釈尊
お釈迦さん話が好きですが、なかでも好きなのは周利槃特の話です。
あの話は救済や、利他など軽々しく口にする増上慢な者へ戒める話
であったのはないかと愚考する次第です。
今日も祇園精舎で世尊の説法が始まる。
世尊の説法はわかりやすく、おだやかで、むだがない。
摩訶迦葉をはじめとした高弟たちが熱心に聞き、問答をし、弟子たち羅漢の熱意と敬意に
つつまれて、世尊は説法を終える。
世尊の説く内容は人間が感覚として現に触れるところと、受動として反応する欲望欲求の心に
言及する。また、その過程でうける苦痛と、時を経るごとに肉体をむしばむ病と老い、そして
その終局点である死について説く、その先の虚無と寂静とを。
当然のごとくの現実と事象を理解し、人として「正しく」あることを説き、その修道と思索の果てに
悟りがあると世尊は説く。
世尊の言葉は弟子や人びとのこころに響き、おだやかで諭す所作は人を安心させる。
だが、わたしは世尊が怖い。
おだやかに見つめる双眸は底知れない、わたしの所作のひとつひとつ、言葉の一喝で
わたしが何を思い、何を考え、なにをしようとするのか看破する。
ほんとうに こわいおひとだ。
ひとびとは 至る人 と 世尊を呼び 畏れる。
実際、弟子や説法を聞いたことのある人々がいさかいを起こすと、阿難陀に「やめよ世尊がみているぞ」
ととがめられ、彼らは畏怖の表情を浮かべ手を止める。
世尊の高弟は、幾人かは悟りを得て あるとき世尊の子息である羅睺羅は ひとびとに救いをつまりは
利他を施し、衆生を教化・救済すべきと 世尊に訴えた。
世尊は 「汝らに能うることか?」と訊き、弟子たちは「是」と答えた。
世尊は言った。「ならば摩訶槃特の弟に、悟りと救いを与えよ。羅漢なら能うるならば」
高弟たちは意気揚々と、弘通と、利他をもって世を救わんとの気概にあふれて歩いていった。
だがしかし、ひと月後、それら羅漢たちは、顔に艱難辛苦を刻み世尊に五体を投げ出して救いを請う
「世尊、我らは増上慢でした。我らは愚と笑った周利槃特を悟りを持つ身ながら何の救いをする術が
ありませんでした。のち輩ひとりを救えない情けないわが身に どうか教えをお授けください。」
世尊は微笑んでのたまう。
「汝らはここで利他は至難至極であることを知った。善哉なり。汝らは周利槃特の艱難辛苦を知った。
善哉なり。汝らの艱難辛苦を知り周利槃特は自らが愚であることを智った。善哉なり」
羅睺羅は苦悩に満ちた表情で問う。「なれど周利槃特に救いはあるのでしょうか?」
世尊は外を指さす。そこには「清め給え、払い給え」と唱え一心に掃除する周利槃特がいた。
高弟たちはあっけにとられたが、教えの一喝さえも覚えられなかった周利槃特がただの一句を
熱心に唱え掃除するさまに 世尊に対する畏敬をあらたにするのであった。
周利槃特が掃除を終えて世尊に問うと、決まって「至らず」と答えが返ってきた。毎日熱心に掃除を
するが毎日返る答えは同じである。周利槃特は焦り、苦悩した。あるとき童が掃除した場所を走り回り
彼にはめずらしく激高してしまった。祇園精舎を見回る阿難陀が、それをみとがめ何があったのか問うた
が周利槃特は世尊に「至らず」と言われどうしたらいいかわからないと兄弟子に愚痴を言い募った。
「なんだそんなことか」あっけらかんと阿難陀は さもあらんと返した。おどろく周利槃特に阿難陀は
言った。「世尊にこの世の中で我らがすることで至ることなどあるものか、たとえ摩訶迦葉や羅睺羅が
お前と同じことをしても難しいだろうよ。そこまで至るのなら別だろうけど。ま、オレはムリだね。」
電撃のようなモノが周利槃特に疾った。必死の表情で周利槃特は阿難陀に合掌礼拝しおどろく阿難陀を
むこうに熱心に掃除をするのであった。「清め給え、払い給え」と。
そこから不思議なことが起こった。
周利槃特は毎日祇園精舎を熱心に掃除し、高弟たちや説法を聞きに来たひとびとに合掌礼拝して
あいさつをするようになった。最初は熱心ながら不器用で、だがいつの頃からか、穏やかで清廉された
所作となり、周利槃特にあいさつをされると、何か安心するのである。
高弟たちも「清め給え、払い給え」と唱える周利槃特の姿に不思議と救われた気持ちになり合掌礼拝する
彼にまた、合掌礼拝して返すようになった。そのころには祇園精舎において周利槃特の掃除するところは
完璧に清められるようになった。
ある日、祇園精舎の門前を掃除する周利槃特に、世尊は歩いてきた。丁寧に合唱礼拝する周利槃特に
世尊は言った「至れり、汝 羅漢なり」 周利槃特は涙を流し、その日沙羅双樹の花が咲いた。
わたしの前に息も絶え絶えの男がいる。名を提婆達多と言う。
「やはりあの男には勝てなかった。ことごとく我の前に壁となるあの男は憎んでも憎み切れなかった。
だから、あの男からすべてを奪ってやろうと思った。シャーキの王座も、ヤショダラも、祇園精舎も
マガダの後ろ盾も。だが全部だめだった。俺はあいつがシッダルータが恐ろしい。
殺すしかないと思った。それすらもかなわなかった」
わたしはため息をつき提婆達多に言った。
「転生しても変わらぬな ドゥルヨーダナよ。至るもの彼岸の向こうの者に勝てると思ったか。
すべてを失ってなお神々に寵愛された汝を、至るところに導くべくの転生だったというのに。
水面を打ってなんになる?神々は汝が前世の悪縁や因果応報に克勝って、その輪廻から逃れるように
世尊の縁をつなげたというのに」
提婆達多、いやドゥルヨーダナは 驚き わたしを見た。
「思い出したぞ。あのとき悪魔も羅刹も神々もオレの味方だと言ってヴァジュラを渡した悪魔だな」
わたしは言った。「ウソは言っていない。だがヴィシュヌは強かった。それだけだ。」
「オレはどうなる?あの時のように惨めに死んでいくのか?しょせんオレは神々の玩具だったのか?」
わたしは尚も言う。「 安心しろ。神々は言っている 汝はまだ死ぬ時ではないと。おのれの足で
周利槃特のもとに行くのだ、そこで手当してもらえ。そうすれば命を長らえ世尊から離れられるだろう」
提婆達多は目を剥いて言った。「あの愚か者のところへ救いを乞えというのか?」
わたしは呆れて言う。「今の汝は愚か者以下だ。その態でいまさら何を強がるのか」
言葉に詰まった提婆達多は這いずりながら周利槃特の宿舎に向かって行った。
数日、毒による高熱にうなされ生死の境を彷徨った提婆達多は周利槃特の宿舎で目を覚ました。
提婆達多が起きたことを周利槃特が知ると、周利槃特は彼に茗荷を煎じた薬湯を勧めた。
さわやかな香りが鼻をつき、提婆達多は素直に施しを受けた。
提婆達多が静かに薬湯を饗している間、相も変わらず周利槃特は「清め給え、払い給え」と唱え
部屋を清めていた。その手には小さな白い長い刷毛の付いた箒が握られていた。
提婆達多は何故そんなことしているのかと周利槃特に問うた。
周利槃特がたどたどしく言うには、大きな箒を使い乱暴に掃除しては悪い虫を退治してくれる蜘蛛や
小さな虫やヤモリを殺してしまう。不殺生の戒めを守るなら部屋ではこの小さな箒で優しく丁寧に
掃除すべきだと。
提婆達多は雷を打たれたようになり、薬湯の器を取り落とした。具合が悪くなったのかと心配し
動揺する周利槃特を押しとどめ、提婆達多は周利槃特に平伏した。
提婆達多は言った「師よ、我は悟りを得たり、我が罪業を一身と一生をもって漱ぎ宗とすべし感謝する」
提婆達多はその日から祇園精舎から姿を消した。無間地獄に落ちたか非業の死を遂げたかさがない人々の
口にはあがったが、とある地で一切の殺生を否定し、座る場所、住む場所に小さな箒を用いる宗派が
立ち上がった。教主は自らの罪業を漱ぐために断食による衰弱死による入滅を行ったと言う。
わたしは今、世尊の前にいる。世尊は御歳80を超える。よる年波なのか横たわって説法をすることが
多くなった。近頃は世尊の容態を心配して森の獣が世尊の周りに集まるようになった。
世尊はわたしを見て言った。「あなたは7年わたしにつきまとい悟りを妨げましたが今ではその意味がわ
かります。提婆達多をわたしのもとに遣わしたことも。わたしは提婆達多を救えませんでしたが、私の弟
子はかの者を救いました。あなたはその意味をわたしに伝えにきたのでしょう?」
わたしは世尊に言う。「世尊、わたしは人を愛してやまないのですよ。欲に踊り、喜怒哀楽を起こし
貪瞋癡の三毒にまみれついには殺し合い死に至る。滅びゆく死にゆく者こそ美しい。かの百王子も
パーンダヴァの5王子もその運命から逃れられなんだ。ドゥルヨーダナさえも2世にわたり業を漱ぐのは
至難であった。わたしはこのそこそこ腐った、愚かしい人間の世が愛おしくてしかたがない」
世尊は言う。「それでは罪業煩悩にまみれた人間は、滅びてしまうでしょう。あなたがみてきたように」
わたしは言う。「だから 至る人である あなたの「縁」を利用させてもらった。あなたの教えを受け
その縁起を受け継ぐ者たちは形を変え人の世をどうにかしようとするでしょう。それが小さな悟りでも
10人は100人に、100人が1000人に、1000人が10000人に、あなたの教えと縁が世界に及ぶころには
無数の人間がその縁起で人の世を救わんとするでしょう。それこそが我が企み」
世尊は言う「そううまくいきますか?ひとは愚かなものです」
わたしは笑う。「愚かであるからこそ意味があるのです。周利槃特は何故悟りを得て、あの提婆達多を
救ったか?彼は単純に人や自身の苦しみを知り、また提婆達多を救けたいという無為のこころがあったか
らこそ、これがあなたが授けた「縁起」です。善哉に安住せよとは世尊の言葉のはず」
世尊は言った。「愚かゆえに、利他をもって世を救わんとする。それができると信じる。そして苦難にあ
る人間を救けたいと思い、それゆえに苦悩する。わたしは弟子たちに「正しい行い見方考え方」をもっ
てひとが救いと悟りを得ると教えを授けたのですが。なぜか弟子たちはひとびとの救けになろうとする」
わたしは言った。「世尊が教えを授けたゆえに、あなたの弟子たちはひとびとの苦難と人間の苦しみを
深く理解する。ゆえにあなたの教えを受けたものたちは人の救けになろうとする」
世尊は言った。「利他がいかに至難かは弟子たちに教えたのですが」
わたしは言った。「至難である利他を縁起によって超えることを世尊が教えたのです。周利槃特は
世尊の縁により救いと悟りを得た。提婆達多は周利槃特との縁により悟りを得た。これよりのちの世
世尊が授けた「縁起」によりその教えを受け継ぐものたちが、罪業や苦難にまみれたものを救うでしょ
う。そのものたちは世を救わんと無数の縁から立ち上がるでしょう」
世尊は言った。「それでも尚、人はその罪業ゆえに救われることは難しいでしょう」
わたしは言った。「そのとおりです。罪業と煩悩にまみれた人間は四苦八苦ののち殺し合い死に至る。
皆そうなっては、わたしの楽しみが終わってしまう。ですから、無駄だとしょせん無理だと賢しい人間が
言う救済を愚かな利他の志の人間に犠牲になってもらおうと言うわけです。彼らの無数の意志が人間を
滅びから少しでも遠ざけようとするでしょう。殺し合い、罪業や煩悩を積み上げても尚」
世尊は言った。「魔羅よ。わたしは今一度、至る人として立とう。この身が滅んでも至るものとして
あり続けよう。人の世が人により救いを得る世が来るその終わりまで。最後の私の弟子が汝を亡ぼすだろ
う。たとえ私の教えがこの地で絶えようとも、干支の名を持つ者たちが縁起によって立つだろう。
去れ、魔羅よ」
わたしは言った「その言葉を待っていた。ブッダよ。わたしは歓喜に震えこの地を去ろう。この世の終わ
りで、世界の終わりであなたの最後の弟子を心待ちにしよう。さらばだ、愛しき至る人よ」
―56億7千万年後のその日まで、わたしの心待ちと愉しみはつきないー
गते गते पारगते पारसंगते बोधि स्वाहा
堕地獄になったという提婆達多ですが、瑠璃王子とおなじく破滅するものを悲しむ釈尊ですが
あまり相手にしていなかったと思います。けっこうお釈迦さんは救いを求めないものや損得や
邪な心得で近づくものには冷淡です。お釈迦さんと考えが合わず、なった宗派を六師外道といいますが
今でいう大乗仏教もその一つであったとも思われます。