夜を歩く
ここ数日、ずっと胸がざわざわしていた。
何をしていても、体の周りに薄い膜があるかのように現実味がなく、愛想笑いを浮かべいつものように生活を続けていても、胸が、ずっと、ざわざわしていた。
時計を見る。
深夜、2:08。
明日のことを考えれば、もう寝ないといけない。
けれど。
耐え切れずにコートを羽織り、家の鍵だけコートのポケットに入れた。
寝静まった家の者を起こさぬよう、足音を忍ばせ自分の部屋から玄関に向かう。
スニーカーを履き、玄関の鍵を開け、扉の外へ滑り出る。
音を立てぬようそっと扉を閉め、鍵をかける。
ガチャリ
思いのほか大きな音が深夜に広がり、ドキリとする。
しばらくそのまま様子をうかがってから、門扉に向かい、そっと道路に出る。
11月の深夜の外気はシンと冷え、体を覆っていた膜が消える。
まったく人気のない道路の真ん中に立ち、夜空を見上げる。
雲はなく、さえざえと輝く月と、思いのほかたくさんの星が瞬いている。
大きく息を吸い込み、吐き出す。
足元にはくっきりとした街灯のいくつもの影と、月明りの影が広がっている。
住宅街に音はなく、ほとんどの窓は真っ暗だ。
あてもなく、けれど行き先があるかのように、足早に歩く。
どう考えても、不用心なのは分かっている。
けれど。
生きている意味が、分からなかった。
取り合えず、駅に向かう。
自分の歩く衣擦れの音だけが、やけに大きく聞こえる。
マフラーも手袋もしないで出てきたせいで、酷く寒い。
それが、まるで救いのようで、慰められる。
もし今、一人の命を差し出せば、たくさんの命を救えるというのなら。
私は迷わず自分の命を差し出すだろう。
住宅街を10分ほど歩くと、駅前の店が見えてきた。
誰もいない。音もしない。
見慣れたはずの街並みが、夢の中の街に思える。
歩いていても、足元がふわふわし、現実感が薄れていく。
あまり美味しくない珈琲を淹れる喫茶店、行きつけの美容室、寿司屋。
通り過ぎながら、ガラス窓から閉まっている店内をのぞき込む。どの店も真っ暗だ。
コンビニだけが、一軒、煌々と明かりがついている。
人気のない深夜、周囲を照らすその光はすべてを暴きたてるかのようで眩しすぎる。
少し歩調を早め通り過ぎる。
線路沿いの道をしばらく歩き、最初からそれが目的だったかのように、
線路をまたぐ陸橋の階段を上る。
橋の中央で足を止め、陸橋の先、駅向こうをしばらく見つめ、佇む。
視線を外し、フェンスに両手の指を絡ませ、線路を見下ろす。
終電を過ぎた時刻の線路に、通る貨物列車もない。
振り仰ぎ、夜空を見上げる。
宇宙が見える。
月は輝き、星は煌めく。
心が揺れ、胸が締め付けれれる。
『神様』と
ただ
『神様』と
涙が、するりするりと頬を流れる。
ひたすらに、身動きもせず、宇宙を見つめ続ける。
死ぬまで生きていくしかない。
フェンスから手を離し、歩いてきた道を戻る。
鼻の頭は息をするたび冷えた空気に痛みを覚える。
黙々と歩く。
自分の歩く、衣擦れの音を道連れに。
家に着き、足音を忍ばせ部屋に戻ると、暖かさに体の緊張が解れた。
すぐにパジャマに着替え、ベッドに入る。
何も考えずに目を閉じる。
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、さっき見た星の煌めき。
早く、人生が終わりますように。
祈りにも似たその想いは、どこにも届くことはなく。
夢のはざまに、まぎれて、消える。
遠慮のないポイント評価、心のままにお願いします。