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襲撃

 全てを疑え、とその人は言った。

 常識も、道徳も、世界の法則さえも。

 正しいとされていることが本当に正しいのか、考えることをやめるな、と。

 年齢の割にませていた彼は、持ち前のひねくれ根性で言い返す。

 全てを疑えという、その言葉も疑わなければならないのではないか。

 その人は呵々大笑し、その通りだと彼の頭を撫でた。

 それが、その人と彼が交わした最後の言葉になった。


 粉雪のちらつくなか、冬枯れの木立の合間を二人と一頭が疾る。

 先を行くのはまだ面立ちにあどけなさの残る少年だ。

 黒の上下に同色のスカーフを巻き、マントを羽織っている。腰から小剣を下げていた。黒髪に黒い瞳、この辺りでは比較的珍しい色彩の持ち主でありながら、雪のように白い肌が幼さに不似合いな色気を漂わせている。端整な顔の造作を見ても、長ずればさぞ多くの女性を魅了するだろうと予感させた。

 彼に続くのは純白の毛並みも美しい一角獣。

 その鞍上、少年よりさらに年下の少女が乗っていた。

 けぶるような銀髪は幻想的な雰囲気を醸しだし、深淵を思わせる瞳の青は吸いこまれそうな錯覚を覚える底知れぬ光をたたえている。いずれ国の一つや二つは傾けることを確信させる、ただ美しいだけではなく妖しさと危うさを共にまとう存在感は、高貴な生まれの故か、魅了の力を与えられた種族の故か。純白のドレスは屋外で身につけるには不向きだが、一角獣の背にあっては一幅の絵画のような趣きすら感じさせた。

 少年は足を止めずにちらりと視線を横に流す。

「どうですか?」

《振り切るのは無理だな。距離を開けずにぴったりついてきてる。いずれこっちが疲れて足を止めるのを待って仕掛けてくるつもりだろうねぇ》

 少年の問いかけに応えた思念は一角獣のものだ。

 軽薄な語調だが、鋭い目に油断の色はない。

「ただの物盗りってわけじゃないわね。気をつけなきゃダメよ、ダーリン」

 澄んだ瞳に似合わぬ鋭い眼光、甘やかな声に似合わぬ勁い声で少女が警戒を促す。

 少年は鞍上を見上げ、穏やかに微笑んだ。

「だいじょうぶですよ、クリス。僕が必ずあなたを守ります」

《おいおい》

 一角獣が濃紺の瞳に皮肉の色を閃かせた。

《お前さん、自分の立場わかってる? 今、一番に優先されるのはお前さんの無事よ? 姫を守るのは俺のお仕事》

 もちろん、と少年は頷く。

「僕だって生命を粗末にするつもりはありません。自分一人の生命じゃないですし」

《だったら……》

「全員、無事に帰る。それで文句はないでしょう?」

《……まぁ、そうなりゃ万々歳だが》

 一角獣の思念からは、それを難事と判断していることが伝わってきた。

「この先の山道で僕が敵を足止めします。ルースの足なら追っ手を振り切れますよね?」

《おい、坊主。人の話、ちゃんと聞いてたか? ぶっちゃけ、俺は姫さえ守れりゃ、お前さんがどうなろうと知ったこっちゃねぇ。けど、お前さんになにかありゃ、お家の一大事なのよ?》

 ルースと呼ばれた一角獣は、さすがに苛立ちを隠せない。

 しかし少年は平然と言い返す。

「役割分担ですよ。あなたは足が速い。クリスを逃がすためにその力は不可欠です。でも敵と戦うなら僕のほうが強い。あなたのスピードと僕の戦闘力を、お互いに足手まといのない状態で発揮しましょうと言っているんです」

《そりゃ、お前さんはダンピールだ。並みのヒトなら相手にならんだろう。だが、相手もただのヒトじゃなさそうだぜ》

「わかってます。なにも、バカ正直に全部やっつけるつもりはありませんよ。適当に牽制して、時間を稼いだら離脱します。そのくらいならできるでしょう」

「あんたがそう言うなら、心配はいらないわね」

 挑発めいた語調だが、その言葉からはクリスの少年への信頼がうかがえた。

 少年は微笑をたたえて頷く。

「えぇ、それが一番、可能性が高いと思ってます。だから、振り落とされないよう、しっかりおじさんに掴まっててください」

《誰がおじさんか! 俺はまだ青春ど真ん中だ!》

 ルースの抗議は少年少女どちらにもスルーされた。

「気をつけるのよ。私はあんたに賭けてるんだから」

「ありがとうございます。せっかくとびきりの美少女と婚約を交わしたばかりなんです、こんなところじゃ死ぬに死ねませんよ」

「そうね。私も結婚する前に未亡人なんてごめんだわ」

《結婚してなきゃ未亡人とは呼ばれないんじゃねぇか?》

 一角獣の野暮なツッコミは、またもスルーされる。

「あぁ、そうそう。ディバリにおいしいケーキを食べさせてくれるお店ができたと評判なんです。帰ったら、一緒に食べに行きましょう」

「いいわね。約束よ」

「えぇ、必ず」

《フラグにしか聞こえねぇな……》

 ため息をこぼして、ルースは左手に現れた坂道へ進路を取る。

 しばらく進むと切り立った斜面に刻まれた山道が見えてきた。

 一方は登ることの困難な絶壁、もう一方は深い谷底へ転げ落ちる断崖。

 この地形なら、追っ手が数を頼みに一斉に襲いかかってくることはできない。

 一対一なら、よほどの手練れか手に負えない化け物が相手でない限り、勝つとまでは言えずとも生命までは取られずに持ちこたえる自信が、少年にはあった。

「クリスをよろしく」

《あんまカッコつけると早死にすっから、ほどほどにな。あと、お前さんになにかありゃ姫が悲しむ。ドジ踏むんじゃねぇぞ》

「心配してくださって、ありがとうございます。一応、この場を脱する算段は立ってますから、だいじょうぶですよ」

 フンと鼻を鳴らして一角獣は加速し、細い道を危なげもなく疾駆していく。

 足を止めてそれを見送り、少年は呼吸を整えつつ首のスカーフを外した。

「さて、やりますか」

 すぐに追っ手が姿を現す。

 目に見える範囲に五人、全員厚い布で幾重にも顔を覆っていて、人相はわからない

「どこの手の者ですか」

 答えが返ってくるとは期待していない。それでも相手の反応からわずかな手がかりでも得られればと声をかけた。多少の時間稼ぎの意味もある。

 案の定、返事はない。

 クリスも指摘していた通り、相手は盗賊の類ではなく、刺客と呼ばれるべき性質の襲撃者なのだろう。

 まぁ、と少年は苦笑した。

 それがわかったところで、相手の正体につながる材料とは言い難い。

 少年の父、ウィーヴディール公爵はこの国で最大勢力を率いる当主だ。

 当然ながら敵も多い。誰の差し金か、考えられる名前の十や二十、すぐに思い浮かぶ。

 とはいえ、この地域は父の支配下、そこで白昼堂々襲われるとは予想していなかった。

 油断を指摘されれば否定はできないが、ちゃんと護衛も伴っていたし、よほどのことがなければ問題ないだけの備えはしていた。

 その護衛はと言えば、今は別行動になっている。

 時をさかのぼること一刻ほど、少年らは街道で盗賊と思しき一団に絡まれた。

 無論その程度の相手に苦労することはなく、易々と撃退した。

 しかし、そのまま放っておけば、領民に害を為すだろう。

 盗賊の捕縛と役人への引き渡しを護衛に命じたのは当然の措置と言っていい。

「それを狙っての罠だったのかなぁ」

 思わずぼやいたが、それはさすがにうがち過ぎだろう。

 刺客は慎重に間合いを詰めてくる

 飛び道具を使ってこないところを見ると、あるいは目的は単に少年の生命ではないのかもしれない。

 捕らえて人質にでもするつもりなら相手の攻撃には多少の手心が加えられるだろうし、それなら少年としてはこの場を切り抜けるのがより容易になる。

 先頭の刺客が剣を抜いて飛びかかってきた。

 一角獣も予想したようにヒトの力やスピードではない。獣人もしくはなにかしらの特殊能力持ち。

 しかし、それは織り込み済みだ。

 そして少年もまた、常人ならざる力を備えている。

 ダンピール、それはヒトと吸血鬼のハーフであることを示す種族名だ。

 必ずしも良い意味で使われる名称ではない。ヒトにとって吸血鬼は忌むべき魔物、その魔物との混血には本能的な忌避感を覚える者が多い。

 そもそも普通のヒトなら、吸血鬼に出会ったとき、戦うなり逃げるなり、人外を相手としての対応を選ぶ。コミュニケーションを取ろうとする者は少ないし、まして恋愛関係を成立させようなどとは思わない。

 それでも、そうした変わり者が必ずしも珍しいわけではないことは、「ダンピール」という呼び名が存在する事実が裏づけているとも言える。

 まぁ、吸血鬼はヒトと外見的な差異が少なく、会話が成立する知能も持っている分、魔物のなかでは友好関係を築きやすい種族ではあるだろう。

「明日は筋肉痛だな」

 ぼやきながら少年は小剣を振るい、繰り出された攻撃を弾いた。

 相手がバランスを崩したところで、すかさず反撃に転じる。

 少年の斬撃は浅い。

 しかし、それは意図してのことだ。

 相手を倒すためならもっと威力が必要になる。しかし、強力な攻撃はそれだけ隙を生じやすく、追っ手を一人倒せたとしても、その間に自分が負傷してしまっては元も子もない。

 そして狙いはもう一つ。

 浅い斬撃でも刺客の覆面を剥ぐには十分だ。

 布の下から現れたのは、銀に似た灰色の毛をした獣の耳。その形は狼のそれと見て取れた。

「人狼……!?」

 獣人は予測していても、それが人狼であることは意外だったらしい。

 初めて少年の目が動揺の色を帯びた。

 それを好機ととらえたか、足下の良くない地形を省みず、もう一人の刺客が武器を捨て、やや強引に体当たりを仕掛ける。

「無茶でしょ」

 少年は呆れたようにため息をついて、飛びかかってきた刺客の胸倉を掴み、崖下に向かって放り投げた。

 決して大柄とは言えない、それどころかむしろ華奢にすら見える彼が発揮した豪腕は、その身に宿る吸血鬼の力の為せる業。

 だが、敵もただ闇雲に掴みかかったわけではなかった。

 宙に投げ出されながらも、両端に拳ほどの石をくくりつけた縄を少年の足下に投げつける。

「チッ……!」

 少年はとっさにバックステップで回避した。

 しかし追っ手も仲間が命がけで作った突破口を無駄にはしない。

 すかさず間合いを詰め、手にした剣の切っ先を体勢を崩した少年に突き込もうとする。

 身体ごとぶつかってくる勢いを、不完全な体勢、不安定な足場でさばくことはさしものダンピールにも難しかった。

 バランスを崩し、身体が宙に浮く。

「生命を粗末にするなよ……!」

 正論だが、八つ当たりの気もある。

 通常の攻撃なら、どうとでも対処する自信があった。しかし、自分達の安全を省みず、捨て身で仕掛けられる自爆テロまでは計算していない。

「僕を殺したくらいじゃなにも変わらないだろ」

 確かに少年の父はこの国の覇者で、彼自身もその後継者筆頭ではあるが、跡継ぎは一人だけではない。

 刺客を差し向けた者がなにを望んでいるにせよ、使命のために生命をかけてくれるほど忠実な部下を使い潰して、期待しているほどの効果が得られるのか疑問だ。

「そもそも、おとなしく死んでやるつもりもないけどね……!」

 純血の吸血鬼なら、その身を霧に変じることもできる。崖から転落しても全く問題にはならない。

 しかし、半分ヒトの少年に、そこまでの特殊能力はない。

 それでも肉体の強靱さではヒトが物理的に持ち得ないレベルを先天的に備えている。

 両手でマントの端を掴んで大きく広げ、落下速度を軽減しながら、少年は谷底を流れる川に落ちていった。

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