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第13回書き出し祭参加作品「その声はまだ届かない」

「その声はまだ届かない」https://ncode.syosetu.com/n1067hv/にて連載中です。

 日本全国、どの土地にも林立しているごくごくありふれたワンルームマンション。深夜に近い時間になってようやく照明が灯された一室で、ぐったりと項垂れながらパンプスを脱ぎ捨て通勤かばんを肩から落としつつ部屋に上がるここの主がいた。

 どこからどう見ても疲れきったOLである。

 これが男性ならばネクタイを引き抜きつつダイニングに向かうのだろうが、女の端くれとしてはまず化粧を落として部屋着に着替えたい。ぺぺっとお外モードを解除したらコンビニ弁当を温めつつ軽めのチューハイを冷蔵庫から取り出し、テーブルの上に今夜の夕食をテーブルに乗せたらようやく椅子に座ってでれーんと崩れ落ちる。

「っだー、づがれだ~!」

 経験上、座ったら動けなくなる事を見越して、玄関入って5分でここまで整えられるようになったが、それでもキツイものはキツイ。

「あー、もー、仕事辞めたーい」

と、弱音を吐くところまでが最早ルーティーン。

 その流れでのろのろとチューハイに手を伸ばしつつ上体を起こし、もう無意識に開封したそれをグイッとあおれば、何とか少し、気力が戻った。

 次いで、ぺりぺりと弁当のビニールフィルムを剥がし、持ち上げた蓋の下からふわりと立ち上った揚げ物の匂いに腹の虫が鳴く。

 小さいタイプの弁当とはいえ罪悪感の湧く時間にしか夕食にありつけない我が身が哀しいが、食べなきゃもたないのもまた事実なのだから、ここはせめて温かいうちに、と割り箸を割った。

 弁当の大半が消え、チューハイの缶もずいぶん軽くなった頃、手元に置いていたスマホから通知音が鳴る。

「……」

 こんな時間に届くLINEなどロクなもんじゃない。

 この経験則は今回も外れず、そこに表示された同僚からの連絡に「ぐげー」とつぶれたカエルの断末魔じみた声が洩れた。

 ―― Aさん、明日も休みってー。なんか、検査入院コースかもってー。カンベンしてほしいよねー。

「いやマジ勘弁して」

 コスト削減とかで今の部署の人数はギリギリにされているというのに、1人休まれたら途端に昼休憩すら取れなくなる。電話かけてきてる方も、受ける側がこっそりお握り齧りつつ応対しているとは思うまい。

 だがまあお仕事だ。電話の相手だってエネドリ片手かもと思えば奇妙な仲間意識も芽生えそうになる。

 だがクレーマー、おめーはダメだ!

 真っ当な問い合わせや製品に対する不満や要望なら業務のうちだ、きっちり真面目に対応するが、もうとにかく誰かに八つ当たりしたい責任転嫁したい系の電話はひたすらSAN値がガリガリ削られていく思いだ。いっそヘッドホンを外して放置したいが、聞いてなきゃ聞いてないで怒鳴りつけてくるし、そのくせこっちの発言は一切聞かずぶった切り、自分の口撃こうげきで興奮して勝手にボルテージ上げてまくし立ててくるから本当に始末に負えない。もうストレス発散のためにイチャモン付けてきているだけだと彼女達サポートテレアポ陣がやさぐれても誰にも責められはしないだろう。実際、前述の休んでる同僚も胃をやられて病院に行ったはずが、なんと聴覚にも異常が出たらしい。労災下りますように、と他人事ならず祈りたくなる。明日は我が身だ。

「だいたいさー」

と、チューハイを呑み干して、ぐったりと頬杖をつく。

「あのおっさんの嫁がメシマズなのはウチの製品のせいじゃないっての。何なのマジ何をどーやったら買ったばかりとか抜かす包丁が折れるのよ。万万が一製造上の問題ならきっちり調べて補填するっつってんでしょーが。さっさと送って来いよ送料着払いでいいっつってんじゃん何でそこでまた怒り始めんのよ意味判らんわ」

 意味も理由もないのがクレーマーの真髄なのかもしれない。だからと言って、付き合わされる方はたまったもんじゃないが。

 その上守秘義務もあるから、溜まってしまうフラストレーションは職場以外、愚痴り合いという情報交換で吐き出すしかないというのに、1本のクレーマー電話が下手すると小一時間も回線を塞ぐものだから。ようやく終わった、と回線を切った途端に次の電話が入り、その上まず電話がつながらなかった事を怒られるのだから吐き出す間もなく溜め込んでいくしかない現状、自然発散するのは自宅しかない。せっかくの1人時間をそんな不毛なことで潰したくはないが、溜め込んでいては内臓が腐りそうで我慢できない。

 ―― というか、純粋に黙っていられないのが正直なところだ。

 そしてこういう愚痴の類は一度口火を切ると吐き出しきるまで止まらないのが常道というもの。今やまたしてもテーブルに懐いている彼女の口からもタラタラと今日食らったクレーマー口撃こうげきに対する文句が垂れ流されていた。

 ―― カ?

 ゆるり、と部屋の空気がさやか(・・・)に揺れた。

 ―― カ?

 天井の隅、あるいは家具の陰から、何かが揺らぎ始める。

 ゆるゆる、ゆるゆる、と揺らぎが集まり、少しずつ何かを現していく。

 ―― イカ?

「大体ゴマ直火で炙ったら弾けて引火するに決まってんじゃないのよ考えなさいよ胡麻油とゴマ別物とでも思ってんのバカじゃないの読めよ説明書~!」

 ―― …… ナイカ?

 ゆらぁり、とこごった揺らぎの中から、輪郭のぼやけた指のような鉤爪のようなものがぬるりと差し出される。

 ―― タイカ?

 ―― タクハナイカ?

 音もなく、揺らぎからした何かが次第に大きくなりながらかやかや・・・・と指を蠢かせる。

 ―― クヤシイカ? ウラメシイカ?

 声とも、空気の軋みともはんじられない囁きが繰り返され、一声ごとに少しずつ指が彼女の背中に近づいていく。

 ―― ソノウラミ、カエシタクハナ ……

「それにさあ! わけあり品で買っておいてレシピブックが入ってないって何よ !? それがないから『わけあり』なんでしょーが! 定価の7割引で買っといて、それで付属品クレームで持ってかれたんじゃ完品まんまじゃないの! なら定価分きっちり払えやー!」

 ―― ……

  がばりと跳ね起き吼えた背中に、知らずひくりと引いた指がまた、ゆるぅりと伸びる。

 ―― ホシクハナイカ? ウバイタクハナイカ?

「そもそもさー、もうホント、自分で言ってて勝手にエキサイトしていくのって何なん? 普通に話してた次の瞬間怒鳴りだすってホント、何なん?」

 よっこいせ、と椅子から立ち上がり、弁当の容器とチューハイの缶を流しに持っていく背スレスレに、揺らぎの指がかそり・・・と空を切る。

 ―― ホシクナイカ?

 再度伸びた指はしかし、ざざっと水洗いした弁当容器を捨てるべく屈んだ後頭部を掠めて閉じた。

 ―― エ ……?

 とまどうかのように更によろりと伸ばした指は、くるりと踵を返した彼女の肩先に掠りもしなかった。

 ―― エ ……? エ?

「あー、ストレス溜まるわー。まだまだ呑み会もカラオケも行けないし、旅行なんてもっと行けないし。でも今度日帰り温泉くらいなら行けるかなぁ?」

 ―― ア …… エ、エ ……?

 天井近くにこごっていた空気が、とまどいにゆらゆらと揺らぐ。

 ―― ホシクハナイカ?

 力が。悪意には更なる悪意を。その力が。

 ―― ホシイダロウ?

 破滅を。呪を。死を。

 望むままに悪意を返す力が。

 ずるぅり。

 こごった空気から、更に大きな揺らぎが抜け出す。

 欲しいはずだ、他を呪う力が。

 われなき悪意を返す力が。


 ―― ホシクバ、コイ!


 天井いっぱいに両のかいなを広げたそれ・・が抱きすくめんばかりに彼女へと迫り ―― 。

 ピロリーン。

「あ、お湯溜まった」

 すかっ!

 いっそ見事なほどに空振りした。

 ―― ……

 微妙すぎる間に気付く事なくユニットバスに消えた彼女に、ぞろぅり、と追いすがる揺らぎ。

 ―― ホシイカ? ホシイカ? チカラガホシイカ?

 欲しくないはずがないのだ。

 他者を退ける力。踏み付け、のし上がる力。

 聞こえているはずだ、この[声]が。

 ずるぅりずるぅりと不可視の指が伸びる。

 ―― ホシイカ …… ホシイカ …… ホシ

「はー、まあ愚痴ばっか言っててもしょーがないよねー。さっさとお風呂入ってもう寝ちゃお」

 ガシガシと頭を掻きながら着替えを取りに出てきた彼女へと。

 ―― ホシイk ……

「何にしてもアレよね、とにかく『人の話を聞け!』てやつに尽きるわーマジで」

 パタン、とユニットバスの扉が完全に閉ざされる。

 ―― …… イテ

 揺らぎが不意にぎゅっとこごった。そして。

 ―― キイテ! コエキイテ !!


 届かぬ声を届ける戦いは、いつの世も果てなく続く―― 。

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