アストン城の戦い
翌日は、小競り合いに終始した。
河岸に面した橋は当然、上げられている。
その代わりとして城に取りつくための足場を組み上げようとするディバリ勢と、それを阻止しようとするアストン勢の間で、飛び道具の応酬が続いた。
最も多いのは矢で、それにちらほら攻撃魔法が混じる。
いずれにせよ、彼我は天然の堀の役割を果たす大河によって遠ざけられており、共に有効な攻撃を加えるには至らない。
ただ、時間が経過するにつれ、両軍ともその異変に気づき始める。
「なんだか、水位が上がってないか……?」
「これじゃ、足場が組めないぞ」
ウィーヴディール軍はそうぼやくだけで済んだが、城兵はそうは行かない。
「おい、どうなってる! どこから浸水してるんだ! 早く止めろ!」
「それが、川全体の水量が増えてて……! 船着き場も水没しちゃいそうな勢いです……!」
「なんだって……!?」
城内の混乱は、対峙している寄せ手にも伝わった。
「よくわからんけど、これチャンスじゃねぇか……?」
「どさくさ紛れに押しこめるかも……!」
前線から攻城の許可を求める伝令が、ミキの下に続々と到着する。
ナーグ子爵は満足げな笑みを浮かべて頷いた。
「どうやらうまく行きそうですな」
「だといいですね。……前線の諸将に厳命! 功を焦って無駄に兵を損うことのなきよう!」
そして次の夜が明ける頃には、水位は城壁の半ばほどまで上昇し、アストン城は外部との出入りが困難な状態になっていた。
ヴィガが「水」というキーワードで示した、これがアストン城の攻略法である。
水は本来、寄せ手の攻撃を阻害し、受け手の守備を助ける要素として戦に影響を与えるはずだった。
しかし、水位が城側の想定を超えて上がれば、外部との往来を阻む障害物としての性質を帯びる。
堤防を築いて川の流れをせき止め、城を水中に孤立させるのがこの作戦の主眼だ。
とはいえ、
「狼狽えるな! すぐにブライム伯が駆けつけてくださる! それまで持ちこたえられれば我らの勝利だ!」
城主がそう鼓舞したように、守備側に対して直接的な被害をもたらすものでもない。
この戦術は退路を断って降伏を促す、兵糧攻めの一種に分類できるだろう。
先を急ぎたいウィーヴディール軍にとって、本来は採用の難しい策だ。
「そこで、姉上の出番というわけです」
城からの攻撃が届かない距離に組んだ櫓を見上げ、ミキは呟いた。
櫓の上部は舞台のようになっていて、リディがそこに上がっている。
彼女は遠目にも鮮やかな緋色のドレスをまとい、舞うように優雅な仕草、歌うように響く詠唱で術式を組み上げる。
「我は願い奉る。原初の息吹、円環の奔騰、亡失の憤怒。散滅を司る衝合の壱、珠奏の理によりてその威を示せ……!」
手にした扇がひらり、ひらりと宙を舞い、その都度、中空に魔方陣が展開されていった。
大気がびりびりと震え、急速に高まる圧倒的な力の気配に誰もが本能的な恐れを抱く。
敵も味方も固唾を呑んで術の完成を見守った。
「|紅主還空焔……!」
天に掲げた扇がパチリと音を立てて閉じる。
その瞬間、櫓の上部から噴き上がった炎の柱が、凄まじい勢いで空を焼いた。
雲を貫き、どこまでも高く伸び上がっていく。
「たーまやー」
姉の大魔法を見上げて、ミキは呆れ半分に独りごちた。
父から教わった、花火限定の賛辞だ。
意味や由来は父も知らないと笑っていた。
「まさか、これほどとは……」
隣でナーグ子爵がぽかんと口を開けて空を眺めている。
ミキは軽く肩をすくめた。
これは、使えない。
今回は脅し目的だから空に向かって撃たせたが、この火力を水平方向に向けて放てば、どんな被害が出るかわかったものではない。
加えてこの威力では、味方を巻き添えにしてしまう可能性が高い……と言うより、するなと言うほうが無理だ。
初陣で「味方殺し」の異名を頂戴し、そのまま出禁になったのも頷ける。
よほど限られた状況以外では、運用は避けるほうが無難だろう。
通常、魔法使いの「火球」の射程は、弓より短いくらいだ。
その代わり、攻撃範囲と火による付加効果で多少優る。
それを基準にすれば、城を二つ三つまとめて呑みこんでしまえそうな爆炎をぶち上げた姉の大魔法が、どれほど規格外かわかるだろう。
ともあれ、姉は想像以上の働きをしてくれた。
あとは、その成果を現実のものとして確定させるだけだ。
「子爵、使者を送ってください。降伏しないと次は城に向けて撃ちますよって」
「畏まりました」
恭しく頭を下げて、ナーグ子爵は立ち去る。
もちろん、はったりだ。
アストン城にいるのはブライム伯の手下だが、本来はウィーヴディールの兵でもある。
それを城ごと焼き払ったりすれば、ミキこそ味方殺しの汚名を免れない。
それでも、水に囲まれ逃げることもできない状態で、この脅しを無視する度胸はないだろう。
孤立した城に向けて魔法を放つ分には、味方を巻きこむ恐れもないのだ。
使者は一刻も経たぬうちに戻り、城側から降伏の返事を持ち帰った。
ウィーヴディール軍は初戦の快勝に沸き立っていた。
なにしろミキの指揮官としての手腕は未知数に近い。
しかも、アストン攻略に当たり水攻めの方針を示したことで、当初はその資質を疑問視する声も上がった。
兵の損耗を避ける上で悪い策ではないが、先を急がなければならない状況で、迂遠ではないかという見方も多かったのである。
リディに関しても、「味方殺し」の悪評はよく知られており、兵の間で「殿下は俺達を殺すつもりか」との陰口も囁かれていた。
その二つを同時に払拭してみせたミキの決め手は、雰囲気を一気に塗り替えた。
本陣では、指揮官格の者達が、次々とミキの下を訪れては祝辞を述べる。
傍らでふんぞり返っているリディにも、称賛の声が雨あられと寄せられた。
それらが一息つくと、リディは扇で口元を覆ってため息を漏らす。
「まったく誰も彼も手の平を返したように……。ついこの間まで、私を疫病神かなにかのように扱っていたのに、一転、勝利の女神呼ばわりだなんて、節操がないにも程がありますわ」
そう言いながらも、その表情は満更でもなさそうに見えた。
その憎まれ口自体、諸将の前では控えてくれたのだと思えば、気遣いと取ってもいいだろう。
「まぁまぁ。前非を改める分別があるだけいいじゃないですか。姉上の才能は、凡人には理解が難しい性質のものなんですよ、きっと」
「つまり私の才能を生かした自分は非凡だと言いたいのかしら?」
そういうわけでは、と苦笑して、ミキは姉のご機嫌取りの方向を変える。
「それにしてもヴィガの助言には助けられました。あれがなければ、これほどスピーディーな決着はなかったでしょう」
「そうでしょう!? やっぱりあの子はただ者ではないのです! 実際にこの地を訪れたわけでもないのに、ちょっと話を聞いただけであの神算鬼謀……! あぁ、我が弟ながら、どれほどの才に恵まれたのか、空恐ろしいほどですわ……!」
やはり姉は自分が褒められるより弟を褒められるほうが喜ぶようだ。ちょろい。
とはいえ、それは必ずしもお世辞ばかりではない。
水を利用して敵の退路を断つという方針はミキの腹案とも共通のものだったが、ミキはその工作を普通に兵士にやらせるつもりでいた。
その場合、それなりの時間がかかっただろう。
それに対してヴィガは、現地住民の動員を提案した。
土嚢を一個持ってきたら銀貨二枚を支払うと告知すれば堤防なんてあっと言う間にできあがると断言し、実際、予想を遙かに上回るスピードで工事は完成した。
一日働いても銀貨一枚もらえるかどうかという農民にとって、そこらの地面を掘り返せばいくらでも手に入る土が銀貨二枚に化けるとなれば、目の色を変えるのも当然だった。
消費した軍資金は決して小さくない数字だが、その結果、短縮された日数を考えれば、むしろ黒字と言っていい。
「おかげでブライム討伐に弾みがつきそうですよ」
ミキとしても気分は悪くない。
この勝利で、様子見を決めこんでいた周辺諸侯も、こぞって協力を申し出てくるだろう。
その勢いで叛乱を速やかに制圧できれば、当主の死という難事を最小限の影響で乗り切れるかもしれない。
頭のなかで地図を広げ、進路を思い描くミキだったが、その皮算用に邪魔が入った。
幕舎にナーグ子爵が血相を変えて駆けこんできたのである。
「一大事でございます!」
日頃、冷静な子爵が取り乱しているのは、それだけでなんか大変なことが起こったのだろうと思わせる。
イヤな予感しかしないが、耳を塞ぐわけにも行かない。
「どうしました?」
「勅使でございます!」
「勅使……!?」
ミキの前で跪いた男は、トスリーと名乗った。
ブライム伯爵に長く仕える文官で、おぼろげな記憶ではあるが、ミキも何度か顔を合わせていると思う。
髪に白いものが混じり始めているものの、理知的な目の色は思慮深さと芯の強さを感じさせた。
「此度は公爵様の訃報に接し、誠に慚愧に堪えません。心よりお悔やみを申し上げます」
そう切り出され、色めき立ったのは周囲の諸将である。
公爵を討ったのはブライム伯、即ちトスリーにとって直接の主だ。それを悔やみごとなど、どの面を下げて言えるのだ。こやつも叩き斬ってアストンの城門に吊してしまえ。
声にこそならなかったが、無音の怒号がその場に渦巻いた。
皆が辛うじて自制したのは、長年の積み重ねで主君より先に口を開くことが許されぬとわきまえていたからに過ぎない。
個人的な感情を言えばミキも全く同感だったが、正式な使者、それも勅使を名乗る者に対し疎略な扱いをすれば自らの評判を損なう。
努めて平静を装い、その口上に応えた。
「お気遣い痛み入ります。して、どのような御用向きで? 勅使とうかがっておりますが、現在、我が国の王位は空位であったはず」
「いかにも。しかし、クリスティーナ様におかれましては、王位を継がれるご決意を固められた由。現在は暫定的に王権の代行を務めておられます」
呆れて物も言えない。
ミキの父は、先王に有形無形の圧力をかけて王位継承を許さなかった。
その死を奇貨として、どさくさ紛れに王家を復活させてしまうつもりなのだろうが、王位を継ぐとして、それを承認するのは誰か。
王権代行と言うがその法的根拠はあるのか。
そもそもクリスにその能力や補佐する組織の準備があるのか。
そこらの詐欺師でも、もう少しもっともらしい話をでっち上げるだろう。
まぁ、とミキは皮肉に考える。
口実など適当でいいのだろう。
その裏付けとなる実力さえあれば、形式や名目は後から勝手についてくる。
長く混乱が続くこの国では、それが現実だ。
「なるほど。では臣下として、王女殿下のご下命、しかと承りましょう」
では、とトスリーは威儀を正した。
「王女殿下は、度重なる戦に大変お心を痛めておられます。聞けばウィーヴディール公爵家はアストン城に兵を向けられたとか。彼の地は風光明媚、雅趣に富むたたずまいで知られております。その情緒溢れる風景が戦火に損なわれることを、殿下は大変に憂慮しておられます。どうか両軍共に兵を引き和議を結ばれますようにとの思し召しでございます」
ミキは胸中、頷く。
そう来たか。
恐らくブライム伯にもアストン救援に割く兵力はないのだ。
だが見殺しにすれば士気に関わる。
どうにかしてこちらの動きを止め、時間を稼ぐ間に対策を取ろうという腹づもりだろう。だが──
「殿下の宸襟を悩ませましたこと、不徳の限りです。しかし、ご案じ召されませぬよう。既にアストンの戦は我が軍の勝利にて決着がついております。和議の締結は無用と存じます」
「……左様でしたか。増水により、膠着状態に陥っているものと見受けておりました」
トスリーは動揺を表情には出さない。
まぁ、戦勝については伏せていない、むしろ大いに喧伝しているのだから、どこかで耳にはしているだろう。
「戦勝の儀、祝着至極に存じます。殿下にもその通りお伝えいたします」
「何卒よしなに」
「ですが、この上の軍事行動はどうかお控え願えますよう。殿下は争いを好まれません。どうかその慈愛のお志をお酌み取りください」
確かにクリスは平和を望んでいる。
そういう意味で、この男の言葉は一面の真実を含んでいるとも言えた。
しかしそれはただの偶然で、クリスの名を借りて自らに都合の良い主張を展開しているに過ぎない。
「奇遇ですね。僕もこの国に平和と安寧が訪れることを、心から願ってやみません」
「そうでしょうとも。では──」
「父が謂れなき咎で討たれ、その名誉まで汚されるようなことがなければ、殿下のため身を粉にして尽力するつもりでしたよ」
「……重ねて申し上げます。殿下は争いを好まれません。どうか軍をお退きください」
「殿下のご下命ならば慎んで承りましょう。ですが、王家の名を隠れ蓑に我が身の安泰を図る不忠者の言葉など耳を傾ける価値があるとは思われません」
「これは勅命です。背けば、逆賊の汚名を着ることとなりましょう」
トスリーは淡々と、だが言葉に力をこめて告げた。
ぶん殴ってやろうか。
半ば本気でミキはそう思った。
なにが逆賊だ、ブライム伯こそ反逆者ではないか。
クリスの存在を利用して勅命の美名で飾ってはいるものの、その言い分は厚顔無恥以外の何物でもない。
しかし、ここで激情に身を任せれば笑いものになるのは自分だ。
「即位もまだなのに勅命とは殿下も性急でいらっしゃる。いずれにせよ真に王国に仇なす逆賊は誰か、万民が知っているでしょう」
皮肉を交えた返事だったが、トスリーが痛痒を感じた気配はない。
それどころかミキの言葉尻をとらえ、しれっと別件を持ち出してきた。
「あぁ、その件につきましても併せてお知らせいたします。近々、王都のトゥループ神殿にて、正式なしきたりに則り、戴冠式を行います。ウィーヴディール公爵家にも、是非、ご来臨賜りますよう」
「ほう、それは慶祝の極みです」
YesともNoとも言わず、ミキは作り笑顔で頷く。
トスリーは返事を促すでもなく、思いがけない注文をつけてきた。
「それに先立って、公子殿下に都へおいでいただければと」
あり得ないと言っていいくらい厚かましい要求に、ミキは目を瞬く。
「……理由をうかがっても?」
「亡くなられた先代様に代わり、次代の当主の座に就くことを承認する、手続きがございます」
王権が機能していた頃は、貴族の代替わりに際してそうした制度があった……と聞いたことがあるような気がする。
しかし、言うまでもなくとっくの昔に廃れており、父は本来継承権など持つはずのない異世界人であったが、誰の許可も得ず勝手に当主の座に就いた。
無論、家中で跡目争いはあったが、勝った者が跡を継ぐことについては誰からも異論は出なかったはずだ。
いずれにせよ、今、ミキが都へなど行けるわけがない。
都はブライム伯が掌握している。
敵地中の敵地である。
そんなところへのこのこ出かけていくのは、自殺に等しい。
よくもまぁ、いけしゃあしゃあと口に出来たものだ。
「戴冠式へのご参加には、正式な公爵家の当主としての資格が必要ですので」
「存じませんでした」
と言うか、少なくともミキが学んだ範囲に、そんな規定は存在しない。
「ですが、こちらにもいろいろ事情がありますので……検討させていただければと」
「えぇ、よくよくご検討ください。公子殿下のご対応次第では王女殿下が大変、辛い思いをされるかもしれませんので」
微かなざわめきが広がった。
こちらにはクリスという人質がいるのだぞと脅迫したに等しい。
ブライム伯が唱える「王権の復活」が、その実、使い勝手のいい口実に過ぎないのだと暴露したも同然だ。
仮にも女王として祭り上げると言っているものを殺したりはしないだろうが、なにをするつもりでいるのか、想像するだけでも胸くそが悪い。
いや、そもそもクリスを王位に就けるという話自体、はったりかもしれない。
王族の血を引く者は他にもいるのだし、飾り物にしておくなら誰でも構わないのだ。
クリスが選ばれたのはミキの婚約者だから人質として最適というだけの話で、最悪、生命の危険もあると考えるべきだろう。
「なに、ご心配には及びません。兵を退き、公子殿下が都にて公爵位継承の手続きを行ってくだされば、なんの問題もないのですから」
あくまで表面的には穏やかに、物静かに、トスリーは使者としての役目を全うした。




