【短編】元聖女は新しい婚約者の元で「消えてなくなりたい」と言っていなくなった。
結婚したくない秘密を抱えた元聖女と、年下ワンコ系公爵の激重溺愛。
私は『慈悲の微笑の聖女様』と呼ばれている。
ハーピア伯爵令嬢である私リューリラは、光の魔力覚醒によって、10歳で神殿へと預けられた。
光の魔力は、癒しの神からの賜物。
覚醒した者は、神殿に身を置き、そして癒しの魔法を磨き、そして病気や怪我の治療にやってくる患者を治すのだ。
光の癒し手。
癒しの神から、光の魔法を与えられたため、やがて、『光の子』と呼ばれるようになった。
覚醒するのは、決まって子ども時代だからだろう。
『光の子』という役職ではあるが、その後、神殿に仕え続けたいのならば、神官などにもなれる。
覚醒者は、必ず『光の子』を務めないといけない。そういうお国の決まりだ。
最低でも3年の間、『光の子』として、人々を癒す力を使えば、光の癒し手になった義務は果たされたことになるため、家に帰って自由に生きることも出来るのだ。
ちなみに、私はそのまま『光の子』の次の役職である『巫女』になって、神殿に留まる気満々だった。
怪我人を癒してあげるだけで、衣食住を確保されている日々。平穏であるこの生活を、生涯送っていいと思っていた。
神殿は、神々しいほど清潔な住まいだ。
ほぼお城でしょ。実際、初見で思ったことである。
神殿長含むお年寄りのお偉いさん達は、孫娘のように可愛がってくれるし、文句のつけようがない生活だ。
だが、可愛がられすぎたのか。
『聖女』という女性だけの最高級の癒し手の座に、70年も居座り続けたおばあちゃんに、老衰の死に際に後継者として名指しされてしまったのだ。
私ならば、お偉いさん達は実力も問題ないということで、最高級の癒し手の座に、私は座っちゃったのである。
うん。座っちゃったのである。
13歳の『聖女』爆誕。
まぁ、別に、よかったのである。
『聖女』となっても、ちょっと治療相手がお貴族様が多くなったり、めっちゃ信者に拝まれたり、そんな変化ぐらいだったから、問題はなかった。
問題は、王子との縁談を持ちかけられたことだ。
一応貴族の身分で、年齢も同じ、さらには若くも『聖女』を務める高貴さ、癒しの力の高さ、支持者の多さ、などなど。
相応しい理由を挙げられて、あれやこれやと、政略結婚が決まっちゃったのである。
そう。決まっちゃったのである。
王族の縁談に、嫌だー、とか言えるわけもなく、婚約契約書にサインさせられた。
こんなことになるなら、『聖女』の座なんて、拒んだのに。
“まぁ、リューリラならいっか”。
なんて空気で、最高級の座に座らされただけなのに。
『聖女』と王子妃教育をこなす日々は、クソ多忙だった。
ぶっちゃけ、貴族令嬢らしい生活を送る日は、さらさらなかったために、淑女教育から叩き込まれた。
こちとら、急な患者を癒すという仕事があるのに。
王子と親交を深めるお茶会? 人脈作りの社交パーティーの参加? ふ、ざ、け、ん、な、よ?
王子と結婚する気は、断じてなかった私は。
いつしか『慈悲の微笑の聖女様』と呼ばれるようになった。
銀色の長い髪は、澄んだ水を表すように、水色を帯びて艶めく。同じ色のまつ毛の下で、青空色の瞳が見守るように見つめてくれる。
尊いほどに、美しい美しい少女。
患者や信者達には、慈しむように優しい微笑で話しかけては、癒す聖女。
それが私だった。
だが、婚約者である王子には、一切笑顔を見せなかった。
他の人達にも、必要ないと判断した相手の前では、無表情に努めた。
つい先日治療したお貴族様だとわかって、その後の経過を微笑んで聞いたあとは、“はい微笑おしまーい”と言わんばかりに、スンと無表情。
他のお偉いさん方にも、私は必要最低限に笑みを貼り付けて対応したが、会話が途切れる度に、スンと無表情になって、よそを向く。全力で作り笑いによる事務的対応だと、示した。
ゆくゆくは王妃になる身分である私に、そんな態度をされても、表立って“失礼だっ!”と激昂する者はいない。
よって、社交界では『慈悲の微笑の聖女様』は、二重の顔を持つ性悪女だとか、噂が立っていた。
何が二重の顔だ。
腹の探り合い、足の引っ張りの社交パーティーに参加するあなた達は、鏡を見たことないの?
お貴族達に、下の者に愛想を振り撒き、支持を得ている腹黒聖女だと言われようが、構わなかった。
そんなお貴族達がこそこそ言っていようが、患者達は私に治してもらいにやってくる。
私も見返りを求めることなく、大丈夫だと優しく励まして、癒すだけ。
それを続けた。
そして、婚約から6年目。
婚約者が王太子になってから、公務がようやく落ち着いた頃で、努力の成果が出た。
「お前のせいで“『慈悲の聖女』に嫌われている王太子”だと、陰で笑われているんだぞ!? もう我慢の限界だ!! 婚約を破棄する!!! サインしろ!!」
城の大応接室で、単刀直入にご立腹のネイサン王太子殿下が、目の前に婚約破棄の契約書にサインしろと声を上げた。
やったぁ!! 待ってました!!
スン、と無表情のままに契約書を手にして確認しながらも、内心では発狂したいほどに大喜びした。
6年にしてやっと婚約破棄してもらえたわ! 長期戦すぎて、そろそろ結婚の話が進むのかと、ヒヤヒヤしてたわ!
王太子には悪いけど、笑顔を一切作らず、会話も必要最低限の返答や生返事。聞こえていないふりして、沈黙も度々。さらには、隣にいるのは退屈と言わんばかりに、ボーッと景色を眺める態度も取ってきた。
耐えすぎだろ、王太子。
ここまで失礼な態度されたなら、自分からなら可能なんだから、もっと早くに婚約破棄を言い渡してほしかったわ。
こっちだって心苦しかったのよ? 王太子になれるほど認められた優秀な王子に、あんな態度をするのは………………いや、態度を取ること自体は、別に苦ではなかったわね。
実際、くっだらない会話しか振られなかったし、事実、隣にいても退屈だったし、めちゃくちゃどうでもよかった。
それに、初対面から、勝手に自分の結婚相手が決まったことに憤怒していたから、もうお互い様ってことにしよう。
こっちが断れない縁談を押し付けた相手に、失礼すぎな態度するなんて、“クソガキだなぁー”と笑顔を引きつらせた時に、閃いたのだ。
そうだ。無表情で過ごして、とことん嫌われよう――と。
この縁談を白紙に戻してもらうために、嫌われ作戦を即座に決行したのである!
これで6年の鎖は、解けた!
サイン完了!
「フンッ! あっさりとサインしおって……つくづく嫌な女だ」
鼻を鳴らす王太子は、忌々しそうに睨んだ。
今までの態度で、承諾を渋るとでも思ったの?
頭大丈夫? 残念だけど、頭の具合は魔法では治せないのよ?
「はあ、そうですか。それでは、用件も済みましたでしょう。神殿へ、帰ります」
いつもの調子で、聞き流すような生返事をして、帰ろうと腰を上げたが、王太子は手を翳して制止させる。
「いや、お前の帰るところは、もう神殿ではない」
「……どういう意味でしょうか?」
腰を戻して問うと、待ってました、とニヤリと笑った。
「お前はもう『聖女』ではなくなったからだ!」
…………何故?
無表情のまま、言葉の続きを待つ。
「新しい『聖女』は、ハニエラ・タリアリ侯爵令嬢に決まったのだ!!」
……同期のハニエラか。
私が『聖女』になったことが、身分が高かっただけに、プライドを刺激したらしく、かなり妬んでいたっけ。
そして、この王太子に、隙あらばすり寄ってもいた『巫女』。
ああ、そうか。
『聖女』の人気や支持も得たいので、王家としては、『聖女』との婚姻は諦めきれなかったのだろう。代用案みたいに、ハニエラを『聖女』にして、互いに気がある王太子と結びつければよしって話か。
「なるほど。わかりました。……だからと言って、何故、神殿に帰れないのですか?」
聖女の座を奪われたことに対しても、無表情を崩さない私を、これでもかと王太子は気に入らないと顔を歪めてしかめた。
だがしかし、すぐにまた意地の悪い笑みを浮かべる。
「信者達に愛想を振り撒き、操ろうとするお前なんぞ、神殿に居続けてもらっては、新しい『聖女』のハニエラも安心が出来ないからな! 神殿から追放することが、決定したのだ!」
王太子の新しい婚約者を守るという正当な理由を掲げて、神殿に圧をかけたのか。なんか、神殿長達に申し訳ない。
なんとか“王太子と仲良くなりなさい”と、アセアセと言ってきたおじいちゃん方、今までありがとうございました。
人を見下すハニエラが『聖女』だなんて、これまた苦労しそうだな。
まぁ、別に、患者達も、他の『光の子』や『巫女』に治してもらえるし、私が『聖女』でなくなっても、いなくなっても、支障はないだろう。
私には『聖女』の座も、満足していた神殿暮らしからの追放も、結婚という問題よりはよほど、軽いことだ。
神殿を追放となると、どこかで治癒師として雇ってもらって生計を立てないといけないかな。
……きっとこれから、真の悪女だっただと、噂を広げて、新聖女のハニエラへの支持者に変えるだろうから、この王都からは離れないとね。
「はっはっはっ! 今後が心配だろう? リューリラ」
なんだ。まだあるのか。
神殿に帰れないなら、陽が暮れる前に、今日の寝床を見つけたいのだが?
「お前が『慈悲の微笑』を、オレには向けない薄情者でも、オレは違う! オレの慈悲で、次の縁談を決めてやったぞ!!」
……あんだと??? ゴラァ?
次の縁談? は? 今、晴れて自由の身になったのに?
「ハッ。慈悲ですか」
「今、オレを鼻で笑ったな?」
「なんのことでしょう」
ついつい、嫌味を込めて、鼻で嘲笑ってしまったわ。
スン、と真顔を取り繕う。
余計なことしやがって!! 王太子が押し付ける縁談では、また解消が難しいじゃないか!! こんのクソ王子め!!
貴族社会でも、私が“二重の顔を持っている”って悪い噂があった方が、伯爵令嬢としても、もう縁談が来なくなると思っていたのに!!
「大丈夫だ。醜い貴族の後妻という嫁ぎ先ではない」
元婚約者を、そんな相手に押し付けたら、王太子にも醜聞になるもんね。
『慈悲の聖女』に嫌われているから、醜い貴族の元に追いやったんだー、とか、人としての器がどうのと笑われるだろうからねー。……事実やん。
もう私のことは、ほっとけや!
婚約破棄、神殿追放、で終わりでいいじゃん!
「オレの従弟のヘーヴァルだ。リューダ公爵当主になったばかりだと、当然知っているよな?」
「リューダ公爵様と……縁談、ですか?」
流石に困惑が顔に出てしまい、王太子は大いに気を良くして頷いた。
確かに、若き公爵だと、知っている。
17歳という若すぎる歳で、公爵領の領主になってしまったなんて、大変だなぁ、と思っていたのは、記憶に新しい。
「ヘーヴァルを呼べ!」
従僕に指示を下せば、すぐに本人が颯爽とやってきた。
青色に艶めく短い黒髪をサラリと靡かせた長身の少年は、細身でも頼りなさはない身体付きだと、服の上でもわかる。彼は剣術使いだな、と腰に携えた細い剣を見て判断した。
瞳はペリドットの宝石のような色で、それを細めて微笑みかける。
「リューリラ・ハーピア伯爵令嬢。ヘーヴァル・リューダ公爵です。今後、末永くよろしくお願いいたします」
胸に手を当てて、お辞儀。
『聖女』でもなく、『王太子の婚約者』でもなくなった私に、低姿勢だ。
「では、あとは婚約者同士で」
「もういいのですか? 六年は婚約者だった相手と、別れは惜しまないのですか?」
「フン。そんな情などあるか。お前が婚約した相手は、特にな」
腰を上げた王太子を、リューダ公爵は首を傾げて引き留める。
鼻で笑い飛ばす王太子殿下。
「お前達二人も相手するなど拷問だ!」
と、意味深な言葉を吐き捨てたかと思えば、扉の前で振り返ってきて。
「オレの慈悲で、せいぜいお幸せにな! 元『慈悲の微笑の聖女様』!」
笑顔で皮肉をぶちまけてから、部屋をあとにした。
……物凄く根に持たれたな。慈悲慈悲って、うるさ。うっぜ。
私は立ち上がって、聖女の制服でもあるスカイブルーデザインのドレスを摘み上げて、お辞儀をして挨拶をした。
「改めまして、元『聖女』のリューリラ・ハーピアです」
顔を上げてから、フッと憐れみを込めて笑う。
「爵位を受け継いだばかりで、私のような元聖女である元婚約者を押し付けられるなんて、よほど殿下に嫌われてしまっているのですか?」
若くしてそんな公爵となって、彼も大変忙しい時期に違いない。それなのに、最悪物件と化した元『聖女』を押し付けられるとは、私と同等くらいに嫌われているんじゃないか。
「うわあ。治療するわけでもないのに、リューリラ様が、微笑んでくださった! 早速あなたの笑顔が見れて、嬉しいです!」
「……」
ぱぁっと笑顔を輝かせた若きリューダ公爵が、もふもふと尻尾を振る大型犬に見えた。
微塵も、嫌味が届いていない……。
スン、と無表情に戻る。
勝手に決まった婚約の破棄を狙いたいが……これ、難しそうだぞ? 押し付けられたのではなく、この人、喜んで私との婚約を受け入れたみたいだ。
何故…………?
「座ってお話をしましょう」と促されるがままに、王太子が座っていた席に腰を下ろすリューダ公爵と、向き合って着席。
紅茶とお菓子が運ばれたので、最後の王城でのお菓子を堪能しよう。
「実は押し付けられたというわけではなく、いただいた、と言った方が正しいかと思います。物みたいに言って申し訳ございません。ですが、王太子殿下があなたとの婚約を破棄すると仰っているのを聞いてしまい、居ても立っても居られず、説得を試みたのですが、結局私の言葉は届かずでして……『聖女』の座まで引きずり降ろさないといけないとなれば、リューリラ様ばかりがつらい目に遭われると思うと、私が娶って守って差し上げなくては、という使命感に燃えてしまいました。これは王命でもあり、『聖女』でなくなった伯爵令嬢のリューリラ様に逆らえないものです。勝手に婚約を結ばせてもらって申し訳ございません」
顔を曇らせて、王命だと重い口調で告げた。
王命と来たか。確かに『聖女』の時点では、ほぼ拒否権はなかったが、まだ合意したというサインを必要とした契約書を交わされた。内容には、王妃教育の秘密厳守の魔法契約も、あったけれど。
王命では、一介の伯爵令嬢では逆らえるわけがない。
「白状すると……あなたを娶れることに、胸が高鳴ってます」
頬を赤らめて、胸を押さえては、はにかむリューダ公爵。
……マズい。なんか、めっちゃ婚約破棄が難しい相手みたいだ。
「……どこかでお会いしたことがありましたか?」
先代リューダ公爵も、顔を知っている程度の回数しか挨拶したことがないのだが。
そもそも公爵領から、あまり出てこない人だったはず。自ら戦前に出る強い方だったけれど、結局魔物の群れの戦いの最中に命を落として、目の前の息子が若くして爵位を受け継いだのだ。
私は、そんな彼とは会った覚えがない。
「やっぱり覚えていませんよね……いや、名乗っていなかったのでしょうがないですし、あんな姿を覚えられていない方が幸いのような、悲しいような」
テレテレとした反応をした若きリューダ公爵。
どっちなの。
「僕は、二年前のリューダ公爵領で、リューリラ様の治療を受けています。その際、初めてお会いしました」
「患者……二年前ですか」
顎に手を添えて、記憶を振り返ってみた。
確かに、二年前にリューダ公爵領へ赴いたことがある。魔物のスタンピードが起こり、領民にも対処した戦闘員にも、負傷者が多数出ていたので、その治癒に、他の『光の子』や『巫女』達と奔走していた。
あの時も多くを治療したけれど、はて……? この美少年を記憶に留めないって、あり得るだろうか?
「すみません。患者なら覚えていそうなのですが……」
「えっと……全身が真っ黒焦げの重傷患者」
「あっ」
それを言われて思い出すのは、騎士達が血相変えて、“”治癒してくれ!!”と急いで運び込んだ真っ黒焦げの患者だ。巨大な火を噴く魔物の火に呑まれたとかで、瀕死だった。
時間はかかったけれど、なんとか癒せても、血にまみれた彼の顔はよく見えなかったのだ。どうりで覚えていないわけだと、納得した。
「思い出していただけましたか。意識が朦朧とする中、リューリラ様は微笑んで、私を励まし続けてくれる姿を見ていました。あなたは、まさに救いの天使……そんな美しい人に、どうして心惹かれないと言えるでしょう」
「…………」
恍惚とした表情で頬を赤らめて、眩しそうに見つめてくるリューダ公爵。
……だめだな、ホント、今回の婚約者。
最悪な相手を選んでくれたよ、あの元婚約者王子この野郎。
私にゾッコンでは、婚約破棄に持っていくのは、難しすぎる。
いや、諦めるな、私。かなり美化されているみたいだから、ここは幻滅されれば、意外と簡単かもしれない。
この“救いの天使”に尻尾振っているワンコ系若き公爵には、現実を突き付けてやろう。
「それはあくまで患者に見せる姿です。今後、あなたには見せることはないかと」
「どんなあなたでも、愛せる自信があります!」
……幻想に一途すぎるワンコめ。
「……そんな努力の必要はないかと。公爵家なら、なんとか王命も覆せるはず。汚名を被る私が、爵位を授かったばかりの若いあなたに嫁ぐなど、不利益すぎます。リューダ公爵領に打撃を与えるなど、国王陛下も望まないはず」
「それは自分が説得しました! 王都には居づらくなるでしょうが、正直、王国内のリューリラ様の信仰者を甘く見過ぎです。王妃教育も済ませたリューリラ様なら、公爵夫人の教育も問題ないでしょうし、我が領民も救われた経験があって、受け入れやすいはず。王国の信仰者の暴動を起こさないためにも、次に地位の高い公爵夫人が一番いいと進言しました!」
王命化したのは、他でもないあなたのせいか!!
王太子の暴挙を利用して、あの国王陛下を丸め込んで、王命として私の逃げ道を塞いだ!
だめだ、この人。無害そうなワンコ系に見えて、意外とやり手だ! くそ! 若き公爵、恐るべし!!
くっ……! 覆る気が今はない。今ないだけだ! 逆に、幻滅させれば、逃げられる!
長期戦覚悟で、嫌われてやろうじゃない!
こちとら王太子と婚約破棄出来たんだから! ワンコ公爵とも、可能だ!!
目指せ二度目の婚約破棄!!
「私が伴侶に相応しくないと思ったら、どうぞ婚約破棄をなさってくださいね。リューダ公爵様」
無理矢理作った笑みを見せて、無表情でもなく、微笑でもない刺々しい私を見せた。
「そんな……自分の方が至らない点が多いですが、僕のためにもっと素敵になってくれると言うなら、この上ない喜びです! リューリラ様、幸せにしますのでご安心ください!」
…………幻滅……してくれるよね?
キラキラーと眩しい笑顔で、幻覚で尻尾を振り回して見えるゴールデンレトリバーなリューダ公爵とは、苦戦を強いられる長期戦を、決死で覚悟しないといけないと悟った。
なんとなく、あの王太子が彼に押し付けた理由がわかった気がする。
あの不満があれば、たらたらと文句を垂れる不遜なネイサン王太子殿下に対して、笑顔で正論を言い退けるリューダ公爵の図。
あの王太子が、ブチギレそうだ。
そりゃ私と同じくらい、嫌われるわな。
「では、公爵領へ行きましょう! あらかた、準備を終えましたが、リューリラ様はご実家に一度戻りたいですか?」
「……いえ。ハーピア伯爵家には、実質関わりはもうないので、伯爵家はお気遣いなく。大丈夫でしょう。今までもそうでしたから、全く関わらなくとも」
『慈悲の微笑の聖女』の実家として、注目を浴びている実家だが、夫人は他界したし、伯爵もあまり社交界に顔を出さない。出したところで、のらりくらりと上手くかわしていた。患者以外に笑いかけない理由には、一切寄り付かないことも挙げられている。
だから、リューダ公爵も、少し窺うように確認をしたのだ。
私は、しれっと実家に顔を出す気はないと、きっぱりと告げた。
「それでは、行きましょう。我が婚約者様?」
「……はい」
先に立ち上がって、手を差し出したリューダ公爵の手に、手を重ねて私も立ち上がる。
頑張って幻滅されるぞー! おおー!
そう公爵領に向かう道中で、必死に作戦を立てては、些細なワガママを連発してみたのだけれど、サラリと笑顔でワガママを叶えてしまうリューダ公爵。
さらには、サラリと名前呼びを約束されてしまった。
くっ……! このラブラドールレトリバー公爵! 二歳下の若造め! やり手すぎる!!
なかなか手強いヘーヴァル様を後回しに、周囲から嫌われよう。
私がこの公爵領で上手く生きていられないとわかれば、考えも変わるはず!
と、意気込んだのだが――――。
「私の夫は二年前のスタンピードの際、『聖女』様の癒しで救われたのです! あ、お名前で呼ぶべきでしたね、すみません。リューリラ様。あの時は、どうもありがとうございました!」
「私は兄を! 治していただき、ありがとうございます! 『聖女』様! あっ、リューリラ様、でしたね」
「わたしは姉と弟が巻き込まれましたが、やはり『聖女』様の癒しの力で! あっ! リューリラ様でした。ありがとうございます、リューリラ様!」
「私! 私は覚えておいででしょうか? 腕がちぎれかけていたのに、『聖女』様が癒してくださって……あ、リューリラ様ですね! リューリラ様、あの時は、ありがとうございました!」
リューダ公爵領の小さな城。
意図的、だよな……!? それとも偶然!? 偶然で、私に感謝する侍女が一堂に会する???
とにかく「右腕は、その後、不自由ないですか?」と、治療した覚えのある彼女の腕を撫でたら、黄色い悲鳴を上げられた。何故。
そして、みんなして『聖女』から呼び直すの。何故。
そんな感じで、私に治療された人達が筆頭に、その身内から友人までが大歓迎状態。
特に重傷だった者は、腕が立つ騎士だったから、公爵領の主戦力が私を快く歓迎していれば、下の者も大歓迎とニッコリと笑顔。
「いやー、よかったですね! 公爵! 恋心を隠して、わざわざ『慈悲の微笑の聖女』様ファンと称して、延々と語っていたあなたが! まさかご本人様と結婚出来てしまうなんて!!」
「ちょっ!! バラさないでくださいよ!!」
騎士団長にからかわれるヘーヴァル様は、顔を赤くした。
……騎士団にも、想いがバレバレな公爵……。
生温かい目で見られて……公爵領、応援モード。
……つ、詰んでいる……? いやいや、諦めるな!
リューダ公爵夫人としての教育を、受けつつ、なんとか領内をうろついて幻滅される糸口を探していたのだけれど、二年前の功績が領民の心を鷲掴みにしすぎて、全然無理そうだった。
婚約者本人だけではなく、領民にすら嫌われそうにない……だと……!?
なんなの、リューダ公爵領……!
王都の貴族達は、チョロかったのにっ!
好感度が下げられないっ……!!
そうこうしているうちに一ヵ月は経ってしまい、心の中、嘆きながら、目の前のお花をしゃがんで見つめた。
おはな、きれいだなぁ……。
「!」
びく、と飛び上がるように立ち上がって振り返ると、後ろには手を伸ばそうとしていたヘーヴァル様がいた。
「あ。驚かせてしまいましたか? 申し訳ございません、リューリラ様」
しょぼんと犬耳を垂らして見えるヘーヴァル様に、肩を竦める。
「いいえ。何か御用でしょうか? ヘーヴァル様」
ツンとした態度で、用件を尋ねた。
「リューリラ様に会いたかっただけと言ったら、怒りますか?」
「この時間帯は、お忙しいでしょう?」
私は休憩時間として庭に出てきただけだけれど、公爵として執務に追われている時間帯のはずのヘーヴァル様が、そんな理由できたわけがないだろ、とジト目を向ける。ありえそうな理由ではあるけれど、彼は思い付きだけでただ会いに来ることもないのだ。
「リューリラ様にご相談というか、報告もあったので、会いに来ました」
テレテレと、ヘーヴァル様は白状した。
「報告、ですか?」と、首を傾げる。彼の仕事に関して、私に報告すべきことがあるのかしら。
エスコートされて、白のガゼポのベンチに腰を下ろして、向き合った。
「簡潔に報告すると、リューリラ様の信者が公爵領へ移住している数が急上昇しています」
「……まあ。すなわち、こうして報告するほどに、数が多いと?」
少なくとも十人とか、そういう数ではないのだろうと予想する。
ヘーヴァル様は苦笑して、肯定の頷きを見せた。
「最近、わざわざ私の治癒を受けに来たと話す方が、何人かいるとは思ってはいたのですが……」
「『聖女』の座にいなくとも、リューリラ様が変わらず治癒してくれるとわかって、意を決したのでしょうね」
公爵領を視察するついでに、治癒を施していた。正直、私の仕事は治癒することだったから、当然怪我人の治癒はやらずにはいられず、治安維持の騎士団にも、病院にも、孤児院にも、治癒時間を設けて行っていた。
その中に、違う地から来たという見覚えのある人も数人いた。私の治癒を受けたくて、と笑って話していた。
「それで……移住者は何人?」
「50人を軽く超えます」
予想以上の数に、ギョッとしてしまう。
「その半分が、王都在住でしたね。現『聖女』に不満があるようで、どうしても元『聖女』様が恋しいみたいですね。率直に移住理由が“元『慈悲の微笑の聖女』様がいらっしゃるから”と、回答する方々ばかりでした」
「ま、まぁ……」
口元が引きつるので、片手で押さえて隠しておく。
そんな移住理由でいいのだろうか。
こちらとしては拒否する理由ではないから、受け入れるしかないのだけれど。
「現『聖女』に問題でもあったのでしょうか?」
「さぁ? ですが、リューリラ様を超える支持なんて、どんな『聖女』にも無理だと思いますよ?」
首を傾げれば、笑顔で言い抜けるヘーヴァル様。
「私を超える支持、ですか? 現『聖女』は、私の同期でした。侯爵令嬢という身分のため、振る舞いと性格上、平等に癒すことは少し難しいとは思いますが、上手く立ち回りさえすれば……。いえ、私の悪評を利用すれば、自分に得られるのでは?」
元『聖女』は、現『聖女』に危害を加える恐れがあるから神殿から追放した。そういうことになっているはず。
それで私にあった支持は、現『聖女』のハニエルが得るのでは。
「そうですね」と、ヘーヴァル様はクスリと笑った。
「“上手く立ち回れば”……それだけの話ですが、それが出来ないが故に、信者達に流されたリューリラ様の悪評は効果をなしませんでした。致し方ありません。リューリラ様を超える素晴らしい『聖女』ではないのですからね」
キラキラの笑顔で、誇らしげに言う。
……本当に上げるなぁ、この公爵様は。
「『慈悲の微笑の聖女』の人気が凄まじかったということですか?」
この公爵領のように。
「それとも、現『聖女』が、よろしくないと?」
「その両方でしょうね。なんせ予告なしにいきなり『聖女』が替わったのです。信者は、戸惑うでしょう。その上で、彼女はその戸惑いを払拭する振る舞いが出来なかった故に、元『聖女』のリューリラ様を求めてきたのです。この公爵領でも、リューリラ様は変わらず癒しをもたらしていますからね」
なるほど、と一つ頷く。
比較対象は、どうしても先代『聖女』の『慈悲の微笑の聖女』となる。
私は信者にも患者にも、真摯な態度で接して癒してきた。社交界では二つの顔があるだとか、信者達に媚び売っているだとか悪評を言われていても、癒されている本人からしたら噂はどうでもいいだろう。害なんてなかったんだから。
そういう意味では、私が『聖女』の座から蹴落とされた理由だって、彼らにしてみれば納得いくものではないだろう。
特に、『聖女』の座とは、王太子殿下の婚約者のモノではない。ハニエラも自分を差し置いて身分下の私に取られて最年少の『聖女』ともてはやされたことを悔しがり、王子の婚約者の座に座ったことも憎んでいた様子。
「やはり、彼女には意識が足りませんでしたか」
「現『聖女』とは、親しかったのですか?」
「いいえ。同期ではありますが、『光の子』を三年務めても『巫女』として神殿に残っていた理由は、『聖女』の座を欲していたからだとずいぶん前に知りました。『聖女』の座イコール王子の婚約者の座という考えがあったのでしょうね。隙あらば、王太子殿下にすり寄ってもいましたね」
「それで……」
浮気、という言葉は、呑み込んだヘーヴァル様。
「しかし、『光の子』時代から、彼女は身分柄、患者を差別するところがありました。神殿では分け隔てなく治癒を施す方針だというのに、物乞いや孤児相手を嫌がり、他に押し付けて逃げてしまうのです。未だにその欠点を直していないとなると……私の代のような支持をなくすのは、当然ですね」
繕うくらいはすればいいのに、相手が汚れた服装をしているだけで眉をひそめて、他の『光の子』に押し付けていた。
私が『聖女』になった時も、物乞いの人と貴族の人の治癒を交換しようとまで言ってきた人だ。くだらない掠り傷の治癒だったので、喜んで交代したが、圧倒的に『聖女』の治癒を求める人々が多すぎた。『聖女』じゃないが故に、私を酷く妬んだ。
その念願叶った『聖女』の座。ちゃんとこなしてほしいものだ。
「それだけではなく、王室への不信や、神殿内の軋轢を生んでいるようですよ」
なんですって?
「『慈悲の微笑の聖女』の悪評ですが、逆に王太子殿下の印象を悪くしているようです。信者からすれば、王太子殿下は『慈悲の聖女』の微笑を向けてもらえないほどに酷い人柄ではないかと。そう噂されているのです」
大きな声では話せないようなことだけれど、この地の領主であるヘーヴァル様は、なんてことないように笑っていった。
あらら。あの王太子が嫌がっていた噂が、信者達に広まってしまったのか。
ざまぁー、ゴホンゴホン。どんまい。
まぁ、私と同等の恩恵を、ハニエラに求めるのは酷だろう。
支持も名声も、私のようにはいかない。むしろ、不利益となっている。
「6年も『聖女』を務めながら、王子の婚約者として王妃教育をこなしたリューリラ様と、婚約破棄をして新しい『聖女』を婚約者に据えたとなれば、心証は悪くなる一方。さらには、現『聖女』の振る舞いもよろしくない。他の『光の子』や『巫女』達も、現『聖女』の振る舞いを注意する始末で、神殿長達がなんとか宥めている状況だそうです。そんな神殿では、毎日通っていた信者も足を向けませんし、王太子殿下の決定もそれを許した王室も、不信感を抱かれている現状です」
王室の不信を笑顔で語るのはどうかと思うが、ヘーヴァル様は事実を語っているだけだ。
「『聖女』の私を婚約者に据えたのは、その支持率も得たかったがためだったのに……」
まったくもって…………ざぁまぁ~!
私を6年間も縛り付けておいて、とっかえひっかえる悪手を使うからだ。
私という『聖女』を取り込むことで得ようとしていた支持は失い、元々あった信用まで失いつつある王室。
マジざまぁ~!
ニヤける口元を片手で押さえたが、ヘーヴァル様の視線を感じた。
ニッコリと笑顔で誤魔化す。
すると、デレッと口元を緩ますヘーヴァル様。
私の笑顔に弱すぎるな……この人、ホント。
もういっそのこと、笑顔責めをして飽きさせる作戦にしてみようか?
引いてだめなら押してみる! 的な。
……………………落ち着け私。それは多分、いや絶対に悪手。
このデレデレラブラドールレトリバー公爵様が悪化するだけだ。
「えーと……」
視線を泳がせて、話を戻そうとして、どこからかと考える。
「その移住者についてのご相談、でしたか?」
「あ、はい。目的がリューリラ様ですので、あなたの元を訪ねてしまうでしょう。我が領地には神殿なんてないですから、何か代わりになる場所が必要では?」
「そうですね……では、病院近くの噴水広場の手前にある屋敷はどうでしょうか? 街の位置的にもいいですし、また前庭にベンチを並べればちょうどいいのかもしれませんが、どうでしょうか?」
「それはいいですね。では、当面の間は、それで間に合わせましょう」
そのために話しに来たのね。
ニコニコと居座っているヘーヴァル様を、どうやってお帰り願おうと考えつつも、“当面の間”はどれくらいになるのだろうかと疑問に思う。
当然、婚約破棄を狙っている私は、居座るようなことは避けたい。
婚約解消が成立したあとの公爵領脱出経路は、なんとか把握済み。
問題は……。難関なのは……。
このラブラドールレトリバー公爵様に、婚約破棄させることなのである。
そうは思っていても、婚約破棄のために幻滅されるいい方法が思いつかなかった。
公爵夫人のための仕事を学ぶことに関しては、王妃教育が施された私には、余裕。
そもそも、信者のため国民のため、が染み付いている私にとって、民に害になるような行動は困難だった。
そういう生き方が染み付いているせいで、仕事の手抜きなんて出来ない。
新しい移住者達のためにも場を設けた集会場で、私は『聖女』時代と変わらずに、微笑みを浮かべて、治癒をしては信者の話をうんうんと頷いて聞いた。
それを放棄すれば、私のことは幻滅してもらえるのだろうけれど……。
……でも……この役目を放棄してしまっては…………私には、何が残るというのだろう。
50人ほどの移住者が入っても、そのあともどんどんと移住希望者がやってきた。
集会場には、週に二日、ベンチを用意してもらって、そこで対応をこなす。
そうこうしているうちに、リューダ公爵領に来て、二ヵ月が経った。
もうすぐ、夏がくるのか、陽射しが暑い。
首まで覆い隠すハイネックに指を差し入れて、少し伸ばす。
……夏のドレス、仕立ててもらわないと。
その前に、ここを去れたらいいのだけれど……。
「リューリラ様。公爵様とは、どこまで関係が進みました?」
「えっ? いや、えっと……特には」
若い侍女が嬉々として尋ねるけれど、苦笑を零してしまう。
婚約者であっても、交流は節度あるもので、お茶をして過ごしたり、食事をしながらお喋りしたり。
些細な贈り物を手渡して、手をギュッと握ってくるくらいが、一番の接触だ。
「ええー! なんですか、公爵様ったら…………べた惚れのくせに、ヘタレワンコなんですか?」
「――っ!」
真顔で呟かれたそれに、私は噴き出してしまい、口を押さえた。
グッと堪えたのに、無理だ。
「――あはっ! あははっ! やだわっ。ワンコだって思っていたのは、私だけじゃなかったのねっ!」
お腹を押さえて、声を上げて笑ってしまう。
ツボに入ってしまい、笑うのが苦しくなる。
「きゃっ……! はわわっ! リューリラ様の笑顔……!」
「こんな素敵なのは、反則!」
「はう……! リューリラ様すきぃ~」
侍女達が、頬を赤らめて悶えた。
特に我慢することなく、笑いたい時は笑っていた生活。私の笑顔ぐらい見慣れていると思っていたけど、こうしてお腹を押さえて笑うのは初めてだ。
「だって、公爵様は犬のようにリューリラ様を見かければ駆け寄るじゃないですかぁ。リューリラ様に懐いている大型犬にも見ます。……あら、やだ、あそこにいらっしゃいますよ?」
テレテレしている侍女の一人が代表として答えていれば、窓の外を見て、気が付く。
一階サロンの窓から見えたのは、こちらを見て突っ立っているヘーヴァル様だ。
噂のヘタレワンコ公爵様。
何しているのだろう、と首を傾げつつ、ひらひらと手を振る。
それでも反応がない。見かねたように側近が肩を叩けば、やっと動き出してこちらに来た。
頬を赤らめてぽけーとした表情のヘーヴァル様がご到着。
「リューリラ様……とても楽しそうに笑っていらっしゃいましたね……何を笑っていたのですか?」
どうやら私の大笑いを見て、見惚れていたらしい。そのために未だにポヤポヤしていらっしゃる。
まさか、みんなであなたをヘタレワンコと笑っていたとは言えるわけもなく。
「いえ、別になんでもございません」
そうツンと突き放しておいた。
「……教えてくれませんか……」
しょぼんとした様子のヘーヴァル様は、悲しいことがあった犬が耳と尻尾をペションと垂らした姿と被るものだから、私達一同は笑いを堪えて、プルプルと震えてしまった。
ワンコ系公爵様……!
若いだけあって、領民には親し気に接してもらえるから、こうして笑われるのよね……!
決して威厳がないとかではなく、親しみがあるが故。
いや、でも……ほんと……っ。またツボに入って笑ってしまいそうだから、ワンコやめてっ。
側近は何か察したのか、しょげるワンコのヘーヴァル様に耳打ちして催促。
ぱぁっと目を輝かせたから、それがまた尻尾をご機嫌に振り回す大型犬に見えて、グッと奥歯を噛みしめて噴き出さないよう堪える私と侍女一同。
「そうでした。リューリラ様、ドレスを新しく仕立てませんか?」
「え?」
ギュッと手を握って身構えた。
「今のものは、適当に購入してサイズを合わせたものでしょう? 新しいものを夏に向けてオーダーメイドしましょう。僕も選んで贈りたいのです」
私のドレス選びを楽しみにしてほわほわした雰囲気で笑いかけるヘーヴァル様。
気持ち悪さで顔が歪まないように、私は笑顔を作った。
「……私も、先程ちょうど考えていたところです。ですが、まだ考えたいので、決めるのはまた今度にしましょう」
上っ面の微笑みで、後回しにする私を見て、窓の外のヘーヴァル様はキョトンとした顔になる。それでも私は微笑みを保つ。
「はい……かしこまりました」と、しぶしぶ引き下がった。
……早く、しなくちゃ…………。
そう思っていても。
ヘーヴァル様に嫌われるために何かすることは出来なかった。
そんな隙はなくて。そんな機会もなくて。そんな好機もなくて。
居心地のいい場所に居座ってしまっていた。
神殿の正式な『聖女』でなくとも、わざわざ私に治癒されにくる人々と触れ合っては言葉を交わす。
未来の公爵夫人として、視察しては領民と交流。
大きな屋敷を家令と侍女長と取り仕切ったり。慈善活動に精を出したり。
充実した日々。
だめだ。
と、こびりつく声。
このままでは、だめだ。
そうは思っているのに。その声が聞こえているのに、無視する形で微笑む。
一生懸命取り組んでいても、ふとした瞬間に、このままではいけないと我に返る。
それでも治癒を施し、微笑んで励まし、食事を楽しみ、お茶をする日々。
それでも、いつまでも続かない。それどころか時間は迫っていく。
「リューリラ、こんにちは」
公爵領に来て、もうすぐ三ヶ月。その間に、ヘーヴァル様は、私の呼び捨てをさらりと勝ち取った。
嬉しそうな顔して呼ぶから、私が折れるしかなかった。
呼びかけながら、横から歩み寄るヘーヴァル様。
そう言えば、また花壇の花を見ている時に話しかけられた。
……前と違って後ろから声をかけるんじゃなくて横から私の視界に入ってから声をかけた行動。…………気付かれたのかな。少なくとも、後ろから声をかけられることが嫌いなのは、察したみたいだ。
じんわり、と焦りが冷たく広がる。
「こんにちは、ヘーヴァル様」
「僕のことは、ただのヘーヴァルと呼んでください」
「ヘーヴァル様と呼んでおきます」
微笑みを貼り付けて、キッパリと断った。
「そう……」と、しょんぼりと犬耳を垂らすワンコ公爵様。
「ドレスの件だけど、あれからずいぶん経ってしまって、夏に間に合わなくなるから、そろそろ仕立てる日を決めましょう?」
ドレスをオーダーメイドする件を持ち出したヘーヴァル様の目が、一瞬私の背中に向けられたのは、気のせいじゃないだろう。
ペリドットの視線が向けられた。その事実がどうしようもなく……。
生温く感じる風が吹き込み、いつも下した長い白銀の髪を巻き上げるから、心細くなって髪を押さえて撫でつけた。
「……仕立てることはありません。仕立てません」
視線を落として、そう答える。
「どうして? 侍女達も仕立て屋も張り切っているし、僕も楽しみなんです」
「……」
ギュッと手を握り締めた。冷たい焦りが気持ち悪く広がるから、それを堪える。
「リューダ公爵様。私にドレスは必要ありません」
「……リューリラ?」
「…………」
笑みが作れない。
ドクドクと、気持ち悪い脈が押し寄せて煩い。
怪訝な表情でこちらを見るヘーヴァル様と目を合わせて、でも目を背けて足元の花を見る。
「やはり私は相応しくありませんので、婚約破棄なさってください」
横でヘーヴァル様が息を呑んだ気配がした。
「では、私は出て行かせていただきます」
「待って。リューリラ。どうして? 嫌だった? 公爵領は嫌?」
「……」
何一つとして、公爵領に嫌なものなどない。酷いくらいに。
だからこそ余計に。私は。
「私は」
開いた唇は、震えた。
「――――消えてなくなりたい」
吐露した言葉は、簡単に風に掻き消えそうなくらいか細い声で紡いだけれど、ヘーヴァル様には届いたようだ。
言葉を失って固まっているヘーヴァル様を一瞥して、背を向けた。
誰かが付いてくる前に、氷魔法で壁を作った。
「待って! リューリラ!」
ヘーヴァル様以外にも、侍女達にも呼ばれたけれど、私は振り払うように駆け出した。
――――消えてなくなりたい。
忌々しい私の願い。
公爵領を出るために把握していたルートをずれて、山へと登った。ドレス姿でも登れるくらいには、それほど険しくない山道を歩き、薄暗くなった頃には、見晴らしのいい広い崖に到着。
下には、森。高さは、どう例えたらいいだろうか。公爵邸の二つ分はありそう。ここから落ちたら、ひとたまりもないだろうか。正直、答えは明白にはわからない。
下から吹き荒れる風が私の髪を舞い上げて、白銀の糸が無数に踊る光景を、ぼんやりと眺めた。
過去を思い出す。これは走馬灯に分類されるのだろうか。
泣いて謝る幼い私。嘆く母。目を背ける父。
治癒魔法を発現し、神殿に連れていかれた日。
やっぱり泣いて、『聖女』だったおばあちゃんにあやされたあの日。
『光の子』として働いて、可愛がられて。
そしておばあちゃんを見送って涙した日。
じんわり、と涙が込み上がった。
その私の目に映るのは、横から視界に入ったヘーヴァル様だ。
同じく崖の縁に立っては、私と目が合うとニッコリと笑いかけた。
「もっと近づいてもいいかな? リューリラ」
「……」
深呼吸して、私は頷いて見せる。
私を刺激しないように、ヘーヴァル様は三歩、近付いた。
その足取りを見てから、空を見上げる。すっかり暮れた空は、暗い青い色。ヘーヴァル様の髪色みたいだ。
地平線から欠けた大きな月も出てきた。
「……消えてほしくないです、リューリラ」
黙った私に向かって、ヘーヴァル様はそう切り出す。
真剣に、でも微笑んで、告げる。
彼を横目で見て、淡く微笑む。
「どうしてだと思う?」
震えそうな声で問う。
彼は、薄々その答えを見付けている気がする。
「――――リューリラは、後ろに立たれるのが苦手ですよね」
……うん。
「侍女も後ろ歩いているだけで、気を張っているように見えました。忍び寄れば、酷く身構えてましたね」
うん。
「ドレスは薄手の物は着ませんし、首まで覆い隠すデザインばかりを選び……自分一人で着替えるそうですね。入浴すらも、神殿にいた頃から自分でやっているからと、一人でこなしてしまうと侍女から聞きました」
髪が冷たくなった風にさらわれて、宙をサラサラと泳いだ。
「背中を庇ってますね、リューリラ。まるで――――怪我を庇うような仕草だと思いました」
ヘーヴァル様は、慎重に言葉を出す。
きっと警戒している。私が一歩前に踏み出さないために。踏み出そうとすることを見逃さないように。
背中に手を回して、自分を抱きしめる。
「――――私の母は、心を病んでいました。私を妊娠している最中に、父が娼館へ通っているとわかって思い詰めてしまったとのことです」
ぽつりと、打ち明け始めた。
「『光の子』の資格が発覚するまで、ずっと……母は泣きながら、私を責めて鞭を打ってきました」
泣き嘆き、鞭を振るう母。泣いて謝っても止めてくれない虐待の日々。
「父は負い目もあって母を止めませんでした。『光の子』の資格があるとわかれば、これ幸いと神殿に私を押し付けました。口なんてずっと利いていません。母が死んでも、ずっと……」
埋葬だけ立ち会った。特に何も言うこともなくて、花束を手向けただけ。
ずっと父という伯爵とは口を利いていない。社交界で会ってもうわべだけの挨拶をして、気まずげに逃げるだけの伯爵に、微笑み一つ向けないし、目も合わせてこなかった。
「当時の『聖女』のおばあちゃんを筆頭によくしてくれました。初めて穏やかな日々を過ごせました。幸せでした……」
幸せだったんだ。初めて、人生で幸せと呼べる日々が訪れた。
献身的に励めば、それだけ褒めてもらえる場所だった。
「そのおばあちゃんを看取ったら、次の『聖女』として名指しされてしまって、評価もあってすんなり最年少の『聖女』となって……恩のあるおばあちゃんの遺言だからと、励もうと思ったのですが…………王子と婚約なんて決まって……消えてしまいたかった」
ギュッと背中を押さえる。
忌々しい願いを口にして、顔を歪ませた。
「――――『聖女』なのに、私は私の傷を癒せない」
忌々しい事実に、涙がにじむ。
治癒魔法は、古傷の痛みは取り除けても、癒せない。治りかけた傷も、癒せない。傷は消せない。
だから、私の背中には見られたくない傷が忌々しく残っている。
「『聖女』だってもてはやされても、私は私の傷が癒せないっ。何が『聖女』だって、何度も何度も自分に魔法をかけた。祈った。でもっ。でもっ……!」
ポロポロと涙が落ちた。いつぶりの涙だろう。とうに枯れたと思っていた。
「消えないっ。傷が消えないっ。だからっ……消えたいっ」
消え入りそうな声で、願いを口にする。
悲鳴のような声だった。苦しくて搾り出した声。
その場に蹲って震えた。
本当に消えてなくなりたいんだ。
『聖女』ともてはやされても、背中に残る酷い傷を見て、あの王子が優しい言葉をかけて受け入れるとは思えなかった。だから婚約破棄を目論んだ。絶対に背中をさらすものかと決めて。
だから結婚なんてしたくない。
傷なんて、さらしたくない。
傷が消えないなら、消えてしまいたい。
「お願いだから、消えないで。リューリラ」
黙って聞いていたヘーヴァル様が口を開く。
出来ることなら、耳を塞いでしまいたい。何も聞きたくないと。
でも、動けないかった。
わかってはいたんだ。
「僕にあなたの苦しみの元凶である傷を消す魔法が使えないのは、悔しいです。でも、苦しまないように受け止めることは出来ます。僕に受け止めさせてください。僕はあなたの全てを受け止めて、愛する覚悟が出来ています」
「――――」
ヘーヴァル様なら、受け止めると言ってくれると、わかっていた。
でも私の覚悟は決まらなくて。踏み出せなくて。逃げたかったんだ。
立ち向かえないから、ずるずると引き延ばしては、逃げ出した。
「ごめっ、なさいっ」
「謝らないで。大丈夫ですよ」
そっと引き寄せて抱き締めてくれるヘーヴァル様。
「あなたは何も悪くない、リューリラ」
「ふっ、ううっ」
「どんなあなたも好きです、リューリラ。あなたの消えたくなる気持ちを消してみせます。どうか、いなくならないで。僕はあなたを愛しています。心の底から」
「ヘーヴァル、さま、うぅ」
泣きじゃくる私をギュッと両腕に閉じ込めて、愛を伝える。
私はそんなヘーヴァル様に、しがみついた。
私が泣き止んだのは、すっかり辺りが暗くなり、欠けた月が高い位置に上った頃だ。
私の捜索は公爵領の騎士団が総出動したそうなので、申し訳ない。離れた位置で私たちを見守っていた側近がちゃんと見つかったから戻っていいと指示を送ったようだ。
まだ私とヘーヴァル様は崖の縁に座ったまま。肩を並べて、手を握っている。
「それで王太子殿下を避ける『慈悲の微笑の聖女』が出来上がったのですね」
「初対面から、こちらが断れない縁談を押し付けられたというのに不機嫌全開の対応をされたので……嫌われるために」
「王太子殿下もそれがなければ、リューリラがここまで苦しむことはなかったのでしょうね」
「いえ、最初の対面を抜きにしても、あの王子はつまらない異性でしたよ?」
「例えば?」
「不遜で傲慢。能力があるが故でしょうが……話がつまらないし、贈り物のセンスもない……魅力としてあげられるのは、身分と顔でしょうか」
「クッ……そ、そうですか……。微塵も、王太子殿下に心は動かされなかったのですね」
落ち着いたこともあり、ベロッと毒を吐く。
自慢話ばかりで聞き流すのも大変。贈り物は流行りにだけ乗っておいて、似たり寄ったりのものを義務で送りつけてきた。もちろん、露出の激しいドレスは突き返して趣味じゃないと言ってやったものだ。
プンスカしてはへそを曲げていたなぁ。あれに好感をどう持てばいいのか、わかりゃしない。
不敬な発言も、ヘーヴァル様は肩を震わせて笑いを堪える。
「早く婚約をなかったことにしてもらいたかったですからねぇ……」
「……誰かに相談はしなかったのですか? その思いを打ち明ける相手は」
気遣う口調で、ヘーヴァル様が尋ねた。私は首を振る。
「私の傷を知っている人達は、奇しくもすでに他界しています。初めて神殿に来た時、『聖女』のおばあちゃんが自ら湯浴みを手伝ってくれました。見られたくない傷だと察してくれて、当時の神殿の最高責任者や側近の『巫女』……皆、高齢でしたから『聖女』のおばあちゃんを最後に逝ってしまいました。……とても優しくしてくれました」
「……いい方々だったのですね」
「はい……とっても」
ギュッと手を握れば、ヘーヴァル様もギュッと握り返した。
「おばあちゃんの跡を継いで『聖女』をこなしたのは、決して王家のためではありません。誰かを癒すことがずっと生き甲斐でした。『聖女』でなくとも、ここで変わらずに治癒が出来るのは、とても感謝しています。領民に感謝されると、救われます……でも、私は」
結局、消えたいと思ってしまう。
夜空を見上げていると、髪が耳にかけられたから、そちらに顔を向けると。
ちゅっ。
目元にヘーヴァル様の唇が押し付けられた。バッと身を離す。
「な!?」
「しょっぱい」
舐めた!? 涙を舐めたよ、このワンコ公爵!
「とても感謝しています。僕の元に来てくださったことも。だから、責任持って、僕はあなたを愛で癒しますね」
「え、えぇっと……は、はい」
満面の笑みのヘーヴァル様に、たじたじになって身を引くけれど、手をしっかり握り締めた彼からそんなに離れられない。
「口付けの許可をください」
「え!?」
「だめ、ですか……?」
くぅうん、と上目遣いしておねだりしてくるワンコ公爵……!
「ぐっ……い、いや、でも、私……は、初めてですし」
「っ……!」
恥ずかしくて赤くなる顔を背ける。
「可愛い……食べちゃいたい」
「はい?」
なんか物騒な言葉が聞こえた気がして顔を戻すと、月明かりでもわかるくらい、ヘーヴァル様も真っ赤になっていることに気付いた。
「リューリラ、好き。大好き。初めてのキスをしよう?」
「ちょ、ま、待ってっ」
吸い寄せられるように顔を近付けてきたヘーヴァル様に両頬を包まれて捕まってしまい。
そのまま唇を重ねられた。
ちゅっと、唇を軽く吸い上げた唇が離れる。
ギュッと閉じていた瞼を上げると、煌めくペリドットの瞳が熱く潤んで見つめていた。
ドキドキと心音が高鳴る。
また唇は重なって、今度は長いくらい押し付け合った。
止めてしまった呼吸を再開させると、やっと離れる。
「リューリラ……もう一度――――」
そう囁いて、また唇を重ねてくるから、結局、口付けは続けて三回することになった。
帰ってから、心配をかけた公爵領の使用人一同に頭を下げて謝り。
翌日も捜索してくれた騎士団にも謝罪。
無事ならよかったと、笑顔を返されてしまった。
夏に向けてのドレスの仕立てを一緒にしながら、ついでと言わんばかりに。
「婚約披露パーティーしよう! その際のドレスを!」
なんて言い出してしまい、侍女達も大賛成で、家出騒動してしまった私は反対が出来ず、押し負けた。
婚約は知れ渡っていたけれど、まだその手のパーティーはしていない。
ヘーヴァル様はまだまだ忙しいから、通達だけでも十分だと思っていたのに。侍女達のノリノリの様子からして、今更嫌だとは言えそうになかった。
ついで、に便乗して、夏を飛び越えて秋服や冬服にマフラーや手袋まで注文し始める始末。公爵領の冬は寒いという理由。
そういうことで、婚約披露パーティーの準備が始まった。
ドレスに合わせて、最短で一ヵ月後に開催しようとヘーヴァル様が決定。
公爵領の貴族から、交流のある近辺の貴族達まで。招待状を送る。
なんとか準備が整って、私とヘーヴァル様が庭園で紅茶を楽しんでいた時。
王家からの使者がやってきた。
ヘーヴァル様宛に手紙を届けに来たそうで、怪訝な顔になってヘーヴァル様は席を立って手紙を受け取る。
その場で開けて読んだヘーヴァル様は、ストンと顔から表情を落とした。
怖くてゾッと震え上がる。
じっと手紙を見つめていたけれど、やがて、ボォッと掌から火を噴き出して、手紙を燃やし尽くした。
「なな、なんてことを!」
「何。手紙は読んだ。用は済んだろ、帰れ」
青ざめる使者に、ひらっと手を振ったヘーヴァル様は冷たい。指示を受けて騎士が、使者を連行するように追い出した。
「ど、どうかしたのですか……?」
彼が怒るようなことを、王家が知らせたみたいだけど……なんだろう?
恐る恐ると声をかけると、目の前に座り直したヘーヴァル様はにこっと笑いかけた。
「リューリラは、僕と結婚するよね?」
キラキラーという擬音が響きそうな笑顔。圧がある。
が、しかし、答えづらい質問だ。恥ずかしくて……。
「えっ……ええ、その……はい……」
「よかった! なら、問題ない!」
パッといつも通りの明るい笑顔で、ハートを撒き散らしそうなデレデレっぷりに戻るヘーヴァル様。
「……? 問題、ないのですか?」
「うん! なんにも問題ないよ」
怪しいとジト目で見ても、笑顔で言い切った。
何かあるみたいだけど、問題ないと言い切るなら、信じよう……。
「……ヘーヴァル様が、そう仰るなら」
「……ヘーヴァル、と呼んで? リューリラ」
くぅうん、と潤んだ目で見つめてくるワンコ公爵様。
「じゃあ、呼んだら、手紙の内容を教えてくれます?」
「呼んでくれるなら!」
いいんだ。呼び捨てするだけで伏せようとしたことを話すんだ……。
「……ヘーヴァル……?」
「っ~~~~! 好き! 愛してます! リューリラは僕の全てです!!」
「わかりましたっ!」
頬を真っ赤にしてはしゃぐヘーヴァルの手を押さえつけて、落ち着かせる。
そばで待機する侍女達の生温かい視線が痛い!
「それで手紙の内容は?」
「ああ、王命の撤回をするという旨を伝える手紙でした」
ヒュッと喉を鳴らす。
王命。つまりは、ヘーヴァルとの結婚が王命でなくなったということ。
「大丈夫ですよ。王命を取り消すというだけで、結婚をするなという王命に変わったわけではありません」
「で、でも……取り消したということは、そういう意味では?」
「さぁ? そこまで深読みする必要はないでしょう。そうしろというなら、その王命を下すでしょうし」
ヘーヴァルは飄々とした風に言い退けた。
「何故取り消しなんて……? 結婚の王命は、ヘーヴァルが取り付けたのですよね?」
「ええ、はい。理由はあのバ……ゴホン。理由は、王太子殿下にあるようです」
あのバカって言いかけたわね。
「王太子殿下の手紙も入っていて、内容は“王命を取り消してやったから、リューリラとの結婚をやめろ、婚約破棄してやれ”と書いてありました。狙いは、リューリラの二度目の婚約破棄で株を下げて、リューリラよりも現『聖女』をよく見せるという魂胆でしょう」
やれやれと肩を竦めるヘーヴァル。私はなるほど、と納得して、しらけた顔になる。
私の人気が未だあって、現『聖女』のハニエラの株が上がらないから、二度も婚約破棄されるという汚名を知らしめたくて、苦肉の策で王命を撤回し、王室の信用回復を諮った、と。
どうせ手紙には“愛想もくそもない元『聖女』のリューリラなんて捨てろ”とかいう文面でも書いたから、ヘーヴァルも怖い顔をしたのだろう。
“お前も捨てるチャンスを与えてやろう! オレはリューリラと違って慈悲深い!”とか、また言っていそう。
「これで僕とリューリラの意思で婚約を発表して、結婚が出来ますね」
そんなことを言われて、じわじわと頬が熱くなった。
誰かに言われたからじゃない。強制もされていない。その結婚をする。
「はぁ……可愛い。リューリラ、キスをさせて?」
「んー!」
頬を紅潮させてうっとり見つめてきたヘーヴァルに、昼間から人前で唇を奪われる羽目になった。
婚約披露パーティーを阻止するために、王太子殿下と現『聖女』ハニエラがリューダ公爵領に来ていたと知ったのは、その婚約披露パーティーを無事に終えた翌日のことだった。
一週間も前に突撃した王太子殿下を、公爵領に入る前に、ヘーヴァルが精鋭を連れて阻止したとか。それを目撃した信者から聞いて、私が問い詰めたところ。
「ごめん……煩わしいコバエは気付かないように払うべきだったね。僕はまだまだだ」
と、隠していたことより、知られてしまったことに、しょんぼり落ち込まれた。
そういうことじゃないけど!?
「なんかリューリラが未だに『聖女』を名乗っているって言うから、公爵夫人となるリューリラに害をもたらすなら、リューダ公爵領を敵に回すのが王家の決定かーって脅したら、逃げ帰ったよ」
私は『聖女』を名乗っていないし、未だに呼ぶ信者にもいちいち修正しているくらいだから、罪に問われても煩わしいことこの上ないが、王太子ももっとまともな理由で突撃出来なかったのか。
手紙を受け取った様子を報告されていれば、ヘーヴァルの答えなんてわかっていただろうに。
公爵領の騎士団は、魔物のスタンピードにも耐えた精鋭ぞろい。貴族も優秀ぞろい。リューダ公爵領は、敵に回しては勝てっこない。従弟だからと言って、無遠慮に押しかけて逆鱗に触れてはいけない相手だ。
王家がその気になっても、ほとんどの貴族がリューダ公爵領を敵に回すべきではないと言うだろう。
それがわかって、王太子も逃げ帰ったというところか。
意気揚々と『聖女』を騙る罪で汚名を被せて自分の株を上げに来たのに、肝を冷やして逃げ帰ったなんて……無様ぁー!
せいぜい、失墜した支持率でなんとかするがいい!
「でも、大丈夫ですか……? 今後も王家、特に王太子殿下から妨害を受けません?」
「大丈夫。次が来ても、リューリラの耳に入れないように処理するから」
キラキラの笑顔で言い退けるヘーヴァル。
処理……? 処理? それって大丈夫って言っていいの……?
「予定通り結婚式は、半年後、行う」
圧がすごい。何が何でも妨害を処理する気だ。
薄々思っていたけれど、結構……いやかなり……とんでもなく、この人の愛重くない?
激重愛を持っているワンコ公爵様。若くて飄々としているけれど、食えないところもあるやり手。
どう足掻いても、私はこの人から、逃げられなかったんじゃないだろうか。
愛されてしまったから――――。
「?」
じっと見ていれば、キョトンとするヘーヴァル。くりくりしたペリドットの瞳が健気で、尻尾をフリフリしている大型犬にしか見えない。
そんなヘーヴァルに、深呼吸してから、抱き着いた。
ちゅっと、頬にキスをする。
「好きですよ」
そう言うのが精一杯で、私は抱き着いたまま、ヘーヴァルの肩に顔を埋めた。
「っ~! 好き! 僕も好き! 愛してる! 結婚しよ! すぐにでも結婚する!!」
抱き締め返すヘーヴァルは、大型犬の如く、頬ずりしてくる。
若き激重愛ワンコ公爵様は、我慢出来ないと言わんばかりに、あらゆる仕事を前倒しに片付けて、三ヵ月後に結婚式を挙げるという事を実現してしまったのだった。
去年の今頃に思いついて、婚約破棄シーンまで書いて放置していましたが、春と夏にちまちま書いて、ようやく残り半分を今さっき書き上げました!
10月はハッピーハロウィンテンションで執筆意欲増し増しになります!
ちょっとしんみりした話も書きたい、でこの作品を頑張って仕上げました。
消したい傷が消えないから、消えてしまいたい。
楽しい作品でした!
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先月新投稿の短編。
月間異世界〔恋愛〕ランキング3位
『【短編】気だるげな公爵令息が変わった理由。』https://ncode.syosetu.com/n1511ik/
転生悪役令嬢×無気力キャラ変の溺愛公爵令息のイチャラブ!
ランキング4位
『【短編】白い結婚の王妃は離縁後に愉快そうに笑う。【コミカライズ決定!】』
https://ncode.syosetu.com/n0553ik/
サクッとハッピーエンドのざまぁモノ!