に用意された眺めの良い寝室に通されたミキは、すぐに灯りを消して横になった。
最初に襲撃を受けてからろくに休めておらず、肉体的にはかなりの疲労が蓄積しているが、考えなければならないことが次々と浮かんできて眠りはなかなか訪れない。
暗闇のなか、寝台で身を起こす。
丸めたマントを引き寄せ、内部に包んでおいた鋼の感触を確かめた。
それは婚約の祝いとして父から贈られた二丁の拳銃だ。
ミキとクリスに一丁ずつ与えられたものだが、兵器を贈られて喜ぶ少女はあまりいない。
その場では笑みを浮かべて受け取ったクリスだったが、公爵の前を退出した後、ミキに預かっていてくれと手渡し、そのままになっている。
川に落ちた後、手入れをする暇がなかったから、今は使えない。
「まさか形見になるなんてね……」
銃という兵器は、父が召喚されるより随分前にドワーフの間で開発されていたと聞く。
しかし、それほど有力とは見なされていなかった……いや、現在でも見なされていないというのが実情だろう。
殺傷能力は高いが、調達にも運用にもコストがかかり、発揮される性能に見合わないというのが一般的な評価だ。
ウィーヴディール家中でも、研究は熱心に進められているが、実戦での本格的な運用には至っていない。
だが、父はいずれ銃器が戦の主力となると断言し、ミキにもその扱いに習熟するよう命じた。
子育てに関しては熱意の欠片もなかった父が、明確な意思を示した数少ない事例の一つだ。
「……それで?」
ミキは拳銃を指先でくるりと回し、窓のほうに向ける。
「どうかしたんですか」
「うふん♪ 若の寝所に女が忍びこむ理由なんて、一つしかないでしょ?」
窓枠から顔だけのぞかせて、エルルが片目をつむった。
「冗談を聞いてる気分じゃないです」
ため息をついてミキが拳銃をしまうと、エルルはしなやかな身のこなしで室内に滑りこむ。
暗闇のなかで目を光らせ、低い声で告げた。
「若、逃げるよ」
「……わかりました」
ミキは説明を求めない。
この状況で逃げろと言うなら、理由は一つだ。
男爵が味方ではない。
そんなバカな、とは思う。
フランド男爵と言えばウィーヴディール家の誇る忠臣だ。他の誰が裏切っても彼は最後まで忠誠を尽くすだろうと目されている。ミキも無条件に近い信頼を置いていた。
それでも、絶対はない。
魔術で操られているのかもしれないし、家族を人質に取られたりしているのかもしれない。もっと単純に、父の死を契機に見限られた可能性もある。
とにかく今は脱出が先決だ。
ミキは手早く身支度を整えた。
と言っても、寝台の脇に立てかけておいた小剣を引き寄せ、マントを羽織れば終わりである。いつでも飛び出せるよう、服は着替えていない。
ミキは足音を忍ばせて扉に歩み寄った。
外から鍵がかけられていることを確認し、振り返る。
「窓の外は?」
「石壁。掴まるところないから、そのまま降りるのは危ないよ。ついでに言うと、下で弓兵が待ち構えてたり?」
「それじゃシーツを裂いてロープの代わりにするのもダメですね」
「そーねー。てゆーか、若に泥棒の真似事をさせるわけにもいかないっしょ」
「なにか考えはありますか?」
「合図したら、ドアをぶち破って♪」
「それは構いませんけど、強行突破は難しいと思いますよ。クリードは前線の城じゃないから、それほど大勢の兵はいないはずですが、それでも百や二百は詰めてるでしょうし」
「へーき、へーき。そろそろ準備ができるはずだから」
「準備って、なんの……」
ミキの問いかけを遮るように、遠くで兵士の叫び声が聞こえた。
火事だ、という切迫した声だった。
「じゃ、そーゆーことで。やっちゃって」
ドアを指すエルルに頷いて、ミキは吸血鬼の力を両足にこめる。
「はぁっっっっっ!!!!!」
気合い一閃、回し蹴りが木製の扉を吹き飛ばした。
同時に廊下へ飛び出したエルルが、懐から取り出した布の塊のようなものを左右に投げつける。
「急いで!」
ミキは躊躇いなくエルルに続いた。
廊下では数名の番兵が昏倒している。
「なにをしたんです?」
「即効性の睡眠薬♪」
「そんな秘密兵器を隠し持っていたんですか」
「ダークエルフの嗜みよ」
エルルを基準にダークエルフという種族を語ると実態を大きく見誤るだろうなと思いつつ、ミキは先を急いだ。
幸い、クリードはしばしば訪れていたから、城内の構造は頭に入っている。
どこをどう通れば最短で外に出られるか、進路に迷いはなかった。
時折、兵士達と顔を合わせることもあったが、全員が事情を知っているわけではないのだろう、「なにをしている! 早く火を消せ!」とミキが頭ごなしに命ずると、畏まって敬礼した後、慌てて立ち去る。
その間も火の勢いは増しているようで、角度によっては窓の外に夜空を焦がす火の手が見え隠れしていた。
「ひゅー、派手にやってるね~」
「あの火事はひょっとして、と言うかひょっとしなくても……」
「失火ってことにしといてくれない? 依頼主の持ち城を焼いちゃったってことになると、賠償とかいろいろ大変な話になるし」
「……僕はなにも聞きませんでした。きっと後継者の無事の帰還を祝ってご馳走を作ろうと張り切った料理人が火の加減を間違えたんでしょう」
「あはっ♪ 若って話がわかるから好きよ♪」
「わかりますよ。わかだけに」
「ギャグのセンスはいまいちかなー。でも、そういうところもかわいいわ」
さすがに、もう素で「かわいい」と言われるような年齢は過ぎている。
苦笑しながらミキは練兵場を兼ねた広場へ出ようとし、足を止めた。
フランド男爵が数名の騎士を従えて行く手を塞いでいる。
「……殿下。お部屋にお戻りください」
「イヤだと言ったら?」
「少々、手荒なことをしなくてはいけなくなります」
騎士達が一斉に剣を構えた。
ミキは肩をすくめる。
「無茶ですよ。その数で僕を止められると?」
「難しいでしょうな。ですが、城には退魔結界を張っております。魔物は入ることも出ることもできませんぞ」
「あいにくですけど、僕、半分はヒトなので、その手の結界は効かないんです」
「残りの半分には効きます」
エルルがミキの顔をのぞきこみ、面白そうに笑った。
「じゃぁ、なに? 若がその結界を通ろうとしたら、身体が半分だけスプラッター?」
「……娘。ふざけている場合ではない。お主も殿下に忠誠を誓う身なら、お諫めせよ」
「別に忠誠なんか誓ってないし。雇われてるから言うこと聞いてるだけ」
「ならば下がっておれ。部外者の出る幕ではないわ」
「ごめんね~、おじいちゃん。雇われてる間は、言うこと聞くって決まりなの」
「口の減らぬ娘よ」
男爵は鼻を鳴らし、ミキを見据える。
「しばらくの辛抱です。しばらくこの城でお過ごしください。その間、決して殿下を害し奉るようなマネはせぬと、騎士の誇りに懸けて誓います。時が来れば必ずや自由にすることも保証いたしましょう。ですから、どうかこの老骨の顔に免じて、この場は引き下がっていただけませぬか」
「そして、時とやらが来た暁には、既にヴィガがウィーヴディール当主の座に収まっているというわけですか」
男爵は沈黙で応えた。
それはこの場合、肯定と解釈していいだろう。
ミキは肩をすくめる。
「先ほどまでの口ぶりだと、てっきり僕に味方してくれるものだと思っていたんですけどね」
「ウィーヴディールに仕える者として、正確な情報を差し上げる義務がございます故」
なるほど、現在の状況説明と次期当主に誰を推すかということは、別の問題だ。
また、公爵家を裏切ったわけではなく、引き続き忠誠を尽くすつもりではあるのだろう。
ミキ個人が彼の支援を受けられないのは残念だが、ウィーヴディールが忠臣を失ったわけではないのだと考えれば喜ばしいと言えなくもない。
「『声なき声』でも聞きましたか?」
「そこまで老いぼれてはおらぬつもりです」
「では、僕のなにが不満なのか聞いたら答えてくれますか?」
「不満などございませぬ。ただ……老いぼれにも多少、欲がございましてな」
「それを僕がかなえることはできないんですね」
「そういうことになります」
「わかりました。では、それぞれの道を行くとしましょう」
「……やむを得ませぬな」
男爵の合図で騎士達が突っこんでくる。
「エルル!」
「はいは~い」
エルルが舞うように身体を回転させると、その動きに合わせて周囲の灯りが次々に消えた。完全な暗闇というわけではないが、視界は大幅に制限される。
ただし、それはヒトに限った話だ。
半分は吸血鬼のミキの目には、障害にはならない。
狼狽の声を上げる騎士達を近くから順番に打ち倒していき、最後の一人を昏倒させて軽く息を吐いた。
視界が悪くなった場合の対応が甘い。いくら前線から離れた場所とはいえ兵の練度に問題がある。訓練の内容などを見直す必要がありそうだ。
「若、この人どうする?」
振り向くと、エルルの足下に男爵が倒れていた。
「殺してはいないけど」
「……放っておきましょう。目を覚ましても追いかけてくる元気はないでしょうし」
「りょ」
ミキは周囲の様子をうかがう。
他に待ち伏せがいる様子はない。
「行きましょう」
エルルを促して走り出した。