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第14回書き出し祭参加作品「黒ーKUROー」

こちらは連載予定ありません。

実際の参加時には字数制限に引っかかって削除した部分も戻して掲載しております。

 長年強い海風に晒され痩せて縮んだ木壁で囲われた小さな建屋の中は、隙間風も日の光も入り放題だ。地元漁師の道具小屋だったのであろうそこにはもう、破れて使い物にならなくなった網すら残っておらず、ガランとした室内にあるのは最早濃く染み付いた潮の香りのみ。

 そのため、大した建坪でもないのに妙に広く感じてしまう。

 その、空虚な場のど真ん中で、男は横倒しにした木箱の上にどっかと腰を下ろしていた。木箱からこぼれたものをひとつひとつ取り上げては、慎重に身に着けていく。

 足甲そっこうあて、すねあて、ももあてと順に装備し、膝甲しつこうをあてようと強く縛った皮紐がぶちりとちぎれた。

「むぅ … 」

 男は手の中に残るくたびれた皮紐を不満げに睨み、次いで自らの傍らに投げ捨てた。

「―― ほらよ」

 薄暗い場にそぐわぬ明るい声が突如割り込んだかと思うと、何かを男に放って寄越す。ちらと目を上げた先でそれらを視認した男は、ごく自然に手を挙げてその投擲物を受け止めた。そのまま後ろ腰から小刀を取り出し、提供された真新しい皮紐の束から必要な長さを切り離す。

「ちったぁ驚けよ、つまんねぇな」

「―― お前なら来るだろうと思っていた」

「そうかよ」

 低く、軋むような声に返したそれも、最初のものとは違い、苦いものが混じった。そして、出入り口にもたれかかった男もそのまま口を閉ざし無言で男の動向を見守る。

 皮紐を付け直した膝甲の次に腰甲を着けた彼は、金属音を軋ませながら立ち上がり、木箱の向きを変えるとまた何かを取り出し身体に装着していく。

 ベスト型の胴あてを着け肩あてを嵌め、上腕、下腕へと手際よく淀みなく完成されていく騎士の姿に、切なげに目を細めた戸口の男が問いかける。

「なあ、本当に行くのか?」

 問われた彼は答えず、遂には傍らに置いてあった大剣を手に取った。

 ―― それは、雄弁な肯定だった。

「お前なら、復職も可能だろう? なのになんで ――」

「俺は」

 彼はゆっくりと戸口の男に向き直った。木箱から覗くマントには一切手を触れず。国の、王家の紋が大きく刺繍された騎士のマントは、それを目指す者の憧れだ。―― いや、憧れだった。

「俺は、同胞を売って金で王座を買った者に捧げる剣を持たない」

 きっぱりと国家、王家との決別の意を告げた彼の目に微塵も迷いはなかった。

 耳に痛いほどの沈黙の後、それを破ったのは戸口の男の力ない笑い声だった。

「ふっ … は、は、そうだな、お前はそういう奴だよ。―― だから俺も、あいつらもお前に背中を預けたんだ」


 親といわず、祖父母曽祖父母の時代から、この国には敵対国家があった。とはいえ、両国の間には広く猛々しい海峡が横たわり、大掛かりな戦は各世代に一度ずつ、それも結局は海峡に阻まれての痛み分けで終わっていた。あとはせいぜいが小規模な小競り合い、世代も重ねて時は過ぎ、それぞれがあまり確執を持たない世代に変わりつつあった。

 そして、遂に両国の次世代が永久休戦の声を上げた。奇しくも両国にはほぼ同世代の王子、王女がり、互いに婚姻を結ぶ事で長年のいがみ合いを止めようと提案したのだ。こちらの王太子にあちらの第二王女を、あちらの第一王女にこちらの第二王子を、と。

 彼らの間には交流が合ったらしい。それぞれが父である王に掛け合い、やっとの思いでこぎつけた婚姻だった。

 ―― だが、それは叶わなかった。

 両国間の海峡、ここを通過せねば当然互いに行き来はできない。その上、長年の確執のために第二王女と第二王子のいわば「交換」は海峡の上でと定められた。遮蔽物のない海上、伏兵を潜ませて暗殺などできないだろうとの策であったが、これが裏目に出た。

 竜嵐である。

 通常の嵐と違い、竜嵐は突如海水を巻き上げる災禍、しかも幾本もの竜巻が乱れ立つさまから竜嵐と名づけられたそれは、たとえ小船だろうと大船舶だろうと意に介さず巻き込むのだ。

 両国の旗艦がまさに接舷し、調印を交わさんとしていたその時、すぐ傍でその「竜」が天に昇った。甲板にいた歴々は木っ端のごとく吹き飛ばされ、消え去り、傍の護衛艦もろとも旗艦も浮き上がり、ひしゃげ、そして瓦解し海に消えた。

 竜嵐が散開した後に残ったのは、わずかばかりの残骸であった。

 しかしそうとは知らない両国は、待てど暮らせど到着しない一行いっこうに、心配するどころか憤慨した。お互いに、海上で相手に裏切られたと結論付けたのだ。冷静になってみれば、その短絡過ぎる結論に疑問の声も上がっただろう。

 だが、相手国に対する長年の疑心暗鬼がその冷静さを払拭した。

 もはや穏健派の王太子、第一王女の言葉など誰の耳にも届かなかった。それどころか、この悲劇は弟妹を疎ましく思う兄姉の仕組んだ事だと叫ばれ、彼らは幽閉された。噂に寄れば、どちらものちに毒杯を賜ったという。

 両国ともに開戦ムードに沸き、それぞれに担ぎ上げられたのが何故か民間人であった事が、後々の尻拭い役となるべく定められていたと知った時、実際に剣持て共に前線で奮闘していた騎士・兵士達の驚愕と落胆たるや、語る言葉もない。

 かの国は勇猛たる英雄をもって、こちらは先頭に立ちつつも兵を癒し鼓舞した聖女をもって互いに真摯に対決を繰り返した。だがある時、己が囮となって負傷兵を逃がした聖女が敵の手に落ちた。軍は隊を建て直し、からくも聖女奪還を成したが同時に、戦力を大幅に削られた。

 それでも戦意はいまだ高く、むしろ聖女奪還成功に更なる盛り上がりを見せていたのだが、ここで国内の情勢が大きく揺らいだのである。

 現国王突然の逝去。

 それにより、空位となった王座についたのは、継承権8位という最早王族の末席といえるような男だった。男自身、己が王座に付くなどとは考えてもいなかっただろう。

 だが、王座は彼のもとに転がってきた。

 そこから一気に事態が動いた。

 国内外からの突き上げと圧力に屈し、新しい王は保身を選んだのだ。

 すべては聖女による独断だと。

 戦端を開いたのも、戦争をいたずらに拡大させたのも、すべて聖女である、と。

 そして国としては、開戦はその文言に踊らされた先王の責任であり、戦犯である聖女である引き渡すので好きに処分してもらって構わない。それを以て停戦としたい、と。

 それは確かに結果だけ見れば、先の王が画策していた手と同じではあった。が、聖女奪還に沸いていた時勢では悪手以外の何ものでもない。そして相手国はこれ幸いとその気弱さに付け込んで聖女の身柄ばかりか、賠償金まで堂々と主張した。

 その上で、復興資金貸与、という枷までかけてきたのである。

 かくしてここに、この国の完全なる敗北が決定した。

 無論国内は荒れに荒れ、聖女と共に戦場に)った騎士達は、官吏を押しのけて王座に迫った。

 何故見捨てた !?

 何故裏切った !?

 戦場にて胴間声を交わす者達の怨嗟にも似た怒号は居並ぶ者達の耳朶を激しく打ち、その標的となった王は、がばと耳を塞いで上体を折り縮め、叫んだ。

「他に方法なんかないじゃないか! これ以上殺し合って最後の1人まで死なせるつもりか !? 僕は嫌だ! 殺すのも殺されるのも嫌だ! いいじゃないか平民の女1人で終わるんだ、お前達だって死にたくはないだろう !? 民だって死にたくないだろう !? 女の首一つで皆助かるんだ! それでいいだろうッ !!」

 それは確かに一国の王としては恥ずかしいげんではあっただろう。しかし、突如王座にまつり上げられて重圧に晒され、滑らかであったろう頬まで土気色にげっそりとこけさせた青年の、ギリギリの叫びでもあったのだ。

 怒声に満ちていた場が一転、痛いほどの沈黙に満ち、そして ――。

 ガシャン。

 誰かが、掴んでいた剣を落とした。

 驚愕と絶望に知らず床に落ちたそれに続いたのは、明確な決別の意思によるものだった。

 硬質な落下音が次々と続き、そればかりか騎士達は身に纏っていた鎧もマントもすべて床に落とし、1人、また1人と踵を返す。

「お、おい …!」

 異常な音と空気に顔を上げた王は、1人ずつ去っていく騎士の姿に思わず手を伸ばした。

「おい! どこへ行く! 僕を守るのがお前達の仕事だろう!」

 悲痛な叫びも、官僚達のすがるような眼差しも、騎士達の足を止める事はできなかった。

「待て! 待ってくれ! 僕は死にたくないんだ !!」

 最後の騎士が、ひたりと足を止めた。が、それに一瞬喜色を浮かべた王の顔が罪悪感に歪む。

「あの人も死にたくなかろうさ」

 その言葉を最後に、この日王宮から騎士の姿は消えた。

 年若い王の、慟哭にも似た叫びに誰一人振り返ることなく。

 かくしてここに、1つの王国が消え、名も無き属国が誕生した。


 身に着けた古めかしい板鎧と年季の入った大剣の具合を確認する彼に、戸口の男が懐かしそうな声音こわねで問いかけた。

「それ、親父さんのだろ?」

「ああ」

「憶えてるよ。ガキの頃、親父さんがそれ着けてた姿は俺らの憧れだったもんな」

 式典のたびに磨き上げられた揃いの鎧をきちりと装着してずらりと並ぶ騎士達は、子供達の憧憬の対象まとだった。キラキラと陽光を反射する鎧は、そのままその騎士の威光のようだった。

 ―― もう失われてしまったそれがひどく恋しい。

 身体を動かしてみて、どこにも不備が無いと判断した彼は、木箱脇に置いておいた皮紐の束を取り上げた。

「これ、もらっていっていいか?」

 問われた男は一瞬ほうけた後、泣きそうな顔で苦笑した。

「ああ、持ってけ。悪ィな、しょぼい餞別で」

「いや、助かる。止めずにいてくれることもな」

「……」

 戸口の男は数回、何か言いかけては口をつぐみ、拳を握り締めてうつむいた。

「すまねぇ …ッ!」

 男には親も弟妹もいる。義憤のままに動くわけにはいかなかった。それを知るからこそ、彼はこの地に残る男に後を任せると告げた。


 軋む木戸を大きく開いて一歩漁師小屋から足を踏み出せば、傾きかけた陽光に使い込まれた金属が黒く鈍い光を反射した。

「出港予定は明日の未明だ。それまで彼女が拘留されている場所には紐をつけてある。仮に襲撃を警戒して移動されても付け直す手はずになっている」

「助かる。―― あまり危険な橋を渡らせるな」

「なに、外れかけた窓や看板を直す釘がないのさ」

 つまり、そう偽装されているということか。

 先程共に行けぬと拳を固めた男の胸中を察し、彼は口元を緩めた。

 もう一度短く礼を言って歩み去っていく彼の背中に、守る事を選んだ男は騎士の、いや武人の礼をもって別れを告げた。


 ゆるり、と大剣の柄を撫でながら、彼は歩みを止めずに呟いた。

「聖女も、英雄も悪魔もいるものか。皆、同じ人間だ」


 それは、かの王に最後の言葉を告げた時のように苦い声音であった。



 長年、確執を重ねた国と国があった。

 そして遂に勝敗を決しようと戦端を開き、男の守ろうとした国は敗れた。

 だが、責を追うべき王は、1人の聖女にすべてを押し付けた。


 男は、王を守る剣を捨て、理不尽を正す剣を取った。


 これは、1人の女を助けようと立ち上がった、たった一人の戦いの記録である。


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