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 運が良かった。

 そうとしか言いようがない。

 冷たい川に転落しながら救助が間に合ったのも、迷いの森を抜けなければならない状況で、護衛にエルフがいたことも。

 まぁ、簀巻きにされて荷物同然の扱いを受けたのは無様だが、この先を無事に切り抜ければいずれ笑い話になるだろう。

 その甲斐があったと言うべきか、その後は幻覚に惑わされることもなく、オウルとエルルに交代で抱えられたままかなりの速度で西へ進み、東の空が白み始める頃にはミキは迷いの森を抜けて束縛から解放された。

 そのまま街道に沿って西へ向かい、陽が暮れる頃、ようやく公爵領の城、クリードに到着する。

 クリードは複数の街道が交わる交通の要衝で、軍事拠点としての防衛力はそれほど高くない。代わりに交易で栄えており、公爵の領するなかでも名の知られた城の一つであった。

 この地を治める領主はフランド男爵と言う。

 高齢のため既に第一線は退いたものの、穏和な人柄で家臣や領民に慕われ、ウィーヴディール家中において今なお影響力の大きな人物であった。

 一時期、ミキの守り役を務めたこともある。

 当主が討たれたいう異常事態において迷わず助けを求められるという点で、信頼の置ける家臣の一人に数えていい。

 一行はひとまず手近な寺院に身を寄せると、オウルを使いに出した。

 ほどなく、数騎の騎士に守られた輿が駆けつける。輿からまろび出るようにして降りたのは、髪も髭も真っ白な、小柄な老人だった。

 ミキの姿を認めると、慌てふためき、飛びつかんばかりにしてその手を取る。

「殿下! よくぞ、よくぞご無事で……!」

「じいも元気そうでなによりです」

 男爵の慌てぶりが微笑ましく、自然とミキの頬も緩んだ。

 しかし、男爵の表情は再会の喜びよりも、悲痛な色に染まっている。

「この度のことは、なんと言ってよいやら……」

「……ブライム伯の叛逆というのは、事実ですか」

「残念ながら」

 苦渋に満ちた顔で男爵は頷いた。

「理由は?」

「彼奴めの声明によれば、このサルート国をこれ以上、異世界から来たよそ者に好きにはさせぬ、と……」

 ミキは絶句する。

 確かに、父は異世界から召喚されたのだと、本人の口からも聞かされていた。

 長く続くこの国の戦乱に終止符を打つべく時の大魔導師が勇者召喚の秘術を執り行い、この地に呼び寄せられたそうだ。

 そして召喚者らしく優れた力で次々と敵を打ち破り、異世界人ならではの自由な発想で様々な改革を行って繁栄をもたらし、地方の一豪族に過ぎなかったウィーヴディールを公爵の地位にまで押し上げ、その当主の座に就いた。

 なるほど、よそ者と言われれば否定はできまい。

 しかし、しかしである。

 父が召喚されたのはミキが生まれるずっと前、今から一昔も二昔も前の話なのだ。出自をどうこう言うのは今さらにもほどがある。

 現にこれまで、誰もそのようなことを問題にはしなかった。

 無論、異世界からやってきた人間に、多少なり偏見がなかったとは言わない。

 生まれも育ちも全く異なる環境なのだ、価値観が全然違う。

 この世界の人間から見れば、非常識な振る舞いもあっただろう。

 それこそ吸血鬼であるノーラとの婚姻など滅多にあることではないし、まして貴族の当主が正室に迎えたとなると知られている限り前例はない。

 だが、そんなのは最初からわかりきっていることだ。

 そもそも異世界から勇者を召喚するという秘術自体、禁忌に近い。

 行使には膨大な魔力、そしてそれを制御する類い希な技術が求められる。

 世界中探しても、実行できる魔法使いがいない時期だってあるほどだ。

 加えて、様々な条件をクリアして勇者を召喚できたとしても、その勇者が望まれる力を備えているとは限らない。

 ごくごく平凡な農民で、生涯を畑を耕すだけで終わった……なんていうのは外れのなかではまだマシなほうで、極端な場合、召喚されたことに怒って破壊と殺戮の限りを尽くし、ついには一国を滅ぼした例すらあると言う。

 それでも、他にどうしようもないような窮地に陥った場合にイチかバチかで試してみるハイリスク・ハイリターンなギャンブル、それが異世界勇者の召喚術だ。

 ミキの父は、その点、大当たりと評していいだろう。

 召喚された事態をすんなり受け入れ、要請に対して協力的と言うだけでありがたく、能力としても申し分なかった。

 個人としての武勇にそれほど隔絶した力量を誇ったわけではないが、軍の指揮官、あるいは為政者としては極めて優秀で、あっと言う間に勢力を拡大した。

 百年以上も続く国の内乱を、平定目前と言える状況にまで持ってきたのだ。

 期待された以上の成果を残したと言っていい。

 感謝されこそすれ、恨み言を言われるような筋合いはないはずだ。

 無論、勢力拡大の過程で打ち倒した敵は枚挙に暇がないし、それらの勢力に連なる者が彼を快く思わないのは当然だが、その配下として働き、取り立てられてきたブライム伯にミキの父を非難する資格があるとは思えない。

「……母上は?」

「消息不明とうかがっております」

 母は父と行動を共にしていた。

 父が討たれた以上、同様の運命をたどった可能性が高い。

「ですが、ご案じ召されますな。こうして殿下がお戻り遊ばしたのです、奥方様もきっと……」

 ミキはただ頷いて応じる。

 そう都合の良い話ばかりではないだろうが、男爵の気遣いを無碍にする必要もあるまい。

「それで……状況はどうなっています?」

「伯は都に入り、諸侯に使者を送っているようです。今こそ王権を復活させサルートを正しき姿に戻そう、と」

「王権……?」

 その言葉にミキはイヤな予感を覚えた。

「あの、ひょっとしてクリスは……」

「伯が保護しておられるそうです」

 ミキは思わず呻く。

 であれば、あの襲撃の目的はミキに危害を加えることより、クリスの身柄を確保することにあったのかもしれない。

 ブライム伯が王家の存続のために奔走していたのは周知の事実だ。

 元々は前国王を保護していた名門貴族に仕えていたが、その貴族が没落して力を失うと、代役として勢力伸長著しいウィーヴディールに白羽の矢を立てた。

 ミキの父としても、とうの昔に統治者とは認められなくなっているとはいえ、王の肩書きを有する者を庇護下に置くことで、領土拡大の大義名分を得ることができる。

 両者の思惑が合致し、ミキの父は国王に庇護を与え、その代わりに「勅命」によって「逆賊」を討伐する図式で次々と敵対勢力を打ち破ってきた。

 前国王はブライム伯を通じて丁重に遇され、平穏な晩年を送った後に病没した。

 その後、新たな国王は即位していない。

 王位継承権を持つ者は少なからずいるが、男は学者や芸術家、聖職者など権力を伴わない職業に就いている。女は、それなりに格式は高く、しかし政治とは縁の薄い家に嫁いだ者がほとんどだ。例外としては信仰に生涯を捧げるため出家した者が散見されるに留まる。

 無論、こうした方針にはミキの父の意向が反映されている。

 最早形骸化した王室に権力は与えない。その代わり生活は、ある程度の贅沢も込みで、保証する。

 実際、王族のほうにも、戦乱の世を自力でどうこうしようという気概を持つ者はおらず、示される温情に甘んじて波風の立たない人生を送ることに満足している者が多い。

 数少ない例外の一人がクリスで、彼女はブライム伯を通じて自分を公爵に売りこんだ。

 王家の血筋を引く者を妻に迎えれば、ウィーヴディールの治世にも正当性を付与することができる。いやしくも王家に生まれた者の責務として、この国の行く末に多少なりとも貢献したい。

 結果、彼女はミキの婚約者として、ウィーヴディール家中に居場所を確保したのである。

「まさか、クリスを即位させるとか言い出さないでしょうね」

「それも選択肢の一つに入っているでしょうな」

 渋い表情で男爵は頷いた。

「クリスティーナ様が王家の血を引くのは事実。加えて、殿下との婚約発表で知名度も高い。なにより、多少なりとも統治者たる気概、見識を備える王族は希少です」

「でも、今さら誰も、王家の復活なんかに賛同しないでしょう」

 本人にもその気はないはずだ。

 ただ、考えようによってはそれも悪いことばかりではない。

 少なくともクリスに危害が加えられる恐れはないと考えていいだろう。

 男爵はゆるゆると首を振る。

「皆、混乱しております。確かにサルート王家は既にその役割を終えたと見る者が多いでしょう。そして、次の時代は公爵様が築かれるとの見方が支配的でございました。ですが……」

 その公爵は、ミキの父は、ブライム伯に討たれたと言う。

「父上が死んだというのは確かなのですか? 正直、ブライム伯に父上をどうこうできるとは思えないのですが……」

「……ご遺体がルーティン城の城門にて、さらされたと」

 ミキは思わず息を呑んだ。

「遺体を、さらした……!?」

 父は仮にも公爵である。

 たとえ出身が異世界であろうと、貴族のなかでも最上位、王族に次ぐ身分と言っていい。

 戦に敗れ生命を落としたとしても、丁重に扱われて然るべきで、断じてそのような不名誉な扱いをされるいわれはない。

 それではまるで罪人だ。

 あまりにも侮辱的過ぎる。

「王家を蔑ろにした重罪人である、というのが伯の主張のようです」

「バカな……!」

 父は王家に対して、権力こそ与えないものの、敬意を払いつつ処遇に努めてきたと言っていい。

 むしろ名前だけの王家をそこまで面倒見てやらなくてもと、お人好し扱いされてきたほどだ。

 そもそも、ウィーヴディール家中で王家に対する窓口となっていたのは、他でもないブライム伯爵ではないか。

 王家を蔑ろにしたと言うなら、その責めは伯も共に負うのが道理だろう。

「伯の真意はわかりませぬ。ですが、とりあえずその主張と行動に、一貫性はあるように思われまする」

「今さらそんな戯言を真に受ける人はいないでしょう」

「確かに王家の復活など、絵空事に過ぎませぬ。しかし、ではどうすればいいのかと言うと、確たる方針を示せる者が……」

 男爵に咎はないが、思わずミキの声が尖った。

「一応、跡継ぎは僕のはずですよね」

「もちろんです。しかし、公爵様襲撃と前後して、殿下の行方がわからなくなっておりました故……。あるいは公爵様と共に逆賊の手にかかったのではとも噂されておりました」

 なるほど、本人はともかく周辺の者からすれば、安否不明のミキを押し立てようという声も上げられまい。

 それに、つい反射的に跡継ぎと自称したものの、ミキ自身、その覚悟が固まっているわけでもない。

 いずれ父の跡を継ぐことになるのだろう、それは事実上、この国の支配者となることを意味するのだろう、その意識はあったし、その日に備えて準備はしてきたつもりだ。

 しかし、それはまだ何年か先の話のはずだった。

 ミキはまだ若いというより幼いという言葉のほうが近いくらいの年齢だし、父も心身共に健康、領地の周囲を敵に囲まれてはいても、それらを全て圧倒するだけの軍事力を誇り安泰そのもの。

 近いうちにこの国は平和を取り戻す、そうしたら必要なのは武力より政治力、その日に備えて勉強しておけ……というのが、父がミキに示していた未来図だ。

 それが前提からしてひっくり返ってしまっている。

「とりあえず僕の無事を諸侯に伝えてください。その上で、主立った者を集めてもらえますか。今後について話し合う必要があるでしょう」

「畏まりました」

 男爵は恭しく一礼する。

「実は、招集の手筈は既に調っております」

「……手回しがいいですね」

 男爵は、豊かな髭の下で苦笑したようだった。

「公爵様が身罷られた、殿下が行方不明、そう知って目の色を変えたお方もいらっしゃいまして」

「……姉上ですか」

 いかにも、と男爵は頷く。

「無論、お父上、弟君のご不幸を嘆いてもおられました。ですが、こうなった以上、跡を継ぐのはヴィガ様しかおられない、と」

 父は権力者の常で幾人か側室を抱えていて、ミキには何人か、母の違う兄弟姉妹がいる。

 後継者筆頭はミキだが、それに次ぐ存在と目されているのがリディとヴィガの姉弟である。

 姉弟の母、リホは優秀な魔法使いの家系で、ミキの父を召喚した魔導師の娘に当たる。

 一説によれば、件の魔導師は、縁もゆかりもない世界に召喚されたミキの父を宥めるため、自分の娘を差し出したのだとも言われる。

 真偽のほどは定かではないが、先に結ばれていたはずの彼女ではなく、後に出会った吸血鬼が正室として迎えられたのは事実である。

 一方、リホが側室として相応に遇され、その子供達にもきちんと継承権が与えられているのもまた事実である。

 二人の間をどんな感情がつないでいたのか、今となっては確かめる術はない。

「私の下へも、悲報からほどなくリディ様より参集を求める書状が届きました。ブライム伯の使者よりも先でしたかな」

「……返事は、なんと?」

「ブライム伯のほうなら『おととい来やがれ恩知らず』と。ですがリディ様のお召しには、応ずる旨をお伝えしました。公爵家の今後について協議する必要があるのは間違いありませんし」

 ミキは頷く。

 父に変事があったからには、公爵家としてなにかしら対応しなければならないのは確かだ。

 自身が安否不明であった以上、継承権の持ち主として姉弟から声明が出るのもおかしなことではない。

「ちょうど良いので、その招集に乗っかってしまいましょう。殿下のご無事を知れば皆、安堵いたしましょうし」

 さぁ、それはどうかな、とミキは心中、皮肉に呟いた。

 異母姉はミキを邪魔だと公言してはばからなかったし、今回の叛逆に家中で加担した者もいるかもしれない。彼らはミキの帰還を喜ばないだろう。

「ひとまずグレース砦へお越しいただけますか。会議の開かれるディバリ城への途上でもありますし、クリードよりも守りは堅い。そこで準備を調えて、会議に備えられてはと」

 ミキは頭のなかに周辺の地図を描いて、頷く。

 ディバリへ向かう方角でもあるし、今後どう行動するにせよ、なにかと都合がいい。万一の襲撃があっても、ある程度は持ちこたえることができるだろう。

 なにから手を着けていいのかわからない状態で、差し当たっての行動方針が示されたのは、ありがたかった。

 男爵は口を引き結んでミキを見つめた。

「殿下。公爵様のこと、奥方様のこと、さらにはクリスティーナ様のこと、ご心痛はお察しします。ですが、ご自身に求められる責務を決してお忘れなきよう。ここで公爵家が揺らげば、この国は再び四分五裂、先の見えぬ戦乱の世に逆戻りしてしまいます。それだけは避けねばなりません」

「わかっています。第一、ぼんやりしていたら自分の身すら危ない。やるしかないでしょう」

 好むと好まざるとに関わらず、ミキは騒乱の渦中にいる。

 戦って、勝つ。それ以外、彼に選べる道はない。

 男爵は目を細めて頷いた。

「城中に屋敷を一つ、用意させております。今夜はそこでお休みください。明日、グレースへ向けて出発いたしましょう」

 男爵の進言にミキが頷くのを待って、それまで脇で控えていたオウルが口を開いた。

 殿下、と呼びかけたのは男爵らがいるからだ。他者の耳目があるところでは相応の礼儀作法が求められる。

「恐れながら、少々お暇をいただきたく存じます。公爵様が亡くなられたとなりますと、私共との契約も改めねばなりません」

 オウルとエルルはミキの父と契約を結び、ミキの護衛を務めてきた。契約者が死んだ以上、その見直しが必要となるのは当然だ。

 当然だが、ミキは慌てた。

 誰を信頼していいのか判断の難しい今の状況で、長く一緒にいて気心の知れている二人は貴重な味方だ。決して手放すわけには行かない。

 無論、理屈として契約を結び直さなければならないことは承知していたものの、そこは長いつきあいだ、多少の融通は利かせてくれるだろうと思い込んでいた。

「ちょ、ちょっと待ってください。もちろん、父の死で契約の見直しが必要になるのはわかっています。でも今、二人がいなくなっては困ります。報酬は言い値で構いませんから、状況が落ち着くまで、暫定的に仕事を続けてもらえませんか。今後の正式な契約については、後日、改めて協議するということで……」

 オウルは穏やかに微笑む。

「ご安心ください。エルルを置いていきます。ただ、私は一度里に戻らなくてはいけません。諸々の報告もありますし、暫定的にせよ殿下のお側に仕えることについて長老達の承認を得る必要がありますので」

 エルルを残してくれると聞いて、ミキの不安は少し和らいだ。

 事務的に契約を打ち切るつもりではないのだろう。とはいえ、オウルが側を離れるのが大きな戦力ダウンであることは間違いない。

 ミキの胸中を見抜いているのだろう、オウルは笑みを深めた。

「だいじょうぶ、用事を済ませたらすぐに戻ります。男爵様のお力添えをいただける今、殿下の安全は保証されていると考えて間違いないでしょう」

「いかにも。このフランド、生命に代えても殿下をお守りいたしますぞ」

 どん、と胸を叩いた男爵が、そのせいで咳き込む。

 おどけてみせたのだろうが、多少、雰囲気を和らげる効果はあった。

 そして話の流れ的に、ミキはそれ以上、オウルを引き留められなくなっていた。

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