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エッセイ 

ファンタジーがんばれ【現実と現実感】俺の名はカルト三世

作者: NOMAR

(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる。極論だぞ。ファンタジーがんばれ。


 俺の名はカルト三世。祖父母の代から新宗教に嵌まってるしょうもない一家の末裔だ。


 俺はファンタジーが好きだ。SFも好きだがファンタジーが大好きだ。ファンタジーとは逃避文学とも揶揄される代物。

 イカれた家族から目を逸して小説やマンガの世界に没頭してたのが子供の頃の俺だ。現実の辛さから逃げてたわけだ。


 俺が小学生の頃、町で祭があるとなれば小学生男子が御輿を担ぐの慣例、という田舎でのこと。

 そのクラスの中で俺だけは宗派が違うという理由で祭の御輿を担ぐのに参加できなかった。

 これで後日、学校の中で『オマエだけなにサボってんだよ』とクラスの男子からボッコボコにされたりとかな。

 異端者がいればみんなで虐めてもいい、というのがリアルのリアリティというものだろう。


 こういうのは宗教2世ならよくある話だ。

 そんな辛い現実から一時逃避できる小説やマンガは、俺の生きる支えだった。かつての俺は半分、ファンタジーの世界で生きてきたようなものだ。


 なにやらファンタジー論が盛り上がっている、というか揉めてる、とかいうのを聞いて幻想世界で半分生きてるような俺も一言、言いたくなったわけだ。

 ファンタジー、もっとがんばれ、と。


■りゅうおうのおしごと


『りゅうおうのおしごと』というラノベがある。

 史上最年少の16歳で将棋界の最高位『竜王』となったプロ棋士の九頭竜八一を中心に描かれる将棋ラノベ。

 正直に言うと将棋にあまり興味の無い俺はちゃんと読んで無い。このラノベが好きな友人にいろいろと教えてもらった。


『りゅうおうのおしごと』は2015年に1巻の初判刊行。

 そのときには、


「16歳で竜王になれる訳が無い」

「現実離れしている」

「将棋をなめるな」

「リアリティが無い」


 などなど将棋好きな人からは批判されたラノベだ。では将棋の最年少竜王とは?

 以下、将棋の最年少記録より引用。


〇竜王戦 羽生善治

 19歳 1989年


〇名人戦 谷川浩司

 21歳 1983年


〇王位戦 藤井聡太

 18歳 2020年


〇王座戦 羽生善治

 21歳 1992年


〇棋王戦 羽生善治

 20歳 1990年


〇王将戦 藤井聡太

 19歳 2021年度


〇棋聖戦 藤井聡太

 17歳 2020年度


〇叡王戦 藤井聡太

 19歳 2021年度


 藤井聡太棋士が最年少記録を塗り替え続けている。これで将棋が盛り上がっていると聞いた。

 どうやら将棋界では、現実の方がラノベのファンタジーを越えつつあるようだ。

 これについて『りゅうおうのおしごと』の著者、白鳥士郎 氏はニコニコニュースオリジナルでこう嘆く。


『思わず6年以上続けてきた作品を終わらせてしまいたくなっているラノベ作家です。

 みんな俺が頭抱えてるの、期待してるんでしょ? 頭どころか膝まで抱えてるよ……』


『けど現実が『ストレートの4連勝で竜王奪取。しかも史上最年少四冠。おまけにその日は師匠の誕生日』なんてコンボ決めたら「もうやーめた」ってなりません!?

 これがラノベや漫画だったら間違いなく最終回を迎えていますよ!』


『ちょうど現実の将棋界がインフレしすぎてドラゴンボール状態になってるという記事を書いたところだったんですけど、本当にそんな感じですね。もう何が起こっても驚きません』


 将棋が何かスゴイことになっている、と教えてもらい調べてみると、現実がラノベのファンタジーを超えていた。

 がんばれ白鳥士郎、現実に負けるな。

 あと『のうりん』の最終巻を俺は待ち続けているぞ。


■女の中に男がひとり

 

『まりあ†ほりっく』(遠藤海成)では、女子校の中で男が1人女装して学園にいる。男嫌いな主人公がこの女装の男子生徒と女子寮で同室になり悩まされるというコメディ。

 また、『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』(弓弦イズル)では女子しかいない学園に主人公の男子が無理矢理入学させられてしまう。


 女の中に男が1人というのは物語でたまに出てくるもの。こういうのはハーレム物としてありがちというところか?

 

 で、現実はというと。

 2013年、スコットランドでもと男のトランスジェンダーが女性刑務所に収監される。リアルで女の中に男が1人状態に。

 スコットランドではかつて男性刑務所でトランスジェンダーの受刑者が2人自殺するという事件があった。この2人は女性刑務所に入れてくれ、と言っていたが当時の制度から男性刑務所に。そして自殺。

 この件でスコットランドは、トランスジェンダーを女性刑務所に入れるか、男性刑務所に入れるかで悩まされたわけだ。


 スコットランド法務省はトランスジェンダーの受刑者について新しい制度を導入する。医療上の性別診断よりも本人の性自認を優先するということになる。

 これでまあ後に、2人の女性を強姦した男が起訴後に『私は心が女だ。だから女性刑務所に』と言い出し揉めたりする。


 で、女性刑務所に収監されたとあるトランスジェンダーは刑務所の中でモテモテになり性行為を繰り返すことに。

 入所後約5週間で複数の受刑者らと淫らな関係を持っていることが発覚し、60キロ以上離れた別の刑務所へと移送される。


「刑務所内では複数の女性受刑者が性行為を求めていたが、それに対応できたのは彼だけだった。最初は警告に留め黙認してきた刑務所長も、さすがに我慢の限界だったようだ」(dailystar.co.ukより)


 刑務所長がキレるほどのハーレムぶりを刑務所の中でやっちまったらしい。スゴイなリアルは。

 ジャンルハーレム、現実に負けるなよ。ちゃんとモテモテイチャイチャしろ。


■追放ものとノーベル賞


 テンプレと呼ばれたりする、追放もの。もとを辿れば『ブレーメンの音楽隊』か『みにくいアヒルの子』か?

 無能だと追放された後に有能であることが分かり、実力を見せつけて追放した奴らをざまあする。というところか?


 このテの追放ものは、


「追放する側があまりに愚か過ぎて現実味がない」


 と言う批判があったりする。追放する側の判断基準では主人公の有能なところを見抜くことができなかったりとか。追放した後に主人公がいなくなったことで困った事態に陥ったりとか。

 話の展開のために追放側がおバカになっている、なんてことを言われたりもする。


 では現実を見るとどうだろうか? とある研究者が日本では満足に研究することができない、と日本を出て行った。その研究者はアメリカ国籍を得て、アメリカでのびのびと研究を続けた。

 そしてノーベル賞を受賞した。


 当時のマスコミは『日本人がノーベル賞を受賞した』とか報道していたがコレは間違い。日本の国籍法は単一国籍が原則であり、二重国籍を認めていない。

 なのでアメリカの国籍を得た時点で日本の国籍を失っている。

『もと日本人のアメリカ人がノーベル賞を受賞した』と言うのが正しい。

 以下、インタビューより引用。


「日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません」

「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」

「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」


 この研究者の研究を支援したのはアメリカであって日本では無い。なのに日本人がノーベル賞を受賞した、という報道の仕方はちょっと図々しくないかな? 

 おまけで、この研究者はかつて日本の気象台に就職しようとしたが不採用。そこを誘われてアメリカの気象局に入ることになる。

 そのときの初任給は日本の約26倍だという。


 本人から出ていったので追放では無いかもしれないが、俯瞰して見ると現実の追放ものに思えてしまうんだが。


『追放された気象学者はアメリカでのびのびと研究したい。ノーベル賞を取ったら戻って来いと言われたがもう遅い。~政治家に対して研究者がアドバイスするのが日本は難しい件~』


 タイトルにするとこんな感じ?


■浮きこぼれ


 浮きこぼれ、とは落ちこぼれの逆の状態。知力が高すぎる、学習意欲が旺盛過ぎることで周囲と合わせることが難しい人がいる。

 またレベルの高い遠い学校を受験しようとすると、『村を捨てるつもりか』と家族ごと村八分にされたりするケースもある。

 以下は浮きこぼれの経験のある人へのインタビューより引用。


『学校には友達に会いに行っていました。しかし、「勉強できるのを鼻にかけている」「何でも知ってるふりをしている」といじめられるようになりました。

 なんとかしようと、適度に知らないフリをしたり、わざと白紙回答をして点数を下げるようになりました』


 和をもって貴しとなす、とは聖徳太子の十七状の憲法から続く日本の美徳ではあるが、これは裏を返せば、出る杭は打たれる、となる。

 特異な才能を持つことがイジメの原因になったりするわけだ。


 文部科学省は2023年度予算案で、特定分野に特異な才能のある児童⽣徒の⽀援のために8000万円を計上した。

 これには優秀な学生の海外流出を防ぐという目的もある。


 文部科学省は現実の追放物語をなんとかしようとしているようだが、さてどうなるか?


■テンプレ王子と国会議員


 婚約破棄の物語で婚約破棄するテンプレ王子のことを、


「こんなバカな王族がいるわけが無い」

「無知過ぎる」

「リアリティが無い」


 なんて言う批判があったりする。

 いやまて、歴史上の為政者、権力者にもおかしな人はいたんだが? とっかえひっかえヘンリー八世とか。

 現代の日本の国会議員も妙なのがいるんだが?


『報道の自由を守るため』と言いながら配布先も不明の謎の怪文書で他の議員に辞職を迫るとか。

 それでいて批判する一般人のツイッターの呟きに対して、削除しないなら法的措置を取るとか、権力者が脅してたんだが? いいのかコレ?


『自分はデマを流して他の議員の評判を貶めてもいいが、自分に対する批判は事実陳列罪で言論弾圧してやる』というのはなかなか強烈なキャラクターだ。

 

 婚約者の評判をデマで貶めて婚約破棄しよう、っていうテンプレ王子と似たようなことしてしまったのが日本の国会議員にいたんだが。それも城の舞踏会では無く、国会議事堂の中でやっちまったんだが。

 日本の国会は大丈夫なのか?

 リアリティは何処へ?


■カルト三世の現実感


 まあ現実に現実感を求めすぎてもおかしなことになる。

 この俺、カルト三世も自分の体験談を話せば、『オマエの人生にはリアリティが無い』とか言われる。


 親の宗教熱を批判したら病院に連れて行かれて、精神分裂病、または境界性人格障害と診断されたりな。

 なので『頭おかしいのはノマの方だ』と言われても反論できん。そうですね、としか言いようが無い。

 これはこれで何を言っても頭おかしいとなるのは、気楽と言えば気楽だ。


 カルト三世の愚母は選挙が近づくと元気になり鬱陶しくなる。


「日本人が全員この宗教に入信して、この宗教団体がバックにある政党が与党になって、皆が教祖樣の教えのとおりにすれば、日本は平和になって豊かになって、皆が幸せになる」


 こんな感じのことをマジに信じている。正気を疑う。コレを実現させるために宗教的情熱を燃やしている。なにそのリアリティ? これに付き合っていると頭おかしくなるわ。


 で、この前、法事で父方の親戚と久しぶりに顔を会わせた。

 その中のひとりの叔父は宗教にハマってはいない。自称無宗教だ。

 この叔父はカルトにハマる愚母と愚父のことを、


「頭おかしい人達」

「気持ち悪い」


 と言う。

 ただ面と向かっては言えないので他の人がいないところで、この俺カルト三世にボソボソと愚痴っている。あの人たち、どうかしている、と。

 この叔父はマトモなのか? と俺が油断していたところで、この叔父が言い出した。


「日本の政府は宇宙人が日本に既にいることを公表するべきだ」


 は?


「政治にもマスコミにも経済にも、既に宇宙人がいて彼らによって操作されているんだ」


 はー、宇宙人かー、マジで言ってんのか?


「これからは日本人ひとりひとりが、どうやって宇宙人と共存するかを考えないといけない時代だと思う」


 五十歩百歩、いや、目くそ鼻くそを笑う、だった。宇宙人信奉者がカルト信奉者を気持ち悪いとバカにしていた。あーのーなー、

 で、ちょっと聞いてみた。


「あのー、その宇宙人が既に日本にいる、っていうのは、何か根拠とか証拠とかあるんですか?」

「じゃあ逆に聞くが、日本に宇宙人が来ていないという証拠はあるのか?」


 宇宙人が来ていない証拠かー、難しいなー。不在の証明かよ。

 つーか、なんでこう自分は真理を知っていると思い込んでる奴というのは、悪魔の証明の押し付けが好きなんだろうな?

 あと叔父よ、既に目くそ鼻くその構図が出来上がってんのになんで上から目線の賢者面なんだ? あんた万年賢者タイムなのか?

 この現実に付き合ってたら頭おかしくなるわ。


■現実と現実感


 改めて現実と現実感について。

 『現実』というのは目の前に事実として在るもののこと。


 『現実感』とは、現実に起こっている物事である、という実感のこと。


 なので現実とは目の前の事物ではあるが、対して現実感とは人の実感、感想であり、人の頭の中のこと。


『現実的』という単語が分かりやすいだろうか? 現実的の『的』というのはそれっぽい、という意味だ。

 現実的は現実っぽい。科学的は科学っぽい。論理的は論理っぽい。幻想的は幻想っぽい。

 現実的は現実っぽいものであって、まだ現実では無い。


 人が現実的と言うときは、例えば予定を立てるとき、計画を練るとき、想像の中で実現可能性が高いもののことを言う。


 なので頭の中に歪んだ情報を入れて信じ込むと、歪んだ現実感を持つことになる。カルト宗教で世界平和とか、宇宙人との共存とかな。これがその当人にとっては現実的で現実感のある話になる。

 

 で、意外と人の感じる現実感というのは狭い。現実の方が小説やマンガよりもリアリティが無い、なんて言われたりもする。

 事実は小説より奇なり、というヤツだ。

 人の感じる現実感というのは日常で見慣れたもの、当たり前のことが基盤になる。当たり前で無いことには、現実感が無い、となる。


 なので地震や津波などの災害が起きた光景を見て人は『現実とは思えない光景だ』なんて言ったりする。

 よく見ろ、それが現実だ。


■ファンタジーの語源


 ではファンタジーとは何か? ファンタジーの語源はギリシャ語。


 phantasia 空想、幻


 ここから派生したものは、


 fantasy 空想、ファンタジー

 phantom 幽霊、おばけ

 fanciful 空想的な

 fancy 空想

 fantastic 素晴らしい

 phantasm 幻影

 phantasmagoria 走馬燈


 ファンタジーのもともとの意味としては『空想の中にしか無い善いもの』になる。

 

 では、善いものと悪いものを分けるのは何か? これを読者に問いかけるのが優れたファンタジーであると俺は考えている。


■故にファンタジー


 故にファンタジーは人に必要なものだ。人の想像の埒外のことを考える切っ掛けとなり、人の現実感の枠を広げる。


『ファンタジーは善と悪の戦いを描くものではない。善と悪の違いがわかる方法を教えるもの』


『ゲド戦記』の作者、アーシュラ・K・ル=グウィンの著作『いまファンタジーにできること』より。この本はファンタジーを描く人は一度は目を通すことをお薦めする名著。


 ファンタジーの世界では動物が喋ったり人が空を飛んだりとデタラメと言えばデタラメ。魔法使いで手から炎や雷が出たりする人もいる。

 その世界観なりの法則などあるが、それはガジェットや舞台装置のようなもの。


 余談になるが、世の中にはステータスやレベルで人の能力が数値で現されるゲームのようなシステムはハイファンタジーでは無い、なんてことを言う頭の固い人もいるが。


 だったら偏差値や収入といった数値で人の性能を測ろうとする現実ってなんなんだ? リアルの方がゲーム的になってんぞ。健康まで血圧や体脂肪率なんて数値でステータス表記になりつつある。

 そのうちスマホにステータスオープンと言えば、自分の能力値と残りHPを教えてくれるようになったりしてな。


 世界観を構成する要素を抜き出して、ファンタジー的であるとかファンタジー的で無いとか、そういうのはファンタジーにとってどうでもいい舞台装置だ。

 

 異なる世界の中で人の意思や行動がより色濃く現れるのがファンタジーだ。


 ファンタジーとは善悪の違いを教えるものでは無く、むしろ真偽の見え方を伝える物語。また美醜の基準や善悪の境を映し出すもの。

 人は過ちを犯し、その過ちを正そうと行動する。しかし善を求めた行動がまた不幸になる人を産み出す。だからと言って善を求める人は絶えず現れて、その行動に人は称賛や嫌悪を感じる。


 フィクションの世界に映し出されるものは、人の意思や思考の結果の行為。それを見て何に共感を覚えるか、何に嫌悪を感じるか。

 

■現実的の行方


 この俺カルト三世の愚父は、かつて会社を経営していた。世の中が不景気となり会社の経営に危機が訪れる。

 このとき愚父は息子の俺を生命保険に加入させた。これで俺が死ねば金が手に入ると。

 愚父のもと同級生の保険屋に、いったい何を吹き込まれたのやら。これでこの俺カルト三世は保険金殺人されてしまうのか? やられちゃうのか? とワクワクしながら待っていた。

 詳しいところは調べきれ無かったが、どうやら愚父のもと同級生の保険屋がヘタレて逃げたらしい。結局、保険金殺人は実行されなかった。根性ねえな。

 なのでこうして俺は生き延びてしまっている。


 交換価値至上主義の拝金風土(マネーカルチャー)の社会の中で、金に困って目の前の現実しか見えなくなった人間は何でもするぞ。


『金を稼ぐ為に親が自分の子供を殺してなにが悪い』ってな。


■猿と人間


 猿は現実の中で生きている。だから言葉は必要が無い。

 人間はと言うと、正義だとか愛だとか倫理だとか道徳だとか理性だとか常識だとか、現実には物体として存在しない想像上の概念に縋らなければ人の群れという社会を維持できない。

 なので空想について語り伝える言葉が必要になる。


 空想の産物を言葉で伝える生き物は、地球上で人間だけだ。


『ファンタジーは行為についても意図についても、善と悪との違い(・・)を検証するのがとりわけ得意です。想像力は倫理について考える上で、強力な道具になります。想像力の文学は、動機と行動を検証する機会を与えます。無意識が、一見合理的なものをいかにして制御するかを知り、どういうわけで勇敢な行為が廃墟を残すのかを理解し、地獄に至る道が何によって舗装されているか、そしてそれはなぜなのかを問う機会を与えます』


『いまファンタジーにできること』より引用。


■最後に


 この俺カルト三世が言いたいことはただひとつ。

 ファンタジーがんばれ、超がんばれ。

 リアリティの無さで現実に負けるな。


 ファンタジーという想像の中にしか無い善いものが、何をもって善いとするかの個人の美学をかたち作る。

 法律も掟もルールもマナーも、この美学が無ければ生み出されることも無く、人には必要の無いものへと成り下がる。

 善意も悪意も、重さも無ければ長さも無い。現実には物質として存在しない。人が在ると信じることで在るものとなれば、それは妖精や幽霊と似たようなものだ。

 人は人の行為に、自然の中にその影を見る。


 現実しか見えない人は、空想しか見えない人は、同じ概念を共有できない。だから言葉が通じず会話ができない。

 現実と空想の結び付くところに人間らしさがある。


『ティーンエイジャーたちが自分たちの役に立つ真実を――世界の暗い森の中にひとりではいっていく道を探しはじめるとき、ファンタジーの中に、それを見つけることが多い。

 年長者、教師、説教師からの出来合いの指示に従うことに甘んじず、自分自身の道を求める場合はなおさらだ。

 想像力をきたえ、選択肢をもたらすことによって、ファンタジーは彼らに自分で自分を導く機会を与える。

 一級のファンタジーは一級の導きを提供する』


  ――アーシュラ・K・ル=グウィン


 



 


BGM

『inner universe』

Origa


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[一言]  あまり「なろう」のような場所で言うことでもないのかもしれませんが。  お隣の国みたいに、創作を余裕で超えてくる国が現代に実在していて、お隣以外でもざまぁや一部で俺ツエーしてるのが日本という…
[良い点] おもしろかったです! ファンタジーのようにリアル! よく生きてくださいました! やったーー!
[良い点] 幼少時代にNOMAR様にファンタジーがあったこと。 NOMAR様がきちんと自分で周囲を見回すことができて良かったです。(親と親戚ーーーー!><) [気になる点] 自分語り失礼。 前職で苦労…
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