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横死

 意識を取り戻した瞬間、少年が最初に覚えたのは違和感だった。

 気を失う寸前まで、自分は生命の危機に直面していた。刺客に襲われ、身を切るような冷たい川に落ちたはず。

 にも関わらず、なぜか温かく心安らぐ微睡みのなかにいるように感じられる。

 目を開けて最初に見えたのは、剥き出しの地面。周囲は薄暗く、それ以上のことはわからない。

「ん……」

 身じろぎすると、耳元で安堵のため息が漏れた。続けて甘いソプラノが響く。

「気がついた? 心配したんだからね」

「オウル……?」

 声の主に心当たりがあることにホッとしながら少年は改めて自分の状況を確認した。

「ここは……」

 どうやら自分は寝かされているらしい。

 どこか頼りない感覚は、服を着ていないせいか。代わりに毛布のようなもので包まれ、背中にぴったり密着しているのは柔らかな人肌の温もり。特に押しつけられた二つの弾力の正体に思い至った瞬間、カッと少年の頬に血が上る。

「なっ、ちょっ……!」

 じたばたとみっともなくあがいて毛布から脱出し、少し距離を取ったところで振り向いた。

「なにしてるんですか!?」

「人命救助。ミキさんが川に落ちて、身体が冷え切ってたから、服を脱がせて温めてたの」

 状況を把握して、少し冷静さを取り戻す。

「あ……。えぇと、その、助けてくれてありがとうございます」

「どういたしまして」

 ミキを救った女性は、おもむろに身を起こし、肩にかからない長さの淡い金の巻き毛をかき上げた。

 毛布の前がはだけて、白い裸身が薄暗がりのなかでも目に鮮やかだ。

「ふ、服! 服、着てください!」

「今さら焦ることないでしょ。ついこの間まで、一緒にお風呂入ってたじゃない」

「もう何年も前の話じゃないですか!」

「うん。『ついこの間』でしょ」

 ミキがオウルと呼んだ女性はエルフだ。

 長命な種族なので、ミキとは少し時間の感覚にズレがある。

 彼女は物心ついたときから常に側に控えていた。

 主たる役目は護衛だが、身の回りの世話から遊び相手、護身術の指導まで、なにかと面倒を見てもらっている。

 記憶のなかで彼女の外見はほとんど変化していない。見た目だけなら二十代前半、ティーンエイジャーと主張することもできなくはない若さだが、実際の年齢は秘密だそうだ。

 ミキより頭一つ背が高い。種族と性別からすると長身の部類と言えるだろう。

 ミキにとっては、滅多に顔を見せない実母より、よほど近しい存在と言っていい。もっとも若々しい外見から、感覚としては母と言うより姉に近いだろうか。

 いずれにせよ思春期のミキとしては彼女の異性としての側面を意識してしまうことも多い。

 向こうからすればまだまだ子供なのだろうが、裸なのに平然としていられると、ちょっぴり傷ついてしまう。

 ミキの言葉に応じてというわけでもないのだろうが、オウルは傍らにまとめてあった衣服に袖を通した。

 実用性重視のシンプルな短衣で、ミキはそれが彼女によく似合っていると思う。

 貴婦人が身につける飾り立てたドレスも、それはそれで美しいものだが、自らの役目に特化したオウルの装いには、業物の武具に通じる洗練が感じられる。

 ひとまず目のやり場に困らなくなり、安堵の息をつきながらミキは周囲の様子を確かめた。

「ここは?」

「ミキさんが転落した崖から一里ほど下流、川沿いの洞窟よ」

「僕達を襲った者について、なにかわかっていることは?」

「ごめんなさい、それはまだ確認が取れていないわ。ただ……それと関連がありそうな、すごく悪い知らせがあるの」

「え……。もしかして、クリスの身になにか……!?」

 身を固くするミキに、オウルは小さく首を振った。

「クリスティーナ様は私達が追いついたときには見当たらなかったわ。一角獣の足なら逃げ切ったんじゃないかと思うけど、はっきりしたことは言えないわね」

「……では?」

「いい、ミキさん。無理を承知で言うけど、落ち着いて聞いて」

 ずいぶん念入りな前置きだ。

 普段、彼女はそうした持って回った言い回しはしない。

 そこまで言うからには、よほどの重大事なのだろう。

 下手をしたら、この国そのものを揺るがすほどの。

 その予感は不幸にして的中する。

「公爵様が亡くなったらしいの」

「なっ……!? 父上が……!? どうして!?」

「叛逆よ。ブライム伯が夜陰に乗じて公爵様を討ったという情報が届いたわ。確認は取れてないけど、間違いで済まされる知らせじゃないし、多分……」

「そんな……」

 ミキは呆然とした。

 ブライム伯は父の配下でも一、二を争う有力者だ。

 彼が裏切ったということ自体、にわかには信じがたい。

 仮に裏切ったとしても、その程度のことで後れを取るほど父は弱くないはずだ。

 そのせいもあって、正直、あまり実感が湧かない。

 目の前に死体でもあれば別だろうが、単に「死んだ」と聞かされても、その言葉をそのまま受け入れるのは難しい。

 その分だけ冷静を保つことができたのは、当面の対応に関してプラスに働く。

 まずは自分が置かれている状況を頭のなかで整理。

 父が叛逆によって討たれた。

 となると、先の襲撃はそれに関連する動きととらえるべきだろう。

 まずはこの場を切り抜けて、味方のいる場所へ帰ることが最優先となる。

 クリスのことは心配だが、後回しだ。

 当面の目標を明確化してひとまず区切りをつけると、ミキは話を先へ進めた。

「叛逆に踏み切ったのはブライム伯なんですか?」

「えぇ、そう聞いてるけど」

「ブライム伯だけですか?」

「え? それはどういう……」

「僕達を襲った刺客のなかに、人狼が混ざっていました」

 ミキが開示した情報に、オウルの表情が険しさを増す。

「本当に……?」

「少なくとも一人は」

「リーサル伯もグルってこと……?」

「それはなんとも。ただ……父上のことが事実なら、無関係と考えるほうが不自然でしょうね」

 そうね、とオウルが頷いたとき、少し離れたところで闇が小さくうごめいた。

「あぁ、戻ってきたみたい」

 オウルがパチリと指を鳴らす。

 決して大きな音ではないが、それが合図なのか、二人が身を起こす間に密やかな足音が近づいてきた。

 姿を現したのは、こちらもエルフの女性だ。

 同じエルフと言っても肌が浅黒く、ダークエルフと呼ばれることもある。

 オウルよりもやや小柄ながら、胸や腰のボリュームでははっきり上回っている。それを強調するかのように、肌寒い季節にも関わらず、肩も露わな短衣と丈の短いスカートと、なかなか露出度の高い格好をしていた。髪は艶やかな黒で、背に届くほど長いその先端をリボンでまとめている。

 少年と目が合うと、長い睫毛に縁取られた大きな目を片方だけつむってみせた。

「あら若。おっはよ~。具合はどう?」

「おかげさまで生きてます」

「エルル、追っ手は?」

 オウルの問いにエルルはひょいと肩をすくめた。

「しつこくその辺うろちょろしてるわ。うざいったら。絶対モテないタイプよね。そんなだから、鉄砲玉なんかに使われるんでしょ」

 軽い苛立ちをこめてオウルはうなる。

「面倒ね」

「そう? 若さえ目を覚ませば、どうとでもなると思うけど」

「ミキさんによれば、相手に人狼が混ざってるらしいの」

「わぉ、大変」

 ちっとも大変そうに聞こえない声と表情でエルルは応じる。

 ミキは二人のエルフを等分に見据えた。

「とにかく、僕は安全な場所へ戻らなくてはいけません。力を貸してもらえますか」

「当たり前よ」

「とーぜん。そういう約束っしょ」

 疑ってはいなかったが、即答した護衛達の存在は改めて心強い。

 ミキは頷いて、頭のなかにざっくりとした地図を描く。

「ブライム伯が叛逆と伝えられ、リーサル伯もそれに加担した疑いがある以上、東は敵地と見るべきでしょう。そうなると西へ向かうしかありません」

「北は山、南は海だもんね。でも、ここから西って、エルフちゃん達の隠れ里じゃない?」

 エルルは一方の人差し指を頬に当て、小首を傾げた。

 他種族から見れば同じエルフだが、彼ら自身はエルフとダークエルフを明確に区別していて、互いに反目に近い感情を抱いているらしい。「ちゃん」付けにそれが透けてしまっていたが、オウルは咎めなかった。

 ミキは小さく頷く。

「迷いの森、ですよね」

 エルフは森に結界を張って方向感覚を狂わせ、侵入も脱出も容易ではない迷宮とすることで自分達の居住地を守っている。案内役なしで足を踏み入れるのは自殺行為に等しい。

「あーしらは平気だけど、若が迷子になったら大変よね」

「通してもらうよう交渉するのは?」

 ミキの言葉にオウルはかぶりを振って応えた。

「やめておいたほうがいいわ。家中にもエルフは大勢いるけど、敵方についてるエルフだって大勢いるもの。誰が敵かわからない状況で、迂闊に情報を流すようなことをするのは危険よ」

 エルフは長命であるという第一の特徴の他に、敏捷性や視覚、聴覚に優れ、精霊術をよくするという特性を持つ。それを生かし、諜報活動に従事する者が多い。

 彼らは特定の勢力に肩入れすることはなく、求められれば、そして相応の対価が約束されれば、誰にでも力を貸す。

 言い換えれば、目下の敵であると疑われるブライム、リーサル両伯爵に従っている者もいると見て間違いないということだ。

「となると……」

「こっそり通り抜けるしかないと思う」

「ちょうどよくない? しつこい追っかけも、迷いの森のなかまではついてこられないでしょ」

 楽天的なエルルの発言に、ミキとオウルは揃って苦笑する。

 が、確かにそういう側面もある。

「すぐに支度をしましょう」

 頷くミキに、エルルは含み笑いを漏らした。

「まずはお着替えタ~イム♪ もう乾いたかな?」

 自分がまだ毛布を羽織っただけの裸であることを思い出し、ミキは赤面した。


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